「文永の役で元側が馬を戦場で使用したことは『蒙古襲来絵詞』や『八幡愚童訓』からも窺え、
『高麗史』にも高麗南部に日本侵攻に用いる軍馬のための糧秣を配給するアウルク(奥魯)が
設置されていることからも、軍馬が文永の役で使用されたことは間違いないが、正確な軍馬の
数は不明。(Wikipediaより)