>>844
不在地主から買ってたんだって
http://www1.s-cat.ne.jp/0123/Jew_ronkou/Zionism/hakaisareta_mura.html

ナチス・ドイツの強制収容所の生き残りであり、人権と公民権のための「イスラエル連盟」を組織した
イスラエル・シャハク博士は、1973年の報告書『イスラエルで破壊されたアラブの村』の中で次のように語っている。
「1948年以前のアラブ人居住区に関する真実は、イスラエル人の生活の中で最も固く守られている秘密の一つである。
書籍であれパンフレットであれ、どんな出版物も、その数や位置などを知らせてはくれない。

それは意図的なことであり、そうすれば、公的に受け入れられている神話『ユダヤ人は誰もいない土地に
入植したのだという作り話』を学校で教えられるし、訪問者にも語ることができるからだ」。
彼の報告書によると、31の村があったラムレー地区のように、多くの地区でアラブ人居住区がイスラエル人によって破壊された。

エルサレム郊外のヤッファ地区では、ただヤッファ市だけが残った。 破壊された385の村々のほとんどは、
墓地や墓石まで含めて、ブルドーザーで根こそぎにされてしまったという。 これでは、通りがかりの訪問者が
「そこは全くの砂漠だった」と聞かされても、信じるしかないだろう。 パレスチナの村々の破壊はいつも同じ
ように行なわれている。 ある日、安全の為とか公共物建築の為とか戦争の危険がある為とかの理由で、
村民が一時的避難を命令される。 そして、村民が村を離れたあと、その村の土地は没収され、
ユダヤ人入植村(多くの場合キブツ)に与えられた。 これには、次のような法律が用いられた。

まず「不在者財産没収法」(1950年)がある。 この法律は、国連総会でパレスチナ分割案が可決された
1947年11月29日から1949年9月1日までに、近付く戦火のため近隣の村に一時的に避難した者、
イスラエル軍の命令で村を立ち退いた者に適用された。 更に、この法律は、その期間中に村を出なか
ったと証明することが出来ない者、及び、土地・家屋が自分の所有物だという証明書を持たない者にも適用された。