どうもFBを見ると渡部本人はPCが苦手なようで
スレを立てられそうにないので
スレを立ててみた
渡部直己 【昔・近大文芸 今・早大文化構想学部】
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
2014/02/13(木) 09:34:08.58
217吾輩は名無しである
2015/12/19(土) 18:03:53.29 移人称小説って言葉がばかっぽい
それでジュネットの名前なんか出してるわけだから救われない
それでジュネットの名前なんか出してるわけだから救われない
218吾輩は名無しである
2015/12/19(土) 23:42:19.68 2015-10-13 文壇構成員
http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20151013
(藝術院会員級)(あまり実権はなし)E
三浦朱門・曾野綾子・三木卓・三浦雅士・竹西寛子・富岡多恵子
(芥川賞選考委員引退級)E
大江健三郎・古井由吉・池澤夏樹・黒井千次・高井有一・石原慎太郎
(芥川賞選考委員)H
高樹のぶ子・村上龍・山田詠美・川上弘美・小川洋子・島田雅彦・堀江敏幸・宮本輝・奥泉光
(元文藝家協会理事長)@
坂上弘
(野間文芸賞級)H
津島佑子・林京子・瀬戸内寂聴・佐伯一麦・町田康・村田喜代子・多和田葉子・保坂和志・笙野頼子
(谷崎賞級)A
高橋源一郎(朝日系)・江國香織
(大衆文学系重鎮)F
五木寛之・北方謙三・津本陽・林真理子・高村薫・宮部みゆき・宮城谷昌光
(多数受賞級)F
松浦寿輝・角田光代・平野啓一郎・川上未映子・中村文則・伊藤比呂美・小池昌代
(実権文藝評論家)E
柄谷行人(朝日・岩波系)・沼野充義・渡部直己(早稲田文学系)・加藤典洋・斎藤美奈子・福田和也
(別枠)@
橋本治
http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20151013
(藝術院会員級)(あまり実権はなし)E
三浦朱門・曾野綾子・三木卓・三浦雅士・竹西寛子・富岡多恵子
(芥川賞選考委員引退級)E
大江健三郎・古井由吉・池澤夏樹・黒井千次・高井有一・石原慎太郎
(芥川賞選考委員)H
高樹のぶ子・村上龍・山田詠美・川上弘美・小川洋子・島田雅彦・堀江敏幸・宮本輝・奥泉光
(元文藝家協会理事長)@
坂上弘
(野間文芸賞級)H
津島佑子・林京子・瀬戸内寂聴・佐伯一麦・町田康・村田喜代子・多和田葉子・保坂和志・笙野頼子
(谷崎賞級)A
高橋源一郎(朝日系)・江國香織
(大衆文学系重鎮)F
五木寛之・北方謙三・津本陽・林真理子・高村薫・宮部みゆき・宮城谷昌光
(多数受賞級)F
松浦寿輝・角田光代・平野啓一郎・川上未映子・中村文則・伊藤比呂美・小池昌代
(実権文藝評論家)E
柄谷行人(朝日・岩波系)・沼野充義・渡部直己(早稲田文学系)・加藤典洋・斎藤美奈子・福田和也
(別枠)@
橋本治
219吾輩は名無しである
2015/12/20(日) 02:19:02.61 >>216
要するにお前は単なる屁理屈w
柄谷の周期説に従えば
ゼロ年代の連中は近代文学派に該当するのは明らかなんだから仕方がない
柄谷や浅田や蓮實が近代文学派を個々人は大したことはないが
集団で何らかの言説を形成しているかのようになっている
団塊の批評家連中だといったが
ゼロ年代連中はまさにそれw
90年代で近代文学派はすでに読むに堪えない状態で
今はさらに腐食が進んでいるが
ある意味よく似たゼロ年代の連中も同じ運命が待っているだろうということw
事実、ゼロ年代と近代文学派は
似たような内容の言説かつ似たような団塊でしかない連中なんだしw
要するにお前は単なる屁理屈w
柄谷の周期説に従えば
ゼロ年代の連中は近代文学派に該当するのは明らかなんだから仕方がない
柄谷や浅田や蓮實が近代文学派を個々人は大したことはないが
集団で何らかの言説を形成しているかのようになっている
団塊の批評家連中だといったが
ゼロ年代連中はまさにそれw
90年代で近代文学派はすでに読むに堪えない状態で
今はさらに腐食が進んでいるが
ある意味よく似たゼロ年代の連中も同じ運命が待っているだろうということw
事実、ゼロ年代と近代文学派は
似たような内容の言説かつ似たような団塊でしかない連中なんだしw
221吾輩は名無しである
2015/12/20(日) 03:56:09.57222吾輩は名無しである
2015/12/20(日) 03:56:56.83 1945年から55年後が2000年wwwwwwwwwwww
223吾輩は名無しである
2015/12/20(日) 03:59:59.57 >コンドラチェフの波とは、景気循環の一種で、
約50年周期(40年〜70年のサイクル)の景気サイクルのことを指します。
東京オリンピック 1964年 2020年
安保闘争 1960年
安保デモ 2015年
wwwww
約50年周期(40年〜70年のサイクル)の景気サイクルのことを指します。
東京オリンピック 1964年 2020年
安保闘争 1960年
安保デモ 2015年
wwwww
224吾輩は名無しである
2015/12/20(日) 04:02:49.75 柄谷行人の明治・大正=昭和周期説 58年周期
それがコンドラチェフ循環に対応しているのは確実
それがコンドラチェフ循環に対応しているのは確実
225吾輩は名無しである
2015/12/20(日) 04:05:48.99 近代文学
きんだいぶんがく
文芸雑誌。 1946年1月〜64年8月。月刊。第2次世界大戦中に大井広介の
『現代文学』に拠っていた人々を中心に,敗戦後の 45年秋に結成された近代文学社の機関誌。
きんだいぶんがく
文芸雑誌。 1946年1月〜64年8月。月刊。第2次世界大戦中に大井広介の
『現代文学』に拠っていた人々を中心に,敗戦後の 45年秋に結成された近代文学社の機関誌。
227吾輩は名無しである
2015/12/20(日) 04:19:14.48 >ここにも、権威や権力にからきし弱い(と言うより、阿ることに達者な)
「ゼロ年代の批評家」たちの特徴がよく出ているように思います。
彼らは、そんな”世間知”だけは長けているのです。
もちろん、彼らのロールモデルが、東浩紀であるのは言うまでもないでしょう。
東浩紀は、東日本大震災の際、「ひとつになろうニッポン」を称賛し、
日本人は、自分たちの「公共的で愛国的な人格」に目覚め、
「日本人であることを誇りに感じ始めている。
自分たちの国家と政府を支えたいと感じている。」と言い、
批評の世界における”テレビ東京的慰撫史観”の先鞭をつけたのでした
>「ゼロ年代の批評家」たちはスカだった、と言った人がいましたが、
私は、あらためてそのことばを想起せざるを得ませんでした。
http://sealmania.blog21.fc2.com/blog-entry-1059.html
江藤淳
「近代文学派の批評家」たちはスカだった
「ゼロ年代の批評家」たちの特徴がよく出ているように思います。
彼らは、そんな”世間知”だけは長けているのです。
もちろん、彼らのロールモデルが、東浩紀であるのは言うまでもないでしょう。
東浩紀は、東日本大震災の際、「ひとつになろうニッポン」を称賛し、
日本人は、自分たちの「公共的で愛国的な人格」に目覚め、
「日本人であることを誇りに感じ始めている。
自分たちの国家と政府を支えたいと感じている。」と言い、
批評の世界における”テレビ東京的慰撫史観”の先鞭をつけたのでした
>「ゼロ年代の批評家」たちはスカだった、と言った人がいましたが、
私は、あらためてそのことばを想起せざるを得ませんでした。
http://sealmania.blog21.fc2.com/blog-entry-1059.html
江藤淳
「近代文学派の批評家」たちはスカだった
228吾輩は名無しである
2015/12/20(日) 04:20:56.33 しょうがないw
近代文学派とゼロ年代批評は
周期的に対応しているのは間違いないのだからw
近代文学派とゼロ年代批評は
周期的に対応しているのは間違いないのだからw
229吾輩は名無しである
2015/12/20(日) 04:27:17.53 あーあ
とうとう変なブログの宣伝入っちゃったw
それはともかく柄谷は経済学オンチなんだよw
マルクスその可能性の中心なんて結果的に駄本だったろ
周期説の援用の仕方もそもそもこじつけとしか言いようがない
とうとう変なブログの宣伝入っちゃったw
それはともかく柄谷は経済学オンチなんだよw
マルクスその可能性の中心なんて結果的に駄本だったろ
周期説の援用の仕方もそもそもこじつけとしか言いようがない
230吾輩は名無しである
2015/12/20(日) 04:30:07.13 コンドラチェフ循環はちゃんと認められているものですがw
231吾輩は名無しである
2015/12/20(日) 04:34:49.94 >戦後については、コンドラチェフ・サイクルと株価のピークはきれいに一致している。
当然だが株価はバブル経済のピークとなった1989年に最高値を付けており、
このピークは第2波のコンドラチェフ・サイクルのピークと同じである。
一方戦前についてはコンドラチェフ・サイクルのピークは1928年となっているが、
株価のピークは第一次大戦バブルとなった1916年となっており、
株価のピークの方が早く到来している。当時の日本は急成長している新興国であり、
第一次大戦バブルを経てようやく社会的成熟化が進んだという経緯がある。
また制度面での整備が進み、株式市場が信用に足る水準になったのも
1920年代からである。ピークにズレが生じているのは制度面での
未成熟さが原因なのかもしれない。
日本のバブル崩壊後の株価下落とコンドラチェフ・サイクルはきれいに一致している。
循環論が正しいのだとすると、日本が次のサイクルに入りつつあるのは確実な状況といえる。
果たしては株価はそれに合わせて再び上昇フェーズに入るのだろうか?
結果が確定するのは残念ながらまだ先の話である。
http://www.capital-tribune.com/archives/1043
当然だが株価はバブル経済のピークとなった1989年に最高値を付けており、
このピークは第2波のコンドラチェフ・サイクルのピークと同じである。
一方戦前についてはコンドラチェフ・サイクルのピークは1928年となっているが、
株価のピークは第一次大戦バブルとなった1916年となっており、
株価のピークの方が早く到来している。当時の日本は急成長している新興国であり、
第一次大戦バブルを経てようやく社会的成熟化が進んだという経緯がある。
また制度面での整備が進み、株式市場が信用に足る水準になったのも
1920年代からである。ピークにズレが生じているのは制度面での
未成熟さが原因なのかもしれない。
日本のバブル崩壊後の株価下落とコンドラチェフ・サイクルはきれいに一致している。
循環論が正しいのだとすると、日本が次のサイクルに入りつつあるのは確実な状況といえる。
果たしては株価はそれに合わせて再び上昇フェーズに入るのだろうか?
結果が確定するのは残念ながらまだ先の話である。
http://www.capital-tribune.com/archives/1043
232吾輩は名無しである
2015/12/20(日) 04:35:32.74 だから援用って言ってんだろw
周期説の場合もそうだが
原理という形で温存しているものがある上で
可能性の中心とか言いたがるから
そりゃそうだろう、で?というようなことしか言えていない
だからデリダの差延概念なんかとも親和性があったわけだが
原理の部分への独自の検討が足りないから、いつも片手落ち
ときにトンデモ本と言われる所以だわね
周期説の場合もそうだが
原理という形で温存しているものがある上で
可能性の中心とか言いたがるから
そりゃそうだろう、で?というようなことしか言えていない
だからデリダの差延概念なんかとも親和性があったわけだが
原理の部分への独自の検討が足りないから、いつも片手落ち
ときにトンデモ本と言われる所以だわね
233吾輩は名無しである
2015/12/20(日) 04:41:26.03 いわゆる下部構造に周期性があるなら
上部構造に周期性があるのは否定のしようがないw
事実、近代文学派とゼロ年代批評は似ているw
上部構造に周期性があるのは否定のしようがないw
事実、近代文学派とゼロ年代批評は似ているw
234吾輩は名無しである
2015/12/20(日) 04:46:24.38 とりあえずどう似ているか引用含め具体的に説明してから言おうな
本題に関係ないウエブからの引用を多用しなくていいからさw
正直興味はないし、いまのところやっぱりクソでしかないけどw
本題に関係ないウエブからの引用を多用しなくていいからさw
正直興味はないし、いまのところやっぱりクソでしかないけどw
235吾輩は名無しである
2015/12/20(日) 05:34:40.00 >>220
めんどくさいけどちょっと気持ち悪いので浅田スレ漁ってきたわ
帝国の陰謀とか言うやつのこと?で、相手にしてたのがあんた?w
心情的にはあんた寄りだけど論破にはなってないんじゃない?w
もしそいつが上のへんなこと言ってるやつなら前にも相手したことあるし
もう何年も同じこと言ってるだけのバカだからもう俺絡むのやめるわw
めんどくさいけどちょっと気持ち悪いので浅田スレ漁ってきたわ
帝国の陰謀とか言うやつのこと?で、相手にしてたのがあんた?w
心情的にはあんた寄りだけど論破にはなってないんじゃない?w
もしそいつが上のへんなこと言ってるやつなら前にも相手したことあるし
もう何年も同じこと言ってるだけのバカだからもう俺絡むのやめるわw
236吾輩は名無しである
2015/12/20(日) 05:52:24.32 宇野なんか単なる社会反映論でしかないじゃんw
江藤と平野謙はヘーゲル右派と左派の対立でしかなく
本質的には同じなのだとスガ秀実は言っていたがw
社会学的批評や伝記的批評なんかもはやどうでもいいわwwwwwwww
江藤と平野謙はヘーゲル右派と左派の対立でしかなく
本質的には同じなのだとスガ秀実は言っていたがw
社会学的批評や伝記的批評なんかもはやどうでもいいわwwwwwwww
237吾輩は名無しである
2015/12/20(日) 05:55:17.68 社会学的・社会心理学的批評や伝記的批評でしかないものはさようなら〜w
238吾輩は名無しである
2015/12/20(日) 06:26:29.19 渡部の忌野清志郎批判がどういう内容だったのかしらないが、
忌野の歌というのは、日本語の本来のイントネーションやアクセントを
完全に度外視して作られてる、という感じがして、それはほぼ、同世代の
山下達郎や桑田圭介らにもある程度言えることだと思うんだが、そのために、
外国のポップスを自分の思う通りの日本語の歌詞に置き換える時点で、
メロディーに合わせるためもあり、歌詞の作りに歪みがある程度、生じ
ざるを得ないんだろうが、忌野の場合はそのことを逆手にとって、「翻詞」
という外圧を加えることによって、どう変わるのか、変えられるのかを
楽しんでいたのではないか?
忌野のオリジナルの日本語の歌も、普通のイントネーションを故意に崩してる。
海外のポップス、特にロックの場合は日本語で作詞するのか、最初から
英語で作詞するのか、という問題も70年頃にはあった。
そろそろ街中に流れ始める頃だと思う、山下達郎のクリスマスソングなんか
日本語のイントネーションがたまらんわな。
ああいうのが堪え難い人は結構いる。
といったところで、渡部の忌野清志郎批判の焦点は一体、何だったのか、
ということになるが。
realkyotoでの福嶋との対談なんかを見ると、隠居老人が無理して遠出した
という感を免れない空虚さだな。
忌野の歌というのは、日本語の本来のイントネーションやアクセントを
完全に度外視して作られてる、という感じがして、それはほぼ、同世代の
山下達郎や桑田圭介らにもある程度言えることだと思うんだが、そのために、
外国のポップスを自分の思う通りの日本語の歌詞に置き換える時点で、
メロディーに合わせるためもあり、歌詞の作りに歪みがある程度、生じ
ざるを得ないんだろうが、忌野の場合はそのことを逆手にとって、「翻詞」
という外圧を加えることによって、どう変わるのか、変えられるのかを
楽しんでいたのではないか?
忌野のオリジナルの日本語の歌も、普通のイントネーションを故意に崩してる。
海外のポップス、特にロックの場合は日本語で作詞するのか、最初から
英語で作詞するのか、という問題も70年頃にはあった。
そろそろ街中に流れ始める頃だと思う、山下達郎のクリスマスソングなんか
日本語のイントネーションがたまらんわな。
ああいうのが堪え難い人は結構いる。
といったところで、渡部の忌野清志郎批判の焦点は一体、何だったのか、
ということになるが。
realkyotoでの福嶋との対談なんかを見ると、隠居老人が無理して遠出した
という感を免れない空虚さだな。
239吾輩は名無しである
2015/12/20(日) 06:45:56.81 はっぴーえんど〜w
240吾輩は名無しである
2015/12/20(日) 08:13:06.77 >>227
>そしてこうした根本の問題と比べれば、一部の作家が戦後の世相の混乱を小器用に写し、
都市の焼き後を背景に輸入品のニヒリズムを振りまわしたところで、
そこに『安愚楽鍋』や『東京新繁盛記』以上の新しさはないことは明らかです
中村光夫『占領下の文学』
>そしてこうした根本の問題と比べれば、一部の作家が戦後の世相の混乱を小器用に写し、
都市の焼き後を背景に輸入品のニヒリズムを振りまわしたところで、
そこに『安愚楽鍋』や『東京新繁盛記』以上の新しさはないことは明らかです
中村光夫『占領下の文学』
241吾輩は名無しである
2015/12/20(日) 08:15:40.65 >>227
>そしてこうした根本の問題と比べれば、一部の作家が戦後の世相の混乱を小器用に写し、
都市の焼跡を背景に輸入品のニヒリズムを振りまわしたところで、
そこに『安愚楽鍋』や『東京新繁盛記』以上の新しさはないことは明らかです
中村光夫『占領下の文学』
>そしてこうした根本の問題と比べれば、一部の作家が戦後の世相の混乱を小器用に写し、
都市の焼跡を背景に輸入品のニヒリズムを振りまわしたところで、
そこに『安愚楽鍋』や『東京新繁盛記』以上の新しさはないことは明らかです
中村光夫『占領下の文学』
242吾輩は名無しである
2015/12/20(日) 10:25:10.86 ゼロ年代批評というのは、取り敢えず、批評本が全然と言って良い程、
売れなかったし、さらには影響力も殆どなかった時代のことだろ。
東ですら、2万部ぐらい?
売れなかったし、さらには影響力も殆どなかった時代のことだろ。
東ですら、2万部ぐらい?
243吾輩は名無しである
2015/12/20(日) 12:15:28.81 1990年代の保守化した柄谷や浅田らの負のスパイラルに引きずられ、
巻き込まれたのが、ゼロ年代だろ。
藤田が東を批判しても、負のスパイラルに巻き込まれるだけ。
デビュー時の大江を激賞したのが平野謙だった。
戦後の日vs欧米中露の和解や関係修復の歩み寄りの日和見主義が
近代文学派や大江だった?
巻き込まれたのが、ゼロ年代だろ。
藤田が東を批判しても、負のスパイラルに巻き込まれるだけ。
デビュー時の大江を激賞したのが平野謙だった。
戦後の日vs欧米中露の和解や関係修復の歩み寄りの日和見主義が
近代文学派や大江だった?
244吾輩は名無しである
2015/12/20(日) 13:14:35.10245吾輩は名無しである
2015/12/20(日) 13:17:42.27 2004-03-10
■渡部直己が「失速」したと見えたわけ
http://d.hatena.ne.jp/ykurihara/20040310/1078848677
十年一日のごとくヌーヴォーロマンを特権的に押しつけようとしたり、
蓮實・柄谷・浅田・スガといった面々との「交友録」をつづったりしてしまう
(ニューアカ的?)振る舞いの“変わらなさ”が遺物化していることもあるのだろうが、
それだけだったら時代とズレているという程度で「失速」ってほどでもない
(そもそも渡部直己という文芸評論家はよくもわるくもジャーナリスティックだ)。
たぶん2年前の、大塚英志に惨敗した渡部の姿が、
この「五箇条の御託」の旧態依然のスタンスにオーバーラップされて「失速」というふうに見えたんじゃないかと思う。
あれだけやられっぱなしだったのに、相変わらずこれじゃあ、ブンガク、大塚にいいように振り回されるわけだ、というか。
「渡部が惨敗した」というのは、『群像』02年3月号の『言葉の現在――誤作動と立て直し』という座談会でのこと。
大塚の現在のブイブイぶりを見るにつけ、ああこの鼎談は何かしらメルクマール的だったのかもしれないと思えてくる。
渡部はどちらかというと、既存の文学の制度みたいなものに横やりを入れてきた存在だったわけだが、
大塚のこのミもフタもないちゃぶ台返しに対して、いつもと同じことを繰り返すだけで更新できなかった、
つまり、渡部はここで自らの規定する文学を、ある種、制度化して守りに入ってしまったように見えた。
というよりむしろ、そもそも渡部にあった制度的な側面が、大塚のニベもない追究であらわになったというべきかも。
これがぼくには「惨敗」に思えた、と。
この後、渡部直己の書き物はあまり読まなくなってしまって、
近著である『かくも繊細なる横暴――日本「六八年」小説論 』も買ったものの開いていないんだけど、
そんなおり、たまたま『ユリイカ』で「論文作法」を読み、「批評作法」ではないとはいえ、
主張していることのあまりの“変わらなさ”が「失速」と映ってしまったのではないか。直感的に書いた「失速」をフォローするならそんな感じだろうか。
■渡部直己が「失速」したと見えたわけ
http://d.hatena.ne.jp/ykurihara/20040310/1078848677
十年一日のごとくヌーヴォーロマンを特権的に押しつけようとしたり、
蓮實・柄谷・浅田・スガといった面々との「交友録」をつづったりしてしまう
(ニューアカ的?)振る舞いの“変わらなさ”が遺物化していることもあるのだろうが、
それだけだったら時代とズレているという程度で「失速」ってほどでもない
(そもそも渡部直己という文芸評論家はよくもわるくもジャーナリスティックだ)。
たぶん2年前の、大塚英志に惨敗した渡部の姿が、
この「五箇条の御託」の旧態依然のスタンスにオーバーラップされて「失速」というふうに見えたんじゃないかと思う。
あれだけやられっぱなしだったのに、相変わらずこれじゃあ、ブンガク、大塚にいいように振り回されるわけだ、というか。
「渡部が惨敗した」というのは、『群像』02年3月号の『言葉の現在――誤作動と立て直し』という座談会でのこと。
大塚の現在のブイブイぶりを見るにつけ、ああこの鼎談は何かしらメルクマール的だったのかもしれないと思えてくる。
渡部はどちらかというと、既存の文学の制度みたいなものに横やりを入れてきた存在だったわけだが、
大塚のこのミもフタもないちゃぶ台返しに対して、いつもと同じことを繰り返すだけで更新できなかった、
つまり、渡部はここで自らの規定する文学を、ある種、制度化して守りに入ってしまったように見えた。
というよりむしろ、そもそも渡部にあった制度的な側面が、大塚のニベもない追究であらわになったというべきかも。
これがぼくには「惨敗」に思えた、と。
この後、渡部直己の書き物はあまり読まなくなってしまって、
近著である『かくも繊細なる横暴――日本「六八年」小説論 』も買ったものの開いていないんだけど、
そんなおり、たまたま『ユリイカ』で「論文作法」を読み、「批評作法」ではないとはいえ、
主張していることのあまりの“変わらなさ”が「失速」と映ってしまったのではないか。直感的に書いた「失速」をフォローするならそんな感じだろうか。
246吾輩は名無しである
2015/12/20(日) 13:23:46.80 >>244
聞き直してみよう。
聞き直してみよう。
247吾輩は名無しである
2015/12/20(日) 14:04:19.32248吾輩は名無しである
2015/12/20(日) 17:26:21.82 >>244
すでにそのブログかなり前に読んだことあるんだよねw
>「惨敗」というのはもちろんぼくの主観だが
意図的にこのブログの文章を抜くのはダメだよねw
そもそもヌーボーロマンを特権的に押し付けて何が悪いのか
それ以外に何があるというのか
物語批判がなければ単に権力に拝跪するだけになるのは
「冤罪ファイル」などに載っているような冤罪の事象をみればあきらかw
物語批判がなければその果てに、加害者に発達障害があることをいいことに
本来なら傷害致死で終わるものを警察・検察がヒステリックな被害者の元夫とともに
無理やり死刑の判決に持っていった光市の例の事件を無批判に容認するだけになるんだよw
法医学鑑定結果にも母親は絞殺されたということや、
乳児を叩きつけて殺したという事実はないんだからw
これではアメリカが日本の司法制度に対して不信感を持つのは当たり前だよね
公平公正ではないとw
日米地位協定の改定が困難になるわけだw
日米地位協定の改定を渋る根拠にこの事件を取り上げられたら
安倍ちゃんも堪らないだろうw
http://seesaawiki.jp/w/keiben/d/%ba%a3%bb%de%ca%db%b8%ee%bb%ce%a4%ce%c5%ea%b9%c6%a1%ca%a4%de%a4%c8%a4%e1%a1%cb
http://seesaawiki.jp/w/keiben/d/%ba%a3%bb%de%ca%db%b8%ee%bb%ce%a4%ce%c5%ea%b9%c6%a1%ca%a4%de%a4%c8%a4%e1%a1%cb%a4%bd%a4%ce%a3%b2
http://seesaawiki.jp/w/keiben/d/%b8%f7%bb%d4%bb%f6%b7%ef%a3%d1%a1%f5%a3%c1%a1%ca%ca%db%b8%ee%c3%c4%a4%d8%a4%ce%b5%bf%cc%e4%a4%cb%c5%fa%a4%a8%a4%eb%a1%cb
すでにそのブログかなり前に読んだことあるんだよねw
>「惨敗」というのはもちろんぼくの主観だが
意図的にこのブログの文章を抜くのはダメだよねw
そもそもヌーボーロマンを特権的に押し付けて何が悪いのか
それ以外に何があるというのか
物語批判がなければ単に権力に拝跪するだけになるのは
「冤罪ファイル」などに載っているような冤罪の事象をみればあきらかw
物語批判がなければその果てに、加害者に発達障害があることをいいことに
本来なら傷害致死で終わるものを警察・検察がヒステリックな被害者の元夫とともに
無理やり死刑の判決に持っていった光市の例の事件を無批判に容認するだけになるんだよw
法医学鑑定結果にも母親は絞殺されたということや、
乳児を叩きつけて殺したという事実はないんだからw
これではアメリカが日本の司法制度に対して不信感を持つのは当たり前だよね
公平公正ではないとw
日米地位協定の改定が困難になるわけだw
日米地位協定の改定を渋る根拠にこの事件を取り上げられたら
安倍ちゃんも堪らないだろうw
http://seesaawiki.jp/w/keiben/d/%ba%a3%bb%de%ca%db%b8%ee%bb%ce%a4%ce%c5%ea%b9%c6%a1%ca%a4%de%a4%c8%a4%e1%a1%cb
http://seesaawiki.jp/w/keiben/d/%ba%a3%bb%de%ca%db%b8%ee%bb%ce%a4%ce%c5%ea%b9%c6%a1%ca%a4%de%a4%c8%a4%e1%a1%cb%a4%bd%a4%ce%a3%b2
http://seesaawiki.jp/w/keiben/d/%b8%f7%bb%d4%bb%f6%b7%ef%a3%d1%a1%f5%a3%c1%a1%ca%ca%db%b8%ee%c3%c4%a4%d8%a4%ce%b5%bf%cc%e4%a4%cb%c5%fa%a4%a8%a4%eb%a1%cb
249吾輩は名無しである
2015/12/20(日) 17:32:58.03 ヌーヴォーロマンも物語ってるんだけどね
読んだことあるのかな
上っ面の知識多すぎません?
読んだことあるのかな
上っ面の知識多すぎません?
250無名草子さん
2015/12/20(日) 17:33:48.62 >これがぼくには「惨敗」に思えた、と。
って入ってんじゃん
冤罪馬鹿には文章が読めない
って入ってんじゃん
冤罪馬鹿には文章が読めない
251吾輩は名無しである
2015/12/20(日) 17:46:18.03252吾輩は名無しである
2015/12/20(日) 17:47:31.11 批判とは否定ではないと柄谷がさんざん言ってきたのに何も知らないとはw
253吾輩は名無しである
2015/12/20(日) 17:49:00.90 哲学における「批判」[編集]
哲学の分野ではしばしば「批判」ともいう。イマヌエル・カントが
「人間の認識能力に関する限界や妥当性についての反省的な考察」
という意味でKritik(独語)を用いた[1]。この文脈ではKritikは「批評」ではなく「批判」となる。
しかし、Kritik(独)もcritique(英)も、それ自体は、日本語における「批評」と「批判」、
どちらの意味合いも含んでいる。
哲学の分野ではしばしば「批判」ともいう。イマヌエル・カントが
「人間の認識能力に関する限界や妥当性についての反省的な考察」
という意味でKritik(独語)を用いた[1]。この文脈ではKritikは「批評」ではなく「批判」となる。
しかし、Kritik(独)もcritique(英)も、それ自体は、日本語における「批評」と「批判」、
どちらの意味合いも含んでいる。
254吾輩は名無しである
2015/12/20(日) 17:51:00.05 お前の物語批判って犯罪ファイルのコピペだろ
十年一日のごとく犯罪ファイルを特権的に押しつけてろよ
十年一日のごとく犯罪ファイルを特権的に押しつけてろよ
255吾輩は名無しである
2015/12/20(日) 17:57:56.00 柄谷が小林秀雄が出てきた時からドイツ系の哲学者が
小林との違いを強調するために
カントの批評哲学と訳されていたのを批判哲学と訳し
日本における批評と批判はフランス哲学とドイツ哲学との
対立に基づいていると言っていたはずだがw
小林との違いを強調するために
カントの批評哲学と訳されていたのを批判哲学と訳し
日本における批評と批判はフランス哲学とドイツ哲学との
対立に基づいていると言っていたはずだがw
256吾輩は名無しである
2015/12/20(日) 18:04:49.93 >>254
ほんとお前馬鹿だなw
物語批判ということが全く分かっていないw
詭弁しか言えねえw
裁判の過程そのものが検察の支配的言説・物語に対して
弁護士はそれを批判する対抗的言説・物語を展開するものなのに
何言ってんだかw
雑誌の『冤罪ファイル』そのものが警察・検察の支配的物語に対抗・批判する
物語批判であるのは明らかなのにwwww
ほんとお前馬鹿だなw
物語批判ということが全く分かっていないw
詭弁しか言えねえw
裁判の過程そのものが検察の支配的言説・物語に対して
弁護士はそれを批判する対抗的言説・物語を展開するものなのに
何言ってんだかw
雑誌の『冤罪ファイル』そのものが警察・検察の支配的物語に対抗・批判する
物語批判であるのは明らかなのにwwww
257吾輩は名無しである
2015/12/20(日) 18:22:56.57 なんでお前の「物語批判」って『冤罪ファイル』限定なんだよ
社会には多様な政治闘争があるのに
社会には多様な政治闘争があるのに
258吾輩は名無しである
2015/12/20(日) 18:29:52.77 >>257
いつ限定したの?w
端的にわかりやすい例として『冤罪ファイル』を取り上げただけだがw
警察・検察と記者クラブ等で癒着するマスコミが作りあげる
支配的物語に対抗的物語で対抗・批判する物語批判として
いつ限定したの?w
端的にわかりやすい例として『冤罪ファイル』を取り上げただけだがw
警察・検察と記者クラブ等で癒着するマスコミが作りあげる
支配的物語に対抗的物語で対抗・批判する物語批判として
259吾輩は名無しである
2015/12/20(日) 18:37:23.44 ほらまた『冤罪ファイル』
渡部と同じワンパターン
渡部と同じワンパターン
261吾輩は名無しである
2015/12/20(日) 18:43:58.75 「物語批判」=『冤罪ファイル』
お前の言い分はこれだけだろ
お前の言い分はこれだけだろ
263吾輩は名無しである
2015/12/20(日) 18:52:39.42 関西に住んでいれば関西や大阪などに対する
ステロタイプのイメージに対して違和感を持つのは
ある意味当然だと思うのだが
まあ、それを受け入れている奴は多いのだろうがw
ステロタイプのイメージに対して違和感を持つのは
ある意味当然だと思うのだが
まあ、それを受け入れている奴は多いのだろうがw
264吾輩は名無しである
2015/12/20(日) 18:53:21.90 お前は「物語批判」の言葉が出るたび
『冤罪ファイル』のコピペを張るbotだからな
ほかの「物語批判」の実例を挙げろって言っても無理だろうな
『冤罪ファイル』のコピペを張るbotだからな
ほかの「物語批判」の実例を挙げろって言っても無理だろうな
265吾輩は名無しである
2015/12/20(日) 19:09:04.58 男や女に対するステロタイプなイメージ
大阪や関西などの都市や地域のイメージに対するステロタイプなイメージ
あるいは物体や動植物に対するイメージに対する各人の認識の違い
上記などを含めて、果たして自分が対象に対して様々に認識していることが
他人に対して該当するのかといったことなど
いろいろあるじゃんかw
自分の受けた経験を物語化して整理して認識するが
それが他人には該当することは前提にはできないといったことなどw
同じ当事者であったとしてもw
こんな初歩的な認識もねえのかw
大阪や関西などの都市や地域のイメージに対するステロタイプなイメージ
あるいは物体や動植物に対するイメージに対する各人の認識の違い
上記などを含めて、果たして自分が対象に対して様々に認識していることが
他人に対して該当するのかといったことなど
いろいろあるじゃんかw
自分の受けた経験を物語化して整理して認識するが
それが他人には該当することは前提にはできないといったことなどw
同じ当事者であったとしてもw
こんな初歩的な認識もねえのかw
266吾輩は名無しである
2015/12/20(日) 19:15:52.37 柄谷が初期の森鴎外論で『歴史と自然』
鴎外の歴史小説を取り上げて
資料を取捨選択して統一された事実・人物像を拒否する歴史小説を書いたが
それが私小説に対応していると書いていたな
鴎外の歴史小説を取り上げて
資料を取捨選択して統一された事実・人物像を拒否する歴史小説を書いたが
それが私小説に対応していると書いていたな
267吾輩は名無しである
2015/12/20(日) 22:26:05.44 >>250
ヌーヴォーロマンも物語である以上、各々の物語批判の射程についてまず書かないと。
物語批判=ヌーヴォーロマンという勝手な等号には何の前提にもないわけだから。
蓮實もジュネットはもちろん、ロブ=グリエもシモンもんなこたぁ言っとらんわね。
また、「物語批判がなければ単に権力に拝跪するだけになる」、わけないんだよね。
権力って別に拝跪させるようなものばかりじゃないから厄介なんだしw
桁数が大きいだけの足し算引き算やってんじゃないんだからさー
色々言ってるけどまるまる空疎なんだわw
ヌーヴォーロマンも物語である以上、各々の物語批判の射程についてまず書かないと。
物語批判=ヌーヴォーロマンという勝手な等号には何の前提にもないわけだから。
蓮實もジュネットはもちろん、ロブ=グリエもシモンもんなこたぁ言っとらんわね。
また、「物語批判がなければ単に権力に拝跪するだけになる」、わけないんだよね。
権力って別に拝跪させるようなものばかりじゃないから厄介なんだしw
桁数が大きいだけの足し算引き算やってんじゃないんだからさー
色々言ってるけどまるまる空疎なんだわw
268吾輩は名無しである
2015/12/20(日) 22:30:39.32 こういう構成力のないアホが文壇コミュニティだろうが学会だろうが平然とのさばってるからもうどうしようもないよな
どこの業界も同じだろうけど、社会のゴミだと思うわ
実際何の生産性もないしw
どこの業界も同じだろうけど、社会のゴミだと思うわ
実際何の生産性もないしw
269吾輩は名無しである
2015/12/20(日) 22:55:32.11 >>267
訂正しておこうと思ったが訂正しそこなったので
物語批判に対する感受性と訂正しておくが
そういった感受性がなければ権力に拝跪するだけになるのは
否定しようがないのだがw
事実、検察・警察とそれに記者クラブで癒着するマスコミなどが作り上げる
支配的物語を鵜呑みにしてしまうのは
ごく一般的な人物だけではなく、ゼロ年代の連中も大して変わらないと思うのだがw
それと近代小説そのものが物語批判として登場したのは
否定のしようがないのだが
それは蓮實だけではなく、柄谷もそういっていたはずだがw
ロマンスのパロディとしてドン・キホーテやボヴァリー夫人が登場したのは明らかなんだがねえw
訂正しておこうと思ったが訂正しそこなったので
物語批判に対する感受性と訂正しておくが
そういった感受性がなければ権力に拝跪するだけになるのは
否定しようがないのだがw
事実、検察・警察とそれに記者クラブで癒着するマスコミなどが作り上げる
支配的物語を鵜呑みにしてしまうのは
ごく一般的な人物だけではなく、ゼロ年代の連中も大して変わらないと思うのだがw
それと近代小説そのものが物語批判として登場したのは
否定のしようがないのだが
それは蓮實だけではなく、柄谷もそういっていたはずだがw
ロマンスのパロディとしてドン・キホーテやボヴァリー夫人が登場したのは明らかなんだがねえw
270吾輩は名無しである
2015/12/20(日) 22:58:54.51 >色々言ってるけどまるまる空疎なんだわw
日本の司法制度や記者クラブの問題が空疎ねえw
かなり深刻な問題であるのは明らかなんだがw
日本の司法制度や記者クラブの問題が空疎ねえw
かなり深刻な問題であるのは明らかなんだがw
271吾輩は名無しである
2015/12/20(日) 23:01:56.79 >また、「物語批判がなければ単に権力に拝跪するだけになる」、わけないんだよね。
権力って別に拝跪させるようなものばかりじゃないから厄介なんだしw
結果的に拝跪することになるというだけで
明確に拝跪させるようになるということを言っているわけではないのだがw
事実、マスコミの犯罪報道などを鵜呑みにしているのがどれだけいるのかw
権力って別に拝跪させるようなものばかりじゃないから厄介なんだしw
結果的に拝跪することになるというだけで
明確に拝跪させるようになるということを言っているわけではないのだがw
事実、マスコミの犯罪報道などを鵜呑みにしているのがどれだけいるのかw
272吾輩は名無しである
2015/12/20(日) 23:08:38.09 >裁判の過程そのものが検察の支配的言説・物語に対して
弁護士はそれを批判する対抗的言説・物語を展開するものなのに
何言ってんだかw
雑誌の『冤罪ファイル』そのものが警察・検察の支配的物語に対抗・批判する
物語批判であるのは明らかなのにwwww
これは明確な事実なのにこれを空疎だと思う感性がよくわからないなw
日本の司法制度が日本固有の問題だとしてもねw
弁護士はそれを批判する対抗的言説・物語を展開するものなのに
何言ってんだかw
雑誌の『冤罪ファイル』そのものが警察・検察の支配的物語に対抗・批判する
物語批判であるのは明らかなのにwwww
これは明確な事実なのにこれを空疎だと思う感性がよくわからないなw
日本の司法制度が日本固有の問題だとしてもねw
273吾輩は名無しである
2015/12/20(日) 23:16:30.27 森鴎外の歴史小説は
リニアな物語に対する批判になるのは明らかでしょう
リニアな物語に対する批判になるのは明らかでしょう
274吾輩は名無しである
2015/12/21(月) 02:13:13.20 どこが明らかなんだろう
そういう読み方が出来るというのに過ぎない
批評しか読めないからそういうとんちんかんなことを言う
そういう読み方が出来るというのに過ぎない
批評しか読めないからそういうとんちんかんなことを言う
275吾輩は名無しである
2015/12/21(月) 03:06:30.24 鴎外の歴史小説自体
鴎外当人の意図はともかく
事実上そういう批判になっているのは明らかだろうw
そもそもこっちは批評しか読めないじゃなくて
基本的に批評しか読んでないからだよw
小説や批評そのものは家に数多くあるが
批評・小説に限らず本そのものがすでに何年もまともに読める状況にないしなw
環境や体調の問題や他にやらなければならないことがあるからな
鴎外当人の意図はともかく
事実上そういう批判になっているのは明らかだろうw
そもそもこっちは批評しか読めないじゃなくて
基本的に批評しか読んでないからだよw
小説や批評そのものは家に数多くあるが
批評・小説に限らず本そのものがすでに何年もまともに読める状況にないしなw
環境や体調の問題や他にやらなければならないことがあるからな
276吾輩は名無しである
2015/12/21(月) 03:08:14.50 批評のインプットが十分でない上に
小説のインプットなんかまともにできていねえよバカw
小説のインプットなんかまともにできていねえよバカw
278吾輩は名無しである
2015/12/21(月) 13:35:32.39 図星指されて恥ずかしそうw
279吾輩は名無しである
2015/12/21(月) 14:17:56.00 別にw
それに図星ではなかったのではないかw
批評しか読んでいないのではなくて
批評しか読めないと思っていたようだからw
かなり想定違いだったのではないのかなw
それに図星ではなかったのではないかw
批評しか読んでいないのではなくて
批評しか読めないと思っていたようだからw
かなり想定違いだったのではないのかなw
280吾輩は名無しである
2015/12/21(月) 14:22:29.34 ちなみに「紙おむつシンドローム」も
シモン・ベケット・ロブ=グリエ・ビュトールといったヌーボーロマンの
主だった作品もすべて家にあるからw
読もうと思えばいつでも読めるw
シモン・ベケット・ロブ=グリエ・ビュトールといったヌーボーロマンの
主だった作品もすべて家にあるからw
読もうと思えばいつでも読めるw
281吾輩は名無しである
2015/12/21(月) 14:29:43.70 忌野清志郎批判は昔読んだが
詳細についてはほとんど忘れしまったがねw
詳細についてはほとんど忘れしまったがねw
285吾輩は名無しである
2015/12/22(火) 15:06:51.85 何度も否定したくなるほど図星だったのかw
286吾輩は名無しである
2015/12/22(火) 16:10:58.69287吾輩は名無しである
2015/12/22(火) 23:32:55.86 ふざけるな!
288吾輩は名無しである
2015/12/22(火) 23:58:59.54 は?
289吾輩は名無しである
2015/12/23(水) 08:38:54.70 ひ?
290吾輩は名無しである
2016/01/01(金) 17:24:34.43 ィヨシナリジュン
前世紀末から何年か前まで、年末の週刊読書人論壇鼎談号に、
絓秀実と渡部直己プラス一人で日本文壇の一年を振り返る鼎談が載っていたのだが、
コヤノトン博士と栗原裕一郎氏の芥川賞対談と入れ替わるようになくなってしまったのが惜しまれます。
まあ古典を読めというメッセージなのだとおもいますが。
2015年12月25日
前世紀末から何年か前まで、年末の週刊読書人論壇鼎談号に、
絓秀実と渡部直己プラス一人で日本文壇の一年を振り返る鼎談が載っていたのだが、
コヤノトン博士と栗原裕一郎氏の芥川賞対談と入れ替わるようになくなってしまったのが惜しまれます。
まあ古典を読めというメッセージなのだとおもいますが。
2015年12月25日
291吾輩は名無しである
2016/01/05(火) 01:30:34.30 94 小説のテクスト ジャン・リカルドゥー/野村英夫訳 初版1974・最終版1974年 ◆四六判 ◆392頁 ◆予価4320円(本体4000円) 紀伊國屋書店
第二次世界大戦後のフランスに出現したヌーヴォー・ロマンについて、伝統的小説との関係をテクストの精読によって明らかにし、理論化を試みた一冊。
https://www.kinokuniya.co.jp/c/fukken2016
第二次世界大戦後のフランスに出現したヌーヴォー・ロマンについて、伝統的小説との関係をテクストの精読によって明らかにし、理論化を試みた一冊。
https://www.kinokuniya.co.jp/c/fukken2016
292吾輩は名無しである
2016/01/09(土) 22:20:03.31 なおちゃんでーす☆
293吾輩は名無しである
2016/01/10(日) 17:13:36.79 ウィキペディア
日本の文芸評論家
饗庭孝男・秋山駿・荒正人・粟津則雄・安藤礼二
磯田光一・伊藤整・江藤淳・奥野健男・桶谷秀昭
小田切秀雄・梶木剛・加藤典洋・神山睦美・亀井勝一郎
鎌田哲哉・柄谷行人・河上徹太郎・川西政明・川村二郎
川村湊・川本三郎・菅野昭正・紀田順一郎・蔵原惟人
小西甚一・小林秀雄・小谷野敦・斎藤美奈子・斎藤緑雨
篠田一士・島弘之・清水良典・首藤基澄・絓秀実
鈴木貞美・高橋源一郎・高橋敏夫・高橋英夫・竹田青嗣
竹内好・谷沢永一・月村敏行・坪内祐三・寺田透
土居豊・十返肇・富岡幸一郎・百目鬼恭三郎・中島河太郎
中島健蔵・中村光夫・縄田一男・野口武彦・蓮田善明
蓮實重彦・花田清輝・林房雄・樋口覚・平野謙
福田和也・福田恆存・本多秋五・前田愛・正宗白鳥
三浦雅士・水谷真人・村上一郎・保田與重郎・山城むつみ
山室静・山本健吉・吉田健一・吉本隆明・渡部直己
日本の文芸評論家
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磯田光一・伊藤整・江藤淳・奥野健男・桶谷秀昭
小田切秀雄・梶木剛・加藤典洋・神山睦美・亀井勝一郎
鎌田哲哉・柄谷行人・河上徹太郎・川西政明・川村二郎
川村湊・川本三郎・菅野昭正・紀田順一郎・蔵原惟人
小西甚一・小林秀雄・小谷野敦・斎藤美奈子・斎藤緑雨
篠田一士・島弘之・清水良典・首藤基澄・絓秀実
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竹内好・谷沢永一・月村敏行・坪内祐三・寺田透
土居豊・十返肇・富岡幸一郎・百目鬼恭三郎・中島河太郎
中島健蔵・中村光夫・縄田一男・野口武彦・蓮田善明
蓮實重彦・花田清輝・林房雄・樋口覚・平野謙
福田和也・福田恆存・本多秋五・前田愛・正宗白鳥
三浦雅士・水谷真人・村上一郎・保田與重郎・山城むつみ
山室静・山本健吉・吉田健一・吉本隆明・渡部直己
294吾輩は名無しである
2016/01/12(火) 00:17:23.11 俺を忘れるな!
295吾輩は名無しである
2016/01/14(木) 10:12:08.22 山下望(アラザルポッセ)
発売日から半年以上経っても『小説技術論』と『本気で作家になりたければ漱石に学べ!』が平積みになってて
5000円近くする『言葉と奇蹟』が未だに置いてあるので横浜駅西口のあおい書店は渡部直己推しである。
いかにありそうもない事態かっていうのは東京都民にはわからんとです……
2016年1月6日
heartdark
渡部直己は中上健次とヌーヴォーロマンを同時に称揚しているが、そのことを福田和也に突っ込まれてうまく答えられなかった。
今からでも遅くないので福田のこの突っ込みにちゃんと回答してほしい。
2016年1月8日
tochi_yoshi
渡部直己の新人小説月評はひどかった。「紙の無駄」とか、読者にとっては参考にならない批判だけで終わることが多かった。
ああいうのをブログでやっている上方文化研究家がいるが、美術好きからすれば本当に腹が立つ。
渡部のは誌上だから仕方がないが、プロの評論家がブログでやるべきではない。
2016年1月10日
発売日から半年以上経っても『小説技術論』と『本気で作家になりたければ漱石に学べ!』が平積みになってて
5000円近くする『言葉と奇蹟』が未だに置いてあるので横浜駅西口のあおい書店は渡部直己推しである。
いかにありそうもない事態かっていうのは東京都民にはわからんとです……
2016年1月6日
heartdark
渡部直己は中上健次とヌーヴォーロマンを同時に称揚しているが、そのことを福田和也に突っ込まれてうまく答えられなかった。
今からでも遅くないので福田のこの突っ込みにちゃんと回答してほしい。
2016年1月8日
tochi_yoshi
渡部直己の新人小説月評はひどかった。「紙の無駄」とか、読者にとっては参考にならない批判だけで終わることが多かった。
ああいうのをブログでやっている上方文化研究家がいるが、美術好きからすれば本当に腹が立つ。
渡部のは誌上だから仕方がないが、プロの評論家がブログでやるべきではない。
2016年1月10日
296吾輩は名無しである
2016/01/14(木) 12:55:18.86 逆じゃんね
誌上でこそやるべきじゃない
誌上でこそやるべきじゃない
297吾輩は名無しである
2016/01/18(月) 18:52:28.81 なおみage
298吾輩は名無しである
2016/01/18(月) 22:51:31.87299吾輩は名無しである
2016/01/21(木) 14:25:14.37 四方田 犬彦(1953年2月20日 - )は、日本の比較文学者、映画史家。
1979年から1年間、建国大学校師範大学の日本語教師としてソウルに滞在。
1980年秋、東京大学大学院博士課程を休学してロンドンに滞在、このときロレンス・ダレルとジャン=リュック・ゴダールに偶然出会う。
1987年3月から1年間、コロンビア大学特別研究員就任に伴ってニューヨーク市マンハッタンに滞在。
1994年3月、明治学院大学を休職してボローニャに移住、ボローニャ大学に客員研究員として勤務。
2004年春、文化庁の文化交流使節としてテルアヴィヴに移住してテルアヴィヴ大学で客員教授を半年間務めた後、
ベオグラードに移り、民族学博物館に籍を置きつつ、コソヴォのプリシュティナ大学分校で客員教授を務める。
2007年、日本財団の援助を受け、APIフェローとして夏に2ヶ月間ジャカルタのシネマテク・インドネシアに滞在し、インドネシアの怪奇映画を研究。
2008年2月から4月までAPIフェローとしてバンコクのチュラロンコン大学に滞在し、タイの怪奇映画について研究。
ジョグジャカルタのガジェマダ大学でAPIフェローとして東南アジアの怪奇映画について発表。
1979年から1年間、建国大学校師範大学の日本語教師としてソウルに滞在。
1980年秋、東京大学大学院博士課程を休学してロンドンに滞在、このときロレンス・ダレルとジャン=リュック・ゴダールに偶然出会う。
1987年3月から1年間、コロンビア大学特別研究員就任に伴ってニューヨーク市マンハッタンに滞在。
1994年3月、明治学院大学を休職してボローニャに移住、ボローニャ大学に客員研究員として勤務。
2004年春、文化庁の文化交流使節としてテルアヴィヴに移住してテルアヴィヴ大学で客員教授を半年間務めた後、
ベオグラードに移り、民族学博物館に籍を置きつつ、コソヴォのプリシュティナ大学分校で客員教授を務める。
2007年、日本財団の援助を受け、APIフェローとして夏に2ヶ月間ジャカルタのシネマテク・インドネシアに滞在し、インドネシアの怪奇映画を研究。
2008年2月から4月までAPIフェローとしてバンコクのチュラロンコン大学に滞在し、タイの怪奇映画について研究。
ジョグジャカルタのガジェマダ大学でAPIフェローとして東南アジアの怪奇映画について発表。
300吾輩は名無しである
2016/01/21(木) 14:25:43.48 300
301吾輩は名無しである
2016/01/30(土) 03:22:53.95 この世界は俺のすべてだ
302吾輩は名無しである
2016/01/30(土) 08:27:06.70 それは僕もそうだな
303吾輩は名無しである
2016/01/31(日) 14:37:34.17 滝口悠生×渡部直己 「語りの自由をめぐって〜移人称だから書けること〜」 『死んでいない者』刊行記念
主催: 本屋B&B
東京都世田谷区北沢2-12-4 2F
2016/02/16 (火)
そうかもしれない。
遅れてきた自覚があるから過剰に歴史的になるんだよね
あずまん好きな人はそんなのが多い
僕はすぐにゲーリア読んだからってのもあるけど作品の形式のメタ的解釈の手際の良さに魅かれたとこある
でそれの純文学版が渡部直己
2016年1月30日
主催: 本屋B&B
東京都世田谷区北沢2-12-4 2F
2016/02/16 (火)
そうかもしれない。
遅れてきた自覚があるから過剰に歴史的になるんだよね
あずまん好きな人はそんなのが多い
僕はすぐにゲーリア読んだからってのもあるけど作品の形式のメタ的解釈の手際の良さに魅かれたとこある
でそれの純文学版が渡部直己
2016年1月30日
304吾輩は名無しである
2016/01/31(日) 14:40:59.46 まあこーゆーバカを目にしなければならない不愉快も1クールは仕方ないなw
305吾輩は名無しである
2016/01/31(日) 22:47:03.81 海外制作番組の再々放送の第2クールぐらいですよ。
306吾輩は名無しである
2016/02/01(月) 12:29:29.49 あなたは40代ロサンゼルス府警工場作りですか?ドーハの悲劇「横浜衝撃イヤフォン」「横浜悪夢イヤフォン」ですか?
それともいくつですか?huluさん?
それともいくつですか?huluさん?
それともいくつですか?huluさん?
それともいくつですか?huluさん?
それともいくつですか?huluさん?
それともいくつですか?huluさん?
307吾輩は名無しである
2016/02/01(月) 12:50:25.15 荒らしうぜえ
308吾輩は名無しである
2016/02/01(月) 13:17:29.13 滝口悠生「わたしの小春日和」
出典:『新潮』2012年12月号
http://08yo.blog61.fc2.com/blog-entry-71.html
滝口悠生がどんな先行作品(や他ジャンルの作品)からインスピレーションをうけてこういう作風にいたったのか、
デビュー作が掲載された新潮を引っぱりだして、インタビュー記事から名前を拾ってみると、
保坂和志、岡田利規、市川真人、渡部直己、芳川泰久、佐々木敦、千葉文夫の名前が挙げられていました(登場順)。
出典:『新潮』2012年12月号
http://08yo.blog61.fc2.com/blog-entry-71.html
滝口悠生がどんな先行作品(や他ジャンルの作品)からインスピレーションをうけてこういう作風にいたったのか、
デビュー作が掲載された新潮を引っぱりだして、インタビュー記事から名前を拾ってみると、
保坂和志、岡田利規、市川真人、渡部直己、芳川泰久、佐々木敦、千葉文夫の名前が挙げられていました(登場順)。
309吾輩は名無しである
2016/02/01(月) 16:50:03.66 まあこーゆーバカを目にしなければならない不愉快も1クールは仕方ないが
しかし桜の花が咲くまでにしてくれw
しかし桜の花が咲くまでにしてくれw
310吾輩は名無しである
2016/02/02(火) 23:43:42.73 まず、内容中心の文学史にたいする積年の違和感というものがあり、
また、この種の本がきまって『浮雲』と「言文一致」を特筆して始まるという定石への反撥がありました。
前者は、わたしの批評一般に共通する傾向です。小説を内容だけではなく、むしろ、それを生み出す諸形式により強く着目して読む。
そうした人間が、「文学史」をあつかえば、当然、「技術」中心になるわけです。
後者にかんしても、わたしの通例というか通弊に近く、他人と同じことはしたくない。
かつて、ある文芸雑誌で「文芸時評」を引き受けたさいにも、○×採点式でちょっとした騒ぎになりましたが、
あれと同じで、やるからには目新しいものを出したかった。
で、これも与って「技術」になるわけですが、具体的には、曲亭馬琴による本邦初の小説技術論「稗史七則」の発見が大きかった。
近代文学は馬琴を否定することで始まったなんて、技術史的には、真っ赤な嘘ですよ。
『書生気質』はおろか、『不如帰』も『金色夜叉』も、『破戒』の一部でさえ、
明治の長編小説はほとんど、大なり小なり依然として馬琴が書いているといって過言でないくらいです。
『八犬伝』自体も、小説における「話者」と「読者」の問題をはらんで大変面白くて、
これを論じた第一章を書き終えたあと、この線でまあやれるか、と。
http://www.shincho-live.jp/ebook/nami/2012/10/201210_11.php
また、この種の本がきまって『浮雲』と「言文一致」を特筆して始まるという定石への反撥がありました。
前者は、わたしの批評一般に共通する傾向です。小説を内容だけではなく、むしろ、それを生み出す諸形式により強く着目して読む。
そうした人間が、「文学史」をあつかえば、当然、「技術」中心になるわけです。
後者にかんしても、わたしの通例というか通弊に近く、他人と同じことはしたくない。
かつて、ある文芸雑誌で「文芸時評」を引き受けたさいにも、○×採点式でちょっとした騒ぎになりましたが、
あれと同じで、やるからには目新しいものを出したかった。
で、これも与って「技術」になるわけですが、具体的には、曲亭馬琴による本邦初の小説技術論「稗史七則」の発見が大きかった。
近代文学は馬琴を否定することで始まったなんて、技術史的には、真っ赤な嘘ですよ。
『書生気質』はおろか、『不如帰』も『金色夜叉』も、『破戒』の一部でさえ、
明治の長編小説はほとんど、大なり小なり依然として馬琴が書いているといって過言でないくらいです。
『八犬伝』自体も、小説における「話者」と「読者」の問題をはらんで大変面白くて、
これを論じた第一章を書き終えたあと、この線でまあやれるか、と。
http://www.shincho-live.jp/ebook/nami/2012/10/201210_11.php
311吾輩は名無しである
2016/02/07(日) 12:43:19.28 創業130周年記念出版 刊行予定リスト
[2016年春]
高嶋哲夫『浮遊』
町田康『ギケイキ』(全4巻刊行スタート)
田口ランディ『逆さに吊るされた男』
藤沢周『武蔵――巌流島異聞(仮)』
いとうせいこう(タイトル未定/小説)
木皿泉(タイトル未定/小説)
渡部直己編『日本批評大全』
窪美澄『アカガミ』
[2016年春]
高嶋哲夫『浮遊』
町田康『ギケイキ』(全4巻刊行スタート)
田口ランディ『逆さに吊るされた男』
藤沢周『武蔵――巌流島異聞(仮)』
いとうせいこう(タイトル未定/小説)
木皿泉(タイトル未定/小説)
渡部直己編『日本批評大全』
窪美澄『アカガミ』
312マグナ ◆vI4NRkhGyA
2016/02/07(日) 15:55:30.12 結構フェイスブックにいるな。沼野はツイッターもやってる。
313吾輩は名無しである
2016/02/07(日) 16:29:25.40 渡部の「移人称小説論」より2年ほど早く、栗原裕一郎がブログで
「人称をどうにかしようという」作品が最近増えてきたという話をしている(2012年後半の純文学系小説〜「一人称と三人称」問題について)。
この「人称をどうにかしよう」という言い回しは、シャープではないけれど、それゆえ逆に、かちっとした「移人称」にない喚起力があった。
栗原自身は「人称をどうにかしようという」作品に対して否定的だと思うけれど、良き理解者が正しい理解者であるとは限らない。逆もまた然り。
岡田利規の「わたしの場所の複数」「三月の5日間」、
柴崎友香の「春の庭」「わたしがいなかった街で」といった高度な作品(だと私は思う)について考えるには、
栗原裕一郎の言葉に立ち返り、その言葉の暈の部分に目を凝らさなければならないのではないか。
最近よく、日本の小説に対して(なかば悪口のように)言われている、人称越境の問題は、やはりあまり問題設定がよくなくて、
人称とか、本当ならそんな外のことなんて言ってられないわけです。
毎秒毎秒、人称なんてびゅんびゅん変わるし、重なるし、もしくはゼロになるのだから。
一文中でさえ、人称のようなものは止まったりなんかしていない。
ぼくらが「一人称から三人称へのふしぎな移行」みたいなものを感じたりするとき、注目すべきは、
時間の空間化と、その空間同士の分解・統合、さらにはそれらを成り立たせている生命そのものの変態のようすです。
(山本浩貴+hの発言「座談会1 2015/05/17→2015/05/31」『いぬのせなか座』第1号)
http://d.hatena.ne.jp/nakaii/20160106/
保坂和志は、一人称と三人称とにおける揺らぎに作者の思考の運動を見てそこに価値を見出していたわけだが、
でも手法として受け取りルーチン化とした時点でそんな「揺らぎ」はとうに消滅しているだろう。
だから山下や滝口の新作はダメだったのではないですか?
http://d.hatena.ne.jp/ykurihara/20121228/
「人称をどうにかしようという」作品が最近増えてきたという話をしている(2012年後半の純文学系小説〜「一人称と三人称」問題について)。
この「人称をどうにかしよう」という言い回しは、シャープではないけれど、それゆえ逆に、かちっとした「移人称」にない喚起力があった。
栗原自身は「人称をどうにかしようという」作品に対して否定的だと思うけれど、良き理解者が正しい理解者であるとは限らない。逆もまた然り。
岡田利規の「わたしの場所の複数」「三月の5日間」、
柴崎友香の「春の庭」「わたしがいなかった街で」といった高度な作品(だと私は思う)について考えるには、
栗原裕一郎の言葉に立ち返り、その言葉の暈の部分に目を凝らさなければならないのではないか。
最近よく、日本の小説に対して(なかば悪口のように)言われている、人称越境の問題は、やはりあまり問題設定がよくなくて、
人称とか、本当ならそんな外のことなんて言ってられないわけです。
毎秒毎秒、人称なんてびゅんびゅん変わるし、重なるし、もしくはゼロになるのだから。
一文中でさえ、人称のようなものは止まったりなんかしていない。
ぼくらが「一人称から三人称へのふしぎな移行」みたいなものを感じたりするとき、注目すべきは、
時間の空間化と、その空間同士の分解・統合、さらにはそれらを成り立たせている生命そのものの変態のようすです。
(山本浩貴+hの発言「座談会1 2015/05/17→2015/05/31」『いぬのせなか座』第1号)
http://d.hatena.ne.jp/nakaii/20160106/
保坂和志は、一人称と三人称とにおける揺らぎに作者の思考の運動を見てそこに価値を見出していたわけだが、
でも手法として受け取りルーチン化とした時点でそんな「揺らぎ」はとうに消滅しているだろう。
だから山下や滝口の新作はダメだったのではないですか?
http://d.hatena.ne.jp/ykurihara/20121228/
314吾輩は名無しである
2016/02/08(月) 13:08:48.84 群像 1990年8月号
大江健三郎「家としての日記」、森内俊雄「極楽」、加藤幸子「極楽蜻蛉一家の冬景色」、
廣川禎考「砂時計」、有為エンジェル「踊ろう、マヤ」、
すが秀実「現代小説の布置―「永山則夫問題」の視覚から」、渡部直己「不着の遡行―新『吉野葛』注」
大江健三郎「家としての日記」、森内俊雄「極楽」、加藤幸子「極楽蜻蛉一家の冬景色」、
廣川禎考「砂時計」、有為エンジェル「踊ろう、マヤ」、
すが秀実「現代小説の布置―「永山則夫問題」の視覚から」、渡部直己「不着の遡行―新『吉野葛』注」
315吾輩は名無しである
2016/02/09(火) 22:15:52.51 怒れ!鉄パイプよ飛んでこい
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