私、また言葉が過ぎてしまっているかもしれません。
現実のことを馬鹿にしているとか、そういう意味ではないのですけれど、
こんなにも、率直に言葉にする機会も今の私にはありませんので、
こちらでの事を好ましく感じているのかもしれません。
何よりも、想う方とこうして見つめ合える機会があると言うだけで
こんなにも私の中では悲喜こもごもです。
そして、考えるのは結婚という制度について、言葉を多く奪ってしまったり
又は、正しさの固定化や、自らの眼差しを挫くものだけであるのなら、
これからの価値観との間に相違を感じながらお互いに相容れない感覚も持たれるかもしれないです。
私は、そのことにぴったりと寄り添う形がなんであるのか。いまだにわかりませんけれど
愛の先に、寄り添う仕組みでなければ、持たないのではないのかなって
そう感じてきています。