ほう、殺る気満々マンじゃないですかヤダー

昭和天皇の戦争責任論
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%AD%E5%92%8C%E5%A4%A9%E7%9A%87%E3%81%AE%E6%88%A6%E4%BA%89%E8%B2%AC%E4%BB%BB%E8%AB%96#%E9%96%A2%E9%80%A3%E9%A0%85%E7%9B%AE

昭和20年(1945年)2月14日に近衛文麿元首相(終戦後、戦犯指名により自殺)は敗戦を確信して天皇に上奏文を出し、敗北による早期終結を決断するように求めたが[13]、
天皇は「もう一度敵をたたき、日本に有利な条件を作ってから」の方が良いと判断、これを拒否したという。
このことは、少なくともある局面では天皇が能動的判断で戦争の継続を選択していることを意味するとも取れ、
またこのときの判断次第ではそれ以降の敵味方の損害はなかった可能性をも示す。
つまり、この時に天皇がこれを受け入れていれば少なくとも沖縄戦や広島・長崎の被爆はなかったはず、というものである[14]。