>>899
>その渇望は、わたしの内部に反対の論証が増せば増すほど、
>いよいよ魂の中に根を張るのです。
>とはいえ、神様は時として、完全に平安な瞬間を授けてくださいます。
>そういう時、わたしは自分でも愛しますし、人にも愛されているのを発見します。

懐疑と自己否定による虚無感が希死願望につながる
というのはADHD(ドストエフスキーもその一人)に顕著な傾向で
こういう人間が「生」に縋りつこうとするのなら
不合理ゆえにわれ信ずという信仰の世界に進むしかない
ただ信じられないので苦しむという悪循環の繰り返しで
これは死ぬまで続く

脳内分泌物質の不足から普通の人間がオートマティスムとして
習慣的に処理できることがどうしても出来ない
それゆえこの欠陥を「〜となるのは何故か?」という原理主義的「思考」で補おうとする
そうやって懐疑によって掘削していっても
大した意味は発見できない(人間的事情による取り決めにすぎない)ので非常に苦しむ

しかし、この種の原理主義的思考の副産物として科学や思想が発達するわけで
もちろん最終的真理などないので心理的に苦しむ人間が後を絶たない
われわれ凡人はそういう苦悩から生じる甘露の一滴を享受する
ひじょうに虫のいい人生を送っているわけです