17世紀半ばの30年戦争や清教徒革命ではまだまだ纏まった数が使用されていました
有名なところではスコットランド傭兵とか
17世紀の東欧やロシアでは末になっても混在していました
ポーランドのパンセルニやロシアのコサックは火器と弓矢を両方装備していて使い分けていました
弓矢は連射性能以外に曲射と言う火器には真似の出来無い射法が有ったので生き残っていました
東欧や西欧での弓矢が纏まった数で使用された最後は1812年戦役でのロシア軍コサックかと
流石に珍しくなっていたのか弓矢による攻撃を受けたマルボロ将軍は回想録に驚きと共に記録しています