>>325
>1、補給はモスクワ占領維持するぐらいは伸ばせた、ちょっとだけね。
 根拠は?
 ソ連側にした所で極東方面軍からの増援で兵力打ち止め。って訳じゃないし、
 政府や参謀本部のクィヴィシェフへの、
軍需産業のウラル・シベリアや中央アジアへの移転が完了している以上、
ナポレオンの時の様な一時的占領はあり得ても、維持は厳しかろうな。

>電撃的効果が薄くなり、時間の浪費=資源枯渇の危険回避のためにバクーの石油が最重要だと
>ヒットラーがかんがえた。
 しかしタイフーン作戦遅延の結果、結局は虻蜂捕らず。
 よりその「戦争経済」を重視したブラウ作戦の推移もご存じの通り、
 仮に開戦直後からバクーを目指したとしても、史実同様側面を衝かれ、結局は辿り着け無かったろう。

 要はドイツの国力の限界を超えた無理な戦いだったんだよ。
 そしてそれは冷静に状況分析すれば当時の独軍首脳部には把握可能だったはずだ。
 それこそスレ初めの方で書かれてる通り、モスクワ攻略の兵站限界がスモレンスクにある事は読めてたのだから。

 その上で対ソ戦の不利をヒトラーに説き、断念させる事こそ、真の意味で「軍事専門家たるプロイセン軍人」の義務だった。
 にも関わらずそれをしなかった。

 その点が参謀総長の椅子を捨ててまで、キエフからの戦略的撤退を進言し地位を一時追われたり、
戦後、核時代におけるソ連軍の在り方を巡り、フルシチョフと対立した結果国防相の椅子を捨てたジューコフに比べた場合、
軍人としての職業意識や気骨の点で劣ると言わざるを得ないし、
戦争の勝ち負けに限ってもその優劣は明らかだ。