【加農・榴弾・高射・速射】旧日本軍の火砲を語る30
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旧日本軍の火砲全般を語りましょう。
● 火 砲 と 無 関 係 な 雑 談 ( 政 治 話 な ど ) や 脱 線 は ご 遠 慮 下 さ い 。
● >>980 に 達 し た ら 次 ス レ が 立 つ ま で の 間 は レ ス を 控 え ま し ょ う 。
【重要】
荒らしの相手をする者も荒らしです。
スルーを心掛けましょう。
過去スレは>>2
■前スレ
【加農・榴弾・高射・速射】旧日本軍の火砲を語る29
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/army/1521181588/
■関連スレ
【6.5mm】日本軍歩兵火器総合 5挺目【7.7mm】
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/army/1518851180/
要塞・重火砲について語るスレU
http://peace.2ch.net/test/read.cgi/army/1331303784/
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvv:1000:512:----: EXT was configured 歩兵連隊+山砲兵大隊×1の連隊戦闘団形式、これが最高
宮崎支隊や南海支隊もコレ >>4
日本軍は戦車だとか重火力以前に「アジアや諸島展開において」重量制限ってのを受けてた
詰まるところ
・当時のM4戦車師団は車両など600両装備等10000トン/燃料等500-1000トン/弾薬など500トン以上の支援を受けないと十分稼働しない
・チハ戦車師団は車両400両重量5000トン/燃料100トン/弾薬100トン程度である
・当時の近衛級重師団で重砲をすべて150mm榴弾48門にアップデートしても装備重量は合計1500トン/燃料20-30トン/砲弾150トンの物資しかもたない
・甲師団は装備400-800トン/燃料10トン/弾薬50-100トンしかもたない
・乙師団は100-250トン/燃料1-4トン/弾薬20-50トンも装備をもたない
結果アメリカ戦車師団の物資は合計1000トンを超えるが
日本軍の大規模な軍団、戦車軍団でやっと物資1000トン、フィリピン軍団で計画400-800トンの実200-400トン、沖縄戦で実600-800トン
たかがその程度しか日本軍は燃料物資の輸送供給体制を持っていない。
このため日本軍は最初から大規模物量のアジア展開が困難であった
日本軍は物資ベースからすれば当時のアメリカ5-10個師団もアジアに展開する補給力しかなかった
また日本軍の乙師団級でも山砲など48門弾丸50トン、迫撃その他で50トン規模
車両ー火砲ー戦車ー燃料以前に絶対的に乙師団100トン/甲師団200トン/近衛400トン規模の弾薬は不可欠な上で
軍団500-1000トンの弾丸は必須だった
ところが日本軍はまず弾丸を莫大に供給できず、常に火力以前に弾丸不足でせめてをかくことが多かった。
だから真っ先に日本軍は戦車以前、重砲以前に「歩兵砲に莫大な弾丸を供給するために、師団軍団に自動化給弾部隊を配備する」
ことが不可欠だった
また兵員輸送その他もかねて原則原理で移動範囲も多く民間輸送インフラが足りないアジアでは
原理的に師団輸送に250/弾丸物資輸送支援に250の500両のトラックは配備して半自動化を図るべきだった 量的に沖縄に2師団1000両、完全自動化で1500両
満州に3000両4師団
中国に3000両4師団
アジアに3000両4師団
の計10000両規模のトラックを供給しつつ、以後損失も想定し継続補充することは不可能ではなかった
ところが優先すべき歩兵自動化が後回しだった。今日でも軍隊は原理的に兵数、戦車、火砲関係なしに師団あたりでジープトラック500-1000両、重機50-100両はないと盤石に戦えない
故に日本軍は「自動化ー物資弾丸供給力」があまりに脆弱だった
原理的に戦車以前に火力以前に「自動化給弾能力」が何よりも足りなくて
これが兵員の消耗だとかいろんな面でロスを生む
過度に補給兵と人足に依存したことは戦術的に合理的でも賢くもなかった。
真っ先に優先すべきは「トラック給弾と、機械化工兵部隊」でそこらへんを優先しなかった
そこらへん軽視した。陸も海も、そういう非戦闘任務要素の軽視→蔑視的なおかしな思想があって、社会風潮が軍以前にそういう傾向あった
そして戦術的には結果運べないから戦車や重火力の依存度はひくかったものの
戦闘の経過じたいは歩兵砲中心で良好にすいたして間違ってない。
ならそれで戦争全体にまけ犠牲が増えるのは門数と弾丸量が不十分の手数不足だから
沖縄戦のような48門150mm+歩兵砲迫撃砲100-200で固める戦術を最初から取っていれば
サイパン、フィリピン、硫黄島でもう10-20万以上追加の負担を強いることができて
本土戦前に米軍に40-50万近いダメージを与え、本土戦前に十分な消耗を与える事は不可能でもなかった なんつーかよくアメリカはM4持って突っ込ませたなと思うわ
大国の意地か? 沖縄に150×48門、ロケット120mm以上の迫撃100門以上
硫黄島は150門なしで同規模の火砲
サイパンでは沖縄規模
フィリピンは2倍
満州は重砲200に迫撃1000
これくらいの火力をこさえることは無理じゃないというか、むしろこれで兵員と負担減らせるから合理的だって話なんだよな 対戦車砲の運行重量について質問。
325kgだの800kgだのは砲列砲車(砲列を敷いた状態)での重量だよね。
ソ連軍のZiS-2 57mmとかの所謂1250kgとかもそうだと思う。
ここで大型の砲には、回転や不整地を通過する為に前車を付けて運行する事が知られているけど、旧軍によると適正は砲車の6割ぐらいの重さだそうだ。
となると、砲車が付く大きさを境に、それまで500kgとか700kgの火砲だったものが、1トンとかの火砲クラスになると運行時点ではいきなり2トン弱とかに激増してしまう事になる。
多分、日本では野砲クラスを境にそうなんだろう。
一式47mm機動砲は単車牽引砲で800kgがそのまま牽引重量だよね?試製57mm機動砲が重量の割に性能不足とされたのは、やはりここで牽引重量が倍化した事にあるんだろうな。 日本の火砲で牽引速度60km/hに耐えるの、ラ式37mmと一式47mmしか無いんだな
しかも一式は94式37mm+機動台車より軽い。
なんていうか軽量小型対戦車砲としては完璧に近い代物なんだな あ、各国の主力対戦車砲の牽引重量を教えて下さい。
スレの要旨から外れるかもしれんが、国軍との比較検討という観念からなので。
俺は一式47mm機動砲を、「最前線運用砲として実用上、前車がギリギリ要らないレベルでは」非常に優れた火砲だと思っている。
そこで牽引重量で各国と比べたい。
ソ連のF-22など野砲のものはでてきたが、米英軍の6ポンド砲やソ連軍のZiS-2などどうだったか?など
日本はギリギリ軽量なラインを攻めたんだと思いたい。 ttps://en.wikipedia.org/wiki/Talk%3AOrdnance_QF_6_pounder#Measurements_and_dimensions
6ポンド砲は運行重量1224kgだってさ そもそも前車は本来火砲としての射撃機能上、何ら必要ない要素であるから、これがいる要らないで輸送重量/パフォーマンスの効率が全然変わってくると思う。
ソ連の53- K 45mm対戦車砲では本体重量560kgに対して1200kgに増えているから、前車が必要だった事が分かるので、本当に一式47mm機動砲が前車不要で、砲列砲車=牽引重量であるかどうかの確認も含めてしたい。
一式47mmは射撃時や人力転換時は出てきても、牽引中の様子などはなかなか出てこないものだ。 >>13
なんだ、やっぱり日本の57mmが駄作だっただけか。仮説終わったな。 ZIS2は「ZIS2 57mm weight travel」でぐぐると
運行重量でも砲列砲車でも1150kgという記述が出てくる そもそも日本がおかしいんだよ!
試製57mm機動砲だって一式47mmの拡大版みたいなもんで、砲列砲車1080kgなのに余計なもんをごちゃごちゃ付けて運行重量1540kgになってる。
他国の同級火砲は、前車無くても何ら差し支えてないし。
本当は前車なんて外すもんだから射撃機能上デッドウェイトでしかないんだから、こんなものできれば付けたくない筈。
なぜ軽量化命の日本軍がこんな重量の無駄を甘んじて受け入れるかが理解できん。
火砲の運行に詳しい人、誰か教えてくれや。 そもそも前車つけんでも牽引はできるし、前車ってのは砲弾積載ありきのものjy1あ7 でもおかしいなぁ、俺はいちおう牽引重量は知らずとも日本語版ウィキペディア程度の砲列砲車重量には目を通しているが、
45mm対戦車砲ですら運行重量1250kgにもなるので、赤軍は57mm対戦車砲の方が45mm対戦車砲より運行重量軽い事になるぞ。
まあネットソースというのは大概どちらかかあるいは両方が間違っている事を覚悟しなければならないのは知っているので、もちろんどちらかを盲信する気はない。
きっとどちらかの数字が間違っているんだろう。
それは多分45mm対戦車砲の方のウィキペディアの記事のようにも思える(でなければ重量コスパ悪過ぎるから) 弾薬とか随員をどこに置くのかという問題があるからね
前車あるとその点が解決するので、牽引重量が一定範囲なら前車あったほうが良いのよ
日本の場合だと機動90式野砲の牽引重量以内なら許容範囲だと思う
ただ、実戦で死ぬような目にあってる対戦車砲部隊としては
そんな良い牽引車なんか滅多にないから困るよねってのもわかる うわごめんw
前車ってそもそも強力な火砲ほど後足伸ばさなきゃならないから曳くのむずかしいから下駄履かせる、ついでに空いた空間に弾薬つもうぜってもんだろ ttp://www.o5m6.de/redarmy_old/45mm_AT_gun.html
45mmのリンバーは結構でかいていうか、人と物をそれなりに乗せること前提ぽいな
弾薬に人間三人で300kgぐらいが全備重量に入ってるんじゃないかな えーと、ソ連の45mm対戦車砲 M-42が625kgであるから
一式47mm機動砲は重量コスパ平凡以下という事で決まりか…
幻想は打ち砕かれた。
前車の機能ってそんな程度だったのか…。
「これは前車が無いと厳しい、だから牽引重量はこうなんだ!」ってわけじゃないのね。
お馴染み http://www.warbirds.jp/sudo/artillery/artillery_2_1.htm#A1_1_3 に、
「十五榴は 砲身車及砲架車の両区分を以て運動し 重量は両車輌共約二○○○瓩にして 其運動性は三八式野砲に比し大なる遜色なしと雖 而かも
重量の増加(野砲に比し約一割増)よりも寧ろ前後車の重量比は約三分の一(標準比は三分の二乃至五分の三)にして 為に回転及不整地起伏地の通過等に際して運動の制限を来すもの多く
又放列砲車の移動は野砲に比し困難にして 其速度は常歩(八六米)を普通とし 」
なんてあるから、「デカい火砲は前車が小さいだけでこんな不利!、つまり連中はこんな無駄を強いられているんだ!」、と
俺は「前車が要らない程度の小口径火砲なりのステータスがある?」という事で依り代を求めていたんだよ。
全く、一式47mmへは失望に変わった。 >>22
やはりソ連は技術の国だな…
やっぱり案の定数字の仕掛けがあったか…
ともあれ砲列砲車重量625kgで、別に単車牽引出来る日本で使う分にはこっちの方が軽量という事で決まりだな。確かに一式47mmの自重800kgをそのまま引っ張れる状況なら、625kgの M-42の方が完成度高いやん…
一式47mm機動砲より二割以上軽量なこの火砲がある時点でもう一式47mm機動砲にはただの重量下位互換という意識が付いて回る。
軽さの割に高性能という希望は打ち砕かれた。
火力という面ではどうやら、フランスのAPX 47mmが砲弾重量1.7kgとかなり重くL/D比が高いので威力があるはずだし、軽量さという面でもチェコのvz.36の590kgに負けている…。
もはやスポーク転輪のこいつらに高速牽引出来るという事でしか利点を見出せない…
人力と馬匹に頼る日本軍でどれだけメリットになったか、フィリピンでの過酷な前線を考えればむしろ800kgという重量化はむしろ重くのしかかったのかもしれない。
ここら辺は高速牽引の重量のしわ寄せがいったのか?
試製九七式47mm砲は540kg連隊砲と大差ない重量で560kg。砲身長は長いのに装薬は少ないのか初速がやけに低いから改良するとしても600kgそこらに収まっただろう。
まあ、まがりなりにも一部機械化を達成したので、多少の軽量さよりも高速牽引を取るのは正しくはある…
英軍は一個大隊6門か一個師団48門の6ポンド砲を配備し、エルアラメインでは地雷原とともに圧倒的なまでの活躍を収めたというが、47mmを機械化牽引専用とし満足な連隊運用すら出来なかった日本なら、上級部隊直轄の独立速射砲大隊に配備して適時師団配備するしかなかった…
連隊運用可能な「5-600kg級連隊砲クラスの重量の割に」高性能な47mm速射砲もあったら良かったのに。 そりゃ制空権喪失しての拠点防衛なんて負け戦前提での想定なんかしてるはずもなく
敵戦車部隊の突破浸透に急行迎撃する高速対戦車部隊という当時のトレンドに合わせた武器だし
連隊に優秀な47mmがあるなら、上級部隊用高速対戦車砲はもっと強烈なものを作っただろう
つまり連隊に高性能対戦車砲がある世界では、ナト車とかがある世界だし
そこまで車両化が進むなら連隊にも車両支援があるから1式47mmでも問題なく運用できただろうね
結局は世界の趨勢に一周遅れなんだってことよな もちろん正しい。何ら否定するつもりはない。
ただ言えるのは、チェコのvz.36みたいな連隊砲クラスの47mm速射砲もあったならば連隊の37mm代わって配備するに適した火砲だな、と。
一式37mm砲の開発経緯は不明だがもしかしたら当の日本軍が弾頭共通化の観点から連隊には37mm口径を充当していくつもりだったのかもしれんが…
ともあれ敵戦車部隊に浸透突破をかける前線連隊の強力な対戦車砲武装、というのは理にかなっていないか
まあどのみち、ソ連のM-42は625kgで軽量なのに高速牽引出来るのだから、一式47mmもM-42も及ぶべくもないか…
技術の不足は如何ともし難いのか、あるいはアルミなどを多用しているのかは知らんが、あるいは機動化のまま600kg級に軽量化する事は叶わなかったものか…
スポーク転輪で軽量に設計して馬匹連隊(師団)向けとし、上級自動車部隊には機動台車、というのは確かイタリアだかが旺盛らしいがこれはあまりにも間抜けな格好だからあまり好かん
派生型を二つ用意して配備先をどっちかに決めるなら決める。 誤字、一式47mmもvz.36も及ぶべくもない、ね あまり海外の編成には詳しくないが、チェコの様な軍備弱体な国は元の装備編成がスッカラカンなのでかえって日本に先んじて47mm砲を配備し、更に日本軍より贅沢な運用(師団や連隊の常設装備だった事だな。
サスペンション周りで何パーセントぐらい重量を食うんだろうか…?
ラ式からしてそんなに重くなっていないから、やはりスポーク転輪運用しても劇的な軽量化にはならないのか?
確か砲の動揺をリジットする為の緊定機能が必要だとか…
軽くて便利な47mmも欲しい、となるとソ連の様に技術に恵まれなければ泣く泣く高速牽引をオミットせざるを得ないのか。
そもそも一式37mm砲は九四式より閉鎖機を強化しているが砲身延長したのに重量の増加は最小限だな。
つまり、九四式→一式レベルのパワーアップなら閉鎖機さえ強化すれば砲身が破裂する事はない→試製九七式を改良して多少の重量増加で一式相当の連隊砲を作り上げる事は造作もない…?
そしてソ連相当の技術があれば、高速牽引を保ったまま600kg級まで軽量化可能で数人がかりで牽引可能な末期戦と、イケイケな戦前の機動戦時のニーズを両方満たし得る。
やはり火砲の設計の良し悪しって実は砲架なんだな。 でも実際のところ聞きたい。
一式47mm機動砲の重量800kgというのは重量コスパが悪くないか?
試製47mm砲は重量560kgだし、vz.36は590kg。
ちょっと重くていいなら、M-42は625kgで高速牽引可能としている。
やはり完成度、というか重量的な洗練度で劣っていたんじゃないか?
一式37mmから重量が一挙に倍増以上になってる。
同級の800kgなら、57mm対戦車砲を低速牽引仕様でこさえられる重さだし。 >>30
重量コスパを評価するんなら砲身寿命や命中精度、
その他全体の堅牢性や生産性も比較しないと駄目じゃないか? >>31
上手い例えが見つからなかっただけやで。
重量・性能比というべきか。 >>32
うん、だから重量を比較するなら>>31に書いた項目も
同時に比較しないとおかしくね? >>33
重量コスパなる変な例えをした俺が悪かったんだけど
これは重量(ここでのコスト)に対して火砲の威力が低い、という意味で、安いとかそういう意味で言ったのではないんだわ。改めて訂正する。
最低限、輸送船や列車に積み込んでからの話。
性能重視か、経済性重視か、なんて戦車では話題になるけど、その場合での性能の話ね。所謂「スペック」で、軽くて威力があるとか速射性能が良いとか命中精度が高いとか。
安いとか、とかはこの際含まれない。命数が長いとかも、国によって基準は違うから一概に比べられないしそもそも戦争では砲身命数が来る前に戦闘損失や性能陳腐化になるから、一式47mm砲の命数2000発というのは必ずしも低いとは思わない。
おそらく日本の砲身命数の低さを提起したいんだろうけど… >>34
えっと、自分の書き方も悪いんだと思うけど。
重量のみで火砲を比較して評価するのは問題があるんじゃないかってことを言いたいんだ。
設計の方向としては重量を軽くするために砲身を薄くして命中精度が下がったり、
逆に生産性や頑丈さを重視して重量を運用上許す範囲で増大させることともあり得るんだし。
そういうトレードオフが成立する要因を無視すると結果ありきの判断しかできないと思う。
ついでに言っとくと貴兄が上げた一式が他の砲と比べて劣っているか否かって議題については
自分は上記の情報を持ってないから参加できないって立場だよ。 なお一式47mmは実戦部隊の運用ノウハウに命数尽きた砲を活用する手段があったそうだから、命数はつかうときはつかう
そして大量増産が要求された時に自緊をやめて生産性を底上げしたので、あれで重量と強度には余裕があったんじゃないかな 一式47mm砲自体が配備された時点で性能が陳腐化してるじゃないの…
元々は第一種防弾鋼板で50mm相当の中戦車に対する物だった訳だし >>35-36
そういうことか。すまない。
確かに、軽い砲には何らかしら裏があるはずだ。
ソ連のM-42からして、どんなトリックを使ったか知らんが、命数の著しく軽減や命中精度の劣悪も考えられる。ソ連なら想定される敵戦車は4号や5号戦車、相当肉薄しなければ正面から太刀打ち出来ないし、命中精度が多少ガタガタでも良しとされた可能性がある。
日本が精を尽くして設計改良した一式47mm砲が何の考えもなく劣っているはずがない。
あと、火砲というのは焼蝕は薬室付近の砲身から進行するので、薬莢から外してライフリングが噛み合うところまで押し込むってやつか?
まあ前線どれだけ必要性に迫られた事やら、とは思うが。取り敢えずマニュアルとしては普及させたんだろう。
あと自緊砲身やめてたのか。重量は増えたの?
>>37
それが、大戦前半のT-34の鋳造砲塔の悪名は知られているが、実は西側諸国でも、シャーマンやマチルダ2の鋳造装甲がウンコボロボロで質が悪く、圧延装甲より数割引きしないといけないシロモノで、小銃弾さえメリメリとめり込んでいく代物だった。
敵の弱体を考えれば、47mm砲が手押しでもいいから前線に配備されていたら、違った結果になったかもしれない。
まあ、この件は相当のスキャンダルで隠匿されたとも言われるし、後に良質な装甲の戦車の支給に伴って闇と消えた案件らしいから、証明する手はないがね。 そのソ連は1941年にpak38に遭遇してるけど
硬芯徹甲弾対策でT-34の装甲増厚を検討した位で
通常徹甲弾には十分耐えられると看做してたけどな
一式47mm砲でも結果は変わらないよ いや、フランスの古戦場に、7.92mm徹甲弾で砲塔に大量に深い穴を開けられたブツブツ状態のシャーマンが転がっているそうだな。残骸は語る。
敵の弱体につけ込んで、軽量高性能47mm砲の活躍、あるいは、史実と同重量で馬匹用のスポーク転輪の800kg級57mm対戦車砲など、活躍出来たかもしれない。
独立速射砲大隊も、必ずしも47mm砲だけが充足されたわけでも、全部隊が自動車化ではないからね。
普通あのクラスの中戦車には75mm級対戦車砲を持ってしてかからないとダメだが、やはりここにも「安いには裏がある」だな。
軽量な800kg以下の47〜57mm級対戦車砲にしてやられるシャーマンやマチルダなど、見たいものだ。 >>39
まあソ連戦車と戦うのは末期戦だからな。ソ連も言われるが西側も酷かったよ、と引き合いに出しただけで。
まあそのソ連も、満州侵攻時はアフリカ戦線で第23機甲旅団が醜態を晒したバレンタインを多数投入している。
こいつらを破壊するには、47mm砲を軽量化だけでなく、軽量化した分を装薬強化に当て更なる徹甲弾(例えば、L/D比を上げた大重量の徹甲弾)などで5cmPaK38級のマズルエネルギーを達成するのもいいだろう。 馬で引ける軽量な対戦車砲は41式山砲ってのが連隊砲(対戦車もする万能火砲)として存在する
分解して担げるし、大抵のものを吹っ飛ばせるし、成形炸薬弾はマチルダを貫徹する
軽量火砲にやられるマチルダってのは弾薬配備さえ付けば大抵の歩兵連隊で見ることが出来るのが史実なのであるよ しかし左右3度しか動かず、初速が350m/s級と低い四一式で移動する戦車を狙うのは、明らかに連隊砲としての余芸みたいなもんじゃないのかな?
だが、油断している戦車を奇襲するのには最適な火砲だな。
惜しむらくは、タ弾の配備が遅かった事か。
早くから技術を得ていれば、マチルダなど鎧袖一触だろうに。
結局、最終的に沖縄戦など本格的な日本軍の堅牢防御に当たる事無く勝ち逃げにしたオーストラリア軍は日本軍を弱体と舐め腐っていそうだが、マチルダ程度四一式で壊滅させてやればせめて身の程を知ったはずだろうに。 そもそも1式47mmは純粋に登場が遅すぎる
1式長57mmでもいいぐらいなのに 一式57mm対戦車砲として800kg程度のスポーク転輪に収めていれば、ここまで批判される事はなかった。あるいはもういっそ史実のまま一式として配備とか。おそらく一式を引いたであろう日本軍のトラックで引けるのは最大で八八式高射砲までオーケーだし(写真がどっかで見れる)
57mm対戦車砲は他国の対戦車砲の口径比例の貫徹力の伸び方と一式47mm速射砲の値から推測して九○式野砲と同等の9〜10センチクラスの貫徹力があるはずだ。
巷に聞く数字は、おそらく以前の九二式徹甲弾を流用して測った数字だろう。どうせ試験時だし。57mm徹甲弾の一式以降というのは寡聞にして聞かないぞ。
詳しく図面を確認していないが、とある人によると、九なんとか式とつくものと一式とでは隔絶した世代差があって、それまでの九なんとか式シリーズはなんと構造的には全部破甲榴弾なんだそうだ。看板を変えただけらしい。
一式徹甲弾は、後ろ半分にしか炸薬が入っていないので、これとそうでないとでは、大違いだそうだ。 ごめんね、変なのの相手しちゃって>ALL
>>45
貴方は自分の妄想を垂れ流す場ではないってことを理解して欲しいし
もう一つはもうちょっとだけ資料等に目を通して欲しい 館山海軍砲術学校で残されていた当時の文献によれば
試製57mm機動砲の貫徹力は全距離で九○式野砲未満なのだが
下記の数値は全て一式徹甲弾を使用した場合の貫徹力だそうな
距離 一式47mm 試製57mm 九○式野砲 九一式十榴
250m 70mm 78mm 90mm 75mm
500m 64mm 70mm 84mm 73mm
750m 58mm 65mm 78mm 70mm
1,000m 52mm 60mm 73mm 68mm
1,250m 47mm 56mm 68mm 66mm
1,500m 41mm 52mm 63mm 63mm
2,000m 33mm 46mm 55mm 59mm
2,500m 25mm 40mm 49mm 56mm
3,000m 19mm 34mm 45mm 53mm >>46
これは>>44氏に乗っかった。
57mm速射砲の一式配備は本当に妄想と切って捨てていいほど軽い案ではないと思っている。日本はおそらく最低でも57mm対戦車砲以上でないと25トン級以上の中戦車に対抗は出来ないと、情報を得ていた可能性がある。
それは推測でしかないが、次期中戦車の開発計画からもその意識は見て取れる。
まあ本当は日本の47mmの完成度などについて議論したかったのだから、それはもう下げる。
そして最後に、「もうちょっとだけ」とは具体的にどこでしょう?
わたくし知識の杜撰さは自覚しておりますが、今のところ明らかなミスをパッと見では発見できておりませんので… >>47
長文入力中にリロードしていなかった。
57mmの一式徹甲弾なるものを寡聞にして知らんのですが、それは本当でしょうか。 M4中戦車 T-34-85
砲塔 車体 砲塔 車体
前面 側面 前面 側面 前面 側面 前面 側面
88.9mm 50.8mm 63.5mm 38.1mm 90mm 76mm 45mm 45mm
無効 750m 150m 750m 無効 無効 100m 500m 【独】5cmPak38(弾重2.06kg,初速835m/s)
400m N/A 400m N/A 320m N/A 320m N/A 【英】6ポンド砲(弾重2.85kg,初速892m/s)
900m 2,000m+ 900m 2,000m+ 600m 1,500m 700m 1,500m 【ソ】57mmZis-2(弾重3.14kg,初速990m/s)
上記は旧ユーゴスラヴィアで実施された射撃試験の結果だが、初速870m/sの試製57mm機動砲では厳しそうだ
側面や後面を狙うなら一式47mm砲で事足りるだろうし、開発中止されたのも頷ける 試製57粍速射砲は野砲級対戦車砲の代用
砲戦車はホニかホイかの縄張り争いの影響を受けたもの
もう一つは生産能力の兼ね合いから、47→57→75と段階を踏んで徐々にノウハウを積みながら規模を伸ばすと言う算段だった >>51
ソ連や英の砲も貫通力は高いからな
アメリカが劣ってる程いい砲があるもの >>29
>スプッッ Sd3f-LHHl
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/army/1532157311/l50
こっちの旧軍戦車スレでも自分語りしてる痛い子なんで
こっちでも暴れてること知らず相手して損したわ
Twitterミリクラやとかウィキペディアソースなのが丸分かりだし
せめて過去ログの一読と佐山本くらい読んでくれねぇかなとか思うわな >>47
それ原文だと試製57mmでなく一式57mmなんで過去ログの試製57mmの前に研究していたやつの可能性もあるわな
もしそうなら試製57mmが貫通力が距離1000mで貫徹60mmを目途したのはその砲の研究成果によって定めた可能性もある 60mmの数値も五式七糎半が距離1000mで貫徹75〜80mmを目途したのと同じ最低基準と思えるんだよな
試製57mmは60mmから大きく上回れなかったので開発中止になった一因なんじゃないかと思えるんだよな
実際にグランパだったか大前さんの回想も砲弾の改善にもっと時間が欲しかったみたいな回想してるしな >>55
追跡してまでの個人攻撃は背中が寒くなるのでやめてくれ。
だいいち、向こうでは他人の書き込みに合わせているだろ。
自説もなにも、他人の書き込みを借りているだけだし、至極真っ当だろ。
ストーカーかよ。 火砲スレは旧軍戦車スレの避難所で住民層が被ってるのにストーカー呼ばわりされてもな
>>29や>>46も言ってるようにお前さんが空気読めず異様に浮いてて
忠告も無視して延々と周りに迷惑かけてんのに今更被害者ヅラするんじゃねえ
みんな面倒なんでスルーしてるだけだからよ
ふざけた自己正当化もいい加減にしような >>59
だからそんなストーカーしてるの君だけなんだってば… >>57
よし高初速なZIS2で、一式徹甲弾に似たカタチの被せ物なしのAPHE弾で1000m74mmだそうだから
1割初速が低く、更に炸薬量も若干多そうな日本の試製57mmじゃ60は超えても70は辛そうだよね
そして頑張って達成しても90式野砲と略同等な程度だから、それなら野砲でいいやってなるわ >>61
見込みがあったと回想している以上のことは分からんな
つーか大戦中のソ連の徹甲弾は粗製乱造というか問題あるから何ともいえん
本来高初速な45mm M-42も一式47mmとほぼ変わらない威力になってるしな >>62
相手にすんのアホくさいんでスルーするが代わりに相手してくれんならどうぞどうぞw >>64
そもそも確認したが貴方も向こうじゃ全然大した書き込みしてないじゃねえか…例の相手したやり取りとやらを3つ全て確認したけど。
車体有効幅の件や内部容積といった自明な件を言っておしまいじゃんよ。
俺も特に短い発言述べただけであっさりとしたやり通りで終わったし。
突然気を荒らげて勝手に突っかかってきては何なんだ?
もう二度と絡んで来ないで下さい。 仮に五七粍速射砲を配備するとした場合、戦車砲との兼ね合いも考えなきゃならんのよね。
でも五七粍速射砲が完成した昭和18年6月の時点で「独ソの戦車すごいことになってる うちももはや57mmとか作ってる場合じゃないよ 時代は75〜105mmだよ」と五七粍長戦車砲の制式化の可能性は殆ど無くなってるような状態という
仮に昭和16年あたりで五七粍級のちゃんとした速射砲が完成していれば「47mmよりもいいね!五七粍戦車砲(甲)(乙)共々制式化しよう」となったのかもしれんが
その頃だと五七粍速射砲はまだ基礎研究の段階を脱してなかった(未だに馬式57mm速射砲の砲身を野山砲の砲架に載っけてデータ取ってるような状態)からその芽もない
対米英戦が昭和17年中に落ち着いて、>>52が挙げた47mm→57mm→75mmの段階的な研究がもっと円滑に進めばまだ良かったんだろうけどね。 >>67
それかもう火葬の域だけどワシントン条約で余った47mm艦砲を89式中戦車に使用し、
榴弾威力に不満が出たため長57mm砲を開発する、みたいなIFしか思いかないね…
なお砲塔駆動や照準時の微調整は考えないものとする。 そもそも黒色火薬時代から続く速射砲の起源からして57mm(6ポンド)口径なのだから、むしろ47mmとか37mmに流れた事の方が傍流な気がしないでもない…。
47mm(3ポンド砲)はいちおうあったけどマイナーだし主流は57mm。
第一次大戦の戦車の起源を辿ればここもやはり57mmであり、戦車砲のルーツでもある。
むしろ当時の人間に速射砲が57mm口径未満である事を伝えるとかえってこっちが火葬認定食らう様な、そんな想定せざる突飛な流れだったんでは。
流石に陸戦の57mm砲というのは艦載速射砲の流用がルーツだから陸戦において57mmのままいくのが当然とまでは言わないけども。 >>67
ソ連がそれに近いレベルだったけど「でも76mm砲でいいよね」になったし
英戦車も75mm砲を入手すると6ポンドなんか要らんかったんや!になってるあたりを思うと
一番良かったのは米国みたいに3インチ級に速攻着手だったんじゃないかな(6ポンド砲は英からもらえるってのもあるが
57mm対戦車砲で期待される性能は3インチ野砲級と重なるので、3インチ野砲級を主要する日ソだと不要なんだよな >>68
八九式が主力を張ってた時期は九〇式五七粍の火力で現場も十分満足していたというから、そのIFを成立させるとすれば
旧陸軍にもっと早いうちからスペイン内戦みたいな戦車対戦車戦を経験させでもしないと… 火葬にしろ土葬にしろかなり無理矢理感あふれる展開にしないと難しいよそれ というかソ連の野砲が歪過ぎるでしょ。
英軍のターンテーブル式で全周旋回可能だからって高射砲兼用と勘違いして、そして本当に野砲に高射砲級の初速持たせてしまうんだから。
そしてパックフロントでドイツ軍戦車を苦戦させると。
ここまで失敗(少なくともカン違い)が転じて功を成した例を、俺は寡聞にして知らない。
ドイツ式に言うとまんま「7.62cm PaK」だもんね。 九○式野砲でさえ、M3 75mmと同等か毛が生えたレベルだけど、ソ連のF-22野砲は五式七糎半ほぼ要らねえじゃんって規模のもの。
師団砲としてはジャンル自体が時代遅れの野砲をひきづったメリットが後に繋がる凶悪な対戦車砲を野砲兵という形で全軍配備できる事なんだけど
そのメリットさえ捨てて九五式野砲に走ってあまつさえ改造三八式野砲に留まった参謀本部や一部の砲兵連中の言い出した罪は重い。 >>71
日本の場合戦車砲も速射砲も戦闘動作(操砲や装填等)の迅速さや戦車のような移動目標を撃つのであれば高初速(800m/s以上)が求められる訳だけど
57mm級速射砲の開発にあれだけの時間をかけてるとなるといきなり75mm級の長砲身戦車砲・速射砲を作るってのは(史実のような切羽詰まった状況が早期に来なければ)かなり難しい気がする
仮に九〇式野砲や八八式七糎半高射砲を元にするとしても、それを既に扱ってる兵科との兼ね合い(砲戦車・自走砲でもそういう話があったらしいね)もあるし
結局時間はかかるんじゃないかなあ… そりゃ赤軍は76mm野砲を軍団砲や遠距離支援群にも充当するつもりだったからね
軽量高機動のカノンとして対砲兵戦にも使うし、火力機動で戦線全域をカバーする運用を想定してるわけで
対戦車砲としても有用だったのは怪我の功名だが
高初速長射程野砲という思想は90式野砲も真似てるように一つのトレンドで歪ってほどでもないかと 俺も>71の言うように、57mm速射砲案は救い難い低パフォーマンスしかもたらさないと思うから野砲級の速射砲に期待する方がいいと思うな
となるとまず改造三八式野砲と九五式野砲が悪玉でしかない。
九○式野砲と九一式十榴の配備にさえ徹していれば、史実みたいな事にはならなかったし。
そもそも牽引重量で前車をかなり軽量してあり運行重量で2トンを切る九○式が過重なのは言いがかりに近い。
まあ皆んなの言う通り、57mm速射砲よりかは救えたもんなんだから、九○式の全師団配備でもまだ及第点だろう。
改造三八式中止・九五式野砲ボツルートの方が極限まで火葬性低い。むしろ大戦であと一歩違えばこうなっていたっていうルートの一角。 >>77
だが改造三八式も九五式も当時必要とされていたが故に制式化された兵器でもある
九〇式や九一式でいい、という事であれば試製九七式四七粍砲のように研究だけで終わってただろうよ >>78
陸軍の参謀本部といえば昭和の悪玉論の筆頭に挙げられるし、発言力も高いので多少の無理はまかり通せるか折衷配備案/中間案に引きずり込むだけの影響力はから、必ずしも当てはまらないかもしれない。
たまたま一部の参謀がおかしかったんじゃなくて、辻や瀬島みたいなやつばかりだろう(母集団がおかしいからこそ、一部の突出した更にやばい奴も生まれやすい)
参謀本部など作戦側の影響力が及んでいないものって、割と手堅く行っているんだよね。
あまりここで参謀ヘイトを垂れ流してもしょうがないけど、新兵器制定にも関わらず不急兵器を急いだ可能性は、半分ぐらい否定しきれない。
ここまでのやり取りで、前車が無くとも牽引可能だし、牽引時点では問題ない筈。
あとは砲列重量が多少重く人力での旋回など苦労を要する点を居直らずにもうちょっと当時先進技術であったドーピング剤などの導入に繋げていれば、救いようのあった話だと思う。
少なくとも試製一式57mm機動砲などという遅過ぎ&低性能兵器よりは遥かに救い道がある。 付随車があってもなくても、布置する時には外してるので人力作業の負担には無関係だし
そもそもの前身が馬で牽引する都合上のリンバーなんだから
日本で軽量化するイコール馬対応になるので付随車ついきになるわね
付随車不要イコール機械牽引化なんだから高速対応のサスペンションやごついタイヤが必須で重くなるし
その車両が対応できる範囲の重量なら付随車の有無は実用上何の不都合もない
まあだから付随車不要にしろってのは、それに何の意味があるのって話で終了よね このスレも多数の識者が集まるので意見が割れるなぁ
まあ前車の件は、そもそも牽引重量2トン未満という極限まで軽い前車のおかげで、必要だろうと馬には問題なし、不要なら不要でまた軽い。
という事で運行性能は限りなく参謀本部と一部の砲兵の難癖的なものに違いない。
おそらく砲列重量が重く旋回時に不利というのが本命の理由だろうが、これも己の非力を居直っているとしか思えない。
近代化にあるまじき逆行だろう。
ソ連でさえ、春には泥濘と化す国土のために野砲の軽量化は強いられたが、最低限高初速は保っている。 日本の山地に近い道路とか、今でも洒落にならない狭さと屈曲度なので、文句あるなら国土に言ってて話よ どうであろうと、参謀本部と一部の砲兵が余計な足を引っ張らなければ、そのまままかり通っていた事案なのでね。九○式野砲は。
国土もあるが、そもそもコンビを組む九一式十糎榴弾砲(こちらは九五式だろうと改造三八式であろうと同じ)が通過出来ない地形に野砲だけ踏破できても、まあ程度は知れていると思う。
俺が思うに、参謀本部はもしかしたら安価な野砲を大量に揃える事も念頭に入れていたかもしれない。中戦車の時にも価格に言及している。しかも具体的かつ定量的な議論の提示なく、ただ想像で、「小さければ安いだろう」というレベルの安直な。
ここで九五式野砲と九○式野砲の価格がそう大差無く終わるという結果を知らなかったんだろうな。 中戦車の火力について大隊砲と砲弾や薬莢を共有できる
94式7センチ戦車砲を採用とか
イフはないかな この時代の砲兵運用は、最前線直協と後方からの火力投射の二本立てで
野砲は前もやるし後ろもやるつもりだったわけよ。後ろから撃つ軽榴とはそもそも戦術要求が異なる
最前線運用もやってほしい歩兵と、できればダイナミックな火力機動運用に徹したい砲兵
今すぐにでもゴミになってる38式野砲を置き換えたい参謀本部
ゆっくり運用研究しながら徐々に90式化しましょうってはならんかったわけよ
ある程度の間接射撃・火力機動に対応し、なおかつ38式と同様の前線運用も出来る95はイケてる火砲なんだよ
95があれば90の配備も可能だけど、95がない状態で90だけってのはそりゃ文句も来るよなと
改造38式が成功作だったら95を作る必要もないんだが、産廃になってしまったのが運の尽き
4年式15榴の改造でも失敗してるけど、我が国の火砲技術の限界というやつであろう
誰が悪いって技術がないのが悪いんだ >>78
>>82
まだ相手してたんだ感心するわ
そもそも九五式野砲/改良三八式野砲は野砲本体の牽引だけなら轢馬3頭
前車含めた接続姿勢でも轢馬6頭で済むのに対して
九〇式野砲/九一式十糎榴弾砲は野砲本体の牽引だけで轢馬6頭必要なんだわな
まあそういう知識もないんだろうから歪んだ自説を長々と披露してるんだろうが >>85
今すぐにでもゴミになってる改造三八式を九○式にしたらよかったじゃないの、というのが、用兵側の意見というのは、このいざこざを聞いた事がある者の中では、比較的知られた話だと思いますが…。
けしからん!、といったのは、参謀本部と一部の砲兵の立場だった筈。大多数の砲兵の支持を得たのが、九○式と。 >>86
九五式野砲と九○式野砲の牽引重量は大差ないよ。九○式は前車を軽く作ってあるから。ソースを疑った方がいい。
九五式野砲は1929kgにもなる。前車が重いんだ。
あと煽るような言い方は幼稚だからやめなさい。 >>78と>>82に話してるんで。
もう二度と絡んで来ないで下さい。 >>89
「ぼくは○○に言ってませーん!○○に言ってるんですー!」
ハァ、餓鬼かよ… というか確かに改造三八式が成功を収めていたら、九五式の代わりに更に多く生産され配備されてた事になる(かもしれない)のよね…
それはそれで末恐ろしいな。
全周旋回可能なターンテーブルは一応あるけども…。
その意味では九○式はともかくとして九五式にも、それなりの意味はあったかもしれない。
ただ、九五式の機動力は必ずしも高くなく、射程が妥協できる状況なら山砲のそれに及ぶものではないんだけどね…。
確か支那駐屯砲兵連隊が「野砲を山砲とするを可とす」って戦訓出していたな。
まあ山砲は野砲より精度が劣るんだけども。 >>87
結局世界のトレンドに対する感度と
実戦で使うなら重かろうと威力性能が優れるものが良いに決まってるけど
訓練とか机上の理屈だとそこは抜けるんだよねって話なんだと思うよ >>91
火砲体系の案を見る限り、こうしようという方向性が定まってないんだと思う
15榴も10加も短野砲もみんな欲しい。もうちょっと考えろやって思いたくなるほどグダグダだもんなw >>92
何となく分かった。実際のところ野砲を主用しているのが日ソで、英軍は中間野砲、米独は軽榴弾砲に軽師団砲は移行してしまっているから、何とも自力だけで決めるにはサンプルが少ない時代だったのよねぇ。
まあ九五式野砲も捨てたもんではないが、以前どこかで見た、
「とある砲兵指揮官が最低で計算してみたけどボロクソに批判した九○式と九五式の中間野砲」
なるものとか面白そうだな、なんて思ったり。
いやこれもダメだったらしいんだけど、色々錯誤し過ぎてしまった結果後に戦車の前に大量の将兵の尸を晒す羽目になるんだから結局叩く方に意識がなってしまう。 いや米仏はその時点じゃ未だ旧式野砲だな。
多分列強との比較対象がそれだったとしたら、当の日本軍としては九五式で高性能という意識だったのかもしれんな。 少なくともID:Dr+UAu2Vdが佐山本を手元に置いてる事を願う 基本ROM専だけど流石にこういうのは勘弁して欲しい なんか技術力が貧弱で砲の後座長を短く出来なかったから戦車砲を強力に出来なかった
みたいな話がよく言われてるけど
陸軍としてはただ単にmaを小さくして出来るだけ強度を必要なく軽くしたかっただけで
技術力云々は関係ないとしか思えないんだが… よく言われている、というのはこの間の日本軍戦車スレを見てか?
それなら言い出した本人が軽量化に拘るあまり、と結論付けているから技術力不足という見方は軍板内では必ずしも一般的とは限らないよ 歴史群像の陸軍機甲部隊だったわ
でもこれの解説を読んでると俺も義務教育レベルの物理しかやってないから自信無いけど
後座“長”の話なのに運動量保存則と運動方程式で求めるんじゃなくて
運動エネルギーを使ったりしててなんかしっくりこないわ >>105
よくよく考えれば運動E=弾性E?で距離は求めれたわテヘペロ 圧力式の駐退機だと復座バネ圧とシリンダの制動力の両方が効くからどっちも考えにゃならん そんなもん理論も構造も分かりきっているんだから、後座長を短くすればその分後座衝力が増えるなんてどこも同じだし分かりきった事
確かに現代の戦車砲はかなり駐退機の性能が高くなってはいるが、それですらもL7 105mmライフル砲では後座長27センチで後座衝力は60tにもなる
まともな対戦期の主力中戦車が食らえばひとたまりもない
ましてや技術劣る大戦中にそんな「後座長を短縮しつつ後座衝力も抑える」なんて魔法は存在しない
各国の戦車ともに大きな後座衝力をマズルブレーキ、車格で受け止めるし、できなくば88mm戦車砲みたいに後座長を長く取るしかない
歴史群像といえども昔のは資料的価値は低いものもある まあ中国人を3500万人虐殺して賠償ゼロってのは夢みたいなものだ。 現代の120ミリRTって駐退機も無しで軽くて射程13000mとか
射撃精度が良いとか凄いよね ドイツの15cm sFH18は、43.5kgのGr.19榴弾を初速495m/sで飛ばして最大射程は13250mだそうだ
我が方の九六式十五糎榴弾砲は36kgの九二式榴弾を520m/sで飛ばして、11900m。
つまり同じ口径でもドイツより弾が2割ほど軽い
これじゃ破壊力に差が出てもおかしくないし、射程なんか初速低いのにひっくり返されている
九六式十五糎榴弾砲はまだまだ重砲として不本意な出来だったんだろうな 失敬、520m/sではなく540m/sだ
機械化牽引なのだからもうちょっと装薬を増やして重厚に作っても良かったものだ
アジ歴で関東軍の報告によるとロケですら従来の牽引車より高性能なため、高速牽引で破損する事例が続出している
額面上では24km/hとあるが実態としては高速で牽引できる作りではなかったからソロソロと大事に引く様だな 九六式15榴でも射程狙いのカノン用大重量尖鋭弾とかを使えばもうちょっと稼げるんじゃね?
その手間の方を嫌ったんだろうけどな まあ多少の重量より威力射程重視の野戦重砲で、性能が落ちる代わりにいくらか軽いよ!、はあまり褒められた話じゃないからなあ >>113
むしろその数字なんかおかしい、と思えw
発射角とか空力とか他の函数があるにしても、違和感のある数字だろ
組織の傾向的にドイツはカタログスペックにハッタリ気味の大きな数字を掲げるし、
一方日本は意図的に小さめに表示したがる
兵器を輸出製品としているかどうかとか相手を出し抜こうとしたがる当事者の意図とかがあっての傾向なわけだが >>117
どう違和感があるのかな
遥かに初速が高い7.7mm小銃弾の最大射程が4km前後とされている事からも弾丸重量は遠距離での存速に大きく影響していく事は知られた話だが
弾が軽ければ初速があっても遠くまで飛ばない事はある、小学生でも分かる話だし
そもそも軍縮条約じゃないんだから日本の側の数字は間違いなく11900m(文献によって12000mに丸められていたり)でそれ以上の射程はよほど気象条件が良くないと出せない
疑うんだったらドイツの数字の方にしないと
そもそも日本側の数字は商品カタログではなく味方向けの当時機密情報だしな 96式15榴の11900mて射程と初速540mてスペックは92式尖鋭弾での数値なのね。
つまり96式以前に作られた4年式15榴用の遠達弾なんだよ
96式用に用意された96式榴弾は39.5kgで475msで10km(尖鋭弾じゃないので空力不利)
なおソ連の152mmD1は尖鋭なOF530(40.0kg)を508msで撃って12400m
威力で言うなら40kgで従来形状の96式榴弾は悪いものではないだろうし
それで4年式でどうあっても届かなかった射程10kmをクリアしてるんで、あれはあれで進歩だったんだな
世界的に見たら話にならんレベルではあるが、そうなったら89式15加持っていけってな話かもな >>119
そうだね
んで、ここはちょっと想像なんだけど、九二式榴弾はもともと四年式用に開発されたものではなく、試製九二式十五糎榴弾砲(九六式十五糎榴弾砲の前身)に合わせて設計されたものが流用されているんじゃないかな
だから弾だけ九六式より制式が早いと。
一式47mmも九八式榴弾は試製九七式47mmの時のを使っているから榴弾だけ制式が早い。この現象に似てる
九六式になって改めて制式された九六式榴弾なんだが、ここで同時に九六式の尖鋭弾も制式されていたら九二式とは違う結果になったかも でもまあ96式榴弾と略同等重量なら、初速も略同等で475前後
ソ連のD1を見るに12km未満だろうから、結局の所弱装の低初速な時点でどうにもな >>121
もちろん小手先だからな
でも射程12kmで砲弾重量36kgと40kgだったらまぁ40kgを取るだろうね
弾道学を齧ったわけではないが、小銃弾などの最大射程は角度30〜35度ぐらいだったっけな?
理論上は45度だけど、空気抵抗の割合が大きく弾道は短く低伸した方がいいらしい
んで、大口径砲、ことに艦砲クラスにもなってくると逆転している
高空の方が空気が薄いから。
まぁ砲弾重量が重いほど弾道係数は良くなる傾向にあるから、砲弾は重い方がよく飛ぶ…
が重ければ重いほどいいわけではなく、砲弾が口径に比して重くなれば腔圧が高くなり過ぎ、装薬を減らさねばならなくなるからかえって砲を弱体にしてしまうので、素直に口径を拡大した方が良い、という事でだいたい同じ口径の弾は最終的に同じような重量に落ち着くんだと。
九六式はそこらへんまだ模索の段階だったんだろうけどね まぁふつうに考えてもうちょい重い弾をそこそこ速い初速で飛ばせる様な作りの火砲が欲しかったな。
というか当の日本軍が機動十五糎榴弾砲に射程15kmを要求していたり、ラ式の購入を打診していたりなど、九六式は不本意ながら主力になっていただけのフシがあるんだよね 米仏独の十五センチ級は42から43kg程度で、40kg程度のソ連でさえ軽いほうという事実。
まあ射程と威力ほしいなら八九式君が居るよ・・・
採用まで紆余曲折があって遅くなっただけで実質十四年式十加と同期なんだけどね。初期の開脚式砲ということで。 同じぐらいの砲身長だけど、40kg級の弾丸を564m/sで撃てるのが米M1、475m/sなのが96式
やはり重量で3割4割大きいだけあって全体的に頑丈でごついということなんだろうね 裏を返せば、射程延伸は必ずしも長砲身とは限らないってこったな
長い砲身は垂れるし振動しやすいし作るにも精度出すの大変だし
M1みたいに24口径ぐらいの砲身をバーミント砲身にする方が精度を簡単に出せて手っ取り早いのかも
ソ連のD-2 152mmも25口径ぐらいで軽く済んでる
長い砲身より太い砲身だな 靖国神社で実物みると九六式十五榴の砲身肉厚はやたら薄いな
となりの八九式十五加とくらべると一目瞭然だが
パっと写真見で諸外国の十五榴でいちばん薄いんでは?
こんなところが重い砲弾飛ばせない、射程が短いの理由だろう
ソ連M10?は同程度の砲架重量で重い砲弾をわずかながら射程上回ってる …あらためて写真みたらM10 152mmの砲身肉厚がかなり薄いな
九六式と同じくらいか
砲が同じほどの重さでより重い砲弾をわずかながら遠くに飛ばすのはやはり冶金技術の差か やはりシュコダKシリーズがよいな
ドイツが接収、sFH15cmの増産を最優先させたためか併合後の新規製造ほとんどないみたいだが
シュコダはもともとオーストリア・ハンガリー帝国の民族資本だったが、戦間期の
対独封鎖でシュナイダーが筆頭株主に
マズルブレーキやら砲設計がシュナイダーとシュコダで共通なものが多い
イタリアのアンサルドももともと英アームストロング系資本濃かったものが戦間期にシュナイダー
株式が占める部分が多くなったようだ それまで試製九二式十五榴弾砲てのがあったが、九六式はシュナイダーのコマーシャルモデル
かシュコダKシリーズを日本の駐在武官がみて設計の参考にしたのは間違いないだろうな
件のコマーシャルモデルは海外サイト「要塞&砲兵」unknown gunで見れる 時期的なものと牽引時の脚を載せる後車がシュコダにあって九六式にない
日本はホイールが時代おくれの木製スポークやらシュナイダーの線が濃厚
Kシリーズ参考だとすると戦間期の設計スケジュールからしてタイトすぎるんだよねぇ
満州事変あってきな臭くはなってたけど、そこまで戦力化急いでないだろ?な感じ 十五榴で射程15km意識するなんて武漢作戦でラ式にアウトレンジされてからだからね
同程度射程シュコダK確認は時期的に九六式がほとんど設計完了まじかのころと思われ
射程12kmてのは1920年代後半の数値目標だな
どの国も財政難で15kmを完成品達成できるのは30年代中盤以降だが
その点一次大戦で仏GPF155mmが射程19km、独K16が22km達成してるのに、戦後の
八九式十五加ときたら…も悩ましい問題だ 意外と優秀なのがイタリアの15cm加農
M1935だったか?設計年時の装輪式として侮れない性能
射程23kmとロングトム並み 意外と優秀なのがイタリアの15cm加農
M1935だったか?設計年時の装輪式として侮れない性能
射程23kmとロングトム並み 意外と優秀なのがイタリアの15cm加農
M1935だったか?設計年時の装輪式として侮れない性能
射程23kmとロングトム並み すまん、荒らしでない
手違いで波状砲撃の弾の無駄だった orz 三連射とは中々の猛射だw
イタリアの1935年式は89式とほぼ同重量で砲身長も40口径で同等
これで45kg弾を800m/sで撃って23kmか
日本は40kg弾を735m/sで18km、同じ規模なのに砲口エネルギーが75%しか無い。悲しいね 装薬の進歩の気がする
八九式では制式以後、時代に即したアップデートされてなかったとか?
炸薬の爆発威力では日本陸軍はアマトール成分の英軍よりはるかに優れてたらしいし まードイツK18とか射程24kmだが、一次大戦のK16とくらべ射程が2kmしか伸びてないし
ジャージー諸島で英戦艦と撃ち合って4門中3門が壊滅だったかな?で散々で
ゲンの悪さからかドイツでそれほど製造されてない
射程だけでいうと26kmの九六式
しかし、ワンクラス上でWW2最優秀加農といわれる17cm K18より重量がはるかに上つうオチだ…
砲弾威力でいうと2倍以上のはず 旧軍もそうだしいまの自衛隊もなんだけど、予算限られるもんでパット見の正面装備
充足ばかりにいきがち
いくら高精度で射程が長い砲弾も申し分ないもん揃えても通信機器、光学兵器、システム、
人員養成に失敗すればクソ。かつての日本軍だ
いくら現場が死力尽くして奮戦しようとね
兵器や機材じたいはお世辞にも大概一流ではないが、そこそこ一流のパフォーマンス発揮した英軍は
その点やぶさかでないよ 何もかも予算が足りないに尽きるなそりゃ
英軍は英軍で本国軍だけでは賄えんぞ?
本国だけじゃそのうち餓死するの見えていたんだし >>140
17cmK18の弾重は63〜68kgなんで、45〜50kgの96式15加の倍にはならんのではないかな 炸薬重量の榴弾破壊威力の計算指数はわからん 化学やら物理の領域だから
炸薬成分が各国でちがったりするし
乱暴な計算式だが、おおむね砲弾重量の三乗が威力係数でないのか? 昔のここ火砲スレで三野算話題におよぶと艦船畑のひとも多くレスしたのか
祭り状態になったの思い出したわww 1980年刊行ワールドフォトプレス ドイツ軍兵器集によると
>17cmという口径は比較的めずらしいが、その砲弾は通常の榴弾で15cm弾の1.5倍もの
重量があり、破壊威力は3.9倍にも達した
との記述があるよ 最上の15.5サンチ砲60口径を陸上で
と考えると砲身が12.7トンとかありえないほど重いのなw 固定対空砲として転用されたものがあるけど、いわゆる野戦用にはちょっと無理だろうな 同書には
>なにしろ重砲としての15cm砲弾は10.5cm砲弾の2.9倍も重く、破壊威力は25.3倍にも
及ぶのだからドイツ軍が重砲を好む理由もうなずけよう。
ともある。文脈からみて炸裂時の爆発エネルギー値を指してるはず >>148
…おいおい、射程30km届かんとす17cmK18が放列重量で17t半に収まってるのにな、な感じ 15cmK39だって砲撃時の重量で12tちょいあるんだから対してかわらん 何、それで最上の155mmは砲身重いだけあって異例の命数あるとかメリットがあるのかね? いくらなんでも12tは砲架ふくめての重量でないのか?記述の誤りで
生鉄もレアメタル含んだ特殊鋼でも体積あたりの質量はそれほどかわらんから 追い風なら30km射程越すんじゃね? >ドイツ17cmカノン >>148
国本さんの個人誌にあったやつだよね
書泉グランデで表紙はみてる。あんとき買っときゃよかった 15.5cm/L60の12.7トンは砲尾を含んだ重量 with breech mechanism
米戦略爆撃調査団のレポートO-54(N)に記載がある。 60口径15.5cmは弾頭56kgの徹甲弾や通常弾で初速925m/s、射程27.4kmってスペックだもの
内筒交換式の艦砲としては砲身(砲尾含む)が12.7tあっても仕方ない気はする
命数は陸軍に比べて辛いと言われる海軍の基準で300発だから、そこそこ長持ち
艦砲はNavweapsってサイトにまとまってるから軽く参照したりするには使えると思うよ
たまにおかしなこと書いてあったりもするけど >>140
「射程だけでいうと26kmの九六式〜17cm K18より重量がはるかに上つうオチだ…」
九六式15榴は、360度旋回など余分な資機材を要するからでないのかな。
まあ、後方からの支援が主目的だからとも思うが、ロングトムの様な工夫も欲しかったなとも思う。 ごめん、間違えた。
九六式15榴・・・×
九六式15加・・・〇 一方、米軽巡の47口径6インチ砲は砲身が4.7トンとか
冗談と思うほど軽い
連装にして高角砲にしたくなるのもわかる 15.5cm/L60は砲耳位置が20cm/L50あたりと比べても結構後方に見える。
20cm連装の砲尾位置は砲塔中心より後ろだが、15.5cm3連装は砲塔中心位置
砲塔直径を小さくしたいという制約の中で、砲塔内の容積を稼ぐという思想に見て取れる。
写真で見る15.5cm/L60の砲尾はそこまで大きくは見えないのだが、カウンターウエイトが下についてて重いんじゃないかと思える。 47口径6インチ砲は車体が23000メートルだしだいぶ短いからなあ 九六式のヘタレっぷりは何とかならんかったのかね
同級の各国新鋭火砲で最弱よ
砲身命数減少を惜しんだから? K18はターンテーブルもオプションであるよ
要塞砲で据える場合とか
放列重量ではその分は加算されてないだろうね
九六式よりずっと野戦想定の設定
コレヒドールとかほんらい生粋の攻城砲を野戦にもちだした感じだもんだからな
無茶すりゃ使える感が濃厚
二十四榴が砲弾問題続出したんだったか すまん飲んで酔っぱらってて間違い
17cm K18はデイフォルト設定で二名の兵で360度旋回できる
二次大戦の最優秀カノンと呼ばれ、戦後米軍が設計を参考のうえ175mm口径を製造しただけの出来
の砲 >>164
だからチェコのK4ライセンス製造権でも買っとけばなんだよな
ドイツはsFH18増産で冷遇し、ショコダは接収されててんややんやだから
九六式榴弾砲と見てくれほとんどかわらず射程15kmだから
国粋主義心頭で工作機械やら無理に出来わるい日本製にシフトしたのがよくなかった
なりふり構わず漁夫の利やら損して得取れやればよかったんだよ
くだらない犬の糞にもならん根拠のないプライドが邪魔したつーか、近代日本を
いったん滅ぼしたわな… >>165
だったわ。ごめん土曜で飲んでるからww 日本は大東亜戦争に勝ってたなんて狂ったことは言わない
いくらうまく立ち回ろうと結局、日本は米英を敵にまわしてまちがいなく負けた
しかしなれどももっとましな負け方ができた
それが講和条件にいま現在まで影おとしてるとおれは言いたいのですよ >>165
日本は47mmとかそのレベルの口径ですらダメ子だからなあ
もともと鋼材の質とか工作機械の性能不足とか自己緊縮砲身の設備の不足とかいろんな事情で、重量のわりに性能の低いものしか作れない
んでもって性能維持しようとすると無駄に重くなり、しかし重量制限は他j国より厳しくならざるを得ないので更に低性能に拍車をかける
更に設計技術も一貫して海外だよりで、クルップやシュナイダーの踏襲の域を出ない
つまりどこぞがまたオリジナルより優れたものを出すたびに、設計面でも置いて行かれる
ドイツの17cm K18と九六式十五糎加農を比較すると惨めな気持ちになる 一式四十七粍砲は硬芯徹甲弾ありきのpak38よりも評価されてるじゃん 誰に?極東の一匿名掲示板のいくつかのスレとか超絶極々一部以外に評価されてるの? 96式カノンは15cm級としては砲身性能世界最高峰
ロパトカ砲台沈黙させたし
おそらくソ連軍砲兵将校も撃ちあうだけ自軍の損害増やすだけだから、自身の出世どころか
処刑やぶさかでないでないから応戦中止が真相だと思う
三野正洋さんの本で96式とロングトム比較の章があるけど、戦術適応でみると
ロングトムがはるかに上
牽引時の運行速度差で目が飛び出るから
当時の日本はモータリゼーションで後進国にまごうかたない 日本人にはよほどのマニア以外は馴染みないだろうが、ドイツの21榴、17cm加はかなりのるんり
銘砲で戦果も多大に挙げてる
21cmは威力は申し分ないが、ソ連の152mm加農榴弾砲、122mm加に射程で負けて17cm
長射程新砲身換装の系譜がある 歴史家の評価とかいう統一されていないものさしの話などではない
日本の火砲は、技術・国力不足のせいで各部をいっそう肉厚に作らないといけない
さもなくば強度不足かの二択を迫られた
それに厳しい重量制限と粗削りな設計が輪をかけて事態を悪化させた 海軍砲と言えば短十二糎を牽引砲として使う目はなかったんだろうか
三八式野砲砲架に載りそうだよねあの大砲
何より時期的に120mm径かつ低初速というのはタ弾との相性が良いわけで
陸戦隊はタ弾の研究してなさそうだし無理か… んーあの12糎の癖に105mm砲弾より軽い弾撃つやつかー
あれよりかは最初から九九式十糎山砲欲しくなるよな分解できるし
三八式のリサイクルなら下位互換もやむなしか? 短20,12cmはサイパン戦の戦闘詳報で「使えない」が流布されてしまってもんで
町工場のマスプロで無理にライフル砲製造したが、箸にも棒にも掛からぬ出来ですと
どうせなら短海軍砲なんかやめて蒲田大森の零細工場の職人芸活かして迫撃砲やら噴進砲製造したほうがはるか
よいであろうな判断だね
物資欠乏の日本だけど、重厚長大な兵器より、「どうせ玉砕するんだから」の安価で急増大量
生産できるものだね >>173
惨めになるっていうが、お前が心のどこかで日本は欧米に負けないポテンシャルをもっている(はず)だと思ってるからだろ 1945年のなかごろというから、ドイツ降伏後か
シュコダがペルーに15cm K4を50門輸出した記録がある >>173
オリジン生み出せる国とそうでない国の差だね
医学、登山、スキーはドイツ由来
病院カルテ記述はいまだドイツ語だろう?患者に読ませないってのもあるが
戦前の日本の世界に誇れる科学技術成果といえば八木アンテナくらいでないのか?
あと、酸素魚雷? 医療さておきヤッケ、ピッケル、ザイル、ボーゲンとかな
おれ北海道出なもんでアノラックてのが大学で首都圏きてエスキモー由来とか知った
いまはほとんど使わない防寒ジャンパーさす死語だけど >>187
それ町医者かい?さほど有名でない医大でたクチの
親切で誠実で腕はやぶさかでないのかもしれないけど…あなたにとっていい主治医かもね
まあねぇ、九六式十五加は製造門数が31門?のわりには戦果残した砲であるだろうね
日本国民の爪に火を点す血税がさほど無駄にならなかったという意味で 何かと停滞が起きやすい日本じゃ
その逆の欧米と同等になれるわけがない。
同等になりたきゃ室町時代からやり直さなければどうにもならないが
数世紀先のことを常に見ながら行動するのは無理やろ 明治維新からの日本勃興の呈は世界史的にも稀な事象だったんだけどね
大正と続く昭和の頭でつまずいた
一次大戦の終結やら世界恐慌があったし
当時から列強はグローバル経済だったから、もろに影響をうける >>188
今のナウい医者だと英語なんだってさ
今時だとどんな国でも論文は英語だし(もちろんドイツも英語で論文書く)、最新医療に触れるんだったら英語が出来ないと論外になってる。逆にドイツ語論文は激減してドイツ語を習う事の価値が減り、お爺さん言語になったみたい
とにかく毎日を忙しく過ごす医者は日本語だそうだ。看護師も英語が出来るが、文書は英語で会話は日本語とか非効率の極みなのでやらないとか
ちなみに日本語カルテはキチガイクレーム対策でもあるそうな(ジジババ患者がカルテ開示を要求し、外国語だと隠蔽と叫ぶ。翻訳すると偽造と叫ぶ) 敵の輸入したラ式15糎榴に台児荘や武漢会戦で、国産の十五榴は全く叶わず射すくめられてしまったし、十一年式とZB26の射撃戦では圧倒され、国産の拳銃や手榴弾もあまり褒められたものではなかった
九四式37mm徹甲弾は破甲榴弾を弾底信管に改めた風なやっつけの設計で、九七式自動砲と同程度の貫徹力しか持たなかった為敵の37mm砲の脅威を見誤った
加工精度はともかく設計の詰めが甘かった
「井の中の蛙、大海を知らず」な兵器の見本市だった日本軍
気付いた時にはもう遅く、それらを完全には更新する事が出来なかったしいくつかの兵器種はそのまま現役で4年後の開戦を迎えた >>192
学術論文やら国際的な潮流とわが国の老害対策ですか… まあドイツ語でカルテ書いてたのも、源流がドイツ医学だった流れと患者に不用意にのぞき見されない対策だったしな
潮流が変われば日本語や英語になるさ 大海を知っていたところで、充足率を少しでも上げるために低性能にせざるを得なかったと思う 日本は食文化や服飾、建築様式やら木材加工技術などオリジンだらけの国だったんだが
江戸時代とかプレ近代で世界でもまれな職人が誇りもてる国だったから
他国だとたいてい差別の対象であった例が多い
が、科学技術分野ではおおく戦後まで待たねばならなかった
カメラやらトランジスタラジオとか
戦争中の試行錯誤と迷走、研究と生産加工技術が周回おくれで実現したんだな
パソコンない昔はフィードバックに10年20年かかるのがめずらしくなかったよ ドイツにもマイスターって職人親方が尊敬される土壌はあったけどね wniの鈴木里奈の脇くっさ
(6 lゝ、●.ノ ヽ、●_ノ |!/
| ,.' i、 |}
', ,`ー'゙、_ l
\ 、'、v三ツ /
|\ ´ ` , イト、
/ハ ` `二 二´ ´ / |:::ヽ
/::::/ ', : . . : / |:::::::ハヽ
https://twitter.com/ibuki_air
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) >>185
>>188
どこの時代の人だよ
カルテは日本語だろ
もちろん病名なんかは漢字を書くのが面倒なので英略語を使ったりもするが
また電子カルテの現代では、患者に読ませないなんて発想がそもそも湧く隙がない 列強水準で誇れる日本陸軍火砲は九四式山砲のみでないの
射程はこれより長いのはいくつかあるけど、あの重量で強度を確保し精密射撃ができた
組木細工のような絶妙な設計で欧米にくらべ小柄な日本人でも人力可搬要求みたした
牽引キャパが人畜自動車とも列強最下位のハンディを逆手にした逸物
わが国の用兵ドクトリンに合致したから、もっとも全戦線で活躍
過去の火砲研究のお歴々が陸軍の傑作砲と見做したのは当然
具眼の士でなくとも、深めればおのずと導かれる答え 英軍が九四式をかなりほめてるんだよね
まーブリテンにはろくな山砲がなかったからwww 山砲でやれることは概ね迫撃砲でもやれるからな
射程はだいぶ山砲のがマシだが、機動性なら迫撃砲が大幅にまさる
生産性は比較にならん
WWUの段階なら大隊支援なら迫撃砲に注力するのが当然
それ以上はもっと上のクラスの出番
帝国陸軍はそっちも山砲に補助させてたが
九四山砲って二流陸軍のその後進性にジャストフィットした徒花で、優れていたのは確かだが胸張って手柄誇りするような存在かっていうと…? 確かに九四式およびその先輩の四一式は登場時の世界水準を超えていたというか、褒めこそすれど、貶す様な評価は敵味方の双方からも無い
ニューギニアの大畠中隊の2門が大砲兵部隊を要するオーストラリア軍に大立ち回りした戦記は皆読んだかな?俺は図書館で読んで身が震えた
九四式や四一式は中国側も喜んで使ったとか
支那事変での日本の実戦部隊の報告でも、野砲を排して山砲に統一したほうがいいというのまで挙がるぐらいだった >>204
旧軍限定とはいえ一応火砲専門スレッドなので、その発想はちょっと…
旧軍に迫撃砲が少ないからよくわからないんだろうけど、きちんと迫撃砲や山砲の事調べた方がいいよ 120RTくらいに精度が高い迫撃砲ならまだしも
滑腔砲だと狙ったところに落ちないから日本の弾薬補給能力が追いつかない
日本陸軍が下手にちょっと大口径にしたあげく駐退機を付加する馬鹿な迫撃砲ばかり開発したのは認めるが それ以前に当時の迫撃砲は砲兵戦闘において戦力としてカウント出来ない
射程が更に短い上に3-4kmでもう砲弾がバラバラ落ちるんでだいたいの狙いしかつけられんので
あれは日本では毒瓦斯戦用の上級砲兵を除いて、基本は歩兵の持ち物で、歩兵戦闘の支援に用いるもの
あくまで分解可能・軽量に努めた通常形式火砲である山砲とはベクトルが違うと思うし、山砲に出来る事をこなせるはずが無い
九四式山砲はオーソドックスな従来型の砲兵運用だな
精度よく8kmちょいの射程があり、運用次第では射程12kmちょいの25ポンド砲ぐらいまでなら運用工夫次第でなんとか手が届く(これが生まれながらの連大隊級歩兵砲だったなら一方的にアウトレンジ決めこまれてしまうところだった)
500kgちょいの火砲でここまでの仕事ができたら御の字だ >>208
いや山砲だって精度はそれこそだいたい砲だろ
流石に迫撃砲とは比較にならんが
一流国の軍隊様じゃ山砲だって山岳猟兵や空挺の代替品でまともな砲の範疇に入っているかというと
能力的には迫撃砲の近縁で長短ありってものでしかないよ
帝国陸軍の身の丈にあっていたのは認めるけど、それをエヘンと胸を張られると逆に虚しさこみあげてなあ インパールで31式山砲を持って行ったそうだが
精度は良かったのだろか >>209
それ以前に
迫撃砲は砲兵戦闘で戦力としてのカウントはゼロ
ゼロに何かけてもゼロ
山砲は曲がりなりにも普通の砲兵としての運用に耐える。それは戦記が証明してる
よって山砲に出来ることが迫撃砲に出来るはずが無い
そもそも形式が違うので メカニズムが優れてるんだよな九四式は
おれはなにより設計を評価したい
本来、強度損なう分解箇所の結合をボルト、ビス使わず篏合させて強度マージンを確保してる 砲単独の命中精度と可搬性なら山砲と迫撃砲は良い勝負て感じかもだけど、確実に消耗する砲弾の補給とか生産性の差を考慮せんとな >>209
いや、九四式はピンポイント射撃ができた
前に出てきた「ニューギニア砲兵戦記」読めばわかると思うが
ボサに隠れた敵機関銃を一発で吹っ飛ばしたりしてる
山砲がジャンルとして廃れたのは戦後の改良、新規開発で迫撃砲とその弾が
山砲射撃精度にほぼ比肩するようになったからで、WW2時点では両者の懸隔は
著しかったよ
だからこそ、各国とも山砲と迫撃砲の二本立て装備体系だったわけ
バルバロッサ戦でほとんど装備を鹵獲されるか破壊されたソ連軍が通常火砲のかわりに
12cm迫撃砲配備したのは、危急の事態に臨み費用と手っ取り早く製造できたためで、代用品としての
意味合いが強い
支援火力がないよりははるかにマシというか… ここの住民に「知られざる日本の兵器」九四式のやつ読んでほしいなあ
40ちかく前から戦車マガジンで連載されてた記事だが、近年現在の研究水準でも
再読に耐える内容のものが再録されてグランドパワーから発行された 10cm山砲は戦車マガジンの古本でしか読めない
けっこうおもしろい内容なんだけどね
再録するにはマイナーすぎたか >>210
いいわけないでしょ(怒)!
三一野砲の日露戦争の記録フィルムみてると陣地を円弧上に掘って
一発撃つとゴロゴロ砲車が後退してソロープに沿って巻きもどし映像の如くゴロゴロ降りてくる(笑)
撃つたびに諸元がかわるんだから、着弾修正なんか到底望めないレベルだわ >>210
>>217
露助は日本軍のおきあがり子法師と呼んだそうな(大ウソ)
>>218
砲の位置が発砲ごとにかわるんだから観測した数値が無駄とはいわんけど、
ほとんど用たさなくなるんだよ
それで駐退複座機構が発明されたわけ
日露戦役ではプチロフ野砲が駐退複座あるのにたいして三一式がなしだったから、
かなりの苦戦を強いられた 会田さんのアーロン収容所だったか?
京都師団が三ー式野砲交付されて、なまじ砲を知ってる兵はゾっとしたとか
「こらぁ、あきまへんわ。この戦は負けや」とか思ったはず アキャブかどっかで少数の25ポンド砲が近距離で交戦中の日本軍と友軍を
すごい精度で支援して守りきった云々いう話をなんかで読んだ気がする
訓練され士気の高い兵士ならそのくらいは可能なんだろう だいたい砲って九二式歩兵砲のあだ名じゃなかったか?
20.8口径まで砲身延長して初速は400弱まで上げたのに榴弾砲よりひどい精度だったら笑うしかないが >>224
おそらく九四式か四一式山砲だろうね
日本軍の装備比率からして
アキャブだとしたら何次戦かを知りたいが… 第15軍はビルマ方面に転進する際に砲兵の全てを山砲にしてるよ
だから野砲兵なのに山砲装備していたりと面白いことになってる すまん、文章が錯綜してアレなんだが、英軍側の武勇伝なのかね?
日本軍、英軍どちらの手柄かよーわからんわ >>227
それは錯綜地未開地を想定戦場とした日本陸軍でけして珍しくないよ
本土の対ソ侵攻想定配備で外地に派遣しなかった七師団でさえ山砲装備改変してる
先走りカウパー液配備でやりすぎ感が濃厚である(笑) 本土空襲が激化してサイパン、グアム、テニアンとか外郭防衛線がつぎつぎ陥落して
てんぱってたからなんだろうけど フーコン谷地だったかの撤退戦で、
殿の部隊が遅滞作戦やって頑張ってるところに山砲支援があると喜んでたら、
観測班よこさずに砲撃始めて見事な味方撃ちを演じてくれたそうだ。 何、それ勇戦の宮崎支隊の兵隊が日本の砲弾で散華ですかね? 114連隊ソンペ支隊の話、死傷者については書かれてないので無かったのか、
それとも味方を思いやって書いていないのか、よくある話なので何とも言えない。
筆者の支隊長のすぐそばに落ちたのは不発弾だった。 山本七平の戦記からみて砲兵将校としてはどんなもんだったんだろ ジープがパック・ハウザーを牽引したように、
くろがね四起で九四式山砲を牽引することは
出来なかったのかな。 九四式は強度を確保したうえで馬で牽いたり部品で駄載、人力担送目的の砲で1kgでも軽量化したかったから、
縣架装置なんて死重をことごとく廃してる
それを自動車牽引なんてしたら、たちどころに壊れてしまうよ
トラック荷台に架車山砲よろしく積むか、部品に分解して載せるかだよ
毛布やら梱包材に包んでな 泥にまみれた戦地で使うものだから想像しがたいだろうけど、砲って精密機械
なんだよ
設計想定の発砲時以外の振動にきわめて弱い
照準器なんて特にデリケートだから、移動時はとりはずして梱包材入ったケースに
おさめている ttp://img.2chan.tv/s/yccp190117124407.jpg
山砲はこんな運用も想定される代物だからな。
そら軽い方がええよ。 機動砲ほどの高速移動は当然無理だろうが、
馬で牽引可能なので、その程度の速度だったらと思って。
山砲よりむしろ、くろがね四起に悪路でどれほどの
牽引能力があるのかが知りたい。
ピックアップ型で荷台に弾薬を載せて、牽引できたら
結構便利に使えそう。 >>237
くろがね四起は非常に良くできたものだけど
残念ながら簡易牽引車的に使える様なものじゃない 低速トルク重視の軍用車輛とはいえ、本来の牽引車でないのに砲曳いてローギア走行ずっと
続けるのは過酷なミッションだよ
なにより機関の消耗が激しい >>237
への回答としてはいちおう無理すりゃ牽けるが、くろがねと九四式両者ともに甚だしく
適合しない、だね 舗装路だったら、それこそ戦時中の魚河岸あたりで使ってたオート三輪でも牽引
できることはできる
無茶ぶり全開だが。すぐに車と砲が故障するのが必定だけど もっとも、専門の回収車のほぼ無かった当時の軍では故障した場合、戦車に至るまで全ての車種で車体を僚車で引っ張る運用が常だったから、緊急時には出来ますよ(推奨はされていない)程度の話だな
その場合無茶すれば自重分までは引っ張れる、という事にはなる ドイツ軍でもパンター、ティーガーで故障した僚車を牽引するのを基本には禁止してた
が、現地では牽引車がまるで足りなかったから、平気の平佐で禁を破ってたとか 通常戦車はNG、ベルゲ〜ならOKだったらしい
砲塔重量ないだけ機関負担が軽減されるからだろう 大岡昇平のレイテ戦記であるけど 幹線道路を戦車として役に立たなくなった九五式軽戦車を
弾薬補給で夜間走らせてたてのは苦し紛れの合理的判断ではあるわけ
たぶんトレーラー引いてたはず 燃費悪すぎてホント苦肉の策だろうがな
装軌車両はしらせたら消耗は装輪車両の比じゃないし
運べる荷物も、車両に積めるだけ積んでリアカー引っ張っても4〜5tだろうし そうか?ほかのスレ(陸自装輪装甲車)でこの話が出てきたときは、合理的な判断だと評されていたぞ
敵戦車と相対するにはほぼ棺桶と化した軽戦車を、前線部隊との間を走らせて装甲弾薬車として運用し弾薬供給に努めた
不整地踏破性の高さと多少の砲迫もものともしない事で有り難がられたと
まぁ非常に効率の悪い使い方ではあるが 12.7mmでやられない限りはなぁ。与えられた極限状況で最悪の中の最善策な感じがするよな。 それで日本軍の衰えのなさに焦った米軍が幹線上にバズーガすえて夜間定期便が攻撃撃破される
ようになったとか、もレイテ戦記にある >>253
そのへんは考え方次第だけどねえ
なんか個人的には、戦車を輸送業務に使うことを軽トラで引越荷物を運ぶ事と同列に考えてる気はする
チハたんにできることはぎりハ号にもできるからなあ
対戦車戦ならむしろ多少はマシ…?ぐらいのもんで
チハ改や一式とは比べられませんが
陣地夜襲なら使えないこともないし、トラック代わりってのもガタルガナルのアリ輸送以上に所を得てない気はする だから、「われわれは断じて荷運び人足ではないッ」てキレたのは海軍でも陸軍でも
第一線部隊が矜持からかでるのも当然なんだけども
そんなロジスティクス軽視で携わる人間を見下す精神風土が現代軍として失格なわけでしょ?
「腹が減っては戦ができぬ」が古来、格言であった国なのに
米軍なんて士官学校で兵科は不得意だけども、いちばん頭のいいやつを補給業務に任官
させるそうでないのよ ガ島の駆逐艦での物資兵員輸送を「おれたちとうとう運送屋に成り下がったよ」とかな
輸送船がことごとく撃沈されるんだから積載量ひどく限られても高速だせる駆逐艦に頼るほかなかろう
なことなんだが… ジープはねぇ。初期のバンタムからそうだが、兵員輸送だけでなく最初からトレーラー引いたり
37mm対戦車砲引くように設計されている
キューベルワーゲンはVWビートルの軍用改装バージョンだから、まんま乗用車
くろがねは当初から軍事用四駆だけどもキューベルに設計思想が近い
いまでいうジムニーみたいなもんか >>251
本来牽引車として作られたのに、中国軍が弱かったせいで軽戦車としても使われた
九四式軽装甲車みたいな例もあるけど、九五式軽戦車も牽引や前線への弾薬輸送は
想定された主要任務の一つじゃなかったっけ? 95式戦車を改造して、昭和天皇を松代カミオカンデ要塞に移送する御動座にする予定だったんでは? RAP砲弾の発砲あとのシーケンスってわかります?
最初の5秒はベースブリードで
高度4000メートルからロケット噴射20秒とか
そういうの >>262
代車が何代要るんだろうという
まあ最寄り駅までは列車で行くとしても >>264
出荷時にろくな検査も省略して故障しまくったと言われているいっときのT-34ですら平均故障間隔は200km弱なんだが・・・
もちろんこれで戦車としては異常に悪い値とされている部類なんだけど
九五式軽戦車で何台代車必要なんだろうって、>>251といい装軌だからって一概に消耗を極端視してないか?
そりゃ総輪よりかは不利な要素あるけど、総輪は総輪でステアリングまわりとか当時の日本じゃちょっと怪しい部分もあるからね 九五式は故障が少ないって現場で大好評だったんじゃなかったっけ? マレーシンガポール作戦での長距離機動千キロできわめて故障率ひくいことは評価されてたね。一般的なメンテナンスだけで まえの九四式山砲牽引は機動台車使うことだね
ただこれの専用ってなかったんでなかったか?
イタリア軍では木製スポーク転輪の山砲でも機動台車載せて牽いてる写真よく
みるけど、もともと軽量な山砲に数100kg総運用重量と少なからぬコストが部隊にさらに加わるんだから
費用対効果で?ではあるね
長所としては馬より速度が速く、生き物でないから疲れないってことか
山本七平が機動台車に載せた砲を車輪のうえに車輪が重なる珍妙な姿とかたしか書いてた 戦艦に高性能榴弾のRAP砲弾を装備して
陸上砲撃向けに5万メートルの射程を与えて
面制圧とか
可能ですか?
要地の要塞砲をアウトレンジして港湾の設備や隣接する市街地、沿岸内陸よりの工場を制圧できんでない? その気になりゃ、現地の補給廠で廃トラックからゴムタイヤホイールと板バネサスペンション
ひっぺがして荷台なんて木製でワイヤーロープで緊締すればモノになるぐらいのやつたやすく
作れただろうが >>271
現代なら楽にできるよ
ただ、それやるより地上基地、艦船や航空機から誘導ミサイル投射したほうがずっと簡単だし数段コストが安いって
ことだ 機動台車は当の日本陸軍も無理やり機動戦に旧式砲を対応させようって対症療法にすぎない
って認識してたよ。
だからイタリアみたいな持たざる国で流行った。イギリスでも1920年代でやったが、
そんなのは1930年代後半で全廃した
日本陸軍が九〇式野砲を機動台車に載せるなんてまどろっこしいコストかかる方法やめて
機動九〇式制定したのは当然なわけで
車輛牽引前提にするなら結果的にそのほうが安く済む
残念ながら、自動車生産能力が列強内で最下位だったから、馬や人力で牽いたり担ぐ
木製スポーク輪砲がわが国では主流であった
わざわざ自動車牽引砲に「機動」つけるくらいモータリゼーションには遅れていた だって戦争中は車両の製造数より航空機のほうが多いんだろ?
65000機から70000機だっけか?まれにみる歪な国だったと思うよ 十四年式以降は、十加以上の軍砲兵は車両牽引だけどね
もっとも、「機動」を名乗れる域に無いが
まぁ、ドイツでもpak40クラスの火砲ですら機動力低すぎると批判されまくっているので、牽引砲な時点で機動力はどんぐりの背比べだよ
いっそ開き直って、牽引砲はスポーク転輪で馬でガタゴト挽き、機動砲兵なんて中途半端なものをこさえるぐらいなら自走化や車載しようじゃないか
マレーやフィリピンでの貨車山砲の活躍は皆さんご存知の話でしょう? 台湾編成48師団だかがM3軽戦車数両撃破したとかね だって7.5cm PAK40を月産MAX1000門越えキチガイ沙汰で頑張って造ったんだが、
牽引車のほうがてんで製造数追いつかないんだもの orz
お馬さんに泣いてもらう羽目になりましたとさw 日本の軍需工場でも日の丸鉢巻き、ヒロポンがんがんきめて眼が三角ハイテンションで九〇式月産100門はこさせてほしかった
現場監督が褌一本で仁王立ちしてんのな
ポン刀抜き身で下げてwwwww 1930年代の陸軍全般だと英がもっとも機械化進んでいたよね
次点は案外ソ連かなと思うが馬も編成に多く占めてたし、フランスもどっこい
そのころのアメリカは兵器開発は停滞してたというか後進国状態
貪欲に各国の特許を買いあさってたり、旺盛な研究してた時期だから >>271
そこまで移動する戦艦の油代やら、付属艦艇の原子力燃料代、数千人賄う人件費嵩むからね
制空権制海権を完全掌握してて敵地の沖合までに悠々停泊砲撃できるんならコスト逆転は
ありえるだろうが ミッドウェーの時、後ろはるか遠くにいた戦艦隊が
前面に出て上陸前砲撃しろやってことなんだよね
何しに来たんだからわからなくなってるが >>271
そんな物RAPなんて使わなくとも十分可能だ。
後は、アイオワ級の退役理由を読めばよろし。
>>282
あのとき出撃してきていた戦艦隊は、敵機動部隊に後続してくると想定された
アメリカ戦艦隊に対する後詰めなんですよ。実際は居なかったんだけどね。 機動台車つかうと走行中のスピード、距離はたしかに稼げるんだが、そこから降ろしたり
載せる手間と時間が余計にかかるな
作業ゆえに人身事故も多かっただろうし
投資費用と効果を鑑みると、従来のスポーク転輪馬匹牽引か改良して機動砲のほうが
はるかにましかもしれん
フランス軍なんかM1897 75mmやM1913 105mmをサスペンション追加なしで
ゴムタイヤのみ装着のやつに改造してる。世界恐慌の対直りが列強でいちばん遅れ予算不足だろうからだけど
ベアリングくらいは新式に換装してるはずだけど
まーゴム輪帯なだけでも木製に鋼製ベルト巻いた木製スポークよりは緩衝効果はすこしは
期待できるね
イタリア軍もだな >>282
ガ島ヘンダーソン飛行場への夜間殴り込み艦砲射撃やって多大の効果が敵味方双方に
知られることになったんで、戦訓としてはミッドウェーまでにほとんどなかった
窮余の策でやってみた結果、すごかったという…
以後はサイパン、グアム、硫黄島、沖縄など日本軍防御拠点が艦砲で倍返しメッタ撃ちさ
れる羽目となった それまでドイツのポケット戦艦がポーランドに占領されてた旧ドイツ領ダンチヒ
にぶっ放して二次大戦勃発とか象徴的な攻撃だったんだけど 一次大戦ガリポリの戦訓で充分な防御された沿岸砲台と撃ち合うのは著しく
不利ってのがでてた
当時の技術水準ではたしかにそうだったんだが、のちの技術革新で艦艇射撃統制機器発達が
尋常でなかったもんでね
その過去の戦訓で手ひどい痛手負ったトラウマが当時の列強海軍に濃い影響あたえてて
艦砲射撃実施に尻込みしてたことと思う 「栄光なき天才たち」マンガで、将来有望なエンジニアだかが英軍将校やってて、ガリポリ
で戦死したとかあった マンガには窒素固定法から空気から火薬を製造したユダヤ系ドイツ人フーバー博士の悲劇とかな 満州事変話で四五式二四センチ榴弾砲を石原莞爾がみて小踊りする場面やらあって、古本で見かけたなら
買ってよろし 内地から分解した部品を秘密裡に苦力コスプレ日本兵が搬入、建物内で組み立て
調整整備各部を精密調整、攻撃発起に満を持して敵の兵舎にぶっ放したね
昔のこのスレであったから、佐山さんは編集側のマーケティングで文庫の書下ろしで書いたんだろうと思う 大陸で支那事変時のロートル28cm榴弾砲が黄河流域での意外な奮戦とか記述も
過去スレの影響と思われ ブーゲンビル島で九六式十五榴が敵戦車をたびたび阻止したとかも
精鋭の熊本師団さえ飢餓戦上にあり、勝手に戦線離脱する遊兵が続出してた
そんな極限状態でも、なんとか玉砕自滅は避けられ終戦までは持ちこたえたやらの
記述だね 零式通常弾で港湾や陸上目標にどれぐらいの被害を与えられるのだろうか >>295
常識的には口径相応の榴弾威力だろう
三式弾混ぜた砲撃がもっとも効果あるはず
最適な双方ブレンド比率は戦況や攻撃目標によるだろうから各自研究されたし 三式弾の焼夷効果が米軍航空機の防護タンクでかなり減殺されたって報告もあるからね
弾片まき散らす榴弾を併用する必要がある 日本軍はナパーム弾やらの米軍にくらべ焼夷方面は技術的にどうだったんだ?
榴弾はアマトール成分の英連邦より数段まさる
冶金スキル後進で徹甲弾はダメな感じだが >>299
陸軍は、航空用の焼夷爆弾なら1937年当時は凄かったんじゃないかな?
カ四弾が有名かと。米軍と比べては分からんが
重慶空爆に際して譲り受けた海軍でもその焼夷能力には好評で 宇治式細菌爆弾とか陶器製で細菌死ないように工夫とか妙に凝った発明はあるよね
興味もってノウハウ摂取しようと米軍が石井四郎を戦犯免責したやら
朝鮮戦争でそれの改良型を投下したらしい 焼夷方面では、火炎瓶で最大戦果を上げた軍隊じゃないかな?
正式制定の火炎瓶作ってるし。 それ、技術的にあまり誇れることでないんだが…
コスパ最強なのは認めるけれど 少なくとも航空用のカ四弾は可燃物に付着した場合の消火が困難とされている、結構優秀な焼夷弾
黄燐と焼夷剤をミックスさせたやつで、半径100mまで広がって焼き尽くしたと言われている
通常の50kg爆弾の威力半径が50mである事を考えると、焼夷弾としてはまずまずの性能じゃないかな?
まぁ後発のナパーム系の方が強力かもしれんけどなぁ… 夜桜お七ですか
戦地の夜だと悲惨、残虐通りこして景色としては、さぞ綺麗だったろうね 高校生林間学校でキャンプファイヤーでオスガキメスガキが単純至極に盛り上がっててな
すぐさま速成カップルがボーフラのごとく同時多発テロ発起!
暗闇松の木の下で下賤なよごれた野獣モードでまぐわう…
本人たちはバカだから、夏の美しい思い出とか思ってるんだよ!バーカ、バーカ!
単純で直情だからおっさん、おばさんのいまも社会の底辺なんだってなぁ
すまん、おれ酔ってるもんだから、orz いま新卒の教師が心病んですぐ辞めるて話はよく聞く
モンスターペアレントとその子供の比率が昔にくらべ半端ないそう
教師志望学に現職が親身に言うとか、「悪いことは言わない、やめといたほうがいいですよ」
って
戦時も満州事変のころは甲種合格のなかからさらに選べたから、知力体力優れた若者を
採用できたそうだ、徴兵基準よりはるか上の身長165cm以下のものは身体頑健でもなるべく採らない
不文律まであった
それがシナ事変勃発で肉体労働まったく不適の虚弱やら、痴愚、いまでいう発達障害が
根こそぎ動員されるもんで出来の悪すぎポンコツ生ゴミ部下対応に忙殺され、分隊長の軍曹、小隊長の少尉、中隊長の中尉大尉の心労は
倍増して自殺者頻発したとか
いまの教師みたいだね
連中は心患わって休職中の連中が多いとか 九〇式野砲を分解搬送した記録はあるのか?
ビルマあたりではトラックをキャブ、荷台、シャーシ、エンジン、その他もろもろを
ばらして山の稜線にワイヤー張って渡した記録映像があったが
牽引車の登れない急峻では九二式十加、九六式十五榴野戦重砲でも平気でやったらしいん
だけど 分解した部品を木材で格子組んで神輿みたいにして担いで山越えは常套手段だったみたい
「わっせ、わっせ」で祭りの神輿担ぐ疑似体験味わえるだけあって、現代よりも
かなり郷土意識濃厚な当時の日本兵にはずっと高揚感あったはずだとは思う… 全国的には神輿文化圏より山車文化圏の方が広いんじゃなかったっけ? >>308
4トン切ってる九二式十加はともかく
砲身だけで約7トン・・全備で25トン近い九六式十五榴野戦重砲は無理じゃねーの・・・ いやw
野戦重砲兵 十加または十五榴
重砲兵 十五加以上
だろう
野戦付いてないと実質攻城砲か要塞砲、辛うじて八九式十五加が野戦用ぐらい >>310
山車は道路が石畳やら貝殻敷き詰めた都市限定だな
大規模な京都や大阪、江戸の城下町のみ
城下町でもちんけな地方だと道路整備なんててんでダメだから都心の狭い範囲で山車
ぐるぐる牽きまわしてる
ちびくろサンボの虎の呈だ そのうちバターになっちゃうような… 大雑把な分類差で山車は西日本、神輿は東日本と地形の険しい地域なんでは?と思うけれども ビルマの戦時記録でトラック本体まるごとワイヤ−、ウインチでむこうの山に渡す映像もあった まー簡単な道具で部品で1t越えると人力で牽いたり担ぐのは難しいとは思うね
なんとか橇で牽くか、コロ使うかだろう
二十八榴弾砲の部品輸送でコロ使ってるのが写真であった
ピラミッド建造してる石搬送してる古代エジプト労働者の多少は進化した姿かな?と思ったけど 最近の考古学成果判明で、スロープ牽くのに人力だけでなくウインチを補助で使ってたり、
高低さある工事箇所に原始的なエレベーターで石を楊重してたそうな >>313
地方城下町だけど、川越祭りは、山車だけどな。 >>313
地方城下町だけど、川越祭りは、山車だけどな。 小江戸ね
やっぱりちびくろサンボの虎みたいにぐるぐる周回してんの? >>320
ちびくろさんぼ。懐かしいな。幼稚園であったような。
保育園?。そんなもん必要ないでしょ。離婚しなきゃいいだけの事。
仮称:男女平等の結果だよ。
我が儘をなんで政府が面倒見なきゃならないのか。
ならぬならぬは、我慢が足りぬ。
昔の兵隊さんに顔向けできぬ。 黒人差別表現にあたるとかで現代は発禁とか、否、ひそかにいまだ刊行してるとか
よくわからんグダグダなようですね >>309
戦前に砲兵の訓練のときに近所の爺さんが弁当持参で見物に来てたなんて話もある。
年代からいって自分らが若い頃に日露とかでやった御輿かつぎを地元の若い衆がやってるのを見るという乗りだったんだろうね。 冒険ダン吉も復刻版を小学生のとき読んでたいそう面白かったんですが、
南洋土人表現が現在は御法度のようです >>307
そういえば長谷川一夫の戦友で、どうひいき目に見ても足りない困ったちゃんがいたとかいうね。 九二式重機の四人搬送体勢はまんま神輿スタイルだしね >>325
ニューギニア砲兵戦記でもアレな兵隊が中隊にまわされたとか、中隊長の記録にあるし 100kgの砲身を屈強な山砲兵が一人で担ぐ事が出来るので
木材を組んで四人で神輿のように抱えれば400kg
実際ベトコンでそういう運用をしている運用を見た事がある
野砲程度までならギリ分解担送出来る
ただし分解運用を本気にして設計してはいないのであくまで曲芸的なワザね ブーゲンビル島だかで250kg爆弾を夜間に台湾高砂族がそれ方式で運んで埋め即席地雷にしたそう
翌日に歩兵満載した豪軍M3中戦車が踏んで、木端微塵ミンチになった記録がある 神輿に補助輪みたいな追加装備があればよかったのにな
建設業の人間ならわかると思うけど、ALCとかロックウォールやら移動する台車二輪が
あるんだよ
魚雷形の満タンなら一本70kgぐらいの酸素瓶、アセチレン瓶を二本連ねて傾ければ
ひとりで楽に移動できる骨組みだけのリヤカーみたいのもある
これはソ連の120mm迫撃砲台車を彷彿とさせる形状だね 朝鮮のこれになるやん。
ttps://hinode.8718.jp/images/korea_road/korea_road_006.jpg >>330
「そういう発想がなかった」が一番でかいんだろうけど
担送する場合補助輪がデッドウェイトになるシチュの方が多かったのも一因
整地されてることの多い現場で車両や置き場と建物の間動かすのと
まともな人道かも怪しいようなところ延々と担いで運ぶのは違うから
97式(軽・中)迫撃砲の補助床板置いてったり、軍補給廠に置いてあった三一式速射山砲引っ張り出して交換したりしたのも軽くするためだし >>332
ナイスwwwww
あなたに精勤章を授けよう キャリーバッグ的な用法としても使える背負子が欲しかったな…
要はキャスター付いている背負子で、背負う必要がない時には引っ張って使う
アフリカの人の水運びで、ウォーターローラーなるものがあるが、あれを見た時にはなるほどと思った
ああいう牽引できるものと、背負える機能が一緒になれば便利だろうになぁ >>332
これは牽いてみたい…
悪ノリでがんがんスピードあげて曲がり角をドリフトクリアとか
乗ってたやつが放物線で民家障子突き破って夕餉のちゃぶ台粉砕したりな
晩酌のお父さんもビックリ! >>327
大畑さんの話かな? 何かの物理的ではないショックで頭がスッキリして直ったとか。 アレな兵隊がほかに負担かけてることを気にしてて、山芋採ってきたとかだったと思う 陸上自衛官やってた浅田次郎「歩兵の本領」にもその手の話があるな 5cm PAK38は脚に装着する補助輪がほぼ標準装備だった
人力での移動を容易にするため三輪車で牽くわけ 今でいうところの発達障害の兵士って、いざ敵戦車に出くわしたら砲兵中隊でも真っ先に鉄砲玉として突っ込ませられたんだろうか
砲兵の自衛戦闘も考えると発射速度高くて榴散弾も威力発揮出来る野砲って捨てたもんじゃないのかもね いやいや、たいがい陣地を暴露させて危険を増加させるだけだからそれはまずいんでないの
敵の裏斯く囮の欺瞞工作理解できるレベルならいいんだけども
彼らはもっぱら補助業務でしょうよ 装填手とか。戦車兵だと、いちばん経験の浅い兵が割り当てられる
これとてあまりに問題ある兵だと掌が閉鎖器にひきちがれるからなぁ… 労働基準法では労働事故を防ぐため
一人で60キロ以上持ち上げるような作業は禁止で
機械か増員が必要らしい
山砲の砲身は100キロ以内
2人で持つのが制限内なのか 砲兵ってエリート兵科だからよっぽど何かの間違いがないと変なやつは配属されないはずんだが
その間違いが起こるのも人の世ではあるが >>343
戦車の装填手は、全員の仕事が見られるから将来の車長候補が割りあてられると聞いた覚えがあるのだが。 二次大戦のドイツ戦車兵だと>>343の通り
米軍だと車高が高いため背がたかくて体力のあるのが装填手
人力で発射速度稼ごうと思うなら、妥当な考え
小柄で機械に強く、かつ体力のある兵というやや相反する条件をもとめた他国にくらべ
アメリカは自然というかノーマルな選択な気はする
おれが知ってるのはここまで
他国の戦車兵選考基準を知ってるひとがいたら教えて ソ連邦だときびしい車内スペース制限から戦車兵は身長163cm以下とかあった
T62とかの時代 >>345
平時ならまずありえない事態なんだが、大戦争突入根こそぎ動員、さらに負けが込んでドイツも日本も人材が枯渇して精神薄弱な兵
が砲兵隊に配属されるわけ。調べるといくらでも記録がでてくる
さすがに陸軍で最高のエリート兵科戦車科では稀だったけど
だいいちそんなのは戦車の機器を一か所だけでも到底正常に操作できまいよ 日本軍は積極的に知的障害者や今で言う発達障害児を徴兵した軍隊だよな
以下Twitterのミリタリークラスターより、なるほどなぁと思ったので引用
>清水寛『日本帝国陸軍と精神障害兵士』読んだ記憶だと、兵隊を送り出す杜撰なノルマ、当時の精神障害に関する知識の乏しさと障害者の社会的地位の低さが「一人前の兵隊」と見做す名誉回復意識として親にとっては救い、採用側にも「いい事してる」感 ただ、障害のある兵士を押し付けられる現場から見れば、たまったもんじゃないだろうなぁ
安易に鉄砲玉として突っ込ませようにも、それすら怪しいか
弾除けにすらならないなら、いよいよ前線での食糧問題を悪化させるだけだし
「程度」はどこまでアレな人が入ってきたんだろうかねぇ
この書き込みで気を悪くさせたら申し訳ないけどね。でも軍隊関連でこういうのはタブー視されてて今まであまり語られなかった気がする グランドパワーのモンゴル射撃ツアーで古瀬さんがT62でもギア・チェンジの際はジムのウエイトトレーニング
マシンで運動してるようだったとか書いてた
シフトの際、レバー引くのにとなりの無線手が手伝ったり、T34やKVの時代は変速のときは
レバーをセットハンマーで叩いたりしてたくらいの肉体労働だった >>352
最近は戦争神経症の話題で国府台のとかNHKででてくるよ
戦地で心を病んだ兵隊の記録や痴愚の範疇ももちろん含む
おれ、市川の医大の仕事してたこともあるから身近なんだけども >>354
なんて言うか、俺以外の方は言葉を濁されているけど、あの方々のほうですよ…
ほら、どこよ小学校にも特別学級とかあったでしょ?そっち系の人
サイコパスな兵士は、そりゃ各国軍隊に付きまとう話だけど、生まれながらの方の人よ 池沼、知的障害者連中か…
ソビエトは一体どんな連中を動員してたんだか おれの時代はB学級と呼称してましたが…
国府台はもちろんそちらのカテゴリーをも範疇に収める陸軍施設でありましたよ
大戦末期のドイツでは軍法会議に出廷する兵でそれ系の比率と数が急騰
戦局もさることながら、あまりの事態に法務将校が悲鳴をあげたとか >>352
てか基本的にそういうのは徴兵基準に達してないから徴兵しないから
贅沢言ってられなくなるとまあいろいろおかしなことになるが
陸軍の戦争末期の内務班に横行した暴力とかいろいろ語りぐさになってるけど、
あれって他にも理由はあるにしても根幹にあるのは、要するに口ばっかで出来ない不適合なもやしをなんとか使えるようにと悪戦苦闘だったり、
それでも煮ても焼いても使えなくて業を煮やした結果だから
帝国陸軍って新成人の1/5以下の知力体力に優れた若いのしか扱ったことなかったから、
それ以外をなんとか使い物にするノウハウを持ち合わせてなかったし妥協も出来なかったと
弾除けにも出来ないってかまず行軍について来れないから、外地に出しようがないはずなんだが…
バブル期の自衛隊伝説じゃあるまいになあ… 水木しげるも発達障害
やつのせいで分隊が敵に急襲され全滅したんだな
下手人みたいなやつだけのうのう原隊に戻った。遺族としてはたまったもんでないよなぁ
それが、本人は気にしなくとも家族が配慮して復員後境港にいつかせなかった理由らしい
その件で罪悪感まったくないのが彼らしい
呉智英が水木のことを「知能の高い山下清」と評してた
変人で問題行動多すぎで当然、軍隊では中隊一ブン愚られてた
そんな奇人異才が片腕失いつつも生還したからこそ、戦記マンガ傑作「総員玉砕せよ」
がいま、われわれが読めるわけではある 毀誉褒貶あれど、ダイエーの故中内元軍曹は兵隊として能力的には侮れない優秀な人だったはず
でないと30cm榴弾砲の担当、下士官で本部勤務騎兵、憲兵以外で軍刀下げてやしないよ 最近、田中角栄の軍隊時代の本もでてて、読んではいないが、階級は低くても当時から傑物だったみたいだね
上官が頭あがんなくて、田中への特例を頻繁に特例で許したとか
事務処理能力が抜きんでてたそう >>357
まず、まともな陳述すらできないだろうしな
検事も弁護士も迷子の迷子の子猫ちゃん状態に陥る…
それでグダグダしてる間に終戦、免責のオチ >>356
当時のソ連兵は知能はふつうでも文盲の比率がかなり多い
都市生活者の比率が高いのにくわえ、革命後のインテリ迫害で共産党幹部以外の
知識階級の数がかなりすくない国内人口と国土の広さからみて異常なほど
そんな連中がドイツ侵攻満州侵攻で強姦略奪の限りを尽くして汚点のこした
まぁ、当然の結果だよね
日本だとアタマが中学生以下で性欲猛りまくった20代で連中が勝者で銃もってるんだから 知的障碍者徴兵に関しては新書「皇軍兵士の日常生活」がくわしい
体力使う職業柄、従来は市井よりずっといいもの食べられたはずの兵営食事が戦局の悪化で
質がみるみる低下していったやら、飢餓のメレヨン島の例とか >>360
騎兵は下士官でも軍刀(騎兵刀)吊るべ。 騎兵は兵卒でも騎兵刀と四四騎兵銃と下士官用長靴か三つ留め革脚絆だね
誤解させる表現だったならすまぬ 連隊内の軍医が初年兵の知能検査を毎年やってて、昭和17年あたりから香ばしい数値
になってきたそうだ
完全にアウトな兵が終戦まで鰻登りの青天井とな… ということは、ギリ・ストライクなのも相当紛れ込んでるの自明ですわね >>339
完全な運痴がいたらしいね。
中国だったかの動画でもいたな、投げ方自体がおかしい上に、手を離すタイミングが異常なせいで目の前に落としたやつ。
何で模擬弾で徹底して練習させないのか分からんけど。 >>359
上手いこと迂回して襲撃されたなら分かりようがないわけだから、さすがに「やつのせいで」というのは言い過ぎだろうが、相当程度の困ったちゃんだったことは間違いないな。 >>373
というか小学校中学校の体育で見てれば分かるな。 >>374
水木が歩哨役目で望遠鏡で監視してたわけだが、鳥に見とれててほかの連中を起床させる
のが5分遅れた
定刻どおり起床させていれば、襲撃されても半数は生きていただろう よりによって朝五時まえの敵襲でいちばんヤバい時間帯に水木に歩哨やらせたのが分隊長
の大失態ともいえる
普段まったく使えないから、眠さMAXタイムに下っ端水木二等兵に押し付けたんだろうけど 寝てる間に簡易宿舎撃たれて起きることがなかった
飢餓や病気で苦しんだわけでないから、ある意味幸せではあるな 原作もさることながらドラマの鬼太郎が見た玉砕も良品だったね
被服の色褪せ具合で個々ちがうのやら、当時の日本兵の装具着用さまがリアルだった
なにより主人公、丸山役の香川がマル眼鏡にあうんだなぁ
昔の日本人顔だから かつて漫画界大御所で紫授褒章までうけた水木先生はいまの蛭子みたいなもんだろ?
テレビでは人のいいおじさんキャラで通ってるけど
通夜の席で「ククク…」と笑うとんでもないやつ
wiki参照のこと 小隊で当時としてはかなり大柄の背が170cmあって体格もよかった水木は一番だったそう…
ふつうは砲兵に配属されるんだけど、歩兵だった理由とか…
徴兵されるまえに役所が本人調査を詳細にしてたからね
明らかに不適な兵科では採らない 高度な技術兵である航空兵、戦車兵、砲兵
その点、歩兵は吹き溜まりだ 初年兵で優秀なのももちろんいるが 対米英戦発起して戦線が野放図なほど拡大、水木先生が昭和十七年招集だから、
徴兵選考基準がかなり怪しくなってきた時期だしね 村で鍛冶屋してたのが騎兵、砲兵、輜重の蹄鉄兵に配属されたりね
徴兵システムが機能的に作用してた時期は
「玉砕の軍隊生還の軍隊」では日本軍の動員システムは列強最高峰レベルだったとか
従来どおり正常に動くなら、それに不慣れだったアメリカをはるか凌ぐ水準
ドイツが大規模に実施するまえに、国全体がミリタリーキャンプみたいな環境が涵養土着
生活の肌に沁みついていたからね
戦前戦中の軍がらみ共同体の行事なんて一種の娯楽イベントだよ
当該地域の連隊軍旗祭とかな
いまのアイドル武道館公演に匹敵する 太陽の帝国でイギリスのクソガキをトラック荷台に放り投げる粗暴な日本兵演じた
ガッツ石松もハマり役だった
香港舞台にした話だよな?八九式戦車を大発に載せてるシーンとかあった
茶色長靴の日本軍将校先頭に分列行進するのとか BGMは抜刀隊だった?大学生のときみたから思いだせないわ… 本題にもどすよ
野砲の分解搬送記録ご存知のひとがいたらレスたのむ
ガ島の第二師団らしき部品で運んでる写真みたら車輪が大きいから山砲でなく三八式野砲っぽいんだが
砲架の形状からも
三八師団麾下独立山砲二十大隊のボ式山砲かもしれんが
どちらかというと前者の可能性が高い ボ式山砲備忘録
独立山砲兵二十大隊は当初から、大陸で鹵獲した本砲を閉鎖器、照準器が故意に欠損
されていた個体を国産製品で充当
麾下の三八師団の転戦にあわせ華南、香港、蘭印、ガ島を転戦
損耗分をオランダ軍接収の同砲で補充したのであろう
操作に習熟してるからね
本来は10個に分解できるはずが、ガ島の記録で三部品にしか分けられず搬送に難渋した
なんて記録が残ってるからには、武装解除の際にわざとオランダ軍分解特殊工具までは
引き渡さなかったのだろう
佐山本以前に80年代PANZER記事にすでに詳しい松井(ペンネーム木俣滋郎)さん記事がある
防衛大のボ式が本来のオランダ軍仕様機械牽引式でゴムタイヤなのか、志那軍木製スポーク
を後年挿げ替えたものなのかの真偽は気になる事象 機械化牽引なら常識的にサス機能が追加されてるはずだけど ボ式はボフォースM1930だよね?
スペック的に微妙な感じ…
我が方の九四式が傑出しているだけかもしれんが
取り敢えずこれに傾注していれば念願の48門体制かなったのでは 九四式制定後にわざわざボ式を模した試製砲造ってるからには、山砲オーソリティー
日本陸軍として着目すべき技術的長所があったはずなんだよね
おそらく開脚式よりボックス式単脚のほうが射角限られ重いけど、射撃精度だすには
強度上設計難度がかなり易しい
野戦重砲以上のクラスだと、ほとんど開脚式でないことがその所作だと思う まぁ、西欧では九四式よりシュコダM1938やらボフォースが好まれたと思う
シュコダはソ連がコピーしてるし、ボフォースはドイツ軍は自軍制式のより愛用した
日本人との感性の差だな >>393
前スレで話題になってた試製一○○式山砲のことですか?
高低射界−8〜+45度 方向射界右60ミル〜左50ミル 放列砲車重量600キログラム 初速400メートル/秒 最大射程8,5キロメートル
この通り、左右に振らなくなった代わりに50kgほど重くなった九四式ともいうべきスペックで、見るべきところはないかと。
九四式山砲を生んで以降の火砲開発陣は、あまり褒められた実績を残しておらず、試製九七式歩兵連隊砲とか微妙なものが目立ちますから、これもその類かと
一式47mm機動砲や九六式十五糎榴弾砲は「及第点」「平凡」ともいうべきもので、やはり九四式山砲の眼を見張る様な完成度にはついに及ばなかった感がありますな 訂正 skoda M1936のはず
ソ連のがM1938 >>395
試製一式山砲だった
ともあれこのスペックじゃ何の為に開発したのやらという感じ
単脚は軽量簡素にまとめられるという利点もあるそれを活かすべきで、もっと軽量にするか、威力あふいは射程に勝るものにするかしないとなぁ
これじゃただ射界が狭いだけの九四式山砲になってしまう >>395
おおむね同意ですよ
おれは九四式山砲以降は15cm高射砲以外、日本陸軍火砲で世界的な技術成果はないと
思ってる
九四式は世界に類みないくらい独創的なのにくらべ、15cm高射砲はあくまで既存技術の延長戦上
という違いがありますが… 最後の徒花、ドイツや日本海軍より砲身性能でスペックワンクラス上マシなもの造れたという点で
残念ながら照準器やレーダー、射撃統制装置は米英独がはるか上ですわ… おっと失礼、照準器は日本製が意外と優秀だった
ニコンとトプコンの国ですから
日本は米英独といった技術先進国にくらべ光学兵器に偏重過信しすぎたのがいけなかったって話です むかしの陸海空ピクトリアル、戦車マガジン、PANZERを古本で漁るとおもしろいよ
いまでみるとまるで間違った記述も多いけど
運がよければ200円以内で買える
先人の知恵を盗まぬ迂闊は犯すべからず
佐山さんデビューは戦車マガジン「知られざる日本の兵器」だし 光学もレンズ設計ではまあまあ太刀打ちできたけど、コーティング技術がだいぶ遅れてたみたい 日本海軍も夜戦には光学兵器と兵員練度で絶対の自信もってて、米軍のレーダー技術と普及が整ってなかった
時期はことごとく勝ててたんだがな…そのあとは、〜だよ 九五式野砲の実際の製造数は536門ほどらしい
当時の火砲造兵関係者らしき桑原さんのPANZER記事にある
終戦で資料を焼却した記憶からの想起なんだろうけど
佐山さんは記録で確実に確認できる数字のみ載せる研究者らしい姿勢でそれはそれで好感はもてる 大阪造兵廠だけでなく、九一式十榴程度は下請けや町工場で製造してたから
製造門数は公証数字よりもっとふえる可能性大
造兵廠みずから生産したのと、下請け会社の造ったのを完了品質検査してたのが、所轄の
造兵廠の役割だろうし
その資料が現存しないことにはどうもならん!って部分はある >>377
単に水木が戻ったときに襲撃が開始されて全滅するだけでしょ。
現地を熟知している原住民が手引きして、何人がどういう装備でどこの家で寝てるから、
どちらからどう忍び寄れば分かりようがなくて、どう配置すれば一網打尽とか、丸わかりだったはずでしょ。
というか、何時何分に歩哨が戻って起こしに戻るとかまで分かっていて、それが来ないからおかしいなとかいいながら予定時刻よりちょい遅れで襲撃開始したという筋書きだろう。
前日か何かから雰囲気がおかしかったとかいう話があったけど、それが本当なら、そのときに既に襲撃に備えた対策を講じてないなら無駄じゃない。 いやいや、水木サンが軍隊で箸にも棒にも掛からぬ存在だったのは自他ともに認める
事実ですよ
彼が当番だからこそ、敵が襲った可能性も大であるし
おれは水木先生の作品の大ファンだけど、同年兵として枕並べたり、おなじ釜の飯は
食いたくは金輪際ない
とばっちりでビンタ張られるだけでなく、己の命とられる可能性大だから(笑)
そもそも他人の運をかすめとって長生きしたマンガならぬ妖怪みたいな人だったしね
裏表ない楽天的性格で同年兵や現地人に愛されてたのは事実だが
だから平和な時代はマンガ読んで楽しめるわけ
最前線でそんな社会的片輪の水木が隣なのは御免だね さんざん人生で流転して40すぎてマンガ家で遅咲きデビューした事実とか
当時、マンガ家なんて社会的に最下層の職業だった
地位が認識され文化として成長するようになったのはそとの潮流
大器晩成成功したからいいものを、ふつうなら世捨て人といって差し支えない
兄貴の美大先輩の誼もあるし作品は好きだけど、人物的には問題ありすぎでしょ? 武良家の人がレスしてんの?
兵隊失格でも漫画家合格ならいいじゃね?とは思うけど
財産遺したし
たた、鳥取の分隊遺族には足むけて寝れんだろうな >>406
いやねぇー、当時の大日本帝国陸海軍で歩哨任務で交代遅刻すれば、それこそ半殺しにされる事態だったんだよ
いまのゆとり世代が「サーセンっ」とのこのこ出社してくるのと時代も状況も違ってさぁ
そうしないと辞めてしまうなんて配慮などまったくない!少子高齢化の現代ではないからww
水木先生は分隊全滅のまえにすでにとりかえしもない事態惹起してるわけよ… 水木にとってはボコボコに殴る古兵がいなくなってよかったネ( ´艸`)! >>406
水木しげるの昭和史を実際に読んだほうがいいよ。講談社の文庫ならいまでも入手が容易
だろう
フィクションも混じってるのも否定しないが
「総員玉砕せよ」は九割は事実との本人談
それからの反論はいくらでも対応するから 砲兵のネタなら山本七平でないか?
彼の回顧録は何回読んでも味わい深い 歩哨は最重要任務の一つだからな。
居眠りしたら軍法会議で銃殺もある。 軍板の住民が水木の記録読んだら、敵襲は避けられなかったにせよ、
定時に分隊全員起きてたら、損害多大だが、すくなくとも水木以外全員戦死までは至らなかったはず
と思う… >>413
めずらしくも元砲兵の物書きだったからね
元戦車兵の司馬もいるけど、当時特有な左翼バイパスで記述が歪んでるからな
思想の影響希薄な全体を俯瞰した文章としては山本が随一。予備役将校だった理由が大きい
ア―メン青山出身だから、神の目を意識したんでは?勘ぐるくらい
当時バリバリの現役将校だった著者の本だと、戦後復員した身であっても、左翼思想洗脳で懺悔するか
、当時の国粋主義そのまま継承全開で両者とも読み辛いわけだね
山本はルソンにいたから、もとフランスGPF155mm加農やらM1918 155mm榴弾砲を
見たとは思うんだけども
鹵獲M3ハーフトラックにM1897 75mm載せたやつ、三八式十二センチ榴弾砲扱った記録遺してる
だけで破格ではあるんだけど カノンのほうは対戦車砲撃のニュース映像でM3軽戦車横転させてるのがあるし、鹵獲時の写真もある
榴弾砲のほうは未見だな 「アーロン収容所」も砲兵がらみの話がちょこちょこあって面白い
おれの大学生のときは学長だったな 訂正 左翼バイパスでなく、バイアス
現実を歪んで写し判断を誤る色眼鏡のこと。宗教や思想にとらわれてる人間は
概ね、これに多大な影響されてて健全な世間様からみて「あー、不憫な人ですこと、お可
愛さうに…」と思われがち ルソン戦記を執筆された河合武郎 元陸軍大尉は?
第八師団所属の四年式十五糎榴弾砲の中隊長だったお方だ
実は俺は個人的に旧式の四年式の方が、後発で新鋭の九六式十五榴や一式47粍よりも内心贔屓なのはこの本による
九四式・四一式山砲の次に好きな火砲 >>407
そっくりの似た者同士ほどいがみ合うとかいうよね。
>>408
中身がそっくりなのに経済的に天地ほどの差があるとなおさらだろうね。 >>410
そんなのは分かりきったことで、逆にいうと規定の類いさえ守っていればそれでOKという調子だからボロ負けしたという仕掛け。
>>412
軍板らしくどこがどう違うというのか明確に。 >>421
飲み友達なら気の置けない気持ちのいい関係だけど、いざ職場で同僚、まったく仕事のできない空気読めない
やつだとやはり困るわけでしょう?自分の昇進やら収入に、はたまた危険と労働災害に直結するわけだから >>415
5分どころか、何時間も前から完全装備で分散してあちこちに隠れていたら大違いになったろうけど、
原住民が手引きしてたのに、たったの5分早く起きていただけで状況が大違いになったという根拠などないでしょ。 >>419
司馬遼太郎をそういう目線で見る人間のほうが、世間一般では「可哀想な不憫な人」と思われてるんじゃないかねえ・・・ >>423
「危険と労働災害に直結する」なんて分かりきったことで、今でも実際にもいくらでもいるじゃない。
スプレーを使ったことにして隠匿しておいて、因数合わせのために密室で大量に噴出させた挙げ句に爆発させる奴とか。
そういう手合いが混入してるなど、昔も今も何も変わらんわけでどうもなるわけない。
アメリカでも日本軍が貯蔵していた魚雷をまとめて爆発させた奴もいたな。 司馬と五味川、この御二方に関しては二言目には陸軍への批判が出てくる様な方だから、所謂「歴史家」ではなく小説家として割り切ってみないと駄目だよ
二人とも旧軍出身者なのにね
創作にどうこう腹を立てても、しょうがないだろうに、最近沸点の低い面々からの徹底した批判に晒されているんだよね
本当の歴史家の間では相手にされていないし、もちろん戦記としても価値は無い >>420
それも持ってます。なかなかの良著ですな。技術兵で理系なのが共通なのかと思いきや
戦車兵や航空兵出身の方は概ね癖がつよすぎますよね
マルチやった坂〇氏とか(笑)おかげで戦後羽振りよかったようですが
元砲兵の方はそれほど過激でもないみたい
ただ、戦争末期満州ムーリンで九六式十五榴の手記遺された中尉のかたはお歳召されても
、八紘一宇!脳内現役青年将校モード全開で読んでて辟易しましたが… >>427
五味川は満州の精鋭部隊で優秀兵で狙撃手だったとか、むかしの文芸春秋ノーサイド特集
「むかし戦争に行った」で読みましたが >>424
だから、原典読めよカス!!
反論はそれからだ 学生でスマホばかりいじってて課金嵩んでで買えんのかよ!
おまえはゆとり世代かっつてんのよ?いい加減にしろ生ゴミ! ゆとりかどうかはわからんが、この人は武良茂二等兵(水木)の行動がよくて隊内温情内々収めで集団リンチ、
ふつうなら重営入り(牢屋)、数々の累犯してるから悪くすれば処刑対象くらい理解してんのかな? いまだ司馬遼太郎を神格視してる御仁がいるとはね。笑うしかない
思想信条の自由は日本国憲法で保障されてるけど、アンタ間違いなく周囲から煙たがられて
見下される存在ですよ
周囲が類友なんだろうけど、自分よりハイクラスからは確実に見下される存在だね
千葉麗子があんたみたいのをバサヨと揶揄してる。もと左翼だったが、あまりのバカさ加減
に愛想つかして脱退発信してる人 それではスレタイ通りに…
四一式山砲で対戦車戦闘って、つまり頑張って戦車を砲の前面に誘導してドーン!だろうからロクな戦果にならないような気が
マチルダ相手でも正面で抜けたり抜けなかったり微妙な威力だったし、結局47mmで側面狙う方がまだ楽なんじゃない? >>433
司馬遼太郎をサヨクとして哀れまないと、神格化してることになるのか・・・
もういいや、こういうやつはどうせつける薬ないし。 >>435
四一式の尾部には専用の棒をぶっさす穴があって旋回時には数人でヒョイっと持ち上げられるから、本体が軽いのもあって旋回自体は早いんだけどね
駐鋤を撃ち込むのがめんどくさそうだがね
そもそも四一式山砲の対戦車戦闘がってのは、47mmが配備できていたり37mmで通用とか言っていられない様な状況だからこそなわけで、そもそも本来の用途ではない以上やむを得ない話かと 弾道と初速から山砲で移動目標に当てるのは至難の技で、けっこう戦車や上陸用舟艇に命中
させたのは日本軍山砲兵、連隊砲操作歩兵の技量だったわけですよ
タ弾使うのでなければ、速射砲で装甲うすい弱点をメッタ集中して撃つのが正道ですわ >>436
読み物として楽しむのは自由、ただ内容や思想と主張が識者や具眼のアマチュアからは馬鹿
にされる水準ということです
70年代まではそれなりに支持する人が多かったけど、さっぱり需要のない現在では完全に時代遅れの遺物にすぎない マルエン全集読んでたリタイア世代なんて、われわれおっさんでさえお笑い草ですよ
当時から酒の席だけでなく日常会話でさかんにギャグのネタになってた
大学のサークル棟で中核派活動してるOBとかは一般の学生はひどく軽蔑と嫌悪してました あまりいじめるなよ
知識や思考の上書き保存なんて出来っこないんだから
老犬に芸など仕込めない 日本の砲兵文学といえば大西巨人の神聖喜劇
主人公はそれこそ左翼バイアスがアホほど掛かってるのに、砲のメカや下士官の動作の美しさに引かれたりするアンビバレント感じとか、白痴ギリギリの新兵の扱いとか、生々しいし、話も面白い スレがおかしな方向に行っているので、話題を火砲に。
九四式山砲は敵である中国軍にも高く評価され、デッドコピーまでされた(民国36年式山砲として博物館に展示されている)ほどの傑作火砲であり
更に日本側運用部隊からの評価は野砲を代替すべきとまである(詳細 アジ歴 C11111729400 から各種資料へのリンクを辿れる)、ここでは砲兵連隊の編成を、九四式山砲大隊と機械化牽引の九六式十五糎榴弾砲大隊の二個編成によるものが適とする面白い報告をしている
ここまでの火砲、九五式野砲などに用いたリソースの少しでも惜しいと評価できるなぁ あれはマンガでもでてて俺も持ってる
全巻ほしいよ
対馬重砲兵連隊だよな
ガ島で中央から疎まれたそれなりに有能だった川口少将が要塞司令だったはず 二個大隊編成ね
たった24門でも、機動的に動けて十五糎榴の手の届きにくいところを潰せる山砲、そして強力な築城でも破壊できる十五糎の組み合わせが、単純な野砲×36門や野砲+十榴×36門の編成のそれを上回っていたと言えている 俺は川口少将は栄光なき名将と思ってる
フィリピン、蘭印の侵攻作戦成功させてる手練れ
はねっかえり辻にガダルカナルで睨まれて左遷された
おかげで閑職追いやられて戦死は免れたわけだけど >>443
違法コピーは三八式野砲や四一式山砲でもやってたけどね
でも、九四式山砲の自緊砲身までは当時の支那で造れなかったはず
製造技術水準でまー確実でしょ
外観おなじの劣化コピーにすぎない
現在中国状況とあまりかわらん
いっぽう連中は先進技術もさかんに開発してて、日本として予断を許さない昨今ではある >現在中国状況とあまりかわらん
しれっと書いているけどソースはあるのかね?
またおバカの妄想なんだろうか 老害乙 見苦しいぞ
さぞコテンパンにやられて悔しいでしょうねぇ
無念は焼き場までお持ち帰りください 司馬遼太郎は大江志乃夫の
日露戦争の軍事史的研究を
ネタ本に砲兵力や歩兵装備を語るが
その本を読んだ限りだと大江志乃夫教授は砲の運用や技術についてそれほど詳しくないように見える >>445
機械化牽引15榴があるなら短距離機動型野砲(山砲)で良いけど
そもそも15榴と牽引車を揃えるのが大変という悲しみ ウマだけでやるなら、とりあえず現行野砲級(38/38改/95)で最低限をクリアし
軽榴+長射程野砲のセットという「ぼくのかんがえた理想」に置き換えていくのは真っ当で
牽引リソースの軛から開放されたら、そりゃ2トン弱級であれこれするより
素直に4トン級火砲持ち込もうぜってなるわな >>452
当該砲兵連隊は野砲にかなり辛口
詳しくは読んでほしい
九六式如何に関わらず、野砲の方は無くして山砲に統一すべきだと思う
最低限のクリアとは山砲の事で、かつその最低限が機動力やコストの安さにも貢献している
野砲は中途半端よね 読んだけど機動90式野砲は有望、でも10加でもよいとゆうてる
遠戦対応火砲が別途必要なことは触れてるし、そっちも機械化前提やで
野砲はもともと遠戦も近戦も出来て、しかもウマで引ける火砲なわけで
機械化牽引化できるなら野砲や軽榴は中途半端だろうという話にしかなってない気がするし
逆に言えば機械化による火砲の大型高性能化は素晴らしいぞという話ですな >>454
裏を返せばね
十加は重砲兵大隊に一個中隊欲しいとしている
これは貴重な戦訓ではある。もちろん遠距離戦は必須。
これは遠距離戦にむけて長距離火砲があれば師団の士気が上がるなんてかいちゃってるけどまぁ…
しかし同時に野砲は馬匹用としては中途半端とはまさにその通り
ちなみにこの戦訓では本来は機関銃では対処しきれない様なものでも、山砲の一撃で敵の夜襲意図を挫折するという事も多かったらしく、歩兵砲協同においても有利だね
牽引車あまねく配備できるなら、そりゃ山砲がいいなんて言ってないよ俺も ちなみにさっき話題になった脚について、面白い事を再発見。
C11111732500 のファイル上の4〜5/14ページ
・山砲は開脚架よりも⊃ー型単一砲架と為すを有利とす
理由 山砲は近距離に於て廣正面の射撃を阻害する事多きを以て(中略)、結局屡々砲架移動を行わさるへからさるを以て開脚の利を収む能はすそて却ってその害のみを享受することあり
…なるほど、一概に開脚の方が便利とは限らないわけか。確かに脚を開いて閉じたりってのは一手間増えるからな。あと重くなるし。勉強になった ともあれ>>395-397は考え直す
九四式を使ってみて真に現場が求めていたのは単脚式のUに棒がくっついた様なスタイルだったのかもしれんからな
まあ敵戦車が登場するとその限りではないとは思うが >>453
>>野砲は中途半端よね
そんな歪んだ答えが出るってもうねえ…
山砲じゃあ射程は短い対戦車戦闘使えない、運用がラクでいざとなったら膂力担送もできるってのが取り柄の代用品なのに
まあ僻地の二流陸軍なりの最適解ではあるが >>458
九○式ならいざ知らず、九五式はマジで中途半端なんだよなぁ…
威力も大して違わないし、射程も山砲より少し長いだけ
機械化牽引できるなら機動九○式でいいけどさ、牽引車どれだけ揃えられたよ?って話
中途半端かどうかは国によって変わるんだよ
別の国が使えば一流兵器に化ける事もあるかもな 仮想敵国の赤軍狙撃兵師団は大祖国戦争が勃発する前は砲兵連隊を2個持ってて
76mm野砲2個大隊16〜24門・122mm榴弾砲2個大隊24門・152mm榴弾砲1個大隊12門
で構成されていたらしいから山砲主体の砲兵連隊だと対砲兵戦で撃ち負けそう
身の丈にはあってるんだろうけども C14010777100
19年度兵備改善に関する意見(野戦砲兵学校)
・海洋作戦に任ずる兵団、混成旅団規模
・砲兵1個連隊(3個大隊)大隊は3中隊とし
山砲及び12迫またはロケット砲(12迫及びロケットは1中隊6門)の混成
・軍直轄に15榴迫撃砲の連隊、長射程加農(とりあえず10加、90野砲)の大隊
・山砲には榴弾のほかタ弾、発煙弾、榴散弾を装備、迫撃砲は榴弾
軽快な近砲のみに徹した旅団砲における山砲は対戦車火力も担当するわけだな >>420
山本のみた四年式十五榴を夜間に兵隊みずから牽いてたというのは、この著者の隊で
ないのか?第八師団麾下部隊がぞくぞく上陸しだした時期で
>>442
無味乾燥なマニュアルは別として、文章で三八式野砲操作手順描写であれにかなうもんはないと思われ >>462
うーん、確証は無いけど違うと思う…
鉄兵団(第十師団)って書いてあったし、件の部隊とは別の隊だと思うけど
もちろん、山本が誤解してた可能性もなきにしもあらず…と逃げ道は打っておく() 過去スレであったはずだけど、師団砲兵で野戦重砲兵連隊お下がりの四年式榴弾砲装備してたとこって
どこだっけ?沖縄戦の二十四師団くらいしか知らんわ… たしか、サイパン佐々木大隊がもともとは山砲編成部隊で四年式が配備されてたんだったな >>442
やぶにらみというのか目元が左右不均衡に変形した兵隊が照準の平衡器?ていうのかアレ
水泡が中心にくれば水平保ててるのを確認するとかあったね
建設業の水平器は構造は一緒の道具
そいつが周囲が難癖つけるなか三八式野砲のそれをビシっと水平きめたりな
脚色あるマンガのほうで読んで小説は未見だから、内容は異なるかもしれない
被差別部落出身の兵もいて、やはり大西はマルクス主義者として告発したかったのだろうな
出身の北九州は新平民の比率が濃い地域ではあったし >>438
そういえば、徹甲弾ではない榴弾のほうがかえって効くことがあったとか? おれもレーザーポインターで埋め込みアンカー位置墨出しするとき、三脚調整であの水泡センター出し
をたまにやるけど >>468
装甲の薄い戦車だと、却って榴弾のほうが効果あるみたい
貫通しなくとも爆発威力と衝撃で精密兵器の戦車を機械としてガタガタにし、無力化にするわけだね
とくに小口径徹甲弾でスポスポ抜いても、乗員殺傷や重要機器損傷させないかぎり平気で動いてるとか
2ポンド砲の効果で北アフリカの報告があるし チハの57mm砲弾集中射してもM3軽戦車の装甲貫通できず複数の徹甲弾衝撃で装甲を割いた
とかあったね
最厚部51mmの前面なんてヒンジ可動の構造的にもろい面積が多いんだから、そこに
榴弾を集中したほうがはるかにいいとおれは思う
あんな装甲兼バイザー部なんて、すぐ吹き飛ぶよ 追記
2ポンドは実体弾だから、質量を口径上MAXにして貫徹性能上げようという考え
頑なにこれに固執し、やっとこさ改善したのは大戦後期だよ
ドイツは徹甲榴弾で互いにおなじ撃破数でも、戦車兵の死傷数がまるで違ってきたりする 遅発信管の榴弾使って山砲平射で上陸用舟艇やら水陸両用車ズボッとしたほうが、
徹甲弾撃つよりいいだろうね
炸薬で殺傷能力はるかにあるだろう >>442
「軍機とは切り干し大根の煮付けデあります」か 上陸用舟艇や水陸両用車は非装甲なんで
外れ弾でも海面で炸裂して破片の雨を作る瞬発榴弾で良いんじゃよ
もちろん直撃すれば遅延しなくたって撃沈もんじゃし 陸戦隊が上海で鹵獲したビッカース6t戦車の写真だと、砲塔バスル部が割れて脱落
しかけてる
どうやら山砲で徹甲弾や破甲榴弾でなく、通常榴弾用いたらしい
対米英戦がはじまるまで、昭和12年だと前二種はあまり支給されてないのではないか?
本車は日本に持ち帰り一般にむけ展示した 第8戦車連隊キュンメル大尉がW号単砲身2輌でマチルダの隊列に無鉄砲にも突っ込み、
7輌撃破したとか
ほとんど零距離でも、おそらく貫通はしてないんでないか?kwk37 7.5cm性能からみて
ガンガン展視孔や照準孔への弱点射撃連発して擱座させ戦闘力奪ったんでは?と思う
この戦闘のくわしい内容は未見だ 当時はヒトラーが成型炸薬弾を対戦車戦闘に用いるのを禁じ、突撃砲部隊にのみ
支給していたし 自分らの技量に絶対の自信もってるから、これだけ大胆な攻撃やるんだろうけどね マチルダ2でも車体排土口部分なら300m以内で貫通出来るらしい
まあ履帯や防楯とエンジンルーム付近を狙ったんだろうけど >>470-471
初期に装甲を破れたとかいう話があったんだよね。
貫通出来ないヘロヘロ弾でも爆発の分でマシになるとかかな。 >>480
兄貴所有、オスプレイのV号突撃砲短砲身本にKVやバレンタインの車輛部分別撃破距離の図が
あったよ 「やつら一列縦隊で呑気に行軍してやがる、ドイツ戦車兵魂を教育してやるか」
「トミーは側面を晒しているぞ 反面教師だな…」「初年兵ッ、しっかり弾をこめろ!」
なんて源文節でアクセルベタ踏み急旋回走行で英軍を攪乱させたのかしらん(脳内劇画) >>481
1918年になるとドイツ軍で対戦車戦闘が手痛い戦訓からつぎつぎ編み出されるんだよね
バカみたいに長大なマウザー対戦車銃、集束手榴弾、7.7cm野砲の平射迎撃やら
作り話らしいんだがフレエキテル?の砲手なる伝説もある
戦車襲来に一歩のひかず応戦、多数撃破したが武運尽きて戦死したドイツ砲兵将校話
のちのスペイン内乱でもフランコ、共和側双方とも野砲射撃で戦車攻撃意図を
たびたび粉砕してる
新兵器クルップ8.8cm高射砲もその用途にもちろん使用してるが
軽装甲の当時の戦車には野砲以上の口径なら徹甲弾つかうまでもなく、榴弾でじゅうぶん
以上の威力を示したんだね オスプレイで短砲身W号VSシャールB1bis本があるんだけども、はやく邦訳してほしい >>476
開口様子からバスル部は榴弾、砲塔前面は徹甲弾の命中痕っぽい 四年式十五糎榴弾砲の砲身長、日本軍の資料でも海外のサイトでも2190mmなのに、日本語ウィキペディアだけ1880mmと短いんだが
三八式とごっちゃになっているのか? >>464>>488
15榴装備師団として追加して以下のものが手元資料にあります。
近衛第一師団…四年式十五榴24
第二十三師団(比島派遣時)…四年式十五榴12、十榴12
※在満機械化師団の時は九六式十五榴12、機動九〇式野砲36
第百七師団…四年式十五榴9、九〇式野砲9、九四式山砲14
※四年式十五榴12、九〇式野砲12、九四式山砲9とする説あり。
第百十九師団…九六式十五榴12、機動九〇式野砲36 >>489
知らなかった…近衛第一師団の野砲兵連隊は実質的に野戦重砲兵連隊みたいな編成ですね いましがた通勤で「鉄の沈黙」を読んだ
八八式七糎高射砲をネタにした小説
浅田次郎「帰郷」に収められている。図書館で借りてよかった
現在読了は「不寝番」の途中まで
連休にためしに読むがよろし >>489
>>490
近衛のやつは砲弾威力は侮れないが、師団砲兵として、やたら小回り利かない感じだな
射程が九四式山砲とかわらん四年式だし…
本当にいいのか?これで?ってツッコミ入れたくなるよw 近衛師団なら外地に出ないだろうから旧式でも大口径のほうが見栄えが良い
って考えだろ >>489
ここによると、野砲大隊+十五糎大隊とありますが…
http://www1.odn.ne.jp/tobu7757/J_wsd/armydate/konoe/KD_organization.htm
これなら、機動力と長射程で攻めていく野砲と、制圧火力の十五糎榴弾砲とでいい組み合わせだと思います
十五糎榴弾砲×24の方が、自分好みではあるんですけどね
サイパン島の黒木大隊だって、橋頭堡を破砕射撃したし、それが二つに増えると思えば痛快です >>490>>492>>493>>494
近衛野砲兵第一連隊は野戦重砲兵第二十五連隊(四年式十五榴24門/近衛砲兵団)を改編したものなので、
四年式十五榴24門装備のままと理解していましたが、>>494氏ご紹介のサイトによれば野砲大隊を持っているとのこと。
(確かに近衛野砲兵連隊補充隊も絡んでいるので火砲の交換などがあったのかも知れません。)
これが正しいとすれば私の理解は間違っているのかも知れませんね。
これに関して新たな情報があればご教示ください。 >>495 また見つかれば、ここに貼ります。見つかるかは分かりませんが…
ところで、近衛野砲兵の話題となれば、件の山本七平にも絡む話ですが
山本さんが近衛師団(後の近衛第二師団)の砲兵連隊だけ二個大隊編成なのは何故だろう、みたいなぼやきをしていたと思います。最初から兵倉も二個大隊分しかない、一個連隊とするのは形式主義が云々と。
近衛第一師団も、野砲大隊かどちらにせよ、二個大隊しかない
近衛師団の砲兵が二個大隊なのは決まっているんでしょうか?日本最初の叛乱が近衛野砲兵だからでしょうか(笑)?
これについて説明ある資料に出会った事がありません >>495自己レス
気になって色々調べなおしていたところ、戦史叢書「大本営陸軍部<9>」P187によれば、
S19年8月31日頃の時点で近衛野砲兵第一連隊は野砲3中隊、15榴3中隊よりなる2個大隊としていますね。
少なくともこの時点では>>494氏ご紹介の情報が正しいようです。
とするなら基幹となった野戦重砲兵第二十五連隊装備の十五榴のうち半分の12門程度は近衛野砲兵連隊補充隊の野砲と交換され、
後に東京師管区砲兵補充補充隊に移管された可能性がありますね。
東京師管区部隊は軍隊区分上は近衛第一師団の指揮下に置かれていた筈ですが、
建制の隷下部隊ではないので>>489の近衛第一師団の部分は訂正しなくてはなりません。
>>496
近衛第一師団の砲兵については四半世紀近く勘違いしたままでした。情報提供感謝します。
尚、マレー作戦時の近衛師団ま野砲兵連隊は3大隊で十榴8、機動九〇式野砲16、九四式山砲12
でしたから、近衛師団の砲兵が2個大隊と決まっていたわけでもないようです。
しかし支那事変時の近衛師団は3大隊で十榴3、改造三八式野砲9、九四式山砲9。
一応第一大隊は十榴、野砲各1中隊、第二大隊が山砲2中隊、第三大隊が野砲2中隊、
各中隊3〜4門とされますから、3個大隊編制とはいえ砲数は確かに2個大隊強相当に過ぎませんね。 >>494氏への御礼
尚、今回の砲兵装備の元ネタは近衛第一師団を除き、概ね「支那事変・大東亜戦争間の師団の編制」に拠ります。
>>496
「一下級将校の見た日本陸軍」「私の中の日本軍」かは忘れたけど、たぶん前者
章タイトルが 欠、欠、欠 だったか? 日本は牽引重量限界から4t以上の重砲を整備するのに制限あったんだけど、
射程と砲弾i威力的には加農は12cm級がよかったね
10cmカノンはアメリカの口径委員会で中途半端と却下、ドイツは大西洋城塞に二線級に格下げ
してる
ソ連の122mmと対戦したドイツ軍がそのよさを認識、鹵獲砲を積極的に使用したり、
対戦車砲兼用の128mmカノンを製造するんだから
ソ連製、フランス製の接収砲架に載せて ヤークトティーガーの主砲でもあるね
日本軍が8tハーフトラック級の高速で6t級平気で牽ける車輛開発、装備できてりゃなぁ
まー工業力と技術的に無理な話だ モータリゼーション後進国で
ドイツからライセンス権と製造図面買っても、トーションバーサスすら作れないんだから
これに成功してたのはスウェーデン、ドイツ、ソ連、アメリカといった冶金スキル
に優れた国だけ
ポテンシャル的には、その気があればフランス、イギリスでも出来たと思うが、
旧弊で保守的な設計思想が邪魔をした 図書館で借りた「消えた潜水艦イ???」にドイツの航空用やら、イタリア魚雷艇のエンジンを国産化
しようと日本に運んでる
長大なクランクシャフトの母材鍛造する数千tクラスのプレス機が日本では数すくない、
長いクランクに削り出すのに誤差なく削り出すなんて高度な工作機械なしで、まれな逸材職人芸炸裂に
頼ったら少数ロットでは何とかできても量産型化は到底無理…
その点、イタリアは工業生産能力はあれだけど、最高レベルの製造職人では日本より層が厚かったと思う
フェラーリの国だしね >>456
遅レス
「知られざる日本の兵器」でパックハウザーと九四式の比較のくだりがあるんですよ
開脚式は射界はとれるが、放列姿勢で面積とられるなんて非難もあろうが、九四式は
脚を閉じたままでも撃てるのだから、そんな心配は無用であろうな意の記述があります グランドパワー別冊で復刻されて読めますが、初出は戦車マガジン1983年の記事
まさに温故知新
ライターは内容の充実さと時期的に旧軍火砲造兵関係者と思われる
当時は戦車雑誌や航空、艦船分野で旧軍から引き継き防衛庁関連の仕事している人がアルバイト感覚でさして
めずらしくもなく寄稿してました 80年代のPANZERでアメリカの士官学校に鎮座してる砲身車だけでない完全放列状態の四年式十五榴
写真があったが、今でも現存してるのかな?残念ながら防盾はなかったけど
あれはガダルカナルで捕獲した個体だそう 戦時写真でたぶん同砲であろう遺棄したショット
あり 日本には一門もないのに状態のきわめていい九二式十加がアメリカ本土の基地に
おわしまする
あれはどこで捕獲したブツであるのやら… 浅田次郎は各種文献漁って高射砲小説書いたはず
佐山本はもちろんだけど、ひょっとしてこのスレも覗いてたりしてな
まえから小説、エッセイはたまに読んでたけど、砲兵小説書いたところで
おれの脳内で株が急騰した 日本のモータリゼーション遅延の件
舗装道路整備やらガソリンスタンドの設置が民間資本では都市部に限られ、
クルマ買って費用費やすわりにはそれほど利便性なかったからだよ
貧しい列強ゆえインフラ整備が軍備拡張が第一で後回しにされた
消費と流行の先端を担う資産家も保守的だったし
人力車に乗って町を睥睨すんのがお大尽みたいな風潮があったしね
列強の一次大戦後の機械化みて日本陸軍は当然焦りまくるんだけども、民生主導に任せ
てたらラチあかなすぎだから、民族資本の自動車産業育成に多大の資本金投入するわけ
よくフォードやシボレーの資本と生産設備利用すればもっとうまくやれたじゃん?
なんていう人もいてけして間違ってはいない
が、戦時になれば、それをまったく期待できない事態も多いわけだからね
第一次大戦の教訓からも
当時、目いっぱい無理して悪戦苦闘、国産化内製化に努力したからこそ、現在のトヨタ、日産、いすゞが存在
してることをわすれてはなるまい 高価だったガソリン、クソ高い購入費にくわえ車の維持費、お抱え運転手の人件費考えたら、
専属の下男みたいな人力車夫を常用で雇ったほうがコスト的にははるかに安くついただろうし 戦前から車やモーターサイクル乗り回す富裕層や資本家の子弟もいたわけだが、もっぱら
やっかみと嫉妬でドラ息子呼ばわりされていた
花形満みたいなもんか? メルセデスが戦前に時速300kmレース車で達成し、アメリカがパッカードやら華美で贅沢
な乗用車製造してたからな
香港やシンガポールで英米の高級乗用を鹵獲して内地に送って、軍の高官や官僚の専用車になった
質素倹約が公私とも徹底してたはず
現実に東條英機がスチュードベイカーかパッカードだかに乗ってたんだが、満悦してたかどうかは故人だから知りようがないけども よほどの変わり者でないかぎりは乗ってて楽しい誇らしいだろうな
当時の車なんて日本ではとくにステイタス・シンボルだったし
そのころ日産はダットサンみたいな世界の檜舞台にはとてもだせないやつを辛うじて
開発させてたけどね
まぁ車体デザインが可愛いのは認める 円タク発祥は昭和十年代からだな
それまでは人力車、戦後しばらくでもふつうに人力車夫がいた
運転業務は特殊技能でだからこそ当時のドライバーは高給取だった
時価換算でいまのタクシー乗務員の五倍くらいは稼いでいたんでない?
現在は儲からない職業の筆頭だけど あと戦前の円タクはほとんどアメ車だったことを忘れるな 都市部では乗合バスがよほどの地方でないかぎりいちおう普及してた
便数一日四回とか(笑)
しかし一般庶民が車買えるなんて夢また夢だよ
1960年代以降まで待たなくてはならない 金持ちの子弟は徴兵されるにせよ死傷率の低い後方に配属されようと、検査の前に
こぞって運転免許とったという話がある
それで戦車兵で徴兵されて危険度MAX事態も当然あったんだけど…
幹甲志願無理やり強要されて、それを呑めば当然下級将校で一般の兵隊より靖国行の
確率がはるかに高い 昭和十二年から戦時経済突入できびしい燃料統制になったからね
運送業でさえトラックの油がまかりならんくなった それで木炭車
個人ユーザーだと、よほどの軍のコネないと入手はまず無理だろう
もっぱら金持ちの車やバイクは蔵の肥やしに相成る >>501
イタリアはモータリゼーションでは日本よりずっと進んでたみたいだけど、そういう職人芸で支えられてたのかねえ? 先進の工作機械設備やら大規模製造能力ではとても…なんだが、各国発注少数のオーダーメイド
に応える柔軟性や職工の技術力に少なからぬ定評があったチェコ兵器産業の例はある イタリアは戦前の段階でフィアット500が10万単位であった国やぞ
国産車1000台の日本と比べるなという >>513
適当な大嘘つくな
昭和10年代だとほぼ高橋財政以降だが、金本位制離脱と積極財政で物価上昇して円タクなんかじゃ経営成り立たんよ
キチガイがまた湧いてきたか… リンゴット工場、Lingottoでググれや
最新設備を揃え、素材から完成車まで一貫生産できる、世界最大級の自動車工場だ。
そして1937年には更に巨大なミラフィオーリが建設される
戦前イタリアは強烈な勢いで自動車製造能力を向上させており
フランスまでフィアットから部品輸入のノックダウンをする状態だったんだな その割にはイタリアの戦車がイマイチぱっとしないのはなぜだろう? そういえば、第二次大戦中の日本のトラックの生産量が40万台で、実はソ連とあんまり変わらないって数字を見た事がある
いやこの場合ソ連がショボいって方なんだと思うけど(後方機材はレンドリースで賄っていた?) >525
戦闘機もそうだが、イタリアの場合兵器開発の間が悪かった。
装備が旧式になったが更新が間に合わない状態でww2が起きてしまったんだ。
日本海軍が戦争後期になっても零戦を使い続けざるを得なかったのと類似の状況。 >>526
列車のレールまでレンドリースで代替させてたからね。
後、あの国はそれを運んできてもらう船まで代替して
もらってたからロジスティック機材の生産にリソースを
割り当てる事をほぼほぼ免除されてたと言う、大日本帝国より
物凄いスポイルされた戦争を送ってたと言える(人材は除く 戦前に大量に耕運機を青年学校に貸与して
平時は農作業やリアカー繋いで農産物輸送に使って
演習の時に速射砲や山砲の牽引の訓練
戦時には耕運機を大量に徴発とか
できなかったかな
農業の機械化は余剰労働力を農村から都市へ振り向けて工業化や三次産業の拡大に寄与するはずなんだが 機械化するまでもなく農村に過剰人口が存在して、その解決策が
満蒙開拓団じゃからのう……。 砲戦力、輜重の機械化こそ急務なわけで
馬に頼るより石油機関の導入普及が優先する
で副産物で農業の機械化をやる 小松トラクターG25で昭和六年から十八年まで238台、G40で昭和十年から終戦まで421台だっけか。少なくともコレより生産して農作業需要に応えないといけない
稲作用耕耘機は戦後の開発だし、他の作物用として考えるとコスト高すぎな感じだし難しそうだ
そもそもトラクターは20馬力程度だし、実戦に耐えうるかというとちょっとねえ 初代ビートルって20馬力ぐらいだぞ
20馬力あれば軍用車両として十分でないか? 日本に必要だったのはチハやハ号ではなくて、
RSOやなと思う スレ違いの話になってしまうが。
こうして考えていくと、ネット仮想戦記で、転生者1人で日本の機械化促進というのが、
いかに火葬極まり無い代物か、考えてしまうな。
日本の機械化が進むためには、第一次世界大戦での日本軍の西部戦線派兵くらいがないとダメだった気が。
もっとも、ペリー来航以来、米国が日本を敵視していたことを考えると、そんなことをしたら、
米国は対日戦を大正時代に吹っ掛けてくるか。
日本はとことん詰んでいた国だったのだな というより、転生者と似た様な策は1937年な時点から取られていて、それまであってないようなものだったトラックの生産台数が急増して、1937年の時点で万に届きそうな勢い
1941年は46100両のうち9割が商用車(トラック・バス)だったから、更に四倍に増えてる
まあこれでも欧米から見たら塵みたいなモンだが、輜重の機械化促進してこの程度なのよね…()
トラックは優先的に輜重隊に振り分けられたので、実質的に自動車隊なところも多かった
ただしほぼ丸腰状態という運用の不味さは暫く変わらず、有名な第五師団輜重隊壊滅の事件(平型関の戦い)とかにも代表されるように、八路軍に部隊丸ごと壊滅させられる事件が起きる
ちなみに馬匹の生産頭数は43年時点で年約180000。やっぱり馬と人力の軍隊の域を出なかった様だね 二次大戦中に馬を排せた軍隊なんてアメリカだけじゃないかね?
英軍がきわどいかな?
日独ソは馬頼り。 >>529
ここの過去スレか他のスレか忘れたけどさ
同じ話があった
機械を整備・点検する拠点整備とそれを支える工業基盤が必要等々の問題もあるが
「まず耕運機を使える様に農地を整備する」のに時間とお金が必要なのが抜け落ちてる
今現在の農地は時間とお金を投入して出来ているもの
その姿が当たり前だと思っているから「機械があれば」なんて考えがでる
まあ・・満州の様に最初から大規模で整備した様なところでは機械化がそれなりに進んでいるんだけど 娘売らなきゃ生活できないとか、そんな日本の農村に耕運機買う銭がまずない。
地主の下に小作農がぶら下がってる江戸時代と変わらない構造。
小作料納めて、その上耕運機を割賦で買うとか無理、そもそも小作農が牛馬持ってるのが稀 50馬力のG40タイプは200台程度がコマツブルドーザーに改造されたみたいだな。G40自体は陸軍軍馬補充部の牧草地や満州で活躍したそうだが
G25の牽引能力は約2トンだから、陸軍最小の三屯牽引車より劣るな
軍用に使うならG40一択だ
>>538
その満州ですら、「国道作るの機械化したけど、苦力雇った方が安かったわ」という事例があったり… >>535
んな事したら英からも宣戦布告くらって米が死ぬわ 第一次世界大戦中、日本に欧州派兵を懇願する英国にそんな余裕があったとは思えないが。
米国が対日戦を宣言したら、英国は日本を見捨てるだろう。
そもそも1910年の第三次日英同盟締結時点で、英国は日本を対米戦の際に見捨てるが、
それでも良いなら、日英同盟を維持すると言っていて、日本はそれを受け入れている。 >>539
それは多分違うな。
地主が耕運機を買って、要らなくなった小作人を放逐する。
問題は耕運機と小作人とどっちがコスト安いかだ。 >>542
なるほど、そういう事なのか
けれどもそんな時代にルーズベルトの屑のような民族絶滅までやるアホはいないだろうし >>543
地主って人種は自分の手を汚さないのよ、庄屋とは違うんだよ。
生産性は日本国内の従来の田畑面積でやる限り上がらない、品種改良でなきゃもう増えないところまで日本は進んでいる。
そして耕運機では反当たりの収量は増えない、最高は牛馬で鋤で深く耕してた頃。
昭和50年末に新潟で結果が出ている。
何故かというと、重い機械を田に入れる時点でアウト、フカフカに耕すと今度は機械が入れない。
4つ足の耕運機が使えるなら別の結果が出たかもしれないけどね。 >>545
その生産性は収穫量だろ。
地主にとって大事なのは自分の実入り。
たとえ収量が一割減っても、半分が相場と言われていた小作人の取り分がなくなって、
その五割で機械代とランニングコスト、多少は要る人手分のコストをまかなえて
実際の実入りが増えるなら、十分検討に値する案件。
実際イギリスではそうだった。 なんだかWWUを、アメリカからふっかけられた戦争だと妄想してる人がいるみたいだが・・・ ここまでの話に参考になるのが新書「トラクターの社会史」だ。
大層おもしろかった。かなり初期の本スレでモータリゼーション関連話題になった
「怒りの葡萄」の話もでてくるよ。 >>546
残念だけどそういう現代のような考えの地主はいませんよ?
当時は気候変動に強い品種なんてまだまだありませんので、1割減るとか大事ですよ。
台風水害冷害、収量半分以下とか殆どないとかありえるんです、
それが今年か来年かなんてわからない、それを自分の責任でやるのはリスク高すぎ。
人に貸してしまえば収入は安定するんですよ。 >>549
むしろ、昔の方が機械導入に積極的になると思うよ。
台風水害冷害、収量半分以下の時を想定するなら、小作人より機械の方が断然いいだろ? >>546
そのランニングコストが馬鹿高なんですがそれは
そんな田舎にガソリンスタンドも車屋もあるわけないから運転手も燃料も修理工も自分で調達しなきゃならないし
機械化前提の体制組んでいざ農繁期、って時に機械故障で仕事出来ませんとなったら大損こくし >>551
うん、だからそのコストを天秤にかけて、利益が出るならって前提の話。
ガチの大地主なら故障リスクを低減できる機械複数台所有で、整備班常設まで
できそうな気もするけど、コスト的には国の補助が要るだろうね。 別件で、文化的で余裕のある社会って
インテリが乗馬の趣味や遊覧目的で馬車とか田園で乗るのかなあ
とか思う
旧制高校で乗馬部とか普及して、上流のたしなみとして馬を共同購入で飼育して
休日に乗るとか
小学校から馬に乗る体験とか、憧れるな
車社会はハイブリッド化してますます経済原理主導で悲しい
モータースポーツも日本では不振なわけで
その辺、文化資産が貧弱なのでは 宮沢賢治みたいに盛岡の駅前の唯一のレコード屋でいつも最新レコード盤を買うような層なら、地主になれば自分の農地だけでも
機械化できないかな
石灰工場のボンボンな訳で >>547
WW2は別な話だからそれ位はわかってるって >>550
機械は酷使して故障しても文句は言わないからな。
小作人は窮乏から温情尽くしてよくやってきた地主を逆恨みして闇討ちくらいやりかねん
怨念劣情ドロドロ、家族もろとも津山三十人殺しのやうに…(笑)
あの事件舞台である岡山が耕運機発達で重要な地と「トラクターの社会史」で知ったわ。 >>550
地租は現金で地主が納めなきゃいけません。
小作農は地主に作物で納められない時は借金して、娘を売ってでも地主に現金を代納します。
地主にはなんのリスクもないんです、農村は江戸時代と何も変わりません。
そして農地を機械が入れるように、まず農道の整備(農地を削って畦道広げるから大問題になる)から
田畑の改良と自分でやるリスクが大きすぎます。
機械化して農作業に使う時間を短縮して現金収入に時間を使いたいのは小作農の方なんです。
戦後農地改革、小作開放となって一気に耕運機が広まったのはちゃんと下地があるんです。 >>554
そんなハイカラなシテェボーイみたいな地主さんがどんだけいるやら なんか揶揄するわけでなく面白いですよ。議論として。
農本主義者で自ら農村出身の、かつてはさほど裕福でなかった出自ではあるが、刻苦勉励
のすえ陸軍将校になったひとたちが、真剣に郷土を憂い真剣な書き込みをしてる感じがします。 新聞で見た学徒動員世代の早大生、自動車部に入ると軍隊でも楽なポジションに行けると聞いて早速入部した、って話があったなあ。部費とか高かったろうに。今で言えば航空部みたいなポジションだろうか。
>>554
ゴーゴリに出てくるイギリスかぶれの地主みたいに計画だおれで大赤字になりそうな予感が >>557
農業には豊作貧乏って言葉があってな。
豊作になると作物の値段が下がってあんま儲からんのよ。
逆に不作になると値段が上がって、案外そう言う時の方が儲けが大きくなる。
でも不作で収穫が半分になった時に、じゃあいつもの割合でって小作人の取り分を
収穫の半分(平時の1/4)にしてしまうと、小作人だって物食わなきゃいけない訳で、
そりゃ娘売ったり出稼ぎ行ったりもするだろうけど、どうしても生活できなくなったら
一揆起こすか逃亡するし、飢え死にされたら翌年から困る。
地主にリスクはないなんて事はないんだよ、一揆は明治時代に入ってからも起きているし
強訴みたいなのは昭和期でもある。
なので実際には、不作の時は収穫の半分より多い割合を農民に渡す事になる。
せっかく高価格市場なのに。
その点機械なら、半分になったとはいえ収穫をほとんどそのまま商品にできる訳で、
地主にとっては利益がでかい。
戦後耕運機が広まったのは農協のおかげでしょ。 >>558
わたしは北海道の出ですが、まーむこうの大規模農家はハイカラでして北欧風の大邸宅
が多いんです。壁がイエローだったりイエローグリーンだったりしてきわめて映えるんです。
雪景色のなかでみたらメルヘンの世界まんまですわ。
そこの家長はドカジャン着て蟹股でゴム長履いてる下品で無教養なおっさんですけど。
歯は抜けまくり訛りはひどい食事マナーは犬猫以下というまごうかたなき野蛮人でありますねー コマツ装軌トラクターの話は「トラクターの社会史」にも出てくる
おれは声を大にして言いたい!
「だから住民、同胞のおまえらに読んでほしいっ!!!」って
著者からこずかい貰ってるわけでないけど、どうかよろしくお願いします 農業機械は耕運機等のビークル以外もあってだな
脱穀とかポンプとかで戦前から導入は始まってるのであるよ
ttps://www.kubota.co.jp/rd/evolution/engines/detail/detail.html
クボタの例でもわかるように、漁船向けエンジンの方が先に伸びたわけだが
水車動力類似のものと考えれば、その需要は地勢に関係なく一定のものがあったんよ 申し訳ない
他意なき誠心から獅子句ぶったつもりだったんだが、ひどい下手を打った…「トラクターの世界史」だ
本官は重営倉入るほかない orz >>564
そこのHPにあるような発動機は実家にあるよ、まだ現役、ベルトで脱穀機や籾摺り機、精米機に繋げる万能動力。
田畑に持ち込むものは道路が貧弱なままなのでなかなか進まないが、
据置型は村で共同購入して使ってる。
発動機の回転をベルトで天井の長いシャフトに伝えて、そこから各機械にベルトを掛けることで伝えてた、使わない機械はベルトを外しとく。
戦後は早期に電動モーターに変わったけどね。
ただここからはモータリゼーションとか砲牽引車両には繋がらないな。 >>539
なんでそんな零細自作農と小作農しか居なかったみたいな認識しか出来ないんだか
娘売るとか当時でも相当極端な事態ですよ
そしてそれはまとまった現金収入の機会
戦前=貧困ってそれこそ貧困なイメージしかなければまあ歴史の可能性は見えないわね >>567
実際そうなんだから夢は見れない。
第一次大戦のバブルがはじけて以降10年もデフレが続いたのが事実。
都市部の勤め人だけで日本は回ってない。
どれだけの日本人が食えなくてハワイ、アメリカ、南米、中国大陸と移民したと思ってるんだ? >568
移民は公衆衛生の向上に伴う人口増の結果だぞ
農地が増えなければ長男以外は農業を継げず、次男以下は都市に出るか海外移民。
都市化の速度より人口増が早かったってことだよ。
農村の貧困がなかったわけではないが、それを全てに結びつけるのは暴論。 >>569
では農村が都市部より人口増加が著しいという統計を出してもらえますか? >>569
ついでにいえばお前さんが書いていることは貧困を認めてる事なんだけどな。 具体的な国産自動車の台数を調べてみた。
http://libir.josai.ac.jp/il/user_contents/02/G0000284repository/pdf/JOS-02872072-3703.pdf
戦前の自動車生産台数+輸入数
1936年 5851台+33157台
1937年 10239台+33939台
1938年 15755台+20000台
1939年 30089台+0
1940年 43706台+0
1941年 43878台+0
1942年 35941台+0
1943年 24207台+0
1944年 21453台+0
1945年 6723台
だった。乗用車に関しては、40年以降は貨物車の40分の1。はぼ貨物車に特化していると考えていいだろう。
1937年から本領発揮といったところ
まぁこれでも雀の涙なんだがね
1937年からトータルで22万2686両で、そのうち乗用車は3〜4%程度しかない 国産車全体で1937年から23万ちょいだ
んで貨物車のトータルが22万ちょい。 日本経済統計総観より
大正10年 馬車乗用5,827、自動車乗用8,265、荷積用1,383、人力車106,861、自転車自動3,422、自転車普通2,319,089
昭和2年 馬車乗用2,738、自動車乗用31,826、荷積用14,467、人力車55,530、自転車自動11,705、自転車普通4,571,608 どどのつまり
青年学校に戦時に徴発する予定でトラクター、耕運機を数千台貸与して
平時には建前として農業の機械化振興と山砲、歩兵砲、輜重の演習に活用するのは
問題ないということだな 農民の大部分が貧しい小作農だった事も知らん奴が軍板に来ているのかよ
そっちの方がびっくりだわさw 農家を機械化させといて、有事にその機械を召し上げたら、農家が死ぬぞw
レンドリースで400万トンの食料が供給されたソ連の場合は農村消滅しても困らんし
どうせウクライナは戦場だしで許容しちゃえたんだろうけど、我が国じゃできぬ手であるな 奈良時代の律令国家の建設時に鉄の農機具を貸し出したみたいな
感じで捉えればええがな
配属将校なんかより、農業機械を配布して機械いじりの教育普及した方が社会的には役立つだろう
兵器生産よりは社会的な経済の乗数的効果も期待できるし 馬格改良、農村機械化の話題って2スレあたりから延々ループしてるような・・・ 本土の農地は機械入れないのがほとんどだったというのに完全に無視とは・・
北海道と満州でやってくれ WW1の勝ち組でハーバーボッシュ法の空中窒素固定の特許までただ取りしたのに
緑の革命も主導してないし火薬生産拡大も追いつかないとか
模倣国家の宿命かのう
戦前政府は一定の福祉や工業インフラまでは手が回ったけど
抜本的な農業改革までは力不足ということか
戦後は満州や外地を失います移民政策が難しくて八郎潟干拓とか世界銀行から金借りて国内で人口増を賄うとして
ようやく国内農地に政府投資が回る分けて
金食い虫の戦力放棄万歳! 実際に国内産業のインフラ整備等に回るはずの金が
満州事変以降の軍事活動に回ってしまってる
これに対する経済官僚の恨み節が残ってる
後な・・農業の機械化を軽く考えすぎだ
そんなもんが考慮されてない農地には使えないんだよ
これは水田だろうが畑作だろうが同じ
戦後どれだけの時間とお金かけて今目にする農地の姿にしたと思っているんだか・・・
機械だけ渡されたってどうにもならん 日本版ニューディールでまず農道から整備の手をつけて
ブルドーザーとユンボから工兵の予備役向けに組合作って貸与すんだよw ???「そんな予算があるならおふね造るからこっちに寄越せ」 銭がなくて砲も機械化部隊も思うようにできなかったのに
それ以上に民間投資とか無理 やるなら支那満州朝鮮から撤兵して軍備縮小し
資本を本土に集中投下すりゃ、できたかもしれない。
ありえんけどな。 でも中国と戦争を始めると
あら不思議、金が無尽蔵に使えて
チハたんも量産可能にw
民間投資目的で経済戦争だ!と
死ぬ気で国債発行すれば
よかったんじゃね? >>590
それができたらアメリカのニューディールも成功しただろうけど、
それってもう計画経済じゃね? と言うね……。 >>590
それが出来るなら砲も牽引車も好きなだけ作れば?
遠回りする必要が何もないわ よく考えたら、それをやったのがナチスドイツの経済復興と再軍備か。 蒋介石なんか地下資源を売ってドイツから武器購入
宋美齢の米議会演説で無尽蔵に米軍装備をただで入手
美味しすぎる >>595
実はタダじゃないんだぞ。
桐油利権や各地の鉱山利権とか、いろんな物とバーターでアメリカから援助を得ている。
戦後共産党が政権取って全部おじゃんになって、アメリカざまぁ案件だけど。 >>484
いや、徹甲弾よりむしろ榴弾のほうが効いたというレポがあったんだけどね?
初期のマレーやビルマだったかな? 多田さんがトラウトマン工作を継続したいと言ったのに
米内と広田と松岡と近衛が反対すっから、、、、、 冗談でなく、このスレは田舎出身で努力して都会で一応功なした口が多いんでないか?
かつての陸軍将校みたいな
だから、農業機械化話題になると議論が白熱化してレス応酬が多いんだと思う 農業トラクタと砲兵は表裏の関係だったから、そりゃまあ気持ちはわかるが
数トン単位の砲を牽引できるトラクタは農業用としてはかなり大型なわけで
ロシアやアメリカの大地ならともかく、日本じゃ現代でも北海道とかじゃないと使えんもんな >>602
それは戦後GHQが農地改革やって農地を細分化したせいで、戦前の
大地主が残っている時代ならわりとなんとかなった問題だと思う。
山奥の棚田とかは知らんけど。 帝国陸軍の場合、38野砲、95野砲、山砲、歩兵砲、弾薬車、迫撃砲、92式重機を牽引できる
軽めのトラクターやら耕運機リヤカーが良いのでは? 機動九○式野砲とか八八式高射砲は6輪自動貨車でも牽引されてたよ。後二輪駆動でハーフトラックにも改造できるしな
まず第一にトラックの普及が肝心だと思う
輜重はもちろん、2トン強程度の砲までなら対応できる
大型の農業用のトラクターだと、まず不経済だから欲しがるやつがいない
それよりもトラックやバスは民間でも引く手数多だろ
資本のある企業は一定数存在する
いざという時に軍に徴発させる計画だから、まず大前提として民間でも採算ベースに乗せないといけない
民間に補助金出して普及させるならトラックやバスで、それは史実でやってる >>604
九二式重機や迫撃砲は分かる、歩兵砲や山砲もギリ分かる、でも野砲はいきなり飛び過ぎでは? どうしても地方農家にトラクター買わせたいなら、トラクター本体だけじゃなくて充実したアフターサービスまで政府の金で用意しなくちゃならんな
農繁期に修理待ちなぞしておれんから複数台持つ必要もあるし
さらに導入初期にはあぶれた元農民の失業者たちが大きな社会不安の要因にもなる
時間と天候との勝負な農業において人海戦術は1つの正解でもあるんだし、地方農村の機械化にはさらなる都市部への人口流出による人手不足の深刻化がないと辛かろう 社会大衆党の結成と躍進が早まって安部磯雄総理が爆誕しそうだな
そして予算減らされてぶちギレ軍部が 本土決戦以外で徴発すると生産力ガタ落ちになるだけなんだが・・・ 史実では戦時に農村から根こそぎ馬を徴発して返却してないんだし
トラクターや耕運機の徴発と何が違うんだよw 史実では大恐慌の不況下の雇用対策では機械化禁止という政策を取ってるんだな。 紀州の軽便鉄道の線路だって戦時の軍用鉄道用にと枕木ごと引っ剥がされて復旧してないわけで
まあ戦争に持ってく前に数年、民間でご奉公できれば上出来、運が良ければ減価償却後は貸与先に格安か無料で払い下げで良いんだし
ガタガタ小難しい講釈を垂れて楽しい? 機械は働かなくてもお金がなくても死なないけど、人は働かなくてお金がないと死ぬからなぁ
いやまあ機械も動かさなかったらそれはそれで死ぬけどさぁ >>610
今の話はトラックやバスのこと。
誤解させたようでごめんなさい。 機械化した方が裾野の広い産業で雇用がひろがリング
戦前の役人、軍人が統制経済の狂信者ばかりで
まともな工業技術知識や資本主義を知らんのだろう 米だって不況過ぎて軽い統制経済っていうかそんな時代だったんだしな >>615
なに講釈垂れてんだよ。
自分で否定したんだからもう書き込むな。 日本の自動車は昭和二桁まで事実上評価対象にすらならない代物で
いすゞTX、94式6輪が、軍・商工省・国鉄・主要3社の共同開発で出来上がったクルマ
軍用自動車保護法で作られたのは年間1000とか2000台(国内の自動車市場が数万台
補助金もらっても持ちたくないレベルの自動車しか作れなかったんだ トラウトマン工作で休戦して
さっさと1940年東京オリンピックで
都市インフラ建設、地方交通網整備、の好景気に持ち込めば
工業化も進み、健全な国防立国を軍主導でスポーツ振興、健康保険制度充実あたりから進んで
しあわせな昭和時代と言われたかもなあ >>619
絶賛WW2中で中止かもな>オリンピック
あと、日本を何が何でも殺したいルーズベルトがいるからどうなることか >>609
>>614
ノモンハン時点ですら満州からトラック1400両借り受けて合計2000両で運用しているよ
後で返却もしたんだろうかね(知らんけど)
史実でやっている以上あれこれ言ってもしゃーない
生産ガタ落ちって今の話はむしろ農業トラクターの話でしょ 蒸気機関車や鋼船は昭和前期にそれなりなレベルには達してたんだし
ダメダメな国産自動車だってノックダウンやライセンス、生産ノウハウやら開発経験を積んで10〜20年生暖かく見守れば
ましになったんでないの?
それが1970〜1980年に輸出できるようになった日本車の流れやろ? >>612
それ。まあウィキペディアによると
>>軍用保護自動車として選定されたトラックは、軍用自動車補助法に基づき、
民間へ販売される際に政府が補助金を交付しており、これにより自動車産業の育成と、
自動車そのものの保有台数の強化に努めていた。
有事の際には軍が民間の車両を買い上げて使用する計画であったが、大部分は期限が切れ、民有のままであった。
であったなんて書かれ方もしているし、どのみち残った分は銃後で奉公できるし、前線では貴重な輸送源
何もしないより遥かにマシな政策 >>621
満州だから出来たこと。
本土でトラックやバスを民間にまわすということは工業生産のインフラになる。
それを戦時に挑発すると軍需生産を下げることになる。 ちなみに、軍用としては落第判定の日産80型だが、民間用としてはかなり評価が高い
旋回半径も小さく、積載能力も高く乗り心地も良いと
しかし元が整地での運用前提だったため、フロントヘビーで不整地踏破性能は低く地雷踏んだら即死、運転席が高い、整備性が悪いなど、やはり全てキャブオーバーに起因する問題が挙げられている
こちらは軍用指定トラックにはもちろんされておらず、何の補助も無しに国内で売れている
もちろん軍に重用されて、数の上での日本の主力トラック(悲しいかなこれが主力だった)になっている
トラックに注力するのは良い事
銃後でも前線でも貴重な輸送力だからな
農耕トラクター関連に力を入れなくてよかったのでは? >>624
ゴチャゴチャ言っても史実がそうなんだから文句言ってもしょうがない
計画に基づいて生産力と軍隊の自動車供給のバランスは考えられている
根こそぎ動員されるわけではないんです 日本の自動車生産台数は満州事変の昭和6年でも500台前後。輸入+ノックダウンは2万を超える
保護自動車もくそも、対象になる車は殆ど需要がなかったのだw
ほぼ輸入車一台分の補助金がつくのに「金もらっても要らないゴミ」だったわけ
登録にだって置き場所にだって金がかかるから
使い物にならないゴミを置いておくより最初から輸入車買ったほうが良いという悲しい話よ
商工省標準いすゞTXが登場するまで、国産のトラックは比較対象にもならなかったのさ >>627
なら史実の話だけしてたらどうですか?
文句いってもしかたないんでしょ? >>628
別に国産限定とも言っていないぞ
むしろ輸入したシボレーやフォードが厳寒期の満州での可動で素晴らしい実績を出した事など知られた話だが
34年以前に遡ってやるなら、農耕トラクター関連よりトラックの方が「マシでしょ」という次元の話なんだが、そこまで広げてもまだ農耕トラクター関連の方がいいというなら聞くよ
あくまで「もし政策を取るなら」二択あるいは他の代替案しか無く、政策を放棄するというのは無しでね。
トラック重視の政策は史実でやっているという話を引き合いに、民間へのトラックの充足を図る
貧乏人の百姓不在にトラクターなど身に余る
資本力のある企業にトラックやバスを買わせた方が遥かに普及するし
史実でも方向としてはその方向だよ、という点を持って言っている
この話なら納得するべき >>603
戦前のほうがもっと零細農地だぞ
大土地所有=大土地経営じゃないからな >>629
生産力が落ちるだの文句言っても仕方ないんだよ、そこに関しては史実を尊重しろ
兵器生産に必要な量のトラックはちゃんと考えられて前線に回されている
民間のトラックを使うのがダメとしたなら今度はトラックが余ってしまう
そしてただでさえ低い史実の日本軍の機械化率は限りなく落ちる >>633
餓鬼かよ
「トラックは、軍需生産に必要だから、取っちゃダメなノォォ!」
なんて、そんなん史実見ろで一蹴ってだけの話なんだが
何でも史実に徹しろと読めるなら、君はアスぺだ まあ戦時下の統制経済だからね
全ては戦争遂行にのみ向けられる
「贅沢は敵だ」、あまりに有名だ
国内にわんさか車があふれかえっても、今度は組み立て工場に運ぶべき部品の方が足りない
国民に多少の不自由を強いてでも、阿國の為に奉公しなさいという時代
どうせ戦闘の方を有利に進めないと詰んでいる事には変わりないのだから、送れる分は軍に送った方がいいというのはあながち間違ってない
アメリカみたいなのんきで日和った戦時下生活を送れるような大国には一生なれない >>631
それはないわ。農地改革前の大地主は、「見渡す限りうちの田んぼ」みたいなのが
ゴロゴロいた。
それを農地改革で小作人に払い下げたので、日本の農業は小規模零細化してしまったんだ。 海軍はそのスタイルよね
そのせいで大切な財産をことごとく沈められた商船会社関係者からは後年まで軍部への恨みつらみが絶えない
まがりなりにも世界第三位の海運国の末席だったからできたことだ 昭和12年シェア比較 トラック輸送量55%鉄道輸送量44% 運賃収入トラック47%鉄道52%
貨物運送事業者と車両数
昭和14年6月末 事業者26548 車両数56,509
昭和17年12月末 事業者3321 車両数62,738
昭和20年1月末 事業者340 車両数58,615 民間から徴用というスタイル、ね
軍縮期の弱小国軍隊のあるべき姿ってのは、予算を抑えつつ、したたかに弱体の仮面を被った軍だと思うわ
馬政計画ももとは戦争に必要な馬を平時から蓄えておく計画でもあったと聞く
その点で日本が馬政計画に至ったのは英断。まあ結果、馬なんかそろえたところで熱帯では水をがぶ飲みさせないと死にまくったけどね >>637
海軍がなんだかんだで国内の経済活動に影響が無いように徴発してたりするのは面白い
そして結局はそんな事言ってられずに漁船まで片っ端から徴発して見事に国内運航及び漁業が破綻したりとかするのも面白い 朕は友だち作りたい。
ガチでさ 話ししてみたい。おまえらの顔が見たい
もう家に居たくない
昔は戦争なんて大嫌いだった
でもなんか知らなきゃな気がして
色々なゲームとかサバゲとか初心者でも話しできるかな
俺の顔笑わないやつがいたら嬉しいです
変わりたい
涙止まんねえ
うまれて、初めて、ずっと引きこもり
でも俺は最近人への愛で頭いっぱいだよ
しにたかったいなくなりたかった
でも
友だち欲しいよファミコンに2コンがあったのは2人で遊ぶためだったんだってさ
俺はなんなんだよな
死にたくねえよ
ちくしょおおおおおおおお
一生1人用でいたくねえー
戦闘機とか銃とか大好きだ
おまえら大好きだー
一人一人キスしてやる
だから俺は明日靖国行ってみる
応援なんてしないしみんな無視すんだろ
唐突すぎるもんな
でも人生の転機なんてそんなもんなんだよ
沖縄戦の話ししたい!
マジだからさ
たのんます
オフとか参加してみたい
誰か優しいやつがいたら嬉しいなぁ
待ってるからさぁたのんます >>618
格好だけは当時の感覚でマトモだったから、ジープを見たときにアメリカも案外大したことはないと思ったけど、
後から後から無数に出てきてほんの下駄代わりみたいなものと知って、「こりゃ負ける」と思い知ったとかいうね。 >>636
言ってる意味わかってないだろ
大土地所有を否定してるんじゃないんだぞ?
日本の地主は零細農地を寄せ集めてそれを小作に出してる。企業的農業経営者じゃないんだよ。 田1反当たり賃貸料(小作料)大正10年〜昭和3年 北海道0.5石、全国0.9〜1.1石
農家戸数
明治40年 自作179.9万戸、小作149.1万戸、自作兼小作211.7万戸 内地人口4882万人
昭和2年 自作173.7万戸、小作149.5万戸、自作兼小作232.8万戸 内地人口6386万人
生産高は気象に左右されるが、青森の場合、大正元年87万石、大正2年18.4万石と酷い時がある。
また埼玉でも明治43年が110万石、44年が30万石と東北以外でも大きく不作となることがわかる。
反当り収量は大正10年〜昭和3年で平均1.8〜1.9石 >>643
そりゃ元は自作農だったのが借金や借米で小作に落ちた訳だから、
零細農地の寄せ集めと言うのは正しい。
でも土地の所有権を持っているんだから、企業的農業経営者になる事はできる。
実際、脱穀機や精米機なんかは各小作農が持っていた訳ではなく、地主が持っていて
それを各小作が順に使うみたいな、企業化の端緒みたいな事例もあった。 戦前の水稲生産の機械化に否定的な意見を強調する人がいるが
水路の堰の調節で分げつ促進の中干しとか、収穫前に落水してバインダーみたいな軽い機械で能率よく収穫するとか
小型農業機械はかなりの水田で入れられるんでないか?
浮きイネ栽培してるわけでなし
キャタピラコンバインを想定してるなら別だが
手押しの耕運機の代掻きなら戦前の水田でも広い範囲で導入可能だぞ
戦前戦後に天覧の馬引き鋤の競技会があったわけで
馬が入るなら鋤の付いた耕運機は基本的に水田に入るし作業能率は飛躍的に向上する >>646
ガタガタ講釈垂れんじゃねえよ、いつまで居座るスレチの消えろクズ スレ違いのネタ延々続けるのもあれだが、あんまり浅薄な思考停止もね、と 北ベトナムは国境の隠蔽された山道で自転車に補給品をくくりつけて
ハンドルを手で押して運んでいた
歩きに背負子より大量に運べて密林の下で偵察機にも見つからない
山砲や歩兵砲を曳く耕運機を山道で隠密輸送に使えば画期的でない? スレタイにもある加農だけど、105o級とかあまり話題にならない気がする
話題になるのは野山砲、15榴、牽引車関連あたりでたまに10榴やロケット砲、速射
ちょくちょくトラックやトラクター、爆撃のような砲兵と関係ないことに話が逸れる >>641
に皆、畏れ多くて触れないようだが…
これこれ!小川伍長がこれだけ恥を偲んで心情を吐露してるんだから、だれか幹事になって
オフ会でも主催しろよ(笑)スレも30も齢重ねてるわけだし
宴席の農業機械話で紛糾、料理の皿やらビールジョッキ投げ合い応酬になるやもしれぬ… >>626
貨車山砲マニュアルの画がその80型に九四式山砲載せてる
著者藤田さんの解説では誤って180型としている
光人社「皇軍こぼればなし」だったかな?家のどこかにある
これは日産の後モデルでふつうのボンネットタイプだね >>650
戦前戦中ソフトスキン好きな連中が軍板で行き場なくて、火砲スレ訪問してるのが多いのかね? 耕運機ガァー!
というメンタリティと
RSOに88ミリが乗るぞ!
というアドルフのメンタリティは似ている >>645
そういう問題じゃなくて、戦前に大地主が大々的に機械化していたらどうなったか?という問題でしょ。
機械化で人手がほとんど不要になるからといって、小作をほとんど全部お払い箱に出来たものか? >>646
自分がその時代の小作だったらどうなるか? 用なしになったらメシの食い上げでしょ。
それなら工場で働けば良いとか、「実際に当たり前に可能になって何十年も経ってる現代の発想」丸出しにしてない? >>649
石油がふんだんに使えるくらいなら戦争なんかしてない。 >>654
いや、実際載せたのは7.5cm PAK40だからwww >>655
それは状況次第だろうね。
そもそも機械にはできない仕事もあるから、機械化した所で小作人ほとんど全部お払い箱はありえないし、
もし農地改革がなく戦後が推移していたら、小作人の大半は産業労働者になっただろうしね。 耕運機たってクソでかい大型トラクタから、二本足で持って動かすのまで千差万別だし
そういうのがあったら便利だったねというのは、オート三輪でだいたい答えが出てるのよ オート三輪は戦地でけっこう重宝したみたい
張鼓峰事件で荷台に民間人兵隊満載してる写真があってさ、マカロニほうれん荘あたりの
マンガを彷彿とされる
鴨川つばめは中西立太先生の軍隊ものを模写して、ひんぱんに作中に使ってる
閑話休題。三輪は南方で放棄されて米軍に鹵獲されたやつとか
不整地踏破能力はほとんど期待できないが、積載量かぎられても小回りのよさから物資
輸送に便利だったみたい 日本版ケッテンクラートみたいなもん
クロスカントリー能力の貧弱な 当時の大地主は小作から集めた資本を商業や工業に投下していたとする指摘が「戦争と日本経済」にあります。
農業に再投資するよりそうした方が利益にかなうと見られていたのでしょう。
安価で従属的な労働力があるうちは政府の大々的な補助が無いと機械化には進まないでしょうね。
進んだら進んだで、削減対象の小作人が大量に失業者となって社会不安が拡大しそうですが。
一応政府も10年間で1億6千万円を融資し、小作農を自作農とする政策を進めようとしたのですが、
かえって小作が4万2千も増加し、地主が小作に出す土地は5万ヘクタール増大しました。
融資が裏目に出て地主への土地の集中を進めてしまう結果になってしまったわけです。 持ちなれないカネを手にした末路はだいたいそんなもんだよ
宝くじで数億当てた人間の追跡調査したら破産やら一家離散やら首くくるとかクソミソ
だらけという事実 >>663
俺の爺さんは貧乏な七反百姓だったけど、それですら農地は三箇所に分散されてた。
日本の地主の地所の多くはあっちに一筆こっちに一筆とバラバラだったし、これ資本投下して生産性向上を目指すくらいなら、質流れの農地買い増すか全く別分野に投資するほうがマシだよねえ。
そもそも労働賃金の低廉な国では機械化による労働節約のインセンティブが存在しない訳だが。 なんかラッダイト運動を思い出した
みんな機械化嫌いなの?w >>665
同書の指摘だと、当時日本の米の1エーカーあたりの収穫量は世界一だったそうで、
安い労働力がある内はそれ以上の効率化に考えが向き難い構造もあったように思われます。
また耕作可能な土地も現耕作地の1/3に匹敵する500万エーカーもあり、
これらの耕作地化は遅々としていて65年かかるという分析もなされていました。
また保水のための畔が機械化の支障になっていることにも触れつつ、
ソ連ではそれでも大型トラクターを導入しているので水田の改良は可能ともしていますね。
この本はソ連の出版物なので、数字面は信じるとしても持って行き方は社会主義的で、
結局日本の農業の発展にはブルジョア地主から無償で小作に土地を分け与えなければ駄目だという結論に持って行っています。
農地解放ですね。 日本は元々江戸末期に3000万だった人口を、100年後の昭和初期までに
7000万まで増やしているから、人口過剰なのよな。
機械化は人手を奪う物として、労働者や農民から受け悪い。 >>667
まあでも小作より自作のほうが生産性が高いというのは農業経済学の基本ですしね。 なんだが、軍板で行き場のないマイナー趣味のやつがここに集結してる気がする…
公園炊き出しに並ぶ自由生活者の如く >>651
取り乱してしまい武人として、恥ずかしい姿を晒してしまったこと全く申し訳ない。
貴方のような方にめぐり会えたこと光栄の極みであります。
さて
私が考えますに、国内の農業生産高は本土決戦の機運高まる以降まではさほど重要視されていなく、ベトミンのようにも太平洋ではいきますまい。
兵站に対する考えの危うきは連合軍もさほどの差がなく、Uボートの独英の例もあり。
後から考えるに現地調達などもってのほか、機械化も、当時の燃料情勢から南方資源の安定した調達を狙ったマレー進軍なのであるからして
つまり在り来たりな意見で申し訳ないのだが、真珠湾襲撃の徹底の判断、さらに言えばハルノート以前のルーズベルトに対する読みが足らなかったとしか言えず
申し訳ないの一言である 自分農学、経済学の知識はカラキシで。兵学の知識しかなく上記の失言申し訳ありません。
もしもオフ会など開いて頂けるのでしたら、私の自慢のコレクションを持参したいと思います >>671
「ハイハイ、きょうのランチは肉じゃが掛け飯だよー、もってけドロボー!!こん畜生めッ!
腹いっぱい食って死にやがれ、俺ぁヤケクソだいッ」か? >>673
本官はTENGAフルコンプリートでないことを希望します >>675
恥ずかしながらアナニー派でありますので… うわあ
アナニーのことは忘れていただきたい!
間違いであります!間違いであります! 小川伍長ッ!貴様は栄えある一番槍だッ!!
この刺突爆雷で仇敵M4のどてっ腹をブスリと頼む
な、簡単だろう? >>659
機械が出来る仕事をやって食い扶持を得ていた多数の者がお払い箱になったら全国では膨大になるからね。
ま、どのみち石油がろくにないなら機械化など無意味な空想でしかありえないからどうでも良いけど。
進駐軍が農地改革というデタラメをやっていなかったら当然歴史は変わってるわけだけど、
工業化に突っ走ったという結果には変わりはないか。 >>667
地形の関係で、棚田ほど極端ではなくても、区画を極端に細分化せざるをえないことは間違いないね。 >>678
はっ!
(参謀殿の御命令とあれば断るわけにはいかない…くそっ)
天皇陛下バンザーイ!(ニューハーフAVでアナニーしたかったよおおおお) >>678
参謀殿、そんな物を使わなくても腐るほどある噴進砲で横なり下っ腹を撃ち抜けば大丈夫だろう(HoI2PC日本)
にしてもHoI2だと日本がやたら強くなるんだよなぁ
パラド補正なのかそれとも中国という重石がない分、陸軍の負担が滅茶苦茶減ってかなり楽な戦いになってるのかわからんけど >>679
そもそもの話として、ある程度以上産業化が進んだ国では基本農業より
産業労働者の方が生活安定するし、高収入だからね。
農地改革で小規模零細自作農をいっぱい作ったとはいえ、農業だけで生活できる人は少なく
昭和の50年代頃までは冬の農閑期に都市部に出稼ぎに来る人が大勢いた。
行政が配慮して、公共事業をなるべく冬に発注して出稼ぎ者の仕事を確保するように
していたくらいには。
減反補助金やら税制優遇やらやって農家優遇するようになっても、専業農家は少なく
圧倒的に兼業農家が多い。
GHQによる農地細分化の負の遺産だ。
元々正の遺産もあんまりなくて、単にマッカーサーの人気取りだった訳だけどさ。
もし農地改革がなかったら、戦後の小作農は自主的に農業やめて稼ぎのいい都市労働者になり、
働き手の不足によって農業の機械化が進んで、今頃日本の農業は競争力のある
農業法人が主流になっていたかもね。 >>682
恥ずかしながら帰って参りました。
ヒ総統の米への戦線布告などなければ、関東軍の負担も現実に軽くなっていたでしょうが。
奇襲や夜襲ばかりに頼りきりの陸軍ではまあ結果は。
神州日本といえど、国土人口の差にはかないませんから。講和しか道もなくそれもルーズベルトは拒否するのは明らか
歴史は変えられませんが、海軍のインド洋進出が英への圧力になりバトルオブブリテンでヒ総統が焦らなければ 私、現在軽度の精神薄弱を患っておりまして、お酒と抗うつ薬で少しラリって参りました。
眠らせていただきます。 >>684
無理をなさらずに
ゲーム中だと普通にインド制圧してペルシャまで走ってスエズ運河まで取る帝国陸軍… 焼玉トラクターや石油発動機の話が飛び交ってると思い開けてみると
選挙イヤー=なんでしったっけ >>689
詫びることはありません。
いつも処方していただきありがたく思っております ベテラン陸軍病院婦長(曹長相当)がお望みどおりにおまえさんの後門に火箸つっこんで
グリグリしてくれるとさ 壊スノ重死路レオパレス今モット上手ニ殺ッテルンダロダンパー問題ソノ他急速ヴェノム物件・銀行問題業界ゴト潰レル?利凍ル公害重イル?
虐待死刑スタッフ以外ニグループマイナス経常ケタチガイ万死葬災熱湯強烈薬害毒死多繋ガル看後死
1000件以上介護保険税金ムダ泥棒マダゴーン今環境殺ッテマス100オツムオムツ借金漬ケ棺桶型国家
森友ノロウイルス焼肉嘔吐虐待スイッチ押死耶手後ノ損害ゲローン戦争ソンポ部死テルン盗難
郡大老害山林焚書死テa麻薬王振戦違反重々ヤットストレス足ダシ若竹口爆発害ヤンキーノ種死ネ世
https://anago.5ch.net/test/read.cgi/welfare/1441750123/ 一方のイギリスは
徴兵で男性の労働力不足になったのを補う為に
トラクターを輸入し少ない労働力と女性でも農業生産を賄った
自国で食料生産が増せば、船での輸入も減るからな >>692
前線から引くわけにはいきません。
だいたいコテハンなんて今時の荒らしの代名詞 油はともかく石炭は取れたんだからトラクションエンジンを発展普及させとけば
いや無理か ハルノートを呑むのは無理だったのかね?
日清戦争のあとの三国干渉では臥薪嘗胆したろ
日米諒解案を潰した松岡が底なしのバカだし、トラウトマン工作での米内、広田、近衛もアレだが >>698
呑んだら日米戦争を回避できたかどうか、俺は大いに疑問だけどね。
アメリカは1938年から海軍大拡張始めているし、それで失敗したニューディールの
代わりにしてるんだから、ナチスドイツの経済政策と同じで先には戦争しか
なかったんじゃないのかね。
俺は陰謀論はあまり好まないけど、ラニカイ号みたいな話は普通にありえる事だと思うし、
実際20年ちょっと先にトンキン湾事件として現実化した訳だからな。 >>649
ベトミンの手押し自転車なんてのはよっぽど限定的な状況除いて結局ヤラセ写真だろ
人力じゃ、どうやったって自分の体重を大きく超えるほどのものは運べない スペインみたいに絶対参戦しない枢軸という手もあったのでは? >>700
ビンソン計画は欧州大戦参入を睨んでのものやで…
パワーバランスの崩壊に泡食った海軍が発狂して太平洋の平和を破壊したが 北部仏印進駐だけならシナ対策に限定した従来の延長だが
南部仏印の進駐だとマレー、インドネシアに、野望アリアリだから米は油を止めてでも圧力かけるわな 蘭領インドネシアとの石油購入交渉の日本側の下手さはなんだろうね もともと精神論観念論が根強いこの国で、もっとも奇怪な精神論が暴走した時代だからなあ・・・ どの辺見て根強いと判断したんだ?
欧州のエランとか大概だと思うが。 フランス陸軍は古来の伝統に則り攻撃以外の法則これを排す >>704
ハル四原則にはなにも違反してないのにね。 太平洋域で艦隊戦力が拮抗した今しか勝機はない!
とか少年漫画じゃなし、
なんで真珠湾やら南方作戦を発動したんだよ?!
あまりにも軍事的に不合理じゃね?
昭和天皇だって杉山元帥に向かって
中国大陸より太平洋の方が広いだろ?ええんか?
とマヂで再考を促した
そこは正気に返って開戦を断念するところだろ! >>710
一言で言えば、戦争は政治であって、政治は経済に従属するから。 >>663
江戸時代は逆に、商業資本の上げた利益のまともな再投資先がなくてしゃあない農業に投資されてたんだけどねw
だから干拓とか埋め立てとか、大規模農地造成事業が結構行われてたりする
商業銀行の不在で資本の集中が進まず工業が家内制手工業からステップアップできないまま、
米市場は投機資金の受け入れ口として極端に発達するいびつさ
明治以降の地主って、名義上所有者で納税代行みたいなところあるからな
昭和の御代まで時代が下ると、小作の零落でだいぶ実態も変わってるが
でも、食管制移行前は米価が作況やその他市場の変動要因で激しく乱高下したから、地主も結構リスキー まあ開戦断念した場合
陸軍首脳部は「海軍がヘタれて勝てないと行ったから断念しました」ていうしかない
そうせんと大陸でヒャッハーと楽しんでた連中から突き上げ食らうからな
結果、陸軍の主戦派と海軍のイケイケ派は海軍首脳部にテロって内戦待ったなしになりかねん
そこまで行かずとも軍事予算の縮小と大陸利権()を失ったことによって
かなりの不況が始まり経済活動は超低空飛行になって、10年はどん底だろうな
外交が上手く行けば独ソ戦で商売できるだろうけど
ドイツ負けたらとりっぱぐれやし、ソ連は踏み倒すしで、これまた上手くない
乱暴に言えば戦争で公共投資しつつ余った人を減らせ
更に米国という親分を得られたので、あの戦争は失敗でもなかったのかもな スペインみたいに日和見を決めて
第二次欧州大戦で暴利をむさぼる日本
とか都合が良すぎるかな? 日本から中立国経由でどうやって戦略物資を独伊に届けるのか
スペイン、トルコ経由で? >>683
そういうシナリオもありうるかね。まあ、歴史は変えようはないけど。 >>687-689
良く効く鎮静剤を打つてあげやう
===_ll
___|_( :ヽ|l
(__ ̄) ̄::l
_, -ーー- 、___ {__ )::::::/i|
(/=(◎)===ヽ) {__ )::::/ l
/ | ● ● | / {____)ノ l|i -、
// | (_●_ ) / | Ξ| -、 `、l
lll , l∪| / , '| Ξ| ll 〈`'-ーー-'^ヽ `、l ,ー-、
`ミ / `.-ヽノ-‐'" , " l .Ξl ii ヽ-''´~ソ / `l、_l ,,-ァ
/ |l∧/フ ( .|. | Ξ| |l ,/ く ,,.-''/
(⌒)__|l/'" ヽ |.  ̄|_| ̄ _,.r' .,へ `ヽ r、__,,.-''゙,,.-'´
.`"/  ̄` l .| || =ニ-ー'´ `;、ノ ヽ_,rー'゙´
r─( l⌒` 、 /l .| ,.-||──-、
`--‐| /l二二二二ノ /. : : : : : : : : : \
|__| | | /.: :U : : : : : : : : : : : ヽ
(⌒ / | | ,!::: : : : : : : : : : : U : : : :',
 ̄ ̄ .{: : : : : : : : : : : : : :: : : : :}
.{: : : : : : : : U : : : :: : : : :} スレ違いがいつまで続くのか
火砲に縁のないやつが汚してるとしか
拡散してる愉快犯とかがいるのかね?
以前も左翼が火砲の話まったくできないのに荒らし目的でスレ立てとかした とりあえず仕切り直しでリクエストのあった10cmカノンの話題でどうか?
ツラギまで獲ってよいか(一木清直)? ttp://img.2chan.tv/s/yccp190214220125.jpg
カッコイイ! 九二式は、あの重量で射程18kmなら優秀な部類だよ
ドイツ 10.5cm K18、ショコダVZ35、ボフォースと比較しても
ただ、十加というジャンルがWW2突入後に射程と砲弾威力が中途半端な存在に墜ちて
しまった
有望だったのは12cm
ソ連は野戦カノンだけでなくスターリン戦車の主砲までにしたからね
まー港湾設備のない未開の島嶼に揚陸するに、日本軍が送り込める重砲限界が4t前後
だったはずだよね… LIFEの第二次大戦シリーズに十年式12センチ高角砲を砲架部分だけにして砂浜を
人力でロープで牽いてる写真がある
タラワに20cm砲搬入してる写真とか。いやはやちょっとした工事でないのよな感じ
機械力がないと難儀なことこのうえない
さすがにワイヤー巻き上げ機くらいは使ったけどさ ガチ火砲話になると途端にレス鈍くなるよなw
軍板で過疎スレ、牢名主でとぐろ巻いてるような輩が調子にのって脱線しまくりで荒らしてたんだろう
ふだんの常駐ではめったに盛り上がらないもんで
自分が火砲スレ正真正銘の荒らしで、互いに同様の荒らしを叩いてる構図
おまえら同じ穴の狢だっての 小川伍長が面白かったのは認める(笑)
火砲スレは、むかし軍板を恐怖の坩堝に陥しいれた糖質君なんてのを輩出した業の深いスポット
ではある アメリカとの砲兵同士の打ち合いって
どんな感じだったん? 比島の隠蔽された短30センチ榴弾砲なんか分解して無限軌道の台車にのせて牽引で移動したんだろうが
砲の設置後は台車は後方で倉庫入り? >>707
そういう軍事思想だけの話じゃなくて、例えばフクシマ以前の原子力行政では「事故」という言葉を使うことが慎重に避けられてたり、軍隊を自衛隊、攻撃機を支援戦闘機と呼び替えるとか、そういう言霊崇拝みたいな現象を念頭において書いた。 カノン砲の実用的下限って10センチくらいなのかな。あまり口径を小さくするといくら砲身長伸ばしても空気抵抗で射程は伸びないだろうし。
対砲兵戦とか考えると威力を犠牲にしても射程がほしい→同重量ならば口径を小さくしても砲身長を伸ばしたい、というのもありだろうけど、それにも限度があるだろう。 >>720
少なくとも火砲の射程・精度ともに十五榴はアウトレンジできる
敵方に十二加があったのはノモンハン事件とソ連侵攻だけなので、太平洋戦争の多くの期間を通じて有効な火砲だよ
むしろ支那事変で台児荘・武漢と「長射程のラ式」に苦しめられた域の日本軍にとっては、「十五榴に十加一個中隊を付けろ」なんて戦訓が出ている
そもそも九六式十五榴に対して3分の1程度の生産比率しか無いんだから叩いてもさほど変わらない。別にこのリソースで他の火砲を作って他に出来た事なんてたかが知れてる >>728
因縁付ける馬鹿(Yakuzaとも言う)が多いせいだろ むしろその勢いで機械化前提なら九○式野砲も微妙、とか言い出すんではないかと君ら
牽引車といっても四トン・六トン級がせいぜい
このレベルだと欧米の十五榴すらしのぐ重さで、12加とてここまで重くしないといけない
むしろ10トン級の八九式十五糎加農とかに批判が行くべきクラスの案件なのよ このレベルってのはソ連の122mm A-19 ね
それなりに長い射程を実現するにはやはり十加の倍近く重くないといけないわけで
当然、比較されて批判されるべきは日本軍の八九式十五加なんよ
こちらは格下の十加より極僅かに射程が短い
本来は射程20kmのつもりだったそうだが、諸々の事情で18kmにとどまった
同級火砲ならイタリアのDA149/40で11.34トン
射程は23.7km
こういう火砲帯での不甲斐なさが根本的原因
むしろ十加は八九式十五加や九六式十五糎に見られる、「同級火砲内での偏差値の低さ(?)」が例外的に無い
諸外国と同じ様なものを作ったら一回りしょぼいのが出来上がる日本にしては割と上手く出来た方だと思う
まあ諸外国が本腰入れて作ってないのもあるが、実際蓋を開けてみればこんなもんだろう
ドイツの10.5cm K18は射程が2km長い代わりに2トン近く重い
ちゃんと重量相応には出来上がっている バル博士が旧日本陸軍に転生したら
画期的砲弾で射程を3割り増しにできるかな? 口径的には10加の方が近いけど、規模的には絞った15加みたいなもんなのよね
八九式は7.5tぐらいを二両づつなので12加二門持ってこれるというざまでこのスペックだから泣ける
設計が古すぎるね 12加のことね
というと、単車の八九式を130mmぐらいの自己緊縮砲の長口径砲身にボアチェンジしたらいい線行ったかも ソ連12加だって牽引重量は1t弱増えて8t弱
89式15加は砲身車5.5+前車0.8t、砲架車6+前車0.6tだから、牽引力は重い方で6.6t
15加が8t未満の牽引車2台で40kg弾を20km飛ばせるなら
8t牽引車1台で20kg弾を20km飛ばせる12加に比べて牽引力と打撃力の比率は同じようなもん
89式の開発時のターゲットだったGPF155が13.5tで改良型のロング・トムで射程23km
ソ連の152mmML20が射程17kmで、放列7.3t、放列7.3tで牽引7.9tだから
10tで20kmならちょうど両者の中間なので、重量性能比が悪いわけではない
問題は射程18kmに落ちちゃったことと、予定性能でも中途半端な仕様だなって点だな
2車分割なんだし、あと1〜2t増してでも射程や威力に力入れても良かったのかもな >>737
6.6tのソースは?
アジ歴で見れる「八九式十五糎加農説明書」によると砲身車7430kg、砲架車7610kg
明らかに重量対性能が劣ってるよ
確かいつぞやに見た射程20km表記だって初速も書いてないしそこでしか書いてないから単に数字丸めただけの可能性もある
ちなみに開発時の目標は一万六千米でそこは達成してる 6.6tは仮制式審議の予定性能ね>C01003865500
1号装薬で初速740m/sで20kmと記されてる
この予定が色々全部達成できなかったのが悲しいねという まぁ最終的には九八式六トン牽引車ロケで砲車・砲架車牽引出来ているわけだから、牽引重量で8トン弱までなら対応出来るし、ちとロケはオーバースペックだった気がしないでもない
というより火砲の性能の方が付いてこれていないというか
当初の九二式八トン牽引車で信頼性の低かったものが前提だったからやむを得ないとはいえ、十加・十五榴共に運行重量の制限が悔やまれるね
八九式が20km達成出来ないのは仕方ないにしても、十五糎は生産数が(比較的)多いからね
ロケならラ式相当がお似合いだったんだと思う >>740
九六式十五糎にロケはオーバースペック、ね
実際に以前の九二式八トンよりマシになったせいで運行速度が出過ぎて各部の故障が頻発している報告が上がっているんだな
C14010960700 ラ式十五cm榴弾の砲架に海軍十年式高角砲載せたもんが、性能的にはベター
おそらくバランスもまずまずのはず
海軍が25mm機関砲やら一部を陸軍に提供したぐらいで、海軍より移管要塞砲いがいほぼ融通
の成功例がないから無理な話なんだけど
牽引車の性能もな 12高は陸軍にも提供されてるっぽいけど
そもそも対空砲を対空以外に使う余裕がないw 海軍の三式八糎迫撃砲は沖縄戦だかで相当数投入されたと聞いたがどうなんだろう? ソ連の新型107mmカノンも製造門数がきわめてすくない
コストが高い割に効果が???の判断だったらしい
戦車砲の107mmは国本さんの本買ってないないから、わからんけど口径だけで野戦重砲
に直接の関係はないのかね? >>744
硫黄島の陸軍迫撃砲が海没したもんで海軍81mmをかわりに装備してるよ
沖縄の12cm高角砲は陸海軍混成部隊所属だったとか、過去スレで読んだ 現用戦車の主砲が120mm級なのをみてもカノンとしてバランスがいいのは自明 >>746
そもそも107mm口径は失脚したクリーク元帥しか推進してなかった代物じゃ無かったかな >>744
沖縄の海軍陸戦隊は迫撃砲50門を持っていたとされます。
シュガーローフヒルの高いでも海軍山口大隊が持ち込んだと思われる10〜24門があったようです。 >>749
うーん、そのあと海軍砲由来の100mm戦車砲がでてるからね
その線が濃厚ではあるよ
JS8の130mm口径も海軍由来 152mm M10もそうだけど共通砲架の107mmカノンもなにより砲架コストが高すぎた
裏を返せば贅沢な設計だったといえる
それで大砲大国(司馬遼太郎ふうw)ソ連軍でも少量調達に終わったと思われ 小川伍長ッ、出頭せい!!
なんでも貴様、M4まえに糞小便垂れてほうほうの呈で逃げたそうだな?
このままでは一族郎党まで災いおよぶぞ。いいのか?
この玉なしカスが! >>698
>ハルノートを呑むのは無理だったのかね?
ロシアはクリミアを放棄しろ、さもなくば制裁だ。そしてお前の政府とは一切対話しない。
戦争になるだろう? でもナチ軍のあの設計あの作戦計画、それもこれも頭のネジが外れていたぞ?
>>173
>更に設計技術も一貫して海外だよりで、クルップやシュナイダーの踏襲の域を出ない
>つまりどこぞがまたオリジナルより優れたものを出すたびに、設計面でも置いて行かれる
www
戦闘開始以来、九月二十七日までに、一六〇三機が撃墜され、一〇二八機が損傷をうけた。
その総数二六三一機は、戦闘開始のときに任務についた数と、ほとんど同数である。
小型機――急降下爆撃機や陸軍直協機――の損失もバカにならなかったが、より高価で大型の
ハインケルHe177やユンカースJu88のたえまのない減少は、補充生産が最早追いつかぬほどの打撃だった。
しかも撃墜された大部分は、ソ連上空であったので、ベテランの搭乗員の損失は、まことに深刻な打撃であった。
ドイツ空軍の戦闘力の出血状態は、しだいにひどくなっていったのである。
ドイツ空軍の飛行機開発・生産担当機関の責任者であるエルンスト・ウーデット上級大将にとって、
ソ連上空での大きな損失は、自らの破滅を意味した。
http://ktymtskz.my.coocan.jp/E/EU2/lf6.htm
↑
1941年11月、ルフトバッフェの非力さに衝撃を受け、その設計者は自殺してしまった!! >>173
>更に設計技術も一貫して海外だよりで、クルップやシュナイダーの踏襲の域を出ない
>つまりどこぞがまたオリジナルより優れたものを出すたびに、設計面でも置いて行かれる
?
日本は戦争中彼らの航空機の品質を改善し、航空機エンジンの推力を多いに増加して、最終的に火力で
アメリカ戦闘機を上回り、終戦時、設計と実験段階で第一級の航空機を持っていた。しかしながら、航続距離、
性能、耐久性を増した信頼できる航空機の大量生産でアメリカに匹敵する広範囲な技術と工業的熟練に欠けていた。
The Japanese improved the quality of their planes during the war, greatly increased the power of their aircraft engines,
ultimately exceeded United States fighters in fire power and had first-class aircraft in the design and experimental
stage at the end of the war. They lacked, however, the widespread technical and industrial skill to match the United
States in quantity production of reliable planes with increased range, performance and durability.
http://www.anesi.com/ussbs01.htm 暴露した砲兵1門の破壊に要する所要弾数
3千/5千/8千/1万/1万2千
野砲 15/100/800/-/-
九〇式野砲 20/100/700/-/-
十榴 U20/U150/T700/-/-
九六式十五榴 V10/V50/U200/-/-
十加 U15/U100/T600/T1,200/-
十五加 -/U30/U150/U400/U1,800
※15加は尖鋭弾、その他は榴弾 T〜Vは装薬号 遮蔽された砲兵1中隊4門の撲滅に要する所要弾数
掩蓋を有する
野、山砲 約400〜800
十榴、十加 約300〜700
十五榴 約200〜500
十五加 約200〜350
掩蓋を有しない
全て 約500〜1,000
やはり十加は効力だけで見ると十榴と十五榴十五加の間に埋没してしまいますね。
十加と十五榴が野戦重砲兵、十五加が重砲兵に区分される軍にとって、
手軽な遠戦砲兵としては価値がありますが、2〜3倍の弾数を要することになります。
運搬容易な十五加があれば淘汰されてしまうのも理解できます。 >>754
昨晩より敵の火砲が一斉に火を噴きまして…
今朝には銃剣突撃による肉弾戦にまで発展しておりました。
最前線におりました私の肛門に対し、その激しき刺突止むことを知らず、夕方までには最後の1人になるまで抵抗しておりました。
もはや玉には一発も残っておりません 情けなきことに馬乗りになられてしまい今さっきまで失神しておりました。
小川伍長
ここに自決いたします。
うっ >>759
日本軍の資料ですと12糎の九八式榴弾も10.5糎も同じ威力半径29mとなっておりまして、件の十二加はどちらかというと十加に近い効力ですな
20kgちょいの弾量ですし、十五加の40〜45kgとは雲泥の差があります 15kg強と20kgでは軽度の野戦築城の破壊に多少の差がある程度で、劇的な違いは見込めないかと
榴弾砲でも十二糎級は十糎よりマイナーな部類ですしな
多少の効力差しか無い割に砲弾の数も減るし本体は重くなるしで 二次大戦でソ連軍が十五加を野戦でほとんど用いず、十五センチ加農榴弾砲と十二加で全う
し、敵のドイツ軍が多大の評価のみならず脅威をおぼえていた事実を評価すべきでは?
>>749
クーリク元帥は生粋の巨砲主義者なのにT34の主砲に45mmを推すなど、政敵を妨害する
手腕はやぶさかでなかった
バカではない、むしろ利口なんだが、実戦の指揮任せてみるとてんでダメダメ!
ソ連邦の新規兵器開発と兵器生産計画をことごとく妨害した張本人とされている
それで…ですね
ドイツ軍と日本軍にとっては英雄だねぇ クーリクは優秀なんだけど、我がつよく政治手腕を行使することが第一
実戦での適応力の甚だ乏しい官僚的軍人だったと思うんだけども
もちろん巨砲主義じたい間違っていないが、政敵抹殺するために平気で考えを封印して
正反対意見派に͡こて入れするんだからな
露骨非情な蝙蝠対応から、軍内部で敵を多く作ったのは当然だろう 当然ソ連の12加の評価準ずるなら、十分な射撃効力だったとみるべきで、砲弾重量や威力半径などから推察して十加の射撃効力は略同等か顕著な差は無い十加の評価はそう下げられるべきものではないというわけですよ >>766
あなたの言われんことは至極まっとう
しかし、ノモンハンでたった二門だかの122mmに圧倒されたわけですよ
射程2kmの差と高台に陣とられたハンディによってワンサイドゲーム
双方、地勢やら、砲弾集積量がイーブンでも、結果はかわりますまい 試製大威力十糎加農砲の装薬をホリ砲並みに増やしたら初速と射程がどこまで延びるか気になるところ >>767
仮に>>双方、地勢やら、砲弾集積量がイーブンでも、結果はかわらない
様な戦闘を仮定して、それで圧倒されたとするならその責は十二加に対処すべき十五加にあると見るべきでしょ
十二加より遥かに大掛かりでありながら十加程度の射程しかない
台児荘の戦いではたった数門のラ式に十五榴四個中隊が射すくめられた
本来なら十五加が然るべき性能を持っていて観測・射撃管制もしっかりしていれば同じように十五加が数門で同じ事をやりかえせる番でしょう?
十加自体は大量に点在するソ連の十二榴に対しても脅威になり得るし、そもそも論として総括するべき方向を皆んな見誤っていると具申する ですから、十加のみならず十五加の122mmカノンに対する射程の不足でしょう?
相手に届かんのなら10cmも15cmも敵砲陣地でいたずらに炸裂するだけで何らかわりませんよ
敵を動揺させる効果は当然ありますけど
ノモンハンでは互いに最大射程での砲戦はやってないよう
しかし、有効射程のヒットがからきし差がでるわけで…
射程18kmと20kmの差は大きいです 訂正 ほとんど敵砲陣地まえやら、はるかに逸れた着弾です
到底有効打とは見做せない >>770
ですから、聞いてると全ての責を十加に求めているのが総括の方向性を見誤っているのですよ
本質は軍直轄の十五加にあるまじき性能の八九式十五加の能力不足
一方十加は対十二以下には十分な脅威となり得るわけで、本来なら12加の制圧は15加、それ未満の火砲は十加で棲み分けできたところを、射程が22kmとか無いばかりにこうなった訳です
何度も言いますが射程の2km差がとても隔絶していると仰るなら尚更総括すべき方向が違います 最近のノモンハン戦の十加、十五榴、十五加の射撃でよくソ連軍野砲陣地を面白いぐらいに
吹き飛ばしたそうです。それで日本側は勝った、露助を粉砕したと快哉したそうです
ところがどっこい対岸の高台絶好陣地に新式12加はあるわ、さらにともに初陣の15加榴
が控えてました
ともに少数だったものの、劣勢を跳ね返し戦場を支配する威力で猛威を振るいました 最近のノモンハン研究の成果で森本さん?かの新書
古是さんのノモンハン戦車戦もたいへん面白い内容です
司馬遼太郎の言説など大ウソ、プロパガンダと一目瞭然わかる 対砲兵戦においてはグーにはパー、パーにはチョキ、という様に長射程の応酬です
つまり多数の敵の一般的な師団砲兵は十加で対処できる
この役においては十分全うできる
当時の所謂師団砲兵は10〜15km程度の域を出ないものです
砲兵中隊の展開できる正面幅は限られております故、全域に満遍なく十五糎加農を配備することは不経済にして大国にもそうそう出来ぬ事
そしてそれらを粉砕すべく上級の十二加があるならまた、十五加はそれを上回るものではなくてはならない
イタリアのCannone 149/40の23.7kmやアメリカのロングトムの23.5kmといった具合に。
重ねて申し上げますが十五糎加農に集約した場合門数は著しく限られますから、数門で多数を射すくめる(ソ連の122mm加農が2門でやったと仰るそれや占守島の九六式十五糎加農(←攻城砲程度の機動力しかない)や台児荘のラ式)様にやってみなさいというわけですよ >>772
別にわたしは十加すべてに責任を課してませんよ
九二式は他列強にくらべ軽量10cm級としては優秀な性能でした
貴氏の八九式十五加にたいしての見解はわたしも同意見
日本軍重砲全般の射程が彼に劣ってるのを、時代を隔て憤慨しておるのです!
はねっかえり辻が、この状況を打破するため、内地要塞から九六式十五加引き抜いて
転用するため、さかんと根回ししてたそうです
ソ連軍八月攻勢には到底間に合わなかかったけど
やはり、辻はけして馬鹿ではないと思います。かなり優秀逸材参謀です つまり師団火力の根幹たる師団砲兵、及び軍直轄の十五榴の10〜14kmレンジ
敵師団砲兵や十五糎榴弾砲に対処可能な十加(射程18kmもあれば十分、日本軍をして「長射程」と言わしめて苦しませたラ式が15〜16kmなのだから)
そして22〜23km級の十五糎加農があれば隙を生じさせぬ三段構えになったわけです
私は十加のこのクラスにあれ以上の射程は絶対視しません。
むしろ責むるべきが八九式十五加の能力不足に終始すると総括しているわけですよ
十五加に対砲兵戦の全てを依存する事は砲数の観点からも一考せねばならない。日本軍が十五加を大多数運用できた場面は数えるほどもない >>777
御意!左様です
あなたは今宵をよく纏められた あのクラスで同級火砲以下まとめて対処可能な日本の十加は対砲兵戦の一角として十分に戦力価値ありです
その十加の18kmで米師団砲兵はもちろんラ式も対処できて余りある
だから十五糎榴弾砲大隊には十加一個中隊を追加すべき大陸戦訓があるわけです >>776
リロードしていませんでした。失敬。
イタリアやアメリカの様な十五加があればと返す返す悔やまれます。
しかしこれはやむを得ないの一見で一蹴できません。
なぜならこれは十四年式十加をおっ広げた様な設計に過ぎず、古いからです
九二式と採用時期は近くても、九○式野砲という日本軍後期火砲の祖たるフランスの優れた設計が入っていない
1930年を境に日本のノウハウは飛躍しているのですから、真っ当な十五加を設計させれば22kmは達成できたかもしれません。
これぞ砲兵開発の怠慢です ガ島で米軍M1918 155mmカノン対抗するため九二式で規定外の装薬マシマシ20km射程
射撃したのいうのはガセなのだろうか?
兵頭さんの本で読んだんだけども…
あれのソース文献を知りたい 十五榴と十加の組み合わせといえばドイツの軍・軍団直轄の砲兵大隊や装甲師団・装甲擲弾兵師団の砲兵連隊第3大隊
しかし十五榴の射程を20kmまで延伸させたいと望んでいた当たりドイツは十加の榴弾威力に不満を持っていたのだろうか 二次大戦での戦車と戦車砲、対戦車砲開発競争が熾烈だったわけだが
近代火砲開発史においては19世紀から20世紀初頭までの独仏が最大の出来事だったよ
一次大戦初頭はドイツが重砲で圧倒、一般の野砲榴弾砲に劣る
1916年くらいから設計で先進のドイツが師団砲では凌駕した
ドイツ敗戦で開発が禁じられ技術停滞してた1920年代までがフランス砲の天下
1930年代になると、ことごとくドイツ設計に抜かされて差が拡がる一方
フランスは戦車でも、スペックはよくてもドイツにくらべメカニズムで旧式だろう?
予算的に日本陸軍は手本にすべくトレンド追従がワンテンポ遅れてたのだろう
まぁ、そうそう路線コロコロ変えられるわけないよねぇ軍人なんだから
無節操な尻軽女みたいなのは軽蔑される職業だし 陸戦兵器だけでなく、もともと優れた資質もってた航空機設計で迷走、メーカー乱立、
生産計画めちゃくちゃが1930年代のフランス
不況にくわえ共産化の嵐が吹き荒れた国内不穏分列三つ巴状況が原因とか
スペイン内乱共和派援助したり 国際旅団が代表格
ヘミングウェイはこの口で左曲がりの小説をいくつか発表したりした 少なくとも及第点
ドイツ製火砲の本格的な台頭は34年以降
フランスからインスパイアされた設計はそれまでの日本製火砲の設計からしたら遥かに洗練度が違い、飛躍著しい
九○式野砲と九一式十榴に端を発する日本軍の九Xシリーズ新鋭火砲は、どうであれ旧式な八九式とは世代を画する
ドイツだのフランスだのは些細な違いだ
旧態依然な八九式を廃して22km級の真っ当な十五加を設計せよ、という事で、本旨には何ら影響がない! >>782
大戦の蓋あけてみればアレ?で10cmカノンを軍砲兵装備から下げて太平洋城塞とか二線級
だよ。不満ありありMAX
高価なわりに効果が疑問のまっさきに槍玉にあがる存在と化した
接収したシュコダ10cmもおなじ運命 >>785
それは再軍備からの発表だから
8.8cm FLAK18、15cm sFH18、10.5cm leFH18も1920年代末から1930年代初頭
の設計である事実に着目すべき
厳しいベルサイユ条約化でも虎視眈々と爪を研いでたわけ
そのドイツ砲の研究成果を吸収したのがソ連
秘密協定によってね 世界の鼻つまみ者同士がつるんだ
1930年代設計のソ連砲が本家より優れてるのは、後だしジャンケンで勝たねばおかしい
というね >>786
その件はドイツのトチり。
その結果同級火砲では完全にアウトレンジを決め込まれる形となった
十五榴の射程問題が消えたわけではなく、遠距離戦用砲弾を発射したりしたが依然としてこの火砲帯は十五糎一本でソ連軍砲兵に圧倒されている
十五糎は野砲にすら付け狙われかねない射程なのでこれ一本に依存するのは英断とは呼ばない
結局精度や威力を妥協して十五榴で十加の真似事みたいな事をしている
それなら最初から一中隊を十加にしても大差無い
ドイツはまず射程問題を抱えていたという事は大前提で話さなければならない。つねに、その最後に「射程問題が浮上」と付さなければならない状態
威力を疑問視、十加を廃止、で終わっては片手落ち
威力を疑問視、十加を廃止、その代わり射程問題あり
とすべきで
それが十七糎加農など長射程の砲への待望論に繋がっている 結果的に二次大戦最優秀カノン、17cm K18を生みだしたから
災い転じて福となす、を地でいった感じだと思うがなぁ…
米軍自慢のロングトムを圧倒するし >>789
もともと、おまえさんがそっちに振ったんだろうによ 少なくとも射程の短いsFH 18/M一本でソ連軍砲兵に軽々アウトレンジされて苦戦で辛酸を舐める一方で10加をポイ…
あまりに泥縄だ
別に本来の十加対十五榴の比率は1対1とかそんな対等なものではない
あくまで十五榴が主役である事は変わりなく十加は日本でも補助的な立ち位置で膨大な配備をするものではない
別に十五榴の配備を著しく食うものではない、ほんの一分けするだけで良い
にも関わらず断捨離の如く十加を配したといって何ら手放しで喜べない >>791
違う、フランスかドイツかは本旨ではない
ドイツ製火砲の台頭が1934年であるのもまた本旨ではないからそれ自体を本旨としてレスを組み立てるのは枝分かれ的な会話の分岐になり厄介だ つまり俺のレスの本旨を理解せず、たまたま引き合いに出した例の一つに条件反射的に反論しては話があらぬ方向へ行く
この場合、ドイツフランスは些細な違いだというのが本旨で、ドイツ製火砲が1934年台頭だというのは付して言ったに過ぎず、ここにのみ焦点を当てた為、また本旨への反応が疎かになっている >>788
だいたい149mmと152mmは同級としても105mmと122mmのカノンはてんでちがうだろ?
射程も砲弾威力も
威力半径は同程度とか言ってる人もいたが、おそらく爆発エネルギーは二倍強だぞ?
その威力差をドイツ軍兵器集を引用して、いくつかおれが過去に書いた >>793
誤字
>>785はフランス流かドイツ流かは大きな違いではない、というのが本旨
ドイツ製火砲の台頭が1934年であるのもまた本旨ではないからそれ自体を本旨としてレスを組み立てるのは枝分かれ的な会話の分岐になり厄介だ 一応言っておくが44年型装甲師団・装甲擲弾兵師団の編制表には10cmカノン砲中隊の兵科記号が残ってる >>795
同級火砲とは火砲のスケールの事でいっているんだが
当然、15cm sFH 18 と10.5cm sK 18は同級ぐらいになる
というか世界的にも十五榴と十加は同級の規模で、かつ師団砲兵を除き運用部隊も同じぐらいの上級部隊になる
泣こうが叫ぼうがsFH 18 の射程問題は依然として変わらない
ドイツが抱えていた射程問題は間違いなく十加を廃した事に起因している
無駄だから廃止されたのではなく、トレードオフの結果だから、ちゃんと利益と損失が発生している
遠距離砲兵的な運用を期待されたスツーカもあり損失に見合うと見込まれたが実際蓋を開けてみれば射程の問題ばかり目立つ結果となった スタ−リン戦車の主砲選定で100mmは装甲貫徹能力は122mmにわずかに優るが、榴弾威力は
122mmがはるかに上
重戦車たるもの敵戦車と交戦する機会より堅陣突破や火力支援局面がはるかに多いの
だから
スターリン戦車の狭い車内スペースに収めるに長大な完全弾薬筒の100mmより分離薬筒
の122mmが有利
すでに野戦重砲で整備されてるA19ベースのほうが新式の100mmより砲弾備蓄量で
はるかに有利とか数々ある
貫徹に優れてるとされる100mmも射程1kmでA19ベースにくらべ2cmほどの差しかない >>797
失敬、片手落ちとは俺の事。
ドイツ語wikipediaに書いてあった事すらも失念してた
つまり10.5cmカノンの立ち位置はドイツ軍にもある
俺の提示した戦訓のいう通り十五榴大隊につき一個中隊が望ましいと言うのを図らずも正当化する事になった
ともあれ十五榴に出来ない長距離砲撃を出来る同級火砲という点で評価される
ソ連が122mm加農だが、この場合同級火砲が15糎加農榴弾砲というだけだ
十五榴と122mm加農では重さも見合わないからな
当然122mm加農を配備できるならML-20相当も配備しなければならないわけだ >>797
それは根拠としてはなはだ弱い
編成表に載ってるだけで主流から外れた傍流の存在に堕したわけだから
レアケース引き合いにだされても困るよ 世界的にも十加と十五榴は砲架を共用する同スケール火砲
日本はその限りではないが、どのみち重量はそう変わらない
ソ連の場合ML-20が大掛かりだった為、122mm加農とも共用できた
日本軍が九六式十五榴に努めるなら、当然運行重量もある程度統一する
仮にsFH 18程度まで九六式が重くなっても、それに呼応して九二式は12糎口径化よりも長射程化をとるだろうね
日本軍は機動十糎加農(20km)と機動十五糎榴弾砲(15km)を到達目標としていた
そして機動十五糎加農は22km
A03032095100
所謂俺のいう三段構えと全て一致する
対砲兵戦闘はまず十五加の22kmありきだ
そして十五糎と砲架を共用・あるいはそれに近い運用体系・重量の十加でサポートする >>797
それは根拠としてはなはだ弱い
編成表に載ってるだけで主流から外れた傍流の存在に堕したわけだから
レアケース引き合いにだされても困るよ >>802
やれやれ、そんなもん九六式十五加よりはるかに軽い
ワンクラス上の長射程で高威力の17cm K18を機械化牽引できればすべて無効な主張
なのに
それを実現してたのが一部のドイツエリート砲兵
ルール野取る則った馬上槍試合でないのだから、同クラス対戦なんてお笑い種だと思うよ
ワンクラス上火砲か別の次元で勝負するのが王道だよ
重砲陣地の上空B17で絨毯爆撃するとか
実際、米軍はこれをやった >>804
17cm K18が配備できるなら四段構えになるだけだよ
どのみちあまねく17cm砲を配備するなんて荒唐無稽も甚だしい
戦艦が副砲を備えるように
陸軍というのは多種多様な火砲で何段にも構えるものだよ >>802
ML-20とはノモンハンで撃ち合ってるんじゃなかったっけ?
スペック的にはアウトレンジされそう
弾の消費量もどうだったんだろう >>804
ワンクラス上の火砲で勝負するのが王道、これ心理ね
2クラスも3クラスも上の火砲をあまねく配備するのは不経済
師団砲兵及び十五榴の制圧には十糎加農が最も最小限のコストにして最大限の配備ができる
そしてより多くの師団砲兵を制圧できる
火砲体系というのはピラミッドみたいなもので、上に行くほど数は少なくてもいい
上級火砲への対処はまた上級火砲が行う >>797
大戦後期の最前線では、じっさい10.5mm K18より8.8cm FLAK41、PAK43、PAK43/41
で長射程活かして遠距離砲撃してる局面がはるかに多かった
K18は後方に下げられてたもんでね これさえあれば戦は勝てる、と単純化の方向で思考するのはあまりに愚鈍過ぎる
17cm K18は機動力も著しく低く、かつ高コストで生産が追いつかない。更に砲身命数も短いだろう
ピラミッドの中間を抜けば歪な火砲体系に仕上がるだけだ
十七加がどうであれ十加が師団砲兵及び十五糎の域をまとめて始末可能な火砲である故その必要性は何ら揺らぎなく
かつ無数に点在するそれに17cmK18の様な火砲をぶつける事は非常に厳しいと言わざるを得ない
こういうのは来るべきロングトムや122mm加農との長距離砲戦を意識してのものだろ >>809
自分、愚鈍ではないっス!大卒ブルーカラーでありますが
あんたをこの夜かなりやりこめてきてるじゃないすか?
おれは寝ますよ。あんたも寝て体を休めてください。
いずれまた再戦しませう >>811
誠に申し訳ない、ヒートアップし過ぎた
愚鈍とは俺への言葉
人への悪口は鏡に映った自分への悪口なんだ
今までろくにスレタイも読めない様な輩ばかりだったのでここまで火砲の会話できる相手とその知識量に感服する
この度の毒瓦斯攻撃をお許しください ただこちらの砲撃も相当敵軍を丸め込めたと戦果報告
十加とは日本軍野戦重砲兵の一角にして重要な役であり、そして本質は八九式十五糎加農の能力不足にある旨、ここに刻み付けん いえいえ有意義な議論でした。おれも刺激されてすごく勉強になりましたよ
火砲スレの本領発揮の感がありました
このノリで佐山さんも火砲本新刊だしてくれると嬉しいのですが 八九式十五加がどうしてあんな残念な仕様と性能だったのかってのがポイントではあるな
ttps://olive-drab.com/images/id_mack_no_800_02.jpg
こういうの見ちゃうと、もう涙も出ない
(マックの7トン積み13.5トントラックに牽引されるロングロム様) …いっぽう、恥辱を雪がんと自決したはずの小川伍長は普段懇意にしてる(主に下半身)衛生兵の
身も心も捧げる大和撫子慰安婦に勝るとも劣らない看病により奇跡の蘇生を遂げるのだった
続 >>783
>1916年くらいから設計で先進のドイツが師団砲では凌駕した
   「ロシアの砲兵らは日本製の大砲が軽量で使用しやすく、射撃速度が速いと評価していた。
有坂銃は信頼性が高く、これに類似した米国製の銃の半額でロシアは買い付けることができた。」
   日本の軍産品があまりに高品質であったため、ロシア側の研収員らはかなりの部分の武器品目の受け入れ
納入品の作業を日本人自身が行うよう任せた事実をパヴロフ氏は指摘している。ロシア人の役人、
閣僚は日本製武器の価値を指摘し、これなしにはロシアは戦うことは一切できないことを認めている。
http://app.f.m-cocolog.jp/t/typecast/1259419/1277943/94331372 ドイツが10cmカノンを外したのってコストが高かったからじゃねーの?
生産中止が1943年8月だから師団砲兵の膨大な損害補充をする上で
製造の楽な榴弾砲を揃えることが優先された結果じゃねーかね
実際、1944年になると10cm榴弾砲さえ不足しているんだしちょっと無理じゃん ノモンハンの砲撃戦の際に陸軍航空隊ではソ連の砲陣地への重爆撃とかしなかったの? >>819
十二加陣地を潰そうと急降下爆撃機差し向けるんだが、対空砲火の激しさにブルって
帰投してしまうんだ
当時の陸軍搭乗員はパイが小さいというか層が薄い
戦闘機乗り不適とされた人材が爆撃機、偵察機にまわされたもので技量に疑問があった そもそも7月には航空戦力は拮抗してる。
砲兵戦前も敵戦闘機の妨害で敵砲兵の位置をまともにつかめていない。
仕方が無いので90式野砲部隊をハルハ川の河原手前まで前進させて、
砲撃戦開始当日は前進野砲が目視できる目標に射撃させて、応射し位置を暴露した砲兵に後方重砲が砲撃って作戦になってる。 砲兵観測用の気球を揚げたんだが、すぐにソ連機に落とされたとか
気球撃墜スコア競うのは一次大戦からの戦闘機乗りの流儀
リスクがほとんどないわりに面白いこと格別らしい
気球にのってる観測員は気の毒だけど >>818
そう、高い割にソ連のA19には射程と砲弾威力に負けるのが明白
それで製造終了
以降128mm砲身を捕獲ソ連製A19、ML20共通とフランスGPF155mm砲架に載せた
廉価版のやつを製造したりする 観測機ありで1キロ四方に散るレベル、観測機無しの命中精度はどうだったんだか
--------------------------------------------------
日本軍の観測隊は九八式直接協同偵察機を飛ばして弾着修正を試みていたが、
日本軍砲兵隊は砲撃がそろわずバラバラで、砲弾の多くはソ連軍陣地外の空き地に着弾していたため、
それを空から見ていた観測将校が「そんな下手な射撃はやめてしまえ。」と呆れて無線で怒鳴りつけて帰ってしまったこともあった
ノモンハン戦後に大本営研究班の主任として戦訓調査に当たった小沼治夫少佐は日本軍とソ連軍の砲兵を以下のように比較評価している
(日本軍の)砲兵将校能力劣る。射向1キロ広がり(砲弾が)集まらぬ中隊あり
敵(ソ連軍)砲兵、予備陣地や掩砲所に隠れる。牽引車にて後へ下がる ノモンハンでの日本軍の主要火砲投入数と損失数
兵器名 保有数 損失数(内自己破壊)
八九式十五糎加農砲 6 5 (4)
九六式十五糎榴弾砲 16 11 (5)
九二式十糎加農砲 16 11 (1)
改造三八式野砲 24 34 (10)
三八式十二糎榴弾砲 12
九〇式野砲 8 2
合計 82 63 (20)
ほとんど破壊されている >>825
あの・・最終的な被害を持ってきても仕方ないのですが・・
最後のソ連側攻勢で破壊されたのがほとんどなんですけど。
7月23日から3日間の砲兵戦では、
丘陵の稜線の向こう側に布陣した日本側重砲部隊はソ連側から視認できず、大きな被害はありません。 ソ連軍8月攻勢までは、日本兵は苦しい戦いだが、むしろ歩兵技量は敵よりはるか上
、押してると判断してた
「ソ連兵は馬鹿ですから、夜間に音さえたてなければ整然と行軍で敵のテントの横をゆうゆう
通過とかできちゃうんです」とかwwww
」 そのころのソ連兵は白兵戦を極端に嫌って、日本兵が白刃きらめかせて突入すると
たちまち逃げて四散したとか、日露戦役とはえらい違い
格闘戦闘訓練を碌にうけてなかったのであろう
日本兵が悩まされたのは手榴弾の一斉投擲と狙撃兵だった
そんな興味深い内容が古是三春「ノモンハンの真実」に書かれている >>795>>762
ソ連の認識だと制圧に要する砲弾数として、
見えざる目標(特に砲兵中隊)1ヘクタール1分
76mm 15発
122mm 8発
107mm 10発
152mm 3発
とありますね。「ソ軍常識」S17年150版より
ここでは122mmは107mmと大差なく152mmとは大きく差をつけられています。 ディーゼルエンジンの日本戦車は撃破されても炎上する率がひくく、野戦修理廠で
修理再生されて多数がすぐに戦列に復帰したやら
ソ連軍との戦車戦でも猛訓練の成果からたいてい有利な結果遺したとか
まー司馬遼太郎が主張して巷に流布した陸軍悪玉史観の説なんて、頭いっちゃった妄想以外の何物でもないわけで… キ12でも配備していれば高速だし、20ミリモーターカノンで火力もあるし
地上制圧には最適だったかな ノモンハンは砲兵と輜重が癌だったよな
他兵科は下手うちしながらもよく戦って戦果挙げてる
それらをすべて帳消しどころか戦線崩壊を招いた
もちろん砲兵、輜重兵に責任すべて負わせるんでなく、日本陸軍の欠陥、弱い部分が露呈した
戦闘
停戦後ノモンハン調査委員会なるものが発足、戦訓研究するんだけど、「縁起でもない」
」「忘れて心機一転でまいりましょう」でほとんどなかったもの扱いされるんだよな…
戦訓から注意喚起しても各地でウザがられ敬遠される扱い
その点は戦後左翼につけこまれても仕方ない部分ではある よく言われるけど、ノモンハン事件では日本側砲兵隊も稜線の裏に隠れて射撃していたから、ソ連軍砲兵もまた殆ど日本軍火砲を破壊出来ていないよ
件の八九式十五加も無傷だった筈
日本軍火砲を全滅させたのは機甲部隊
それも戦車砲の直撃じゃなくて全弾をほぼ撃ち尽くした状況で鹵獲を防ぐ為に砲兵自ら自爆処置して、残存人員は斬り込み >>825
改造三八壊されすぎだろw
>改造三八式野砲 24 34 (10) 八九式十五加は移動中にBT戦車に襲われたんだよ
大日本絵画「ノモンハン戦車戦」に戦死した下士官(曹長?)の遺体を検分してるソ連兵写真がある
それの遠景が八九式
重砲兵らしく下士官の体格がソ連兵にくらべかなり大柄
戦後に集積されたショットもあるが、複数砲にほとんど損傷はない おそらくウィキペディアだろうと思って行ってみたら、日本軍火砲の損害はその記事内ですら諸説あるな
八九式十五糎加は損失が5門とするものと、同じく記事内で5門が鹵獲されたとするもの
いや、鹵獲されたのだから損失数ではあるが
しかし戦闘で破壊されたわけではないのだがねぇ
そう言えばボロクソに言った八九式だが、ノモンハン事件では122mm A-19 は殆ど居ないだろうし、実質こいつが一番射程長かったって事なのか
数の割に意外としょっぱいスケールの砲兵戦だったな 写真では八九式の損傷がみられないが、閉鎖器照準器あたりを破壊したのかな?と思う
戦車に急襲されて蟷螂の斧応戦、とてもそんな余裕があったとも思えないけど ノモンハンの戦記だと、砲兵がソ連戦車に襲われて直射で応戦したものの
全滅したなんて話もあった気がする。
砲側墳墓を地で行く事例。 >>840
集積写真に奉天製7.7cm野砲があるから満州国軍から引き抜いたもんかな? あと損失数は、改造三八式野砲と三八式十二糎をあわせて34だね。 ソ連の鹵獲数は改造三八式野砲31、三八式十二糎11なんて数字になってる。 ちなみに「ノモンハン戦車戦」で件の7.7cm野砲は九四式山砲と誤ったキャプション
がつけられてるので注意喚起 ノモンハンの7月23〜24日2日間の砲兵戦での損害は野砲3、九〇式野砲1、十五榴1、十○加8計1
3とされるが正確であるかはわからないとしていますね。「ノモンハン全戦史」 7月23〜25日の損耗数については7月29日付関東軍参謀長発の電文に以下の数字があるようです。
九六式十五糎榴弾砲 2
九二式十糎加農砲 3
改造三八式野砲 4
九〇式野砲 1
損耗数ですので、事故も含むことに注意。 一方戦史叢書による火砲の損傷
参加総砲数/7/2〜7/20/7/21〜8/19/8/20〜8/31/計
十五加 6/-/1/(4)/1(4)
十加 16/-/3/7(1)/10(1)
十五榴 16/-/4/2(5)/6(5)
九〇野砲 8/2/-/-/2
三八野砲と十二榴 36/1/4/19(10)/24(10)
計 82/3/12/28(20)/43(20)
( )内は自ら破壊したもの。
数字には1日以上使用に耐えないようになった故障6門を含む。(いずれも回復)
自ら破壊したものと敵に破壊されたものは半々のようですね。
ソ連側の鹵獲数には破壊されたが原形をとどめている数も含むのでしょう。日本が各地で鹵獲に含めた数字にも同様の傾向はあります。 いや上は誤読でした。( )内は別数ですから敵による破壊2対味方による破壊1ですか。 小川伍長殿ォー、小川伍長殿はおられますか?
連隊本部の伝令でありますッ!!
新品の褌を病床見舞いに持参しました >>818
1944年まで生産してたというサイトもあるし実際はどうなのやら M-60 107mmはなかなかよさげな砲だな
九二式と性能が酷似している製造門数すくないのが悔やまれる
ネットであちこちみてたら、輸出モデル シュナイダー1930 105mmが射程20km達成してるんだね
フランス軍制式mle1936が16kmなのに… >>818
アハトアハトという高射砲兼対戦車砲兼野戦カノンがあったのも大きいのでは?
対砲兵戦なんて限定用途より刻々流動化する戦況に対応できる汎用砲のほうがはるかにいい
10.5cm sK18は当然ふつうの野戦カノンとしても使えるんだけどさ
口径的に8.8cmに近似値だったのも理由のはず
二線級に格下げなったのちは71口径なり74口径の8.8cm高射砲/対戦車砲がもっぱらその役目を継承してる >>824
砲兵射撃教範
第三章 試射
要則
第二百五十五
最小夾叉闊度(実用公算躱避の約四倍)の標準 左の如し
榴弾砲
射距離 五千米以下 二百米
同 一万米以下 四百米
同 一万米以上 八百米
加農
射距離 一万米以下 二百米
同 一万五千米以下 四百米
同 一万五千米以上 八百米
約1kmに散るものなのである >>853
>>824の話って射向の話だから、夾叉とは別の話なんじゃ無い?
夾叉は奥行きの話だけど、射向は左右の話だし 砲兵将校は怒鳴りつけて帰ってしまったのだから、観測機無しでも同じでは?
いっそまとまらぬ砲兵中隊は、中隊のうち1門とか2門の射撃の方が修正し易かったかもね 野戦重砲兵第3旅団は喝だけど、やはりノモンハン事件の国軍砲兵で特筆するとしたら凄まじい連発とマズルブレーキのブラストで失聴しながら手振り合図で意思疎通し、かつ砲を前進させて敵火砲の砲撃誘発を引き受けた九○式野砲大隊(8門)の将兵ではないかな 90式野砲の試験で3000発撃ったら照準具のガタが方向で15密位に達してたそうで
これで遠距離撃ったら平気で横に100mぐらいばらつくんだぜw >>855
2日目以降は観測機いないと本当に探り撃ちになるよ?
台地の端にいたソ連砲兵は撃破されるか台地の奥に下がってて目視不能。 しかも高台に陣取ったのが、射程20kmの新式122mmだったからね
列強の十加をすべて陳腐化させた砲
ソ連軍と対戦する国は当然そうなる。そうでない国は当座は影響を逃れる
遅かれ早かれの違い
ただ、アメリカの口径委員会ですでに射程と威力、費用で割り合わない存在として
却下されてる砲種だからなぁ >>858
いやこの場合の>>824の
>>観測機ありで1キロ四方に散るレベル、観測機無しの命中精度はどうだったんだか
というのは砲兵の射撃練度の話かと判断しての話だよ
もちろん件の射撃の中隊は空中観測射撃で着弾散布に関しては効果得られてなかっただろうという事ね
見えないんじゃ着弾散布以前に敵の諸元が分からないんでそれを話す段階ではないし カノンでは西側は高射砲で105mmが細々戦後も延命、イギリスの戦車砲で復活の構図だろう
ソ連は100mm口径は戦車砲と対戦車砲で継続、野戦カノンは122mmから130mmに移行が歴史だと思う
異議のある人は書き込みしてほしい 105mm榴弾砲と122mm榴弾砲が大差無い(むしろ105mmの方が遥かにメジャー)様に、105mm加農と122mm加農ってそこまで大差ないんじゃねえかな
弾量も15.7kgぐらいと、20.4kg
日本だと威力半径に至っては同じ29mぐらいだから加農榴弾問わず12糎級に手が出なかったのは必然の様な
ちなみに砲兵戦術講授録では堂々と12榴は失敗扱いされている かつて大砲の国といえばドイツ
タンネンベルク戦で史上初の集中管制射撃を行って、兵力はるかに優るロシア軍を淳滅
鉄道網駆使した迅速な兵力移動もあるが
21cm榴弾砲をはじめとする重砲に惨敗した苦い教訓から、戦間期はかつての敵国
ドイツの技術を吸収したんだな
ラインメタル設計の76.2mm高射砲、おなじくラインメタル152mm歩兵砲、3.7cm
対戦車砲、ラ式15cm榴弾砲も152mm口径で製造してる
二次大戦では大砲王国の座かけてドイツと競ってる
これはそれなりの性能の砲を開発したアメリカとは次元が違うね
二次大戦で、もっとも砲兵どうしの火力戦が熾烈だったのは独ソ戦なのは自明だから てかこの場合の性能差は射程だから
日本の計画した射程20kmの機動十加なら差は無いんだろう
この域の火砲での口径ってのは射程を達成する為の手段でしかない
A-19とやり合うには十加というジャンルそのものがダメだったというよりは射程18kmなのが不満なわけでしょ 口のでかさの口径と砲身の長さの口径ってホント紛らわしいからなんとかして欲しい。 >>863
いや、あれは明らかに失敗作だから
発砲時ジャンプの写真なんて、サーカス団かよ?と思うもん(笑)
三八式で成功したのは75mmのみだから
10cm、12cm、15cmは機構も性能もライバル仏に負けてるだろ?
それで諸外国へのセールスも振るわなかった
積極的に買ったの日本とトルコくらいでしょ?
矢継ぎ早の独仏火砲開発競争で仮想敵国の動向に焦ったせいか成功作ある陰で
駄作もたっぷり含まれてる
これはフランスとて同じ >>867
それもあるが十二糎というジャンル自体が微妙な反応
諸外国も12糎級榴弾砲というジャンルはあまり受けてない
むしろ105mm榴弾砲がかなり高評価
戦後も155mmにとって代わられるまで暫く師団砲兵の主力 クルップ75mm野砲はすごく売れたんだよ
製品とライセンス権で
日本、イタリア、ギリシャ、トルコ… そりゃあ口径で12cm馴染みのない国は採用しにくいだろうさ
新規立ち上げ製造設備投資に多額のコストがかかるから
日本は海軍砲で12cm級があって、陸軍の三式高射砲に技術提供しためずらしい成功例
があるから、野戦十二加を整備するのにそれほど抵抗なかったかな?なんて脳内軍拡するわけ 逆にソ連が十加でなく十二加だったのも十二糎という口径に馴染みがあっただけなんじゃね
多分ソ連が12糎榴弾砲を手にした副産物
ソ連が十榴だったら十加になってたかもね
こと十二糎級、105mmに対して重量やや重く発射速度やや遅く、代わりに若干の威力増大という何とも言えない気がする
まぁ日本軍で言えば海軍系の技術で5インチ(=127mm)加農作ってたら期待できるのは同意
こちらは弾量的には艦砲なので口径に比してやや重め
艦砲は十四糎砲でも九二式(十五糎)榴弾/尖鋭弾より弾量がある
艦砲はこの様に、砲弾重量が陸砲より重い傾向にある(艦砲で155mmなんか55kgある)
その分弾道特性に優れ、かつ風の影響などが少ない
件の八九式十五加より…なんて内心期待していたり いちおうソ連軍にはM-60という107mm新式カノンがあってだな
諸般の事情で少量製造で終わってゐる… >>874
知ってる。105mmに拘らず107mmというのもキモ。
122mm加農と105mm加農
実はこれ採用国の軽榴弾砲の口径によるものという考えだ
軽加農の122mmは何か考えあってのものより、踏襲的な意味合いが強い筈 ソ連でなぜ107mmだったり100mmだったり、どれも半端に終わっていて、122mmは爆売れしたのか
長砲身高コストの軽加農を嫌うのは米独。
ソ連は米独が見限り気味だった野砲だって10万単位で配備する国だ
その国では軽加農も採用されるし、当然その時の既存の口径が結果として122mmだったというだけでは? 鹵獲した105mmの敵の砲弾に銅帯装着させれば撃てるって考えだね
敵はこっちの砲弾を利用できない
その伝はソ連82mm迫撃砲やドイツの77mm野砲 実際、「射程を延伸したい」など何か具体的な考えあってのものなら、130mmに発展するわけよね
俺は122mmと105mmの間に射程も威力も極端な違いを見出さない
日本のは18kmだがドイツのは20kmあるし。
105mm榴弾砲と122mm榴弾砲がそう大差ない様に加農でも同様の図式が成り立つだろうし、こと122mm加農の口径選択には何ら性能上の考えあってのものではなく、既存の口径から必然に選ばれただけ、つまり予め決まっていたに過ぎない
あくまでどちらも軽加農の域を出ないもので、ソ連が122mm加農を良しとしたのはソ連だったからに他ならないと思う
たられば論だが、ソ連が10.5糎規格を主用していたなら10.5糎加農が主力になっていた
日本もソ連も野砲をよしとする砲兵組織の土壌があったからこそ軽加農も批判を免れてきただけ
野砲すら廃する傾向の独ソが軽加農を良しとしないのは仕方ないと思われる >>878
誤字
野砲すら廃する傾向の米独が軽加農を良しとしないのは仕方ないと思われる >>876
いまのアメリカ白人最大マジョリティは独系だからな
二次大戦まではアングロサクソン系がマジョリティだが、当時からドイツ移民やポーランド
移民の数がやぶさかでなかった
軍人にはとくにドイツ系が多かったと思うよ
思考が似通るのは自然だろう
これはロシア軍でも将軍はドイツ系が多かったし
東方移民の歴史からね つまり長々と述べたが
米独の105mm加農に対する批判は「軽加農というジャンルそのものに対する批判」に他ならず、多少弾量があったとしても同じ結果だっただろう
実際高コストで十五榴に遠く及ばない点では何ら変わっていない
威力も師団砲兵の域を出ない
日ソはそもそも軽加農を良しとしていたので、それぞれの国の規格で作られただけの話だと思う ワイエス?だったか
アメリカの国民的画家
移民がかつて従軍してた一次大戦ドイツ軍のヘルメットに胡桃わんさか盛ってる絵、ドイツ移民の絵やら
感謝祭でドイツ軍のヘルメット、コート姿で子供やら農夫と手をつないで踊ってるものが
ある >>880
実際ドイツ国防軍と米陸軍って師団砲兵に関してはちょっと通じるところが無いわけではないと思う(こういうとアバウト過ぎて批判は覚悟だが)
コスパの悪い野砲・軽加農に価値をあまり見出さなかったし榴弾砲で統一
逆に日ソは野砲+軽榴(+重榴)、軍団砲兵にも軽加農
野砲が十榴より、軽加農が重榴よりコスパの悪い事は百も承知だった筈
それでも射程・精度に拘った面がある
対戦車はまた別 ちなみに日本の三八式野砲を無断コピーしたのは中華民国 米独はコスパの悪いそもそも軽加農自体を良しとしなかった
122mmだろうと結果は同じだろう
たまたま軽加農を良しとした日本が105mm、ソ連が122mmだったから
一見して「105mmはダメ、122mmは良い」みたいになっただけ
説を提唱する
それは実質的に砲弾の威力や効力にそこまでの差が無い事からも伺える
個人的には十糎榴弾の威力はあの当時の必要なだけの効力を得られる最軽量のアクセスだと思う
それは十榴が西側各国でも必須となった事から裏付けられている
英軍も遅れて追従した >>882
単位面積での制圧効力で10発8発の差は大きいと思いますが
合計の砲弾重量はおなじでも
105mmと122mm製造する手間はほとんどかわりません
ちがうのは重量に比例した元材料費のみ
それで射程が違って一方的にアウトレンジされてしまう
ノモンハン戦での砲弾集積量を彼我くらべてくださいな
わが軍の砲弾生産数がアメリカの1/80だった事実を知ってください
重量でなく発数です
重砲の比率の低い日本は砲弾重量生産高でさらに隔絶します
乏しい工業生産量だからこそ炸薬量の多い高威力砲弾をより多く製造しなければなりません 牽引車の性能が振るわなかった日本でA-19装備は無理な話ですが、砲弾威力はずっと
劣っても八九式装備するよりずっとマシとも思いますが
最大射程での砲戦は稀ですもんね
太平洋の島嶼戦、沖縄で八九式が活躍したところをみると戦況ごとのケースバイケース
としか申すしかないかと
射程より砲弾威力を重視する場面も当然あります >>886
十二榴と隔絶した差は無いのに、持ち込める砲弾が減る
これは即ち火力の低下でもある
日本のは特に両者同じ威力半径29mで
面制圧の観点からは105mmを連発した方が効率良いし
かつ一発の威力でもそう大差ないという
やはり一撃を求めるなら半端な口径より十五糎榴弾ですよ
最大射程で撃ち合う事が稀だからこそ、十加の比率は十五榴一個大隊につき一個中隊もあれば十分
一撃の威力を求めるならやはり十五糎級の榴弾ですよ
122mmは105mmと比べて旨味が少ない。 つまりは8発と10発こさえる製造コストの差ですね
原材料費の差より職工の手間賃のほうがはるかに上でしょう? >>888
だから射程20km越える十加を実際に日本は実戦配備できてないんだから貴氏の主張は
絵に描いた餅でしょう? まず世界的にも十二糎級の榴弾は105mmの榴弾より評価が低い
迫撃砲弾は別だが、炸薬比率が小さく弾殻が厚い所謂10km近い射程のライフル砲では殆どメリットになっていない
というのも、105mmの榴弾が完成され過ぎている、炸薬と弾殻の調和のとれた口径でもあったからだと思う
現に威力半径も大きく、かつ野戦築城への破壊力もバランスされている
12糎榴弾は15kg強に対して20kg以上と重くなるのに、増えた分だけの威力増大とは言い難い
十二糎榴弾を3発運ぶ労力で1発分多く増えるんです。この1発は大きい。
やはり米英独仏日・その他多数の国家の105mmこそ正しい選択ですよ
最初こそ25ポンド野砲弾に拘ったイギリスも、遂にはその優秀性を認めたどころか、強力な支持者となった。今や105mm砲の開発実績では素晴らしいものである >>890
A-19の利点があるとしたならばそれは20kmある事に尽きる
122mmはどうでもいい
という事
105mmで達成できるならそれに越した事はない
つまるところドイツが一蹴した十加ですよ
ソ連が122mm加農を良しとしたのは、ただ軽加農を良しとしたからに他ならない 105mmで戦前に達成したのはシュナイダーの輸出モデルだけですね
ほとんどセールスが振るわなかったんですが つまり「十二加だから偉い」など断じてない
あくまで射程を達成する為の一手段に過ぎない
むしろ十加だったらその分でそれ以上の射程を実現できたかもしれない
日本に十二加があれば…と悔やむなら私は機動十加(上のリンクで貼った日本軍の検討中の火砲)を言う。そちらの方が実用性があり、かつ実現性は高い
122mmになった分だけ砲の重量や製造費は相応に高くつく
105mmならばいくらか軽量になる事は争うまでもない >>893
しかし榴弾効力で言うなら圧倒的な十糎榴弾砲の世界比率がある
十加と十榴の砲弾威力は略同等、あるいは同じ弾を使う事も多いし、落角による違いのみと言っていい。
一方で十二糎の榴弾はソ連以外で殆ど受けていない。日本に至っては十糎榴と同じ威力半径という辛口ぶりだ。 実用化できてないものを俎上にのせても所詮、架空戦記の域をでるものではありますまい
娯楽暇つぶしで読むならいいけど >>896
ドイツの十加なら実用品ですが?
十加というジャンルそのものを批判して十二加をワッショイしていたのにその言い振りはあんまりである
また日本の十加とて捨てたものではないんですがね >>896
sk18は射程20kmを達成してないよ
しかも砲弾威力でソ連砲に劣る
それで二線級に格下げ製造中止までなってる
それで17cm K18登場でしょう?
あー面倒くせえなぁ。かまってちゃんが多いの?
おれは寝るからまた夜に再見! 10cm級火砲は陣地制圧に留まらず陣地破壊も狙える最小限度の口径ではあったが
陣地破壊を試みるなら15cm級火砲で榴弾を撃つ方が単位時間当たりの効率は良い
徹甲榴弾や成形炸薬弾による直接照準射撃で陣地破壊を企図していた三号突撃砲も
コンクリート建造物には手を焼いて15cm重歩兵砲搭載の四号突撃戦車の配備に至る
ソ連の影響で独は対戦車砲兼用の12.8cm加農砲こそ開発したものの戦闘重量が10トン級と
師団砲兵には荷が勝ち過ぎており戦争が長引いても主力は軽重榴弾砲のままだと思われる むしろ射程18kmを達成するにおいて九二式十加は最小・最軽量のアクセスだった
たかだか3.7トンの火砲でここまでの射程を出せるのは日本にはむしろ有難い話
八九式など3倍の放列砲車重量で同等の射程。これなら十加だけ作っていた方が遥かに経済的だ
A-19も「殆ど差が無い威力」「2kmの射程」の為に倍も重い
実際に太平洋戦線では最大射程での射撃戦など殆ど生起しなかったのだから、その2kmの為に払うどれだけのコストが必要かを考えれば、A-19とて手放しでは喜べない
十二加も所詮軽加農の域を出ないものだが、重量半分となれば日本軍向きであったのはA-19より九二式十加の方だ
A-19はむしろ122mmという口径でいくらか戦力がスポイルされたね。ドイツはこの選択に救われただろう。
日本の九二式十加、敵に回していたらA-19より厄介だ。
恐らく徹甲弾さえあったら対戦車砲としてのポテンシャルは野砲の比では無いしな >>899
十二糎はその十榴の最低限の調律を乱した
15糎榴弾と10.5糎榴弾との組み合わせで行ける、これが黄金の組み合わせであり
12糎榴弾は重いだけで半端に強い威力というある意味の無駄
>>898
だから威力は大差無い
格下げになったのはドイツだからで、ソ連だったら普通に主力張ってたスペックだよ
ソ連はもとが122mm規格だっただけ
てかほとんど20kmみたいなもんだろうが
122mm榴弾3発は105mm榴弾4発分の効果なんて無いんだよ
その1発多い105mm榴弾こそが米英独仏日・その他西側諸国の選択
122mmは改悪だからソ連の仲良し以外誰も使わない
使うとしたら安いから、それだけ >>892
スターリン戦車の砲換装の機会があってさぁ貫徹力ある100mmより、A-19ベース従来の
122mmほうが榴弾威力がはるかにあるから継続って史実をおれは何度も書いてるんだけど…
ナニ、あんたは旧軍砲原理主義者なのかい?
世界には優れた砲があまたある
それを正当に認めないと世界は広がらないよ
個人が好きな砲と優れた砲はかならずしも一致しない
ここには三八式十二糎榴弾砲萌えのド変態もいるらしいからw そんなにお前十加嫌いで十二加好きか??
威力なんて大して変わらねぇ。変わるのは砲がクソ重くなる、弾も減る。デメリットだ
十二榴と十榴どっちが有用な兵器かと言われれば100人中100人が十榴と答える
十榴は必要なだけの威力を提供する最軽量の弾だからだ
同じ様に十二加と十加もその関係が成り立つだろ
だいいちドイツやアメリカが十加を落第したのは軽加農を良しとしなかったから
採用されるべき国に恵まれなかったんだよ
そんなドイツアメリカでもコスパの悪い十二糎榴弾には手を出さなかった
敵の破壊にかけて計算されたくした105mm口径は、陸戦用火砲には必要だったからだ
射程が20kmあるのが偉い?
なら十加で20km出せばいいだけだ
ドイツはマズルブレーキ 無しで19kmやってのけた。真っ当に改良型たる/Mが製造されてりゃ、20kmは間違いなく行った
史実で行かなかったから意味がねえ??
それは意味十加のポテンシャルの否定にはならない
たまたま軽加農大好きソ連に恵まれたのが122mm口径でそれに救われただけ
5kgも砲弾重い、これはロジティクスの観点からは致命的にアウトだ
日本陸軍が十二糎規格を三八式で終わらせて良かった
もし十二糎榴弾砲が採用されていたら、ただでさえ寒い日本軍の砲兵の継戦能力・火力が更にスポイルされるところだった
加農も一緒だ
>>902
砲兵戦闘を前提に、対戦車は別として俺は一貫して語っているぞ
旧軍砲原理主義者ではない
旧軍はちゃんと10.5cm榴弾というグローバルスタンダードを追従していたから結果としてフォローされるだけだ
そもそも遡れば俺が八九式十五糎加農に全ての責任を合わせていることなど君ならとうに知っているはずだが?
あれこそ真の戦犯だと何度言わせる
同じ18kmの射程なら3分の1の軽さの十加の方が遥かにマシだ あー本当に面倒くせぇ
実際に日本軍重砲が射程20kmいってないから、どころか12km届かんのが大多数の
ノモンハンで大苦戦どころか惨敗、対砲兵戦で122mmカノンに負けてドイツは10cm sK18廃版にしてるんだよね?
達成してれば史実が大きく変わっとるわ!
何度言ったら理解できんの? 対戦車戦闘に徹するなら、ソ連は122mmの後継に100mm対戦車砲だろ?この様に徹甲弾の話はどうでもいい。砲兵は敵歩兵や砲兵を粉砕してこそであって、もともとこのクラスの重火砲で破壊できない戦車なんて後出しジャンケンに過ぎないからな
122mm榴弾が、ダメだという話をしている
105mm榴弾は、現在でも広く使われている
というか、むしろ戦後こそ最盛期といってもいいぐらいだ
何にせイタリアとイギリスが本気出してくるからな
日本軍も十二糎は失敗といっている
これは三八式が、ではない
そもそも弾数も減って発射数は落ち、砲が重くなる(これは重量制限のきつい日本軍では代わりに射程が短くなる事を意味する)上に発射速度も若干落ちる
そのくせ単発でも十五榴と比べたらどのみち屁みたいなもんでしかないのには変わりない
>>904
負けたからじゃなくてコスパ悪いからだよ!
勝手に負けたって事にすんなよ
たかが1kmで変わるわけねえだろ
そもそもドイツ側に十加が圧倒的に足りてない
十五榴主体のドイツ重砲兵がアウトレンジされた、これぐらいはおさえとけアホ コスパ重視のドイツ軍が十加切ったら痛い目見たでござるの巻を、負けたから十加切ったなんてこじつけるなよ
順序が逆だ
切ったからもうロクな対抗手段が無く、糞重い十七加に泣きつく羽目になった
十五加もあるがな
十加と十二加に大した違いなんてねーよ
あるのは砲弾の計算度合い
105mmってのは敵軍に最大の破壊をもたらす様に計算され尽くしてできてる規格
122mmは弾が減る、威力も大して増えない、そこらへん理想の105mmとはバランスがなってない だいいち、たかだか1kmの射程差が正義なら、射程18kmの十加や八九式十五加がA-19以外全部勝利決めてなきゃおかしいだろうが
ノモンハンでボコられたのも、地形と練度が原因だろうが
野戦重砲兵第3旅団が下手くそであと場所が場所なのが悪いんだよ
旧軍でも九二式十加のスペック(射程・精度)自体は本来ならA-19以外は始末可能な軽量火砲んだよ
純粋な砲の評価はこれ以上でも以下でもない
何度も言うがA-19の始末は本来十五加がやるべき事
裏を返せばA-19なんてのはソ連軍が使ったからこそで、別に火砲自体に何の魔法も手品もねぇ
純粋な火砲のみを語るって時に下手も上手いも混ざってる史実で判断するのは人的要因を排除できないじゃねぇか
これじゃ火砲がダメなのか使う方がダメなのか分からない
どっちもだというのなら何対何の落ち度まで特定出来るか?無理だろ
ごっちゃにすんな とりあえず俺も寝るわ
十二加が好きなら次来る時にドイツ軍の十加と比べてどう凄い活躍ぶりを示したか説き伏せてみな
どうせ調べれば調べるほど火砲自体はどっちも似た様なもので、どっちが下手くその集まりでケチだったかの違いでしかないってのが分かるからさ、やってみてな
ドイツの十加で射程19kmもスペックあれば、それは単にドイツが運用下手くそでケチっただけだって分かるから
使えない火砲ではない
そもそも一方的にアウトレンジされてる状況ってのは大概優位なポジションを取られている
この時点で負けだ
オッサンなら流石に一人ぐらいあった事あるだろ?何でもかんでも道具のせいにする奴いるよな? 間違えた
十二加が好きなら次来る時にドイツ軍の十加に対してどう凄い活躍ぶりを示したか説き伏せてみな、ね
要はこんな毛が生えた様な違いで何の実例があるのか、それは本当にアウトレンジされていたのかどうかだ。練度や門数が違うせいでお互い有効射程内で殴り合ってただけなら射程1km差ににクソの意味もないからな? 10加が使えないとかコスパ悪いって言ったのは、15榴と比べて、ってことだと思うぞ
射程12〜14km以内で使うときは、ただの重い10榴で、圧倒的に15榴の方がいいわけで
別にクソとかそこまでの勢いでディスってないだろ、ちょっとコスパ悪い程度ね
日本軍もソ連軍以外と戦うときは91式10榴の方がいいと思う
ラモウの戦いで8門ながらも奮戦し包囲した48000名の蒋介石直轄軍を打撃してる
山岳とジャングルで錯綜した地形では加農自体が飛行場撃つぐらいしか使いどころないだけだと思う 戦車連隊と装甲擲弾兵連隊が悲惨な1945年型装甲師団の編制表でも装甲砲兵連隊に
加農砲中隊を示す兵科記号(s↑)が存在するからsK 18は終戦まで現役だったようだね 日本軍には12km以上の長距離射撃の機会も技能もほとんどなかったからそういう評価になったと思う
だからそれも下方のせいにするのはちょっと酷な話しな気はする
これがもし草原でソ連軍と本格的に事を構える段になったら重宝されたと思う
なんにせよ第二次大戦最優秀野戦重砲(と俺が勝手に評価したw)ML-20 M1937と打ち合えるので
もっとも、その段階で詰みだということをいやというほど思い知らされたので、北進論はなしと。めでたし
あとは国民党がラ式を300門位投入して来たら話は変わったかもな? 戦車隊の場合、ガシガシ動くと砲兵の射程外に出ちゃうからね >>850
>>911
10cmK18の年度別生産(フリッツ・ハーン著 Waffen und Geheimwaffen)
1939年 -
1940年 35
1941年 108
1942年 135
1943年 454
1944年 701
1945年 74
ちなみに兵器価格は37500RMで10cm榴弾砲の2倍のお値段 >>911
10cmK18用の砲弾生産は1945年で174000発生産しているし
編制に載っていてもおかしくないよね
なお1944年7月〜8月の10cmK18の生産と損失は
損失110門に対して生産125門で
同時期の15cm榴弾砲が損失630門に対して生産513門だから
10cmK18の戦力は案外維持されているんだよね 二等輸送艦で南洋の島の砂浜に重砲を揚陸、配置まで動かすような運用はあったんだろうか? >>918
うるせえバカ!
そんな事実はよほどサイトを漁らないと出ない事実だろうが
製造中止ってのが、もっぱらの定説だったんだ
鬼の首とったつもりで調子こいてんじゃねえ
いや〜他人の尻馬にのってるねぇ
卑怯なことこのうえない
おまえは深夜に連投してる大バカゲス野郎だよ
年金の足しに新聞配達のアルバイトでもしてんの? >>919
逆ギレすんなよジジイ!テメェが悪いんだろうが
十加ディスりたいばかりに嘘付いたんだろ?この野郎w 逆ギレしてないよ
あんたをあくまで挑発してるwww
おれ二月三月は仕事の繁忙期なんで早めに寝るし、残念ながらあんまり相手にできない
と思うよ
まあ土曜夜はオールで付き合うかも? まったく平日深夜の二時三時にレスしてるやつって、リタイア老人でないかぎり
世間からみてかなり異質な人間だぞ
異常とまではいわんが
無職フリーターやら水商売か夜勤の物流とかコンビニ店員、コンビニ食品製造してるとか >>901
ドイツの火砲生産において対空砲と対戦車砲に重きを置かれていたのは有名な話
対戦車砲兼用だからこそ開発されたのであって榴弾の威力だけで評価する代物に非ず
もし戦争があと半年でも長引いてたらT29やIS3といった重戦車群と交戦する可能性もあった訳で
PaK 43でこれらを正面撃破するのは困難だったから決して不要な存在ではなかったと言える
>>914-915
砲弾の生産は把握してたけど砲まで45年に続行してたとは知らなんだ
情報提供有り難い 相手してやるだ?テメェみてえな悪意ある法螺吹きの言う事なんざ知らんと言ってるだろ!
あの勢いで廃番だの言いまくった癖に俺への示しはどうつけるんだよw大事な事じゃねえかよ!
てめぇの主張の一番の拠り所が崩壊したんだぞ!お前こっからどう論を立て直すつもりだよコラ
一生失せてろ! >>924
どんどん発狂なさってくださいなwイヤぁたのしいなぁ
おれの晩酌に肴サービスなのかな?
おれ、燃料投下しますか? いいから早く本題の続きを言ってみろよ〜w
ドイツ十加は糞で廃番になってソ連の十二加は神って褒めちぎってたあの勢いを取り戻せよ爺www
んなもん大して違わねーのが実態なんだよバーカ 罵倒の汚い語句をこれからもまき散らさってください
お里が知れるから
>>919は威力偵察でわたしも下賤な文章をあんたの倣いで書いてみました(笑) ドイツ21cm重臼砲18型(最大射程16700m)は17cmカノンと交代するようになって
大戦半ばで生産中止になったというのが定説だけど実際の年度別生産は
1939年 58
1940年 275
1941年 167
1942年 −
1943年 100
1944年 103
1945年 8
定説って結構いい加減だよなぁ 日本の火砲製造数も定説と異なるのでは
と上で話題にされてたしある程度は仕方ないのかも知れない 1990年代に日本陸軍火砲従来の製造数が大きく覆されてはいる
それまで陸軍工廠のみであったのが、佐山研究により民間工場製造分が追加されて九四式山砲など
三倍弱くらいになった
ただ、佐山さんは確実に資料から確認できた数しか記述してない
九五式野砲など564門とか佐山本よりずっと多い記述がPANZERにある
重砲の数字はそれほどかわらないだろうが、民間でも造ってた軽砲製造数は大きく
塗り替えられる可能性は大だね 月刊沖縄社「フィリピンの戦い」に九五式野砲がけっこうな数、捕獲されてる写真がある
おそらく生産は200数十門じゃなかったろう?と思う
大岡昇平のレイテ戦記で75ミリ野砲というのは、もちろん三八野砲、改造〜もあるのだろうが
過半数は九五式だったんでないかと 訂正 佐山本では昭和十七年十月末で九五式野砲は318門製造 重砲で四年式十五榴はきめわて数量うわ増し可能性が高い
・奉天兵工廠でskoda7.7cm、10p砲を製造、工廠を接収した日本軍が準制式とする
・接収まえからすでに四年式の製造図面を下附してた
・自緊砲身の生産は無理だった
・四年式の損傷砲を内地から送られた半製品つかって部品を製造し再生させた
・一貫生産は無理だったらしい
・戦間期に余剰兵器として輸出されており、最捕獲されたおぼしきキャプション写真
がある(毎日新聞社 日本の戦史)
・いくら旧式装備で野戦重砲兵連隊から師団砲兵に払い下げされてるとはいえ、製品
寿命による廃砲、戦闘損失、輸出ぶんを差し引いて再交付できるほどの数があったので
あろうか?
おれの考えでは414門にくわえ南満州製造で20門ほどは追加されてるのでは?と思う
ほかの列強に比して微々たる数字だけど 奉天造兵廠、各種砲の製造実績は日本軍接収まえ戦前ぶんはサイトで以前みた
戦中のは未見
そもそもこのサイト閉鎖されたみたいなんだよな 自緊砲身でない四一式山砲くらいは平気で製造してたろうな 80年代後半からぽろぽろ旧軍火砲の生産数が判明しだした
しかし、その多くは陸軍工廠の竣工数にすぎないものだった
佐山さんでさえ四年式十五榴の数を90年代はじめは280門と公表してた
佐山本が揃って久しい現在、新事実を明かすのが本スレ使命とは思うけどね 旧式な四一式山砲が連隊砲むけ需要で生産再開みたいに、四年式が師団砲兵の火力増強策
その他部隊交付で傍流ではあるけれど、配備に足りないぶんほそぼそ造られていたんでは?
とおれは想像してるよ
終戦時、資料の多くを証拠隠滅焼却処分してるから、未来永劫判明しないことが多いんだけども 二次資料を眺めるのが精々で匿名掲示板で駄弁る事しか出来ないのに何が判るというのだ
アジ歴が整備される前から一次史料の収集に奔走している研究者の助けには全くならんよ いやね。古本屋の目録買いするほどプロではないんだよ。残念ながらそれほど財力もない
し…
米軍の公文書館まで当たって資料を収集した佐山さんは素直に尊敬するよ
「日本の大砲」を初版で発売時に即買いした程度のアマチュアですよ
当時、あの値段は学生の身にはきつかった
いま、古書価格が高騰してるみたいだね 文庫あとがきによると久我山15センチ高射砲砲身輪切りが佐山邸にあるそうな
なんとも収まるとこに収まるというか
次はその鋼槐おれんとここねェかな?ご利益ありそう 過去スレによると奉天接収砲はオーストリア ボーラー社製8cm FK18がベース
のようだ
海外サイト参照でシュコダ発祥も間違いではないが、改良型ボーラー製がより正解の見解
1925年より当地で製造したそうで口径は7.65mm
ただ、10cm skodaM14/19などと基本的な部品は九割がた共通のようだ
かつてオーストリア・ハンガリー帝国の版図で部品下請け工場が共通してるかららしい
いわば姉妹砲 ネットのない1988年に「日本の大砲」は
まさにタンネンベルクの史上初の重砲集中管制射撃におののくロシア兵状況
だったよ
もっとも旧軍兵器研究で遅れてた分野陸軍火砲図鑑がいきなり刊行されたわけだから
当日では、まったく知られてない砲が満載!
この感動はアナログリアルタイムで実感した当時若者、現在おっさんでないとわかるまいて >>947
その本と教訓しらないから「冷戦末期に歩兵連隊50しかないのに榴弾1000門配備するソ連以上に重火力偏重してたクレイジーな編成してたネタ」と錯誤したわ >>941
結局15榴って何門あった?俺は何門作ったかよりも何門必要だったかを重視してて
・当面生産要望門数1000門、75mm戦車1000両
・1945年11/11日だかの決戦予定日まで75mm戦車及び150榴弾各600本(ほんとは800はほしい)に向けて生産中
・計画は幾度か練り直してるがおそらく全甲師団に150榴つけて近衛師団級にする
・沖縄では150榴を唯一師団砲級の40門編成(計画ではなく偶然そうなった)
・冷戦末期その教訓で師団砲を40の支援込100門で戦えるよう原則ソ連式砲兵旅団ありきドクトリンを組んだ
だから4師団、8師団、名古屋師団みたいな後方ラインでも火砲80門備えた限りなく砲兵旅団で、あれ北海道に転地する予備戦力でしかなかったんだろうな
壮大に脱線だけど、冷戦末期
・北海道戦車600、装甲車600の機甲軍団、兵力6万
・火砲400程度だが本土から兵力融通して最大機甲軍団と砲兵軍団を展開させる
とかいう島国にしてはがちドクトリンだったんだろうなアレ
そこらは最大的にSSMと哨戒機の進化でなくなった で話しを戦前に戻せば所詮陸軍参謀が
・ノモンハンとww2の戦果をどのように評価したか
・ソ連野外きょうれいをどうよみといたか
しだいだな
わいは序盤からやたらめったら数ある105mm砲の本土外投入例が少なかったことを注視して
・75mm砲は軽く不可欠だが重い105mm砲の本土外投入は不効率とされた
・師団砲が75mmでも軍団砲は150mm不可欠やろと重視された
・105mm砲の各種欠陥性が問題だった
と105mm砲の投入例が少ないことに注視してる
そして150mm榴弾の編成と投入状況は
・満州で軍団砲、近衛師団で砲編成して早期から100-150門は編成
・対米戦で60-100門近い投入だが近衛などの砲兵は据え置きで別の部隊
すると1943-1944年で編成200門と軍団砲150mm20門絶対の原理的なファンダメンタルがある
すると需要的に編成200の製造300需要は1943-1944年にはあり、対ソで莫大な要塞砲があって別途満州で200門は需要、計画は洗剤的にあった
そして150榴の戦果確認できてれば
・本土想定
・ソ連想定
で1945年初から突貫工事で500-600門需要で計画しててもいい
但し生産実態は損失補充の狙いで1000門級の計画は完全にない
1945年11月までの本土決戦までに需要500門の40門編成10軍団くらいが計画としては妥当か
本土決戦は自走砲と150足りない印象で関東だけでも千葉、神奈川、北関東で40門✕5個くらいは部隊ほしかったろ
たいし105は活躍ないし75mmよりも頼りにしてなそうだった 日本軍に存在しない軍団砲とか、何処の世界から来たんだ? 「日本の大砲」刊行は1986年だな
PANZERの広告みて発売時に地元の本屋に注文したな
当時、えらく高い本だったが「こんなマニアックなもん出していいのか?」とまで
実物手にして考え込んだほど
なんだか医学書みたいな本なんだもの タンネンベルク戦は知っといたほうがいいよ
無線有線通信、光学兵器の連携で初の集中管制砲撃を実現させた戦闘だから
いまでいうとAI兵器を大々的に使用して敵を圧倒的にねじ伏せたみたいなもんだ
おもしろいのは日露戦争で不仲きわまりなく、駅で殴り合いしたほどのロシア将軍がタンネンベルク
でともに軍司令官でね
お互いちっとも連携しなかったのもロシア大敗の要因のひとつとか >>936
実際、奉天軍が瀋陽兵工廠で四年式十五榴に倣った十九年式150mm重榴弾砲を1930年に生産(組み立て)したとする資料もありますね。
事実だとしても時期的に見て多い筈もないですが。
それ以前から三八式十五榴を一四式150mm重榴弾砲として生産していたことは間違いないようです。
但しボーラー系の十九年式105mm加農と四五式に倣った一九年式240mm重榴弾砲は計画又は生産途中で終わったようです。 残念ながら俺の確認できる限りでは四年式十五糎榴弾砲は修理止まり
このクラスの火砲を直せるというだけでも頑張っている方
一方九六式は昭和17年11月作成の造兵廠現有設備能力概見表によると
大阪の第一工廠で14門/月、日本製鋼所と神戸製鋼所でそれぞれ3門と2門
九六式の生産数に関してはこの時点で民間でも軍工廠の3分の1程度はあり、トータルで月産19門で、ピーク時は本来なら年産200門程度の生産数はあったのではと推測する >>955
奉天で日式十加を生産したリストがあり、それが十四年式だったのか?とか疑問はありますよ >>957
十四年式105mm加農は日本の三八式十加コピーですね。12門製造とする資料あり。
一九年式105mm加農はボーラー系で射程18,000mの筈でしたが、実際に破完成しなかったらしく。
東北軍由来の15榴は中央軍に吸収後も残存しており、
戦前の整理計画では砲兵第8団に一四年式と四年式計16門(他に砲種未記載の重砲7門保管)、
砲兵第17団に三八式と一四年式計24門という数字が残っています。
一四年式は瀋陽兵工廠製と思われますが、一九年式が無いのが気にかかります。やはり完成しなかったものか?
接収後の日本側の観測では四年式十五榴と二十四榴は図面止まりだったようではありますが。 >>965
大阪やらその他で製造した砲身素材やら砲架素材を加工して完成品にするぐらいの能力はあっただろう?
一貫生産は当然無理としても
10cmと7.7cmの榴弾砲野砲は曲りなりに製造してたから
素材は輸入だろうが ボーラーは昔はベーラーって発音してたよね?
イタリア戦車砲に改造されたりの47mm歩兵砲兼対戦車砲のオリジンメーカー
ドイツ軍が制式採用したボーラー製10.5cm山砲は1960年代まで東欧諸国で使われた優れた砲だったらしい >>958
ありがとうございます。日本の十四年式でなく三八式ベースですか
当時でも、かなりの旧式砲ですよね
終戦時に室蘭臨時要塞に九六式十五加とともに配備されてた妙な砲ではありますね
陸軍海軍ともに最新鋭装備が配されてると同時にちぐはぐさが半端ないという
国本さんの個人誌で読みましたが 野砲砲身性能だけでいうなら50口径F-22が至高
捕獲したドイツが薬室削って強装薬の7.5cm砲弾撃てるように改造して堪える強度があった
1941年バルバロッサ作戦以後に製造された粗製濫造後継砲はこの改造施すには危険と見做され
ドイツ軍で改修禁止通達がでてるほど
コスト面や使い勝手ではのちのZIS-3がはるかにいいのは自明だが
107mm M-60やら高コスト、高性能砲を開発するトレンドが確実に存在した事実を
おれは訴えたいんだよね F-22万能砲の推進者赤軍トップ、トハチェスキーが粛正されるに至り
すぐのちの1939年にほとんど製造中止
1940年に3門のみ造られている 好き放題に日記帳のごとく話題を書き連ねるのはさぁ。。上でも唐突にトラクターだの言いだして荒れるの分かりきってたみたいだし
四年式に話を戻すと、アジ歴では昭和13年に四年式十五榴の砲身及苴の半製品10個を大阪に至急返還するように達しが出ているから、加工能力は間違いなくあった ああっっ??
デッキの棒が刺さっていますがよろしくお願いします。
やばぃぃっっ!イッてまうで!
イクのはマジでやばぃぃっっ!
っていうのはさあ、マジなんだなぁ澤部
ラリッてまうで!ホンマに誰か助けてくださいよおおお
くるしい
くるしい
くるしい
くるしいよおおおお
助けてくださいよおおお
薬が俺を辺にするーうう
薬が俺を辺にするーうう
誰か助けてくださいよおおお。
嗅覚がさあ
嗅覚がさ鋭敏過ぎて余しでらやばぃぃっっ指お持ち通り動かズ 震えんよおお
誰か友達になってもらいたい
俺努力する!
まず人になる
普通は分からないけど真面目で嘘つかないように
でも、なんで自分を傷つけんのかなあ
こういうのは他人を遠ざけるんよなあ
知ってんよ
治さなきゃいかんのよ
いつも悩んでる
なんとかしなきゃいけない。
俺努力するの
がんばるからさぁ
とのんます
たのんます 俺はさぁ
趣味も君たちよりずっと薄っぺら
笑ってくれよう
薄っぺらなんだよなぁ
でも友達欲しい
行動しなきゃいけない
これがた間違っているのかなあ?
外に出なきゃよおお
くそう水
なんとかしたいよー
くるしいんだ
くるしいんだ
くるしいんだ
でも負けたくない
イキタイ
いきていたい なんか気持ちわりくなってきたわ
足が震えてトイレイクの超怖いよ
やばぃぃて倒れて死ぬかもしれないよ
くそう
神経がうごかねえよ
トイレ行くのこええ 見てる人がいたらさぁ
俺がいたことだけなんだ
それだけで十分なんだよ
あったかいじゃない
それだけであったかいじゃない
嬉しいわ。想像の中でだけ幸せになりたいから
メンヘラとか思ったか?
違う
いきているんだ
人間だもな
みつをだよ
大好きなやつ。優しい人がいたら嬉しい
男の人が好きなんだよ
俺男が好きなんだ!
助けてくださいよ
なんでもいいざぁないかなぁ。他人の目気にしちゃだせえよ
俺は男の人が好き
わぞわざ他人に言うことでもないけど、隠すことでもないからさ
それで鬱になりたくないよ
三島さんみたいにオープンにしたい いじめされた記憶が抜けないんだ
スレチじゃないんだよ
同じ趣味の人がいいんだ
それ以外は怖いんだよ これがさあ
仮面の告白ならさあ
小川のせせらぎだよ
ゲイは悪くない
わざわざ他人に言うことでもない
優しく強くならなきゃな
小川の告白だよ 本名は萩原武だからさ
言うなれば萩原の告白だよ三島さん 何書いてんだか
忘れてくれ
すまないよう
ごめんなさい これがさあ〜
俺の遺書に
なるかもなぁ
俺の辞世の句だ デッカい愛をさ
後ろから前からたっぷりと注がれたかった
下から突かれて死ぬほど愛されたかった
俺の愛を受け取って欲しかった
魔界村のさんたくさんですね 俺分かった
俺は女なんだ!
分かったよ
道が見えたようなぎがする
俺のだから男が好きなんだよなぁ >>964
トラクター話題振ったのはおれではないよ
スレ盛り上げるため、プロレスヒール演じてるのはやぶさかではないが
おれはスレが盛り上がって、住民の知見が深まるなら悪役上等なんだよ!
糖質キャラは断じておれではないよww
あんなもん演技でも到底無理 >>306-307の人といい、独特な喋り、週単位での数十もの執拗な書き込み頻度、そして火砲の古参を自称する構ってちゃんとの関係は一体? 農業機械化話題で脱線暴走機関車モード全開のときは、いざ平成維新ッ!!
おれが逝く引き換えにこいつら四、五人はぶった斬れるだろうよと万年東一に
仕掛けた爆弾マッチ霊が憑依していたな
軍板外野にいいように火砲スレが荒らされてる状況に忍びなく
いまいち点火しなく未遂だったけど 日本刀の製作過程をざっと調べればざっと概略わかると思うけど、過熱して鍛錬、不純物
を端部に追いやって取り除き、鍛錬冷却鍛錬の繰り返し
まともな砲身製造するだけにすくなくとも数100tクラスの鍛造プレスと各熱処理の工場
ラインを完全に整備しないと無理
監督官と工員の熟練スキルも
三八式野砲の国産立ち上げに際しても、最初は素材や半製品を輸入からスタートだ
海軍の砲身素材やらをなんとか融通してやっとこさ純国産化した。設計はクルップだが 俺お男が好きなんだ
ああああ〜
らりっておかしくなりそうだ
しにたくなるんだよおお
でも生きていたい
すまねえ 怒りなんだよなぁ
メンヘラとか思ったか?
だよね
消えるよ
さよなら 怒りなんだよなぁ
メンヘラとか思ったか?
だよね
消えるよ
さよなら 漏れは日本の大砲と平賀譲遺稿集を東大総合図書館に購入希望を出してちゃんと図書館で購入してもらった
あれは良い本だ 四年式15cmの生産が414とすると同時期に現存してる砲はいいとこ200強くらい
はたして装備数賄えれてたのか?という疑問はある
短射程ゆえ武漢作戦、台児荘で手ひどくやられて損耗激増なはず
むしろ九六式に装備改変されて師団砲に格下げになってからがシビアだったと思う
四一式山砲の連隊砲需要に比肩すべく事態なんじゃないか? 師団砲兵がそもそも色々なパターン多いし
末期は師団砲は迫撃砲と山砲、射程と威力は軍直轄て住み分け始めてるから
師団用15榴は在庫品で払底したらそれっきりだったんじゃねえかな 昭和十七年にも製造してたわけだろう?10月以降は不明の定例パターンで
おそらく自緊砲身生産できる工場設備が限られてて高射砲や新式榴弾砲加農
で目いっぱい
既存の生産ラインも遊ばしとくの勿体ないから終戦時までほそぼそ四年式造ってたとか
考えられないか?
大陸の戦訓で「野砲ではシナ兵が逃げないから、もっと十五榴よこせ」コールが歩兵から
いっぱい挙がったわけだよな
牽引車の生産配備は野戦重砲連隊で手いっぱい、射程短くとも砲身車砲架車にわけて
馬で牽ける四年式しか師団砲兵で装備できる十五センチ榴弾砲はなかったし >>964
「おまえらの加工は腕が悪いから任せちゃおれん!やっぱり大阪にもどせや」とも判断
できるね 陸海軍工廠ほか一部の技術力ある民間工場では少数ながら自緊砲身を製造できた
それの生産に忙殺されて、既存のローテク工法砲は下請けに移行していった
というのが自然な流れ
海軍短二十、十二糎砲がまさにそれ
箸にも棒にも掛からぬライフル砲。あれを作るくらいなら、その資材と労力で大口径
迫撃砲こさえるほうがずっとマシだったはず。製造技術難易度は1ランク低いし
昔は幻の砲といわれてたが、サイパン、グアム、ビアク、パラオ諸島で複数現存してる
サイパン戦訓で25mm機銃を据えるほうがはるかに有効と判断されてる あれ元は輸送船なんかにすぐ乗せる事が出来る自衛用の砲でしょ?
分類はともかく実際の使い方は対戦迫撃砲みたいなものだったはず 奉天で兵工廠接収したとき、6年前生産立ち上げした十榴が製造50門ほどとか
相当の怠け者か職員と工員意識とスキルに問題あったとしか…
満州事変まえに既に日本人技師が多数送り込まれてたから、現地の人間にレジスタンス意識も相当あった
のも事実だろうけど >>992
廉価で容易に生産できるやっつけ仕事の砲だね
はなっからないよりはマシみたいなコンセプト
あれで高射砲代わりに使うとか無茶ぶり全開wwww
フランス製75mmM1897野砲がドイツ軍に鹵獲され、マズルブレーキ装着5cm PAK38
の砲架に載せて対戦車砲としたのと出時がてんで違うよ
かたや出現当時は最新鋭の機構と性能だから辛うじてT34やKVを擱座させることができた
砲身は既存でもそんなものを一年ちょっとで3000門以上造ったんだな
戦時の危急で廉価版の兵器を大量生産する場面は当然ありうる
ただ、まったく役に立たないもんを製造するのは戦時で貴重なカネと労力、時間を
ドブに捨てる国家反逆罪に値するね >>991
名古屋工廠なんか山砲製造止めて海軍の12.7高の生産にかかってるんで
火砲製造能力の殆どは対空火器に回ってるんじゃねえかと >>994
対潜武装は遠方投射爆雷・対潜迫撃砲として、大口径臼砲てのはスタンダードの一つ
ttp://www.navweaps.com/Weapons/WAMBR_ASW_Howitzer_pic.jpg
これは英軍の19.1センチ対潜榴弾砲
短12/20センチ砲は、対空対水上対潜のマルチパーパスな簡易火砲で
量産して商船に積むには適切な武装でもあるんだよ。もちろん陸戦には向いてないが
船舶を非武装で出すわけにも行かないんだから仕方がなかろうというもん >>955
陸軍造兵廠で海軍高角砲生産とな?それは知らんかったよ
書き込みに感謝す 短20cm、12cm砲はwikiで呉工廠製となってるけど、実際は下請け企業が造ってる
83年のPANZER木俣滋郎さん記事より
当時は幻の砲と煽り文句ついてた wniの鈴木里奈の脇くっさ
(6 lゝ、●.ノ ヽ、●_ノ |!/
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\ 、'、v三ツ /
|\ ´ ` , イト、
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