>>541の続き

当時のアメリカは、モンロー主義(欧州不干渉の孤立主義)で、
後の戦略爆撃機というより、沿岸の要塞を防衛するための、
近海(100浬圏内)警備用といったところか、

その中には、当然洋上哨戒も含まれていたと思われます。

実際に、南東方面では、豪州からのB−17が単機、
ラバウルやツラギに偵察に来る様子が、よく出てきます。