>>437
川崎重工を含めて、中等練習機と高等練習機は別々に調達すると思っていたと思う。
川崎は中等練習機の自社案を出して、スバルあたりがライセンス獲得したT-7Aとコンペして
勝とうと思ってたのではないかと思う。

しかし、蓋を開けたら、T-4後継はT-4と複座戦闘機の両方の後継をまとめたものだった。
しかも装備庁が設計で、X-2チームがスライドしてT-4後継の開発をしていた。

「初等練習機を履修したペーペーのパイロット候補生を
 いきなりステルス軽戦闘機に乗せるの?正気?」

という感じだろう。
しかし、練習機の推力を戦前からプロットしたら、一貫して上昇していると思うし
世代もT-1やT-33Bの第1世代から、T-2やT-4の第3世代と奇数世代を練習機としているので
今さら第4世代練習機では無いというのが空自の判断なのだろう。
もっと言うとT-4の性能に不満があったということだと思う。