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赤城の件

戦史叢書によれば以下の通り

0726 中部昇降機に爆弾命中
0740 機関全部停止、舵故障
0746 南雲司令部、野分に移乗開始
1615 自力航行見込なしと機関長より報告
1620 艦長、艦の放棄を決意、南雲長官に駆逐艦による雷撃を要請
1925 山本長官、赤城雷撃処分待て
0150 山本長官、赤城雷撃処分命令
0200 赤城沈没

亀井宏のミッドウェー戦記
時差帯は戦史叢書と3時間違うが戦史叢書と一致している
1720 総員退去を一航艦司令部に報告、「駆逐艦の魚雷で赤城を沈めてよいかと問うている」
一航艦宛の無電を傍受したGF司令部から赤城処分待ての命令
0450 GF司令部から赤城雷撃処分命令
0500 赤城沈没

どこにも青木艦長の自沈命令など出てこない
艦長自沈説を言うなら、必要なのは艦長が何時何分にどんな内容の自沈命令を出し、その出典は何かという単純な情報
それを精査することで武蔵自沈説のようなトンチンカンが判明する

赤城の場合は、山本五十六の赤城処分待て命令→ミッドウェー攻略中止命令→赤城処分命令
という順番
ミッドウェー作戦の大方針も決まらぬまま、艦長の独断で空母を自沈させるなどあり得ない話