もちろん大戦中でも外膅砲射撃はやってるだろうよ
装備はしてるんだから

写真は昭和16年、開戦直前の陸奥

https://i.imgur.com/1TGHSLs.jpeg

https://i.imgur.com/eOGCxQg.jpeg

明らかに一番、二番主砲とも外膅砲がついている
さらに戦前の陸奥では後部主砲二つとも外膅砲がついている

https://i.imgur.com/qiMEqYf.jpeg

これが開戦後は武蔵でも長門でも前部は2番砲塔だけに減少しているのが確認できる事実
外膅砲でしかできない貴重な演習があるなら、演習の必要性が増す開戦後に装備数を減らしている理由が説明できない

誰も指摘しないが、海軍砲術史には長門がリンガ泊地で「子砲」による射撃をしたことになっており多分外膅砲のことだと思われる
ただし主砲弾25回に対して子砲7回(うち電探2回)とあって、ウエートは低いとしかいえない
リンガという外地だから砲弾と砲身消耗を節約したという説明も一応成り立つ

いずれにしても、時代が進むにつれて帝国海軍でも外膅砲の役割が低下していることを指摘しただけでシナチョン認定されるようじゃ話にならない
資料に基づいた事実だけに価値がある