>>213
相変わらず時系列や原因と結果のつながり、流れというものを正しく整理できていない

1915年のガリポリで戦艦は要塞に勝てないという結論が出ており、それがWW2のオスロ侵攻で再度証明されて終わった話
ちなみにオスカシボルグ要塞は80年代の冷戦期まで装備を更新しながら存続している

日本では、これを受けた要塞再整理案が1917年に策定され、陸軍は14インチ16インチの要塞砲を海軍に製造を依頼
つまりガリポリ等WW1戦訓を受けた流れは八八艦隊と要塞強化の併存
そこにワシントン条約が成立して海軍の不要砲塔砲身が陸軍に保管転換された保転砲として生かされることになるから、要塞だけが強化されたことになる

この流れは戦間期からWW2の欧米でも変わることは無い
>215氏のいう通り、アメリカでは列車砲とB17の組み合わせで長大な本土海岸線を守ろうとした
欧州では、対ソ戦の第二戦線が形成されることを予測したヒトラーが1943年に命じた大西洋防壁の建設
フランスからノルウェーまで大小6,000門の要塞が築かれている
写真は戦死したビルマスク艦長の名を冠したH級戦艦主砲のリンデマン砲台
こんなのが集中配備されたカレーを避けて、連合軍はノルマンディーに上陸している

リソース配分として大陸や南洋を優先した日本の要塞砲兵の表層だけ見ていても、大きな流れは理解できない
これらの要塞が海峡や湾口への水上艦接近を阻止したことは事実だし


https://i.imgur.com/GKVQTkI.jpg