太平洋戦争は陸軍の暴走で始まったようなイメージがあるが
実際のところ、ギリギリまで努力していたのは陸軍なんだよな
1941年8月には近衛ミッションと呼ばれる
日米首脳会談を画策しており、随伴員は武藤章と山本五十六と言う
切り札を用意していた
しかし、運悪くルーズベルトはニューファンドランド沖でチャーチルと会談していた
いわゆる大西洋憲章である
また、南部仏印に進駐したあとではタイミングも悪かった
問題はこのあとも陸軍は開戦回避に努力していたが海軍は沈黙続けていたことだ
山本五十六はゼロ戦に活躍ぶりをみて機動部隊の実力を試してみたい誘惑に
かられていたのだろうか?そんなことの為に300万の英霊を生んだことを
知る余地もないだろうが