『二つの河の戦い―歩兵第六十聯隊の記録 ビルマ篇』

『その後、輜重連隊にも転進命令が下り、フミネに到着したが、そこには一粒の米も無かった。

耳に入ったのは6月下旬に烈の兵隊の襲撃を受け、否応無しに少ない糧秣を奪われたという情報であった。

友軍である烈の徒党を組んだ襲撃の情報は信じたくなかったが、タナンに向かう撤退行軍の苦難の日々が重なるにつれて、

烈の兵隊に対する憎しみの感情が起るのは、やむを得なかった。

戦後20数年を経た今日でさえ、捨てられた弁当箱にご飯粒が

残っているのを見ると、あの山の中で、この米粒があったらと思うと同時に、「あの時の米は烈に奪われたのだ」という思いが、頭をかすめてくるのである。』