【インパール作戦嘘八百集】
●インパール作戦は皆が反対した、という嘘

参謀らが反対したのは、以前の計画の21号作戦です。これはインド、アッサム州を攻略するという作戦で、
それよりはるか手前のインパールを攻略するインパール作戦とはぜんぜん別物です。話がスリ変えられています。
当時もインパール位なら可能と認識されています。

3個師団のうちの1個師団に、背後のコヒマを攻めさせるという戦術面(迂回戦術)に多くが反対しました。
この戦術は奇襲が失敗した場合、迂回部隊は孤立するからです。
短期決戦で成功すればいいですが、作戦が長引いた場合、背後の師団には補給が出来ません。この点で最後までもめました。
牟田口15軍は、作戦が1か月程度長引いても、後から追従するジンギスカン部隊によってある程度作戦が長引いても自給可能だとしました。
実際に31師団は2カ月半の間、物資に問題は無く計画通りでした。

多くの参謀が反対したのはこの戦術に関してのみであり、
インパールを攻略する作戦自体には、まったく反対意見はありませんでした。
ビルマ防衛のためインパールの攻略が必要という結論は、皆が支持しています。

なおこれとは別に反東條派・対米決戦派がインパール作戦に反対し、裏で妨害工作をやってました。対米戦に全兵力を投入すべきだと言う海軍支持勢力です
重臣の岡田や米内ら海軍関係者や、陸軍の反東條派がその勢力です
これらはインパール作戦が無謀だから反対なのではなく、対米戦に全兵力を投入したいがために
インパール作戦に反対し、裏でも妨害していたのです。

この対米決戦派による妨害工作こそが、インパール作戦失敗の最大要因です。
対米決戦派は南方軍参謀にも多く、稲田参謀副長などが裏で15軍の師団長らと通じ、
作戦を中止させるべく画策し、師団長らもそのつもりでやっていたと思われます。

しかしこの勢力が進めた対米作戦の方が、インパール作戦よりはるかに酷い作戦ばかりです。
この勢力は戦後の日本で実権を握り、自分らに都合よく戦記と歴史を創作してきました。
陸軍を悪玉に仕立て、対米戦を主導した海軍の暴走を誤魔化すことが狙いです。