論争 皇軍が撃墜したB-29は何機だったか

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1名無し三等兵
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2014/08/06(水) 21:37:09.21ID:+umSHY8y
中国−ビルマ−インドとマリアナ基地からの作戦全般を通じて第20空軍は、あらゆる原因によるものを含め、
B-29爆撃機485機、戦闘機212機を失った。この間、戦死または行方不明となった搭乗員は合計3041名に達し、
攻撃行動中の戦傷者は332名。他方、B-29爆撃機延べ33047機、戦闘機延べ6276機が日本爆撃に出撃した。
損害率は、B29は1.5%、戦闘機は3.4%であるが,B29搭乗員の死傷率は1%にも達しなかった。
(戦後刊行された『アメリカ戦略爆撃調査団報告第66号』「B29部隊の対日戦略爆撃作戦(第20航空軍)」
;本土空襲の記録引用)
http://www.geocities.jp/torikai007/war/1944/b29.html

正真正銘のB-29です。尾翌の番号から、機体製造番号は、45-21739で、
米国のB-29関連のHPに記載の番号と同じでした。展示説明板には、
ハングルの他に英文で次ぎのように説明していました。
『世界的に有名なB-29は、第二次世界大戦と韓国戦争の3年間を通して
任務を果たした。韓国戦争でのB-29は、延べ22,983機出撃し、197,000
tonの爆弾を投下した。しかし、34機のB-29を失った。
この超空の要塞は、18個に分解され、1972年3月にカリフォルニアの
チャイナレイクからソウルへ輸送した。そのB-29は韓国空軍によって
再組み立てされ、そして、1972年8月以来Yoid Museumに展示された。』
http://www.sun-inet.or.jp/~ja2tko/jap/jap.trip/trip.korea.html
2名無し三等兵
垢版 |
2014/08/06(水) 21:39:16.15ID:+umSHY8y
MILITARY      HOSTILE               NON-HOSTILE
ACTION       DEATHS      WOUNDED    DEATHS              
World War II
(1941-45)
Total          293,1216       670,846       115,185
European Theater  185,179        498,948       66,805
Pacific Theater    107,903        171,898       48,380
http://www.vfw.org/PR/Media%20Room/AmericasWarDead1775_2009.pdf

(第二次世界大戦中、アメリカ軍は日本侵略をした場合に生じるであろう死傷者数を推定して
約50万ものパープルハート章を製造した。このパープルハート章は戦後65年たっても尽きるこ
となく2003年当時で残っているパープルハート章の総数は12万ほどだった)
http://blog.livedoor.jp/drazuli/archives/6347441.html

日本に対する活動に関する現在の状況が、ノルマンディーに対して提案された作戦に
関連してあった状況とちょうど同一であると、GENERAL MARSHALLは指摘しました。
それから自分の見解の表すものとして、参謀共同で大統領に発表する用意をした
メモのダイジェストを、以下のように読み上げました。
GENERAL MARSHALL pointed out that the present situation with respect to
operations against Japan was practically identical with the situation
which had existed in connection with the operations proposed against Normandy.
He then read, as an expression of his views, the following digest of a memorandum
prepared by the joint Chiefs of Staff for presentation to the President (J.C.S. 1388):
http://www.endusmilitarism.org/WH_meeting_of_061845.html

但し後知恵で言えば、戦略爆撃調査団が述べているように、鈴木貫太郎内閣は常に終戦を求めており、
原爆やソ連参戦抜きでも年末までには降参したかもしれない。
けれどもその場合は「ソ連を仲介しての和平」ということになり、米国としては許容できない降伏条件となる。

ソ連抜きでのポツダム宣言は「黙殺」だったことを忘れてはならない。
3名無し三等兵
垢版 |
2014/08/06(水) 21:41:16.27ID:+umSHY8y
議事録には次のようなイーカーの言葉が引用されている。
「日本にたいし航空兵力のみの使用を主張する者はきわめて重大な事実を見過ごしています。それはつまり、
航空機のみが敵と対決するときは、航空兵の死傷者数は決して低下しないという事実です。現在の航空兵の
死傷者数は一度の任務につきおよそ二パーセントであり、一月当たりでは約三〇パーセントです」
イーカーは続けた。「時期を逸すれば、敵が有利になるだけです」
「日本殲滅 日本本土侵攻作戦の全貌」(T・アレン&N・ボーマー著)
"GENERAL EAKER said that he agreed completely with the statements made by General Marshall
in his digest of the memorandum prepared for the President. He had just received a cable in which General
Arnold also <page 559> expressed complete agreement. He stated that any blockade of Honshu was completely
dependent upon airdromes on Kyushu; that the air plan contemplated employment of 40 groups
of heavy bombers against Japan and that these could not be deployed without the use of airfields on Kyushu.
He said that those who advocated the use against Japan of air power alone overlooked the very impressive
fact that air casualties are always much heavier when the air faces the enemy alone and that these casualties never
fail to drop as soon as the ground forces come in. Present air casualties are averaging 2 percent per mission,
about 30 percent per month. He wished to point out and to emphasize that delay favored only the enemy
and he urged that there be no delay.
http://www.endusmilitarism.org/casualty_projections_Giangreco.html

英国のウィンストン・チャーチル首相は、日本を降伏させたのは、米国の原子爆弾ではなく、ソ連の参戦であったと指摘した
ことがあった。ロシアなら小学生でも知っているこの見方は、欧米諸国では忘れ去られている。「核兵器に関する5つの神話」
の著者である英国の歴史家ウォード・ウィルソンが論文のなかで、「米国が4年かけて出来なかったことを、スターリンは
4日間でやってのけた。」と書いたとき、
http://japanese.ruvr.ru/2013_08_06/119189023/
4名無し三等兵
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2014/08/06(水) 22:14:10.87ID:mED1yXu5
仲間を殺した敵たった1人に壮絶な報復 
https://www.youtube.com/watch?v=Cwffmsf2gO8
2014/08/07(木) 12:12:22.89ID:+r8u4D9o
>>3
何言ってんだかw
その4日間は、アメリカの4年間があったから出来たって話じゃん
馬鹿だなそいつw

しかも4年じゃない、本当は3年9カ月だし
6名無し三等兵
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2014/08/07(木) 18:58:21.46ID:rk2DhJo9
>>5
中国の8年間は?
2014/08/07(木) 23:45:42.04ID:26W6U4/h
80機くらいだと思った。ただ撃破とか含めると300機に及ぶらしい。
8名無し三等兵
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2014/08/08(金) 01:46:11.50ID:vIE39KO8
ところで太平洋戦線でアメリカは27,000機もの航空機を失ったって知ってるか?
欧州戦では未生還機に修理不能損傷機(damaged beyond repair)を加えても18,000機なのに対し。

事故機や地上破壊を除いても、皇軍は米軍機を8700機を撃墜している!

Aggregate United States plane losses during the course of the
Pacific war, not including training losses in the United States,
were approximately 27,000 planes. Of these losses 8,700 were
on combat missions; the remainder were training, ferrying and
other noncombat losses. Of the combat losses over 60 percent
were to antiaircraft fire.
http://www.anesi.com/ussbs01.htm

In the attack by Allied air power, almost 2,700,000 tons of bombs
were dropped, more than 1,440,000 bomber sorties and 2,680,000
fighter sorties were flown. The number of combat planes reached a
peak of some 28,000 and at the maximum 1,300,000 men were in
combat commands. The number of men lost in air action was 79,265
Americans and 79,281 British. [Note: All RAF statistics are
preliminary or tentative.] More than 18,000 American and 22,000
British planes were lost or damaged beyond repair.
http://www.anesi.com/ussbs02.htm
2014/08/08(金) 01:59:28.63ID:t2tmMP0W
未帰還率は25%だった様な
10名無し三等兵
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2014/08/12(火) 16:02:33.43ID:0ZVD25YE
撃墜なんて書いてないようだが・・
2014/08/13(水) 14:20:02.21ID:TibRPrzn
ばーちゃんが昔落ちたBー29を見に行って来たって言ってた
12名無し三等兵
垢版 |
2014/08/16(土) 01:54:34.15ID:JyxyXJIy
 「初期故障」を十分に解決しきっていないままにアーノルドの「大博打」で
量産が決定され実戦投入された機体だからな。往復5千キロの洋上飛行を強いら
れた割には、損失は少なかった。迎撃する側の能力の低さが幸いしたようなものだ。
ドイツ相手だったら、ひどいことになっていたはず。図体がでかすぎて滑走路の整備
から始めないといけなかったので、欧州での使用をあきらめた。
13名無し三等兵
垢版 |
2014/08/16(土) 08:51:20.58ID:HTl55QEc
>>12
>迎撃する側の能力の低さが幸いしたようなものだ。ドイツ相手だったら、ひどいことになっていたはず。

 一九四五年一月一二日、すなわち第二次世界大戦におけるソ連軍の最後の冬季攻勢の
開始日に至るまで、東部ドイツの住民が赤軍の侵攻に対してどれほど不用意であったか
を知ると、いつも驚きもし震撼させられもする。ソ連を奇襲しても赤軍の侵攻はないだろう、
という考えが人びとの心に深く根を下しており、それがさらに何らかの「奇蹟的兵器」への
非合理的な希望によって増幅されていたにちがいない。同時に、すでに数年も続いていた
「計画的撤退」については、国防軍発表が一九四三年夏以降ほとんど毎日伝えられていた
にもかかわらず、この時点までの東部戦線移動の経過についてのほとんど信じられない
ほどの無知も確認される。一九四五年の一月とそれが直ちにもたらすであろう結果が
生じる以前に、東部戦線について現実に即した考えを持っていた者は、ごくわずかだった
に違いない。ソ連陸軍が千キロ以上も二十か月近くにわたって西方に前進した後では、
この圧倒的進軍がよりにもよってドイツ国境で阻止されうるであろうと考える、
いかなる理由もなかったのである。
「第二の罪 ドイツ人であることの重荷」(ラルフ・ジョルダーノ 白水社)P215、216
14名無し三等兵
垢版 |
2014/08/16(土) 09:05:16.94ID:HTl55QEc
>>12
>ドイツ相手だったら、ひどいことになっていたはず。

1945年1月12日から始まるソヴィエト赤軍の「ヴィスワ=オーデル攻勢」を知っていれば、こんな妄言は出ない。

軍事歴史家アール・ジームキ(Earl Ziemke)は以下のように進撃を解説した。
25日、ジューコフ配下の主力はポーゼンを通過、ベルリン東40マイルのオーデル川で真西へキュストリン方面へ進撃した。
ソビエト赤軍の進撃は巨大な除雪機械のように見えた。そして、ワルシャワからポーゼン、そしてベルリンへと狙いを定めていた。
ドイツA軍集団の全部隊が点と刃の間に挟まれ、オーデル川の対岸へ押し戻されていた。ドイツの右側にはヒトラーが数日前
に編成したヴァイクセル軍集団と呼ばれる基幹軍集団以外、何も存在しなかった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%82%B9%E3%83%AF%3D%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%87%E3%83%AB%E6%94%BB%E5%8B%A2

 この一月十二日のヒトラーの主要作戦会議のニュースは、コーネフ元帥の強力な歩兵と機甲部隊がパラノフ橋頭堡を
封じ込めているドイツ軍三個師団 を蹴散らし、すでに西に一〇マイル前進し、この押し寄せる敵軍を阻むものはなかった。
ドイツの機甲師団はずたずたとなり、壊滅したのだった。 そして今度は三五〇の砲列からの二時間にわたる弾幕放火のあとで、
戦車と歩兵の新たな洪水が東プロイセンに対する第二の攻勢が、 今度は南側面から開始された。この方面の攻勢の
ゼロ時間が分かって いたので、ドイツ軍は集結するロシア軍部隊と砲兵隊に砲弾の雨を降らせ、一時的にはロコソフスキー
元帥の部隊をたじろかせた。だが敵戦車二四五輌をすでに叩き潰したのに、一五日には全東部戦線が激戦中で、
敵が戦略的中央突破に成功したのは明らかだった。南ポーランドのキエルツェは陥ちた。ワルシャワはまだドイツ軍の
手にあったが、北と南で迂回された。クールラントと東プロイセン軍があんなにうまく敵を寄せつけなかっただけに、
この突然の崩壊に 仰天したヒトラーは、最も信頼する副官のひとりのフォン・ベロー大佐に 「もう希望はない」、
ドイツを救えるのはいまや奇跡のみであるといった。
<デイヴィッド・アーヴィング「ヒトラーの戦争」>
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