日本軍は、南京へ向かう進撃中で、現地家屋の破壊・放火、一般市民・捕虜・敗残兵に対する虐殺・強姦などを行い、
南京攻略後の12月13日から、多くの住民に対する南京城内外での虐殺、それより多くの中国軍兵士(捕虜・敗残兵)への戦時国際法上違法な虐殺、また城内での略奪・放火を行った。

12月17日以降は1月5日まで続いた敗残兵狩りを除き、日本兵による組織的虐殺は一応終了するが、
一部の殺人や強姦・放火の発生は継続し、完全に終息するのは4か月後の1938年3月頃であった。

南京攻略戦の前に、中支那方面軍司令官松井石根は、南京城攻略要領を示達し、
前線部隊に統制の強化と綱紀粛正を命じていたが、
前線部隊の司令部は通達を守らず、不法行為・殺戮に歯止めがかからなかった。