編成・編制・編組スレッド12
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
●陸上自衛隊用語集における定義
編成 A 編制に基づいて部隊等を組織することをいう。
この場合、編制に基づき新たに部隊等を編成することを「新編」といい、
改正された編制に基づき既に編成されている部隊等を改正編成することを「改編」という。
B 部隊等の組織そのものをいうことがある。
編制 「陸上自衛隊の編制に関する訓令」に定められた部隊等
または長官が特に定める部隊等の固有の組織、定員および定数をいう。
編組 部隊を配属することにより、編制部隊もしくは編合部隊でない部隊を一時的に組織すること。
または編制内の人員および装備を以って、編制の定められていない小規模の部隊を一時的に組織することをいう。
●旧陸軍の用語(戦史叢書「陸海軍年表 付 兵語・用語の解説」より)
編組・編合 作戦上の必要に応じ、建制を定め、編制上の数個の軍隊を適宜に組み合わせるをいう。
陸軍では、軍令によって編合を定め、その変更は、軍令によるを本則とした。
編組は、通常、命令によって発令された。
編制 勅令によって定められた国軍の永続性をもつ組織をいう。
平時国軍の組織を規定したものを平時編制、戦時における国軍の組織を定めたものを戦時編制という。
兵軍の単位を集団して軍隊を組織するをいう。
編成 某目的のために所定の編制をとらせること、または臨時に定める所により部隊を編合組織することをいう。
動員令のうちに臨時編成という語を使用している。
軍隊区分 作戦上の必要に基づく軍隊の一時的編組をいう。
戦闘序列が隷属関係を律するのに対し、軍隊区分は指揮関係を律する。
配属 某部隊またはその一部を一時他の指揮官の指揮下に属させることをいう。
※前スレ
編成・編制・編組スレッド11
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/army/1488977193/ ちなみに、大正13初版、改訂昭和5年版の「騎兵須知」からの抜粋です。
この騎兵排除の重騎兵的任務がどこから、何時頃からはいったのか?
は他の資料もあさらないといけませんが、今日はもう眠いので寝る。
寝るったら、寝るの。 >>389
横ですが面白いお話有り難うです
国会図書館デジタルコレクションでタイトル検索「騎兵」で検索を掛けると7ヘージ近いリストが出て来ます
旧軍騎兵の操典や須知等、各国騎兵の操典や戦術論等の翻訳もかなりの量が
特に日露戦争前後に出版された物が多い様にですが、旧軍騎兵の変化の時期だったのかな?
旧軍の操典は初期にスキャンされた物が多い様で読み辛いのが残念・・・
パッと見ですが捜索と警戒は別々に解説されていますね
同じく「捜索」でタイトル検索すると何点か出て来ますが知りたい「捜索」は数点のみで三兵それぞれの解説だったりします 日露戦争前後は、開戦に備え、戦訓を踏まえということで典範類の改定やら色々ありますね。
ほんとは偕行社記事も漁らないとなんだけど、別件で忙しい >>402
ドイツなどは重騎兵でフランス,ロシアなどは軽騎兵(中騎兵?)だったかと。
これはさらに重装で突撃する騎兵集団が存在すれば相対的に軽(中間)になるってことで
それが不在となったドイツなどは重騎兵の任務に分類されていたみたいです。
>>404
秋山は対ロシアを睨んで単純にドイツ式を採用してもロシア軍に押されると考えて
騎兵でメンチ切るフランス式との折衷・両用を提案したということなんでしょうかね? >>408
フランス軍は騎兵といっても種類多いからなあ。
まあロシアもそうか、露軍の行動の巻末にある出征部隊一覧表みると選抜騎兵みたいな精鋭は戦場に出てないんだよね。
コサックばっか(ちなみに皆さんご存知とは思うけどコサックは最強騎兵えはない) 一応
おおざっぱな見分けは方として
メインウェポンが槍で突撃メインが重騎兵(ランサーとか)
メインウェポンがサーベル(拳銃も)なのが軽騎兵でよいかと。
カービンがメインウェポンの龍騎兵どうなんかな?
運用はまた別
たぶん西欧諸国は使い方で分類はしてなくて、上記の区別で適当な使い方を割り振っていたんではないかな。 続き
それで日本の騎兵だけど
まあ見た目は軽騎兵(胸甲騎兵連隊なんてないし)でいいと思う。
使い方は数がないから騎兵の任務はなんでもやらされた感じが。
編制的に言えば、師団騎兵は軽騎兵本来の運用でいいんだけど、
騎兵集団の用法は明らかに重騎兵のそれ。
秋山は騎兵集団を強化(というか作りたくて)したくて、旅順戦で使い道の少ない師団騎兵連隊をもらって騎兵を増強、
ここから騎兵集団が編制されるように。騎兵集団には支援用に臨時に帰砲兵中隊まで編制して配属してるから
とてもじゃないが軽騎兵とはいえん。
なお騎兵集団は日露の時は編制ではなくて編成 >>411
旧軍はもともとドイツの騎兵を手本にしようとしていたのでは無かったかと?
ドイツの重騎兵のほとんどは胸甲を装備してなかったようですよ。
騎馬突撃を基本戦術として用いる部隊かかどうかというのが基本的な違いと認識しております。
またイギリスのDragoonとLight DragoonについてもDragoonは突撃戦をしたとのことですので
運用(その想定)が攻撃的・好戦的であるかないかの違いと解釈しておりました。 なるほどイギリスの龍騎兵はチャージするのか(もしかして騎兵の英国面?)
日本の騎兵は日本陸軍がドイツ式にならった後もフランス式だったはず。秋山もフランス留学してるし。
しかし騎兵でこんなスレが伸びるとは思わなかった。 前述の「騎兵戦術論」でも「軽騎兵前哨」(著ブラック)を推奨しており、日本騎兵はやはり軽騎兵中心と思います。
ここで、偵察、捜索が中心となるのですが、騎兵集団の襲撃については秋山個人がどこで勉強してきたのか・・・
なお騎兵の襲撃については仏や独よりもロシア/アメリカで実は大きく発展しています。
ソ連/ロシアではWW1の騎兵を経て、戦略騎兵、デサント、CMGと進み最終的にOMGにたどり着きました。
アメリカの場合は、南北戦争で騎兵の運用が大きく進化しています。米軍の機甲騎兵はこれを継承していると個人的には考えています。
(単なる偵察/捜索だけでなく戦闘、襲撃を強く意識している)
(独機甲部隊については歩兵滲透からの進化であり騎兵からではない) 日本騎兵については、乗馬移動、下馬戦闘の乗馬歩兵なのか?乗馬戦闘の騎兵なのか?の論文があったのですが・・・
どこにしまったかなぁ・・・偕行記事だったかなぁ・・・ここで襲撃とかも論じていたような・・・ 乗馬歩兵も難しいですねえ。日本にも乗馬歩兵いたし。日露では後備兵役の騎兵を乗馬歩兵として伝令なんかに使ってたみたいですが。
移動ー乗馬
戦闘ー下馬
が乗馬歩兵の基本ですが
第一次世界大戦のオーストラリア軍騎兵は中東戦線で乗馬突撃かましてるしなあ(やっぱ英国面?) 便宜的に重騎兵・中騎兵・軽騎兵と分類するなら
ドイツなどは中騎兵に重騎兵の任務も兼ねさせていたので重騎兵の方に区分していた。
イギリスは胸甲が脆弱で飾りだから中騎兵が重騎兵の役割をしていたって感じかな。
英国面って言葉を初めて知りましたwww
>414
ソ連/ロシアは同意ですがアメリカは中騎兵のコンセプトだったのがなぜか重騎兵になった と。
ブラッドリーも中騎兵のコンセプトだったはずが本人(陸軍)が理由を回答できないw
その時々の参謀総長らがいい加減なことを発言してしらばっくれたので不明。
そもそも超大国でないと重騎兵と中騎兵、軽騎兵て揃えられないんじゃない? 日本の西洋式騎兵は導入された幕府陸軍以来長らく軽騎兵だった様ですが・・・
幕府陸軍中一番謎が多い兵科でも有り
文久二年の暫定案
重騎兵:6個大隊800騎
軽騎兵:2個大隊180騎
文久三年御軍制取調の上申書
騎兵組と騎兵槍組とする
慶応二年の段階では朝鮮鞍で西洋馬術の伝習を受けていて、落馬した際に怪我をしない様に馬場の整備に気を使っていたレベル
兵員(伝習生?)は70名程で組分けが有ったのかは不明
残されたスケッチでは槍は未装備
慶応三年にフランス軍事顧問団の到着により伝習は本格化
騎兵組指図役の発注した画には槍の装備有り無しの2種が画かれているので組分けが実現した?
また幕臣が3兵演習の待機中を画かせた幕臣調練図には陸軍笠を被り槍を携えた騎兵が背景に
慶応三年の予算内にランスも上げられていますし
馬具はデシャルム大尉の指導で馬具商
森村市左衛門が仏式軽騎兵用の鞍を生産
重騎兵用は戊辰戦争で指導されず明治にデシャルム大尉が再来日してから指導を受ける
(単なる技術の伝習?それとも重騎兵が存在?)
因みにフランスでの槍騎兵(Lanciers)は軽騎兵です
Chevau-Légers → Chevau-Légers Lanciers → Lanciers
と名称が変化して行きましたし 旧軍の騎兵(少くとも明治)に一番近いのはアメリカの U.S.Cavalry(合衆国騎兵隊)かも
1861年に各種存在した騎兵を U.S.Cavalry として6個連隊に再編
実戦では騎兵突撃(北軍はサーベルを好み、南軍はリボルバーを好んだ)、乗馬射撃戦、下馬戦闘、挺身行動等々、状況に合わせてあらゆる行動を取りました
(騎兵突撃を意図しない乗馬歩兵は別に存在)
参考にしたとは迄は言いませんが何となく似ている気がします 416です
オーストラリア軍の乗馬歩兵は乗馬突撃かましてる、でした訂正しときます。 419さん、416ですが私もそう思ってました。
その上で日米の騎兵の共通点って歴史が浅いことなんですよね(実はさっき書いたオーストラリア軍騎兵も)
なんか重・軽など騎兵の兵種分けをする余裕がなく取り合えず何でも屋の騎兵を養成してる気がするんですよね。
米軍についていえば独立戦争後に陸軍は大幅に削減され、南北戦争でも北軍は当初は騎兵が弱体そのもので慌てて育成したみたいいですし
。
オーストラリア軍も一次大戦で急遽、乗馬師団(マウンテッド・デヴィジョン)として部隊作ってますし。
なんというか乗馬できる人を急ぎ集めて部隊にした感じ。
そういやボーア戦争のボーア軍もそんな感じだは。
ヨーロッパの正統派の騎兵との対比おもしろいかも。 >>418
e のアクセントが文字化けしたかも
スマホからなので・・・
Chevau-Legers → Chevau-Legers Lanciers → Lanciers
取り敢えずアクセント抜きで つづき、つまり騎兵の歴史・伝統が浅いと395さんがいう(1)と(2)の区分けをしてる余裕がないんじゃないかな。 418さんランサーはフランスでは軽騎兵なんですね、今ままで重だと思ってた。ありがとうございます。
しかし、自分も含め日本では騎兵を理解していないのがよく解かった。 C.S.フォレスター「鬼将軍」とか呟いてみる。WWI序盤の大量消耗で大出世した英軍ヨーマンリー叩き上げな師団長(平時なら中佐除隊間違いなし)の話だが、
塹壕戦への否応無しの適応あたりが硫黄島の栗林によく似てると思った。米国時代に読んでたかな、案外。 「鬼将軍」原作は1936年か、読んでた可能性無くはないな。まあ旧軍は塹壕戦の研究かなりやってはいたから関係は無いかもしれんけど WW2米陸軍歩兵師団と海兵隊師団の師団砲の数・編成ってどうだったんだろう?
やっぱり他の国より飛びぬけて多かったのか? そもそも師団砲兵の標準が105mmなのは米独だけだからその時点で頭1つ抜けてる >>425
鬼将軍は積んだまま行方不明になって幾星霜・・・
面白そうなので探すかポチって見ます
同じフォレスター作品の青銅の巨砲は小説の方が映画よりも遥かに面白かったですよ
映画では山の様な巨砲てしたが小説では18ポンドカノン
半島戦役でイギリス軍が使用した最大の攻城砲は24ポンドカノンと5.5インチ榴弾砲(榴弾重量24ポンド)でしたので映画の様な規格外れの巨砲とは言えない
でも行動を隠蔽するには小さいとはとてもじゃ無いが言えないし・・・
そこら辺りがリアルでした
フランス軍が映画程バカじゃ無かったしw
WW1の小説だとダグラスリーマンの紅の軍旗が面白かったです
ガリポリ、西部戦線と転戦するイギリス海兵隊の話しで >>428
105ミリ大隊×2と155ミリ×1が基本だったかな。
これだけで列強より優位(ドイツ除く)
これに加えてFОとFDCで砲兵火力を適所に撃ち込めるのでもっと優位に立てる。
WW2の米軍師団砲兵は一個師団あたりの砲数や一門一回あたりの射耗弾数はいうほど多くもないけど
前線の目標に瞬発的に指向される火力が高い つづき米軍の師団砲兵中隊は6門編制(これは西欧軍隊の標準)
対する我が日本軍は中隊は4門編制(しかも射程の劣る、しかし軽くて運びやすい山砲が多い)
確か師団砲兵の門数は英軍が頭ひとつ抜けて多かったはず。 英軍は砲兵連隊25pdrx12門x3個連隊だったはず。
ソ連は76.2ox24、122ox12が混成3個大隊編成。
米海兵は砲兵大隊105ox12 x4個大隊
(1個大隊が75o軽榴弾砲の場合もあり ※空挺も使ってたパックハウザー) >>429
「青銅の巨砲」映画は見ました懐かしい(確かに仏軍の描き方は)
ナポレオン戦争当時の英軍火砲ってインチ表示のもあったんですね。 Lans氏
ソ連軍の編制って開戦時とスターリングラードの頃でかなり変わってなかったっけ?
いやまあスターイングラード戦ころのソ連軍編制って名ばかりだからあまり意味ないかもだけどさ。 そういや米軍、空挺師団は重い火砲を運べないから装備火砲は75ミリのパックハウザー(駄載砲−日本軍式にいうと山砲)だった。
英空挺も同じ。101空挺はパックハウザーの砲架を改造して105ミリ載せた火砲を装備してた。 南北戦争に詳しそうな人がいたけど、当時の米軍騎兵には正規編制の騎砲兵はいたの? >>433
榴弾砲や臼砲の類いは、榴弾をメインに使用する関係上実弾前提の重量表示じゃ不都合なので、英軍のみならず仏軍もインチ(仏インチ)表示だったかと 台灣島の中華民国陸軍が、師団を編成せずにみんな旅団編成なのは何故? >>437
433です、ありがとう。納得できました。 >>438
以前、別のスレに台湾軍人さんと名乗る台湾の軍事に詳しいひとがいてから、その人が来てくれれば一発で解るんだけど。
来そうもないので、個人の考えを
1、国土が狭い、兵力がさほど多くないなので師団編制まで取る必要がない、陸自に方面軍だの軍集団が無くて旧軍に軍団が無かったようなもの。
2、台湾は地形が錯雑で皺が多いから旅団規模くらいが取り回しがよい。
現代では師団は減少傾向で英やイスラエルみたいに旅団メインという陸軍が多いのも取り回しのよさも原因。
陸自も旅団化進めたしね。(3.11の時も陸自は師団丸ごとだしてない)
こんな感じかと >>436
正規編成の騎馬砲兵が騎兵連隊が固有の騎馬砲兵を編成内に持っていたか否かと言う事でしたら否です
取り敢えず北軍の例ですが
方面軍付き騎兵軍団
騎兵師団×2~3個+騎馬砲兵旅団×1~2個
騎馬砲兵旅団は分割され各バッテリーは騎兵師団に随伴しました
(騎馬砲兵旅団自体が雑多なバッテリーから編成さた物です)
この組み合わせが固定的な物なのか状況に合わた物なのかは不明・・・
南軍も同じ様な感じですが、両軍共に例外的に旅団編成内に砲兵バッテリーを持つ物も有りました
(これも結局は砲兵連隊からの転出や独立バッテリーを編入した物)
州単位の志願兵や民兵が多数を占めていた為、騎馬連隊が固有の砲兵(騎馬とは限らず)を有していた隊も有ったかも知れませんが・・・ ありがとうございます。建制では旅団で、各騎兵師団に分属させる方式ですか。
しかし、数が多くてうらやましいような。日本陸軍には騎兵師団は無く、騎兵旅団2個の騎兵集団(これは建制ではなく軍隊区分)に臨時騎砲兵中隊一個がいるだけなので。
ちなみに有名な機関砲は各旅団に機関砲隊として一個ずつ配属されてました。
しかし米軍くらい部隊数と規模が大きいと、レイダー(後方への襲撃)といっても挺身隊でしかない日本騎兵のそれとは、自ずと変わってくるんでしょうね。
>>438
軍事思想の変化と軍縮の影響
1990年代までに台湾陸軍は数十万人あったため師団の編成を維持していた
しかし軍縮を進めて、さらにアメリカ軍の旅団戦闘団思想の影響を受けたため、陸自同様に旅団化をシフトした。
最近になるとさらに少子高齢化の脅威を受けて、大隊主体の部隊を試験的に編成し始めた。 >>438>>440 別スレでお見かけしたので救援要請しました。最近はコテを外されている模様ですが、IDで間違いないです。
>>443 有難うございます。 >>443
440です、説明ありがとうございます。444さんもありがとう。 しかし東西問わず編制の小型傾向、大隊作戦単位(といって良いのか?)となるのが進んでますな。 >>446
冷戦が終結し軍縮傾向の中で、少子高齢化は東西を問わず全ての主要国で進行中ですからね
むしろアジア圏の方が少子高齢化が著しいほど。欧米は移民難民の流入が大きいのだろうが ===================================
第一次ソロモン海戦(1942年8月8日-9日)
===================================
火力は圧倒的に連合軍有利だったが、三川艦隊の圧勝だった。●は沈没艦
☆三川艦隊
重巡洋艦5隻 鳥海、青葉、衣笠、●加古、古鷹 ※加古は潜水艦による攻撃で沈没。海戦による大勝利は一瞬だった。
軽巡洋艦2隻 天龍、夕張
駆逐艦1隻 夕凪
★連合軍
重巡洋艦6隻 南方部隊(オーストラリア(豪)、●キャンベラ(豪)、シカゴ)、北方部隊(●ヴィンセンス(米)、●クインシー(米)、●アストリア(米))
軽巡洋艦2隻 東方部隊 軽巡サン・ファン(米)、ホバート(豪)
駆逐艦8隻 南方部隊(駆逐艦パターソン(米)、バッグレイ)、北方部隊(駆逐艦ヘルム(米)、ウィルソン、駆逐艦モンセン(米)、ブキャナン(米)
哨戒隊:駆逐艦ラルフ・タルボット(米)、ブルー(米)サボ島南北水道外側に一隻ずつ前程哨戒配備。
※まだ米軍にはフレッチャー級の新鋭駆逐艦は配備されてない。
アメリカは重巡ボルチモア級が建造中だが、就役は1943年4月以降。
代わりに、戦艦ワシントン、サウスダコタがソロモン海域に進出、砲撃戦になった。金剛型戦艦は火力不足を露呈。
速力が遅く、ソロモン海域に大和、武蔵、長門、陸奥を使えないことでアメリカ艦隊が優勢に。
1943年からエセックス級空母が続々就役し、連合艦隊は完全に劣勢となる。 今では大国同士の全面戦争よりも、島嶼での領土の奪い合いの蓋然性の方が大きいから、
小編成の方が合理的なのでしょう 世界各国の編制の小型化は、別に島嶼戦の為だけに限った訳ではありません。
各自、そこはお間違えの無いように。 あと、編制の小型化は少子化もあまり関係ないと思います。 対機甲戦闘で64式や重MAT時代の対戦車隊を指揮下に持つ師団長と
今後の中多装備の本管中隊対戦車対舟艇小隊のある普通科連隊長は
同様の判断を求められるとかそういう話っぽい そもそもソ連って同じ師団でも小規模じゃなかったっけ
小隊からして少人数だったような
自衛隊もだけど
細かくすることで柔軟性を重視しているものと理解していた
結局全部まとめてトップが指示しないといけないのは中間の指揮官の能力と必要の問題かと
数を正面からぶつけるなら大規模にすればいいけれど
細やかな前線の状況に応じた判断と行動が必要なら対応できる指揮官育成と編制がいるかと >>451
https://nikkan-spa.jp/1588394
2019年07月13日
自衛隊に若者が来ない。人手不足で「定年延長」することの大問題
今時の軍隊は人手不足になり易く、より少ない人で効率よく動けるために小部隊化ざるを得ない側面がある。
人手不足で機能不全になりやすい師団より機能する旅団が主流になったのが現状だ。
さらに海外派遣になると、兵站と政治の問題が加えて、小部隊で動くの方が国にとっても色々都合がいい。
非正規戦においてゲリラ側も正規軍の火力を避けるため分散して戦う、それに対して対反乱側も分散するしかない。
他に通信技術の向上も小部隊化を可能にした。
小部隊とはいえ上手く活用すれば正規戦に対応するのも不可能ではないだろう。
実際、太平洋戦争で旅団や連隊単位の戦闘は少なくない
フォークランドになると大隊レベルの戦闘が主体になった。 >>453
ソ連軍は独ソ戦初期に大打撃を被ってから師団規模を縮小したはず。
台湾さんの答えを見る限り、現在では少子化も編制縮小に関連はあるのでは、主たる理由は453の書かれてるとおりだけど。
少子化と用兵の考えがマッチしてるという感じかな 戦略単位を増やすと総兵員に占める後方支援要員の比率が上がるから少子化には不利に働かないか >>456
総力戦考えればそうだけど、今は使う戦略単位そのものも減少してますので。
前線兵力が減れば後方要員も減るという理屈 なんで千切りとみじん切りでみじん切りだと量が減るみたいな主張してるの? 師団か?旅団か?の話題が出ていたので
ロシア東部軍管区で「新たな師団」が復活
https://vostokresearch.jp/?p=388
ロシア地上軍における縦深作戦能力の回復
https://vostokresearch.jp/?p=1197
ロシア軍における師団と旅団の比較検討がされてる
火力集中においては師団が良いようだ ソフトウェア開発における
ウォーターフォール型の開発とアジャイル開発はこのスレ向きの話題だと思う
ちょうどLans氏あたりもそっちの畑の人間だったはずだし >>460
ミス、どっちかというと
これ海・航空・陸上戦考察スレのほうのネタだわ 編制の小型化
まず、この話をするにはWW1まで遡る必要があります。
確かに最初は動員人口がきっかけでした、しかし、その後は人口に関係なく戦訓による小型化が進みました。 全ての始まりに軍事の英国面あり・・・
はい、最初にやったのは大英帝国です。
奴らはWW1初期の大損害により部隊増産の必要性に直面していました。
とはいえ動員人口には限界があります。
そこで行われたのが4単位師団→3単位師団の変更です。
前衛2個、後備(予備)2個を、前衛2個、後備1個に変更したのです。
これにより師団数(運用ユニット数)を確保しました。
その結果、小型師団でも戦闘力では大きな変化がなく、
兵力減で減少した継続戦力も部隊数増加によるローテーションによる回復できる事がわかりました。
さらに小型師団は4単位師団と比べて運動しやすかったと言われています。
この4単位師団→3単位師団は、世界に広まりWW2頃では3単位師団が世界標準になっていました。
キッカケは人口問題でしたが、それ以上に小型化の有用性と優位性が存在していたのです。 次に下位からの小型化を見てみましょう。
例えば、戦車中隊
以前の米軍型中隊は 本部2輌、偵察軽戦車小隊5輌、戦車小隊5輌x3個小隊
つまり22輌もの規模でした。
これに対し小型中隊を指向した軍隊がいくつかあります。
まずソ連。
これは、まあ、WW2初期の大損害で数を揃えられず、否応なしに10輌中隊(重戦車中隊だともっと減る時期もあり)
しかし、理論と実践から中隊数を減らした国があります。
1)英国
また英国です。彼らは1人の指揮官が指揮できるのは3輌、つまり自車+2輌と科学的に分析したそうです。
その結果、3両小隊を取り入れます
2)イスラエル
なんといつも戦争ばっかのIDFです。
こちらも戦争損害が多いので仕方なく小型化したと「誤解」されることもあるそうですが・・・
実戦の戦訓として、ユニット内の戦車数よりも運用ユニット数が多い方が有利に戦えたという中東戦争の戦訓を得ていました。
最初は本部2輌、小隊5輌x3小隊=17輌でした。
これが本部2輌、小隊4輌x3小隊=14輌に、さらに本部2輌、小隊3輌x3小隊=11輌になりました。
これは戦闘間における再編成もしやすかったと言います。
※イスラエル地上軍-機甲部隊戦闘史(ダビッド・エシェル)原書房を嫁 下部の小型化は、解像度が上がったモニターみたいなもんだね
上部だと小さいモニター二枚か大きいモニター一枚かぐらいの比較はあると思うが 装甲(戦車)師団でいうと、ドイツもアメリカも大戦中にダウンサイズしてますね。
これは戦訓による理由もあった。
両軍とも最初の師団編制がでかすぎたというべきだろうけど。 さらにイスラエルに影響され、マニューバ・ウォーフェアに傾倒した米陸軍が続きます。
彼らは冷戦期に旧独軍の生き残りの影響を受け、旅団単位の柔軟運用に進みます。
大隊を自由に組み合わせ旅団規模のTF(タスクフォース)を組む、例のロード師団です。
これは柔軟性を追求した結果、紆余曲折しましたが
結局、柔軟な旅団の組み換えはかえって運用速度の低下を招くというので
固定編制の旅団戦闘団(BCT)を運用単位の主軸とする形で現在にいたります。
(師団は以前の軍団に相当する管理面の強い階梯となりました)
どこも人口や少子化は関係ありません。
あくまでも運用効率と作戦運用の柔軟性を目指した結果です。
これらの変革は70年代から始まり、80年代には基本的方針が固まり、BCT化の動きは00年代には始まっています。
少子化どうこう言われ始める前に、既にこの方向性になっていたのです。
編制史や運用史をみずに、現在の問題点からみると、たまたま少子化と合致しますが、少子化は後から出てきた問題。
そして運よく、この小型化方針が合致しただけです。
みんな、用兵思想をその時、その時で切らず「史」として捉えて分析しようず。
用兵思想じゃなく、用兵思想史 そして、異彩を放つのが労農赤軍です。
彼らは、最初はいやおうなく・・・しかし、戦力が拡充し装備数の心配をしなくなった後に
あくまでも理論(軍事科学)の追求から小型化の道を進みました。 DVDのワーテルローが中盤になったので映画に集中するです。
続きはまた後で。 追記
米のロード師団は、以前の機甲師団のA/B/R戦闘団 方式の直接の継承ではあります。
がこれをペントミック歩兵師団と合わせ、編制の大改革を60年代に行った時に独軍を調査したと言われています。
そして戦後の軍部復権を狙う西独軍や喰うに困った退役軍人もこぞって協力。
なお、ペントミック師団については労農赤軍で書くので、ここはちょい待っててw
(実は関係がある) 英軍は一次大戦前から3単位だったような。旅団3個で師団という あーーー、ごめん4単位→3単位は独軍だ。1918年に変更。 でも冷戦末期の西独逸は激オモ機甲師団もってなかったっけ?
まぁNATOの持ち物だったけどさ >473
冷戦期西独は戦後条約の師団数縛りがありました。
その為に戦力強化には師団内容の増強しか方法がなかったのです。
実質的に
師団=軍団
旅団=師団
くらいに考えても良いのではないかと思われます。 (裏技として郷土防衛軍がありますが…最盛期のこいつらは同時期の陸自乙師団より強力に機甲化されているという…) おぉう、条約で師団数縛ってたのか
実数縛ってないザル条約意味あったのか・・・
しかしこの重編制師団が今じゃ見る影もなく…涙がちょちょぎれるわ >476
西独再軍備の際にNATOが縛りました。
(再軍備には日本以上にごたごたしてます)
が。そのNATO自身が西独の軍備に西欧防衛を期待するものだから、ザルになるのも当然。
(米軍だって当初は日本に30万7以上を要求したでしょ)
正直いって世論及び東側に対する西独再軍備のポーズにすぎません。 装甲師団内に同時期の第7師団と五分にやりあえる、装甲旅団3個保有してましたからね。 陸上自衛隊の師団って実質旅団クラスだよね?
方面隊が師団クラスかな? 他国も連隊か大隊はぶくのが普通になったから
陸自の旅団は他国の旅団と同じ
陸自の師団は他国のでかい旅団だと思う >>472
師団の三単位への移行は仏軍が少し先行してて、1917年じゃなかったかな。
理由は簡単にいえば「戦略単位を増やしたい」だったはず。 陸自の師団規模、うーん旅団かなあ。
確かに大隊はないよね、でもWW2の英軍旅団なんて3個大隊しかないし。
米加混成の第一特殊任務旅団なんて実質2個大隊で2千人もいなかったはずだし。
かと思えば日本の独立混成旅団なんて5個大隊1万人もいるしなあ。
結局、旅団て何? そういやWW2のイタリア軍歩兵師団て二個連隊しかないんだよな。
ほんとは3個めの連隊作りたかったみたいで黒シャツ隊で補いつけようとしたらしいけど。
これは実質が旅団規模の師団かな。 由来としては戦場での戦闘部隊の集団=旅団、独立して作戦行動がとれる諸兵科連合の戦略単位=軍団、軍団を分割したものが師団だったか
旅団戦闘団や独立混成旅団はミニ軍団で機能的には師団と同じ、差は規模くらいかな 戦闘団は確かにミニ師団でしょうね。
独立混成旅団は後方支援が甘く機動力に欠けると言われてましたね。
(にも関わらず大陸打通作戦に投入されるという) となると古い旅団、混成にすると師団のような戦闘展開が期待できるけど、後方が弱い。
現代の旅団は独立性が高く、小型師団とて運用できるなのかな。
あと、WW2米装甲師団のコンバットコマンドについてよろしく。 師団は状況に応じて複数の戦闘団も繰り出せる冗長性が売り、
旅団はそれ自体が戦闘団というか1個戦闘団の支援がメインというイメージ。 昔の4単位師団は主攻2個連隊、助攻1個連隊、予備1個連隊が基本だったそうだが3単位だとどうなってるの?
主攻2単位・助攻1単位は変わらず予備が他3単位から抽出された兵力になるのかな? 日本陸軍の場合
主攻1個連隊、迂回に1個連隊、予備に1個連隊か
主攻2個連隊、迂回に1個大隊、2個大隊が予備程度 続き
だけど、中国の戦場だと連隊を広範囲にバラし主攻助攻も無かったり 米軍は正面1個、側面(助攻)1個、予備に1個が基本 陸上自衛隊の独立一個混成団を揚陸艦一隻で輸送する場合、
ワスプ級やアメリカ級の容量では足りないからより大型にする必要がある。
全長284から298m程度の大きさの強襲揚陸艦を3隻か4隻調達するのが妥当だろうと思う。
正規空母並みの全長300m超えは揚陸艦としてはちょっと大き過ぎるだろうから、
揚陸艦としてはフルサイズの大きさにするのが費用対効果の面で優れているだろう。 >小型化について
さて、ソ連軍は最初はいやおうなく、そして次に理論的編制の小型化を図りました。
特に60年代後半から70年代前半に現代戦における縦深作戦の確立に伴う作戦術の基本原則の確立が大きく影響したものと考えます。
ソ連の作戦術及び戦術の基本原則はワシーリ・エコイソヴィッチ・サブーキン大佐によりまとめられ1972年に発刊されました。
(その後、米軍が入手し翻訳。これを日本も入手)
そこで重要な事項として「戦闘行動の運動性及び速いテンポ」を挙げています。
これは作戦術に必須の要素としています。
速い作戦テンポの維持は、敵に先んじ行動し相手の計画を崩し常に主導権を維持する事に繋がります。
この時期、ソ連では西側が、ソ連に対する戦略・戦術的機動の優越により、有利に立つつもりであると分析・認識していました。
その意味で、米軍の核戦争化の分散・集結を高い機動力によって実行するペントミック師団と航空輸送及びヘリ部隊の機動力を警戒していたようです。
(WW2独軍の電撃戦を速いテンポの攻撃と表現)
なお部隊統制の運動性として判断・命令・伝達などの時間を認識しており速度化を説いてます
(もちろんOODAループなどという言葉は使わず、OODAループが米軍で言われる以前の話です)
これらは当然部隊編制にも影響を与えていると考えるべきだと思います。
大きな部隊と小さな部隊、どちらの運動性が高くてテンポを維持できるかは自明の理
(ただ個々の規模は小型でも、その運動力を生かし、決勝点における部隊の総量としては敵を凌駕することを目指します) >492
>独立一個混成団を揚陸艦一隻で輸送
なぜ1隻で輸送する必要があるのですか?
後方でヘリ母艦として運用する強襲揚陸艦と、前に出て揚陸艇やAAVを展開するドック型揚陸艦に分割した方が効率的かつ安全だと思います。
(米軍の強襲揚陸艦は1隻で全部やってるとか思うなよ) >>494
ホイッドビー・アイランド級やハーパーズ・フェリー級などの中型のドック型揚陸艦なら、
強襲揚陸艦よりも敵の上陸地点に近い場所に展開して上陸作戦を行うのは分かる。
しかしサン・アントニオ級は中途半端に大きい為に、中小の港湾を利用できなくて不便であるそうだが。 皆よく読め、492は3−4隻揚陸艦を調達と書いとるぞ。 >>496
ガバガバでテキトーな思い付きを甘やかしてやる必要は無いのでな。 友軍がまともに展開していない敵正規軍が制圧している地域にヘリってこれからどうなんだろうか >>495
そういや全長200m超えてたっけと思って調べたら、全長208.5mか
何とも中途半端な。巨大船にするのなら、もっと思いきって大きくすれば良いのに
>>496
1隻で輸送する場合、と書いてあるのでアウトだな >492
は
1個混成団(この混成団がなんなのかわかりませんがw)を1隻で輸送。
その上で、3〜4隻保有なので、計3〜4個混成団の輸送を主張するものと思われます。
混成団が1個RCT相当を意味するならば、3〜4隻で1個旅団〜師団の輸送ということでしょうかね? で、まず
強襲揚陸艦については、ワスプ級やアメリカ級を上げているので、LHD/LHAを指しているものと思われます。
つまり航空甲板を持ったヘリ運用を前提。
で、ヘリ運用をする為に、艦はどう行動するでしょうか?
当然、ASMを避ける為に、水平線の向こう側からヘリを発艦させます。
距離的には50〜100Km前後ってところでしょうか?
当然、ヘリ発艦の際には低速航行です。
そしてヘリ揚陸作戦中、母艦は位置を変えられません。
(補足され敵ASMに撃たれる可能性の高い海域で、のろのろする訳にはいかないので)
そして、こんな沖合から揚陸艇やAAVの発進展開もありえませんね。
海岸まで何時間もかかってしまいます。
(そもそもAAV辿り着けるのか?)
では、どうするのか?
ドック型揚陸艦(LPD/LSD)が前に出て海岸に接近し揚陸艇やAAVを下すのです。
強襲揚陸艦がLCACやLSUを使うのは橋頭堡が出来てから。
逆にドック柄揚陸艦がヘリなどを使うのも、橋頭保が出来てから。
ここまでくれば、強襲揚陸艦(LHD/LHA)ばかり作っても無駄というのが判ると思います。
LPD/LPAとLPD/LSDは必要とされる機能、役割が全く違うのです。 書きミス
強襲揚陸艦(LHD/LHA)とドック型揚陸艦(LPD/LSD)は必要とされる機能、役割が全く違うのです。 >>502
で、強襲揚陸艦の揚陸作戦時の脆弱性に対応するために、米/中とも「機動揚陸プラットフォーム艦」というモノを
作って、第一波で或る程度の部隊を纏めて揚陸する方向に進んでいる、というのが揚陸艦艇から見た
現代揚陸戦のトレンドだわな<機能と役割の違い ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています