>>716
ああ、そうだったね

 1923年 米海軍大学校で図演、全15隻の米戦艦が無事フィリピンに到着

 1928年 同図演、米戦艦10隻がフィリピンに到着。戦艦5隻損傷
 1930年 ロンドン軍縮会議
 1933年 同図演、無傷の米戦艦は7隻。損傷8隻

1920年代後半から米戦艦は危険な状態になっている

そこでロンドン軍縮会議。日米重巡の排水量は、米国18万t 日本10万8千t、と決定された
ただしこれは数値が決定されただけで、当時、実際の保有量は日本が上だった

米海軍が一万トン級重巡全18隻を保有できたのは1939年

米軍が立派な建艦計画を作るのはいいが、予算の決定権を握っているのは合衆国議会なので米海軍の軍拡は厳しく制限されていた