同年2月、三島は七丈書院を合併した筑摩書房の雑誌『展望』編集長の臼井吉見を訪ね、8作の原稿(花ざかりの森、中世、サーカス、岬にての物語、彩絵硝子、煙草、など)を持ち込んだ。
臼井は、あまり好みの作風でなく肌に合わないが「とにかく一種の天才だ」と「中世」を採用しようとするが、
顧問の中村光夫は「とんでもない、マイナス150点(120点とも)だ」と却下し、没となった。落胆した三島は、〈これは自分も、地道に勉強して役人になる他ない〉と思わざるをえなかった。


戦前日本浪漫派界隈の天才少年だった三島も本格的に「文壇」デビューしようとしたらいろいろ辛酸舐めたわけだし