陸軍がさして変り映えしないMG17で機銃を更新する理由のひとつに
故障がないという点をあげているので
八九式固定は相当信頼性が低かったのだろうと想像できる

1941年12月25日、飛行64戦隊(加藤隼戦闘隊)はビルマに重爆の援護で出撃したが
奥村弘中尉の隼は機銃が2丁とも故障中だった。しかし整備兵が止めるのも聞かず
撃てない機銃のまま出撃していった。護衛任務なので撃てなくてもそこに居るだけで
敵機の妨害になるとの考えだった。
最終的に奥村機はAVG(フライングタイガース)のP-40と空中衝突、翼を1メートルほど
もぎとったが自らの主翼は付け根から折れて墜落戦死した。

機首銃は簡単に交換できない構造なのか予備が無かったのか