>>314
 いえ日本軍自身が武力進駐になったことを遺憾ながら認めているんです。

 実は23日午後4時30分になってぎりぎり交渉成立した一因として、
アンリ―大使に対して22日午前零時以降進駐開始する旨、最後的通告を送っていたことがあります。
 それに対し仏印軍側が日本側の一方的決定で仏本国の訓令にも反し平和的でないとして
反発したものの戦闘を避けるため交渉が続き妥結したものです。

 ところが第五師団は進駐開始と同時に現地仏印軍へ進駐に関する通告や打ち合わせを行うことなく、
一方的に前進し障害物の撤去を開始。これに対し仏印軍が阻止射撃、
 日本側も応戦。遂ににランソン陣地の25日を期して捕捉撃滅することになったものの、それより先に仏印軍が白旗を揚げて戦闘が終結しました。
 もっとも26日にも日本軍機の爆撃(誤解に基づく)などは続いたようですが。

 「かくて武力行使の進駐が生起したのである」
と戦史叢書が認めるところです。
 第五師団が先に軍使を立てて通告すれば平和的進駐も時間の問題だったのですが。