>>48の続き

残念ながら?それは実現しなかった。

昭和14年10月3日、一聯空司令官として漢口基地で指揮を執っていた
塚原少将でしたが、支那空軍の空襲により、爆弾が指揮所に命中
なんと塚原少将は左腕切断の重傷を負ってしまったのです。

隻腕では海上勤務は難しいということで人選から外された。
爆弾がわずかに外れていたら、歴史は変わっていたかもしれない。