重砲で四年式十五榴はきめわて数量うわ増し可能性が高い
・奉天兵工廠でskoda7.7cm、10p砲を製造、工廠を接収した日本軍が準制式とする
・接収まえからすでに四年式の製造図面を下附してた
・自緊砲身の生産は無理だった
・四年式の損傷砲を内地から送られた半製品つかって部品を製造し再生させた
・一貫生産は無理だったらしい
・戦間期に余剰兵器として輸出されており、最捕獲されたおぼしきキャプション写真
 がある(毎日新聞社 日本の戦史)
・いくら旧式装備で野戦重砲兵連隊から師団砲兵に払い下げされてるとはいえ、製品
 寿命による廃砲、戦闘損失、輸出ぶんを差し引いて再交付できるほどの数があったので
 あろうか?

おれの考えでは414門にくわえ南満州製造で20門ほどは追加されてるのでは?と思う
ほかの列強に比して微々たる数字だけど