>>73
開戦時に軍令部は、まずラバウルなど攻略してオーストラリアを制するための一歩とした

つづいて
・ 昭和17年3月7日 海軍軍令部はオーストラリア進攻を提案。しかし陸軍は拒否。
・ 仕方ないのでMO作戦・FS作戦を進めるという経緯。(しかし連合艦隊の横やりで始まったMI作戦が失敗し頓挫)

 軍令部の方針通りの戦略で戦っていたなら空母6隻が使えるのでMO・FS攻略は成功するだろう
 米戦艦部隊が砲戦を挑んできたならトラックを拠点とする日本戦艦で撃滅する

その後の補給だが、当時の米潜の魚雷は劣悪なので輸送船・タンカーの被害はほとんど無いだろう。計画は順調に進む

参考意見

「アメリカの戦力は、二年たつと膨大なものになる……この大きな戦力が、広大な豪州に展開して
ドッと北に突き上げてきたら、ちょっとかなわない。
どうしても豪州を早く脱落させるか、アメリカとの間を遮断しなければならない。」
 軍令部第一課長・富岡定俊少将

「なぜ日本はミッドウェーなぞを攻略しようとしたのか? ・・・・ニューカレドニア、フィジー、サモアの線を攻略して米豪遮断を・・・・していたなら
米国は航空機を一機も、豪州に進出させることが出来ず、対日大反抗の基盤を持ち得ないことになって、非常に困ることになったのだが」
 米海軍作戦部長バーク大将