G50やMC200のような単葉初期のイタリア戦闘機が開放式キャノピーだったのは
ガラスの品質が悪くて視界が悪いとか速度計の信頼性が低くて風を感じた方が正確だったとか開放式派にも一理ある理由があるようですが
日本戦闘機のように閉じて飛んでも開けて飛んでもいい前後スライド式のキャノピーにして開けるかをパイロットの自由に任せるというやり方は出来なかったのでしょうか?

また、次のMC202世代以降は完全な密閉式に変わっていますがガラス問題や速度計問題は無事に解決されたのか
それとも満足行く解決が出来ていないまま空気抵抗を減らして速度を上げるためパイロットの抵抗を押し切って密閉式への移行を強行したのかどちらだったのでしょうか?