さらに言えば、ドゴール派の戦車有用論も、独軍への反撃戦力としての機動力と衝撃力としてのもの。
つまり機動打撃という防御決戦に向けたものである。

この侵入した独軍に対する防御で終わっているかぎり、作戦術の理解はなかなか難しいものがあると思います。
(これは現在までの日本にも言える事で…防御側でいる限り、状況作為になかなか目が向かないのです)
(防御に必要なのは、状況作為よりも、受動的な状況誘導と状況利用)
(攻勢のような能動的な状況作為の必要性が、一番作戦術の必要性に気づきやすいと思います)

(なお、旧軍の本土決戦構想は、一見すると防御や持久に見えるのですが、あれの本質は攻勢なので要注意w)
(戦後の自衛隊の構想とは、実はその点で大きな差異があると思っています)
(なので、もしかしたら旧軍は作戦術を理解する下地はあったかも(そして無意識の属人的な作戦術が機能する余地も残されている)
(しかし、戦後自衛隊が、なかなか作戦術の必要性に今まで気づけなかったのは、上記のような状況もあったのかも?と最近ちと思っています)