艦船局レポート冒頭の参照資料には、
1942年12月19日付サウスダコタのアクションレポート
1943年2月28日付の内容不明なサウスダコタレポート
1943年4月19日付のおそらく艦隊司令部のレポート
が挙げられており、戦闘後の報告は当然に作られていたことが分かる

これに加えて、例の信濃の前盾に穴を開けたダールグレン射撃試験場のデータ、戦略爆撃調査団による日本当局者への尋問結果、米海技術訪日調査団による日本の砲弾の調査レポートも参照している
つまり、戦闘直後の現場レポートに戦後の最新情報を加味して作ったレポート

それを、サウスダコタの担当者が作るのをサボって、あとから慌てて書きました、だから信用できませんなどと言うのは、あまりにもお粗末なバイアス
霧島君も草葉の陰で喜んでない