南雲忠一中将を再評価するスレ(46代)

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2022/11/06(日) 13:22:33.22ID:CaJiBy5N
南雲忠一中将はもっと再評価されるべき!(46代)

前スレ
[45代]南雲忠一中将を再評価するスレ(比)
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/army/1661053459/
>>236~ニミッツ長官考察の章)

過去スレとテンプレはまとめwikiを参照されたし
admiralnagumo@ウィキ
http://www10.atwiki.jp/admiralnagumo
353GF長官
垢版 |
2023/01/07(土) 21:33:25.07ID:3UNNZSCO
>>352の続き

>ウイリアム・ハルゼー中将(1904年卒)>>340
1904年=明治37年で日露戦争が始まった年です。
江田島でいうと、海兵32期
すなわち、山本五十六GF長官と同期なのです。

ちなみに、ニミッツ長官は一期後輩(1905年卒)なので
海兵33期。豊田副武GF長官と同期ですね。
354GF長官
垢版 |
2023/01/07(土) 21:34:43.74ID:3UNNZSCO
>>353の続き

>レイモンド・スプルーアンス少将(1907年卒)>>341
スプルーアンス少将というと若手のイメージですが、
海兵35期で近藤信竹中将(第二艦隊司令長官)と同期

南雲長官はその一期下(海兵36期=1908年卒)なので、
水陸両用部隊司令官として有名な”テリブル”ターナー少将や
レイテ沖海戦で第七艦隊を指揮したキンケード少将と同期
355GF長官
垢版 |
2023/01/07(土) 21:35:59.50ID:3UNNZSCO
>>354の続き

日米ミッドウェー同窓会でもやろうものなら、
南雲長官の方が、「スプー先輩、チーッス!」と
頭下げないといけないわけですね。

多聞丸なんか隅っこで、おとなしく飲んでなければなりませんよ
2023/01/08(日) 05:59:28.37ID:BQlOOVHt
多分アメリカ人はそんな感じじゃないな。同窓会(遺恨などはないとする)なら山口を隅っこで小さくさせとくわけないじゃん。むしろスピーチさせられる
2023/01/08(日) 10:27:30.06ID:0lxm+HyU
ロッカーに変な物入っていて仮装させられる
358GF長官
垢版 |
2023/01/08(日) 17:39:40.16ID:kykzveRI
>>356
アメリカ人はパーティ好きですからね。
大食い対決とかやらされるかも

>>357
おいタモン、コンビニでジャンプ買って来いや
やきそばパンも忘れるなよ

こんな感じですか?
359GF長官
垢版 |
2023/01/09(月) 22:39:57.64ID:+Zbcw+/E
>>355の続き

そんなわけで、古参のこの人から。
>ウィルソン・ブラウン中将(1902年卒)>>339

1902年卒というのは、日本海軍なら海兵30期で
山本五十六GF長官(海兵32期)よりも上で、

永野修身軍令部総長(海兵28期)や
米内光政海軍大臣(海兵29期)のすぐ下という、

どう見ても海上勤務に出る年齢ではありません。
360GF長官
垢版 |
2023/01/09(月) 22:40:37.73ID:+Zbcw+/E
>>359の続き

ブラウン中将は1882年生まれで、開戦時の年齢は59才。
南雲長官は1887年生まれで、開戦時は54才。
もはや還暦ですね。

アナポリス卒業席次は、44位/59人中で
かなり下の方。
361GF長官
垢版 |
2023/01/09(月) 22:41:16.34ID:+Zbcw+/E
>>360の続き

Wikiの経歴を見ると、

第一次世界大戦では、大西洋派遣艦隊の司令部付き
1918年、駆逐艦パーカー艦長
1920年、海軍大学校(少佐)
1929年、ニューロンドン潜水艦基地司令(中佐)
1932年、戦艦カリフォルニア艦長(大佐)
1936年、偵察艦隊訓練航空隊司令官(少将)
1938年、海軍兵学校校長
1941年、偵察艦隊司令官(中将)
362GF長官
垢版 |
2023/01/09(月) 22:41:46.61ID:+Zbcw+/E
>>361の続き

日本海軍のように、海兵を出た後、
例えば、水雷学校普通科→高等科といった教育を受けるわけではないので、
○○屋という分類は難しいと思いますが、

少なくとも、航空屋でないことは明らかですね。
飛行士の資格も持たないし、空母艦長の経験もない。

少将になって訓練航空隊の司令官になったのが
初めての航空関係の経歴と言えるでしょう。

まぁこの世代になると、日米ともに
生粋の航空出身司令官というのは難しいでしょうね。
363GF長官
垢版 |
2023/01/11(水) 00:31:53.71ID:h5auWXMq
>>362の続き

続いては、
>ウイリアム・ハルゼー中将(1904年卒)>>340
説明不要の有名人ですが、

>>353のとおり、山本GF長官と同期で
しかもブラウン中将と同じ1882年生まれなので、開戦時は59才

ブラウン中将も健康に問題をかかえ、
ハルゼー中将も皮膚病でミッドウェー海戦中に入院していましたが、
そもそも、海上勤務をこなすには体力的に厳しい年齢だった、
ということでしょう。
364GF長官
垢版 |
2023/01/11(水) 00:33:27.14ID:h5auWXMq
>>363の続き

ブラウン中将と同い年にも関わらず、
ブラウン中将は1902年卒、
ハルゼー中将は1904年卒、

なぜ二年も開きがあるかというと、wikiの通り、
>海軍兵学校へ入学できる15歳が近づくと、入学に必要な指名を得るため、
>最初は1897年1月にウィリアム・マッキンリー大領領へ手紙を送ったものの返事は無く、
>その後も指名を得ようとしたものの得られなかった。

アナポリスに入るには、有力議員の推薦状が必要だったからで、
学力試験に合格するだけでは、入学できなかったからです。
365GF長官
垢版 |
2023/01/11(水) 00:34:41.71ID:h5auWXMq
>>364の続き

スプルーアンス少将の時も同様だったようで、

「入校生徒のほとんど全部が議会によって指名された者であった。
ニュージャージー州出身のスプルーアンスのように試験によって
選抜されて来た者もあったが、ほとんどが政治的な”つて”で
選ばれた者であった」
              (『提督スプルーアンス』ビュエル/著)p19

必然的に、政治家とのコネを持つ上流階級や、親戚に海軍関係者がいる
家庭の男子でないと入れないわけですね。
366GF長官
垢版 |
2023/01/11(水) 00:35:13.34ID:h5auWXMq
>>365の続き

どんな田舎の百姓の子供でも、体力壮健で頑張って勉強すれば
学費不要の江田島で学んで、お国に御奉公できる日本海軍の方が
よっぽど”実力主義”ですよねぇ
2023/01/11(水) 04:09:48.81ID:t80CGv4T
藩閥を克服した結果。元は薩摩閥ばかり
2023/01/11(水) 09:29:27.42ID:4n1TfnFs
>>366
Wikiによると海軍兵学校は結婚してると入学できないぞ
369GF長官
垢版 |
2023/01/11(水) 21:46:48.54ID:h5auWXMq
>>367
陸軍の方はどうだったんですかねぇ
明治は長州閥でしたが

>>368
士官の結婚は海軍大臣の許可が要るようですからね。
さすがに中高生の年齢で結婚してるような人は軍人は目指さない方が賢明かと
370GF長官
垢版 |
2023/01/11(水) 21:58:51.27ID:h5auWXMq
>>366の続き

ハルゼー提督の経歴です。

1906年、大白色艦隊で世界一周(日本にも寄港)
1909年、水雷艇デュポン艇長(大尉)
1912年、駆逐艦フラッサー艦長
1913年、駆逐艦ジャービス艦長
       第一次世界大戦では大西洋の哨戒任務
1918年、駆逐艦ヤーナル艦長(少佐)
1919年、駆逐隊司令
1921年、海軍情報局、駐独武官(中佐)
1924年、駆逐艦デイル艦長
1925年、駆逐艦オズボーン艦長、戦艦ワイオミング副長
1926年、巡洋艦レイナ・メルセデス艦長(大佐)
1930年、大西洋艦隊駆逐艦戦隊司令
1933年、海軍大学校、陸軍大学校(交換留学生)
371GF長官
垢版 |
2023/01/11(水) 21:59:30.94ID:h5auWXMq
>>370の続き

1934年、ペンサコラ飛行学校
1935年、空母サラトガ艦長
1936年、ペンサコラ海軍航空基地司令官、
1938年、第二空母戦隊司令官(少将)空母エンタープライズ、ヨークタウン
1939年、第一空母戦隊司令官(空母レキシントン、サラトガ)
1940年、航空戦闘部隊司令官(全空母の司令官)中将
1941年、第8任務部隊司令官
      ウェーク島に海兵隊戦闘機増援の帰路、真珠湾攻撃
372GF長官
垢版 |
2023/01/11(水) 22:18:43.54ID:h5auWXMq
>>371の続き

前半は、ほぼ駆逐艦の艦長一筋
日本海軍でで言うなら、生粋の水雷屋と言えるでしょう。

水雷屋の水雷屋たる所以は、
駆逐艦を手足のごとくあやつって敵戦艦に突撃する果敢さであって、

当然ながら操艦の名人がそろっており、
ハルゼーもまた、例外ではなかった。
373GF長官
垢版 |
2023/01/11(水) 22:19:47.67ID:h5auWXMq
>>372の続き

駆逐艦ベンハム艦長(1918年)だったとき、
副長ジュリアン・ホイラー大尉の回想によると、

「彼(ハルゼー艦長)は、私がこれまで見てきたうちで最高の操艦者だった。
彼がドック舷側に駆逐艦を横付けしようとする。
艦とドックの間に卵を置いたとしても、卵は割れなかっただろう。
彼の操艦は芸術品を見るようなものであった」
                      (『ブル・ハルゼー』ポッター/著)p192

南雲長官との「操艦もらうぞ、操艦の名人は俺だ決定戦」
を見てみたいですね。
2023/01/11(水) 22:45:14.79ID:tihpY5xq
>>369
つまり実力があって結婚したいけど大臣の許可が出ないから海軍やーめたって人もいるってことでしょ?
2023/01/11(水) 23:37:11.90ID:DDeCoHYX
>>371
ずっと水上艦艇勤務だったのに34年から航空関係に転向したのはなんでだろ?
2023/01/12(木) 05:10:44.32ID:DLJtMSF5
>>369
奥羽越列藩同盟南部藩士の血筋の東條英機の出現
2023/01/12(木) 10:34:19.77ID:rD0PJglG
>>375
リチャードソンからの一本釣り
378GF長官
垢版 |
2023/01/13(金) 00:11:03.69ID:yFg7YtzT
>>374
そうですね、海軍には縁がなかったのでしょう。
で、それが何か?

>>375
水雷一筋のように見えて、全く航空に縁がなかったわけではない。
人生おもしろいですねぇ
詳しくは今日の本編にて!

>>376
海軍だと及川古志郎海相や斉藤実首相など大物がいますね>岩手出身

>>377
視力検査ががが・・・
379GF長官
垢版 |
2023/01/13(金) 00:42:15.03ID:yFg7YtzT
>>373の続き

ハルゼー”大佐”が51才のとき、ペンサコラ飛行学校に入学して
自分の子供くらいの若い少尉たちにまじって訓練課程を修了し
飛行士の資格を取ったのは、よく知られています。

ただしこれは、最初からハルゼー望んでいたことではなかった。

彼は根っからの駆逐艦乗りですから、その目指すところは、
日本海軍でいうところの前進部隊指揮官(第二艦隊司令長官)、
すなわち偵察部隊(重巡洋艦基幹)の司令官だったと思われます。

旗艦の重巡に座乗して、麾下の水雷戦隊を縦横無尽に駆使して
日本聯合艦隊を血祭りに上げることを夢見ていたことでしょう!
380GF長官
垢版 |
2023/01/13(金) 00:43:53.58ID:yFg7YtzT
>>379の続き

その彼が航空の道を志したのは、当時航空局長だった
アーネスト・キング少将の推薦があったからと言われています。

どこかでハルゼーのうわさを耳にして目を付けていたらしく、
「空母サラトガの艦長職が空いてるんだけど興味ある?」
と持ち掛けた。

もちろん、空母の艦長になるには飛行士の資格が必要なので、
ペンサコラに入校して訓練を受けてもらわないといけないけど・・・

こんな話を聞いて、さすがの「ブル」もためらったようですが、
航海局長のウイリアム・リーヒ少将に相談して、最終的には承諾。
381GF長官
垢版 |
2023/01/13(金) 00:50:35.76ID:yFg7YtzT
>>380の続き

ただそれまで、全く航空と無縁だったわけではありません。
最初の出会いは、
>1926年、巡洋艦レイナ・メルセデス艦長(大佐)

同艦は米西戦争で拿捕した、スペイン海軍の巡洋艦で
改修された後、アナポリス兵学校に配属されていた。

ハルゼーは大佐になって初めて就任したのが、
この巡洋艦レイナ艦長だった。

といっても、少尉候補生などが訓練で使うわけではありません。
兵学校教官たちの宿舎として使われていただけで、
実際に動かすことはなかった。
2023/01/13(金) 17:44:16.71ID:YWGbaPfP
>>378
どんな百姓の子供でもOKって言ってたので結婚してるとダメよという反例を示しただけ
383GF長官
垢版 |
2023/01/14(土) 00:18:11.70ID:FeUfvRyD
>>382
やれやれ
「反例」という言葉まで出すんなら、前途有望な少年でありながら結婚していたために、
泣く泣く海兵を諦めた事例を二、三挙げてくださいな。
384GF長官
垢版 |
2023/01/14(土) 00:38:33.19ID:FeUfvRyD
>>381の続き

転機となったのは、翌1927年
アナポリスの兵学校内に、海軍航空隊分遣隊が新設され、
その指揮官にレイナ艦長のハルゼー大佐が任命されたことです。

「自分が知らないものに、責任をとることを嫌ったハルゼーは
教育してくれるようラムゼーに頼み込んだ」(p212)

※ラムゼーとは分遣隊担当士官のデビット・ラムゼー大尉

ちなみに、このときの分遣隊副長はクリフトン・スプレイグ大尉で
後のサマール沖海戦で栗田艦隊に追いかけられる米護衛空母群、
あのタフィ3司令官スプレイグ少将です。
385GF長官
垢版 |
2023/01/14(土) 00:39:39.03ID:FeUfvRyD
>>384の続き

おそらく分遣航空隊司令官になったのは、大佐の肩書があれば
誰であっても良く、単なる書類上の指揮官だったとは思いますが、

ハルゼーは、そういう”お飾り”にされるのが好みではなく、
自ら部下の輪の中に飛び込んでいってリーダーシップをとる
性格だったのでしょう。
386GF長官
垢版 |
2023/01/14(土) 00:40:05.48ID:FeUfvRyD
>>385の続き

その結果、ラムゼー大尉に同乗させてもらって飛行を始め、
やがて自分でも操縦できるようになった。

その話を聞いた、航海局長ジェームズ・リチャードソン少将が
「そこまで航空に関心があるなら、ペンサコラで本格的な飛行訓練を受けてみるか?」
ともちかけて、ハルゼー大佐も同意。

これが
>リチャードソンからの一本釣り>>377
387GF長官
垢版 |
2023/01/14(土) 00:40:32.44ID:FeUfvRyD
>>386の続き

ところがなんと視力検査に落ちて!入校できなかった。
なんてこったい

>>379の7年前のことです。
388GF長官
垢版 |
2023/01/14(土) 22:30:59.30ID:FeUfvRyD
>>387の続き

このままハルゼー大佐が航空の道をあきらめてくれたら、
スプレイグ少将も死ぬ思いをしなくて済んだのですが・・・

そんなわけで、再びペンサコラを目指すことになるのですが(>>380
そういえば、視力検査はどうなったのでしょうか。

「まだ視力に対する試験は合格していなかったが、彼はあえて変更した。
自伝の中で、彼はどのようにこの不正をしたのか、また誰が合格させてくれたのか、
あずかり知らないと慎重に告白している」(p219)

提督の名誉のため、これ以上は追及はすまい。
なにせ教官たちもハルゼー大佐より階級が下の者ばかりですからね。
389GF長官
垢版 |
2023/01/14(土) 22:32:01.11ID:FeUfvRyD
>>388の続き

ただし訓練課程に関しては一切の忖度はなかったようです。
ペンサコラの慣例として、単独飛行が最後になった者を
同期生みんなで海に放り込むというならわしがあったが、

ためらっている同期生を見て、
ハルゼー訓練生は自分で海に飛び込んだとか。

そして全課程を修了してウイングマークを手に入れた。
晴れて空母艦長の資格を得たのです。
390GF長官
垢版 |
2023/01/14(土) 22:32:30.00ID:FeUfvRyD
>>389の続き

色々な批評はあると思いますが、その行動力は見事ですね。
51才と言えば、南雲長官なら海軍少将として第三戦隊司令官を
していた頃です。

その年で自分の子供くらいに年齢が離れた若者にまじって
訓練しようなんて普通は思わないでしょう。

そのまま水雷畑を進んでいれば出世が約束されているのに
”五十の手習い”で新人からやり直すなんて、
そこまで空母には魅力があったのでしょうか。
391GF長官
垢版 |
2023/01/14(土) 22:35:50.00ID:FeUfvRyD
>>390の続き

ただ飛行士の資格を得て、自分で操縦できるとはいえ、
実際に敵機と交戦したり、敵艦に向かって急降下爆撃した経験が
あるわけではない。

いわば”ペーパードライバー”のようなものですね。

この点が米海軍内で対立を生むことになります。
392GF長官
垢版 |
2023/01/17(火) 00:17:08.07ID:Ul1suukR
>>391の続き

>ジョン・ニュートン少将(1905年卒)>>340
ハルゼー中将の一期下で、ニミッツ長官と同期

日本語wikiにはありませんが、米海軍要職を務めています。
英語wikiによると、
393GF長官
垢版 |
2023/01/17(火) 00:17:34.43ID:Ul1suukR
>>392の続き

1910年、巡洋艦モンタナ乗り組み(中尉)
1915年、駆逐艦パターソン艦長(大尉)→欧州派遣
1918年、駆逐艦モーリー艦長(少佐)
1922年、輸送艦ヘンダーソン艦長
1924年、海軍大学校(中佐)
1927年、海軍作戦本部参謀
1931年、軽巡トレントン艦長(大佐)
1933年、海軍兵学校教官
1936年、第三駆逐艦戦隊司令官
1938年、少将昇進
1940年、第四巡洋艦戦隊司令官
1941年、第五巡洋艦戦隊司令官
1941年11月、第12任務部隊司令官(空母レキシントン)
          ミッドウェー島に海兵隊戦闘機増援の往路、真珠湾攻撃
1942年1月、海軍作戦本部
394GF長官
垢版 |
2023/01/17(火) 00:22:21.15ID:Ul1suukR
>>393の続き

ハルゼーと同じく、”水雷屋”といったところでしょう。

全く航空関係の経歴がなかったのに、
開戦直前にTF-12司令官となり、空母レキシントンを率いて、
海兵隊戦闘機をミッドウェー島へ運ぶ途中に真珠湾が攻撃され引き返した。

それも一か月だけで、陸上勤務に戻っています。
395GF長官
垢版 |
2023/01/17(火) 00:25:03.92ID:Ul1suukR
>>394の続き

ニュートン少将が、どのような経緯で空母部隊司令官に選ばれたのかは
謎ですが、次のフレッチャー少将の経緯も考え合わせると、

巡洋艦戦隊司令官の中から、空母任務部隊司令官を選んだのではないか、
と推察されますね。

偵察部隊の巡洋艦戦隊司令官は”水雷屋”の出世コースなので、
大部隊の艦隊運用には慣れているし、空母も動かせるだろう。
あれ・・・これ南雲長官が選ばれたのと同じ理屈では
2023/01/17(火) 20:10:40.53ID:GMe40D3J
>>395
巡洋艦も空母も迅速な決断を求められる海軍提督の一番の花形ポジションですよね。武器が大砲魚雷か飛行機だけの違いであって高度な艦隊指揮能力が求められる。
397GF長官
垢版 |
2023/01/17(火) 23:28:42.18ID:Ul1suukR
>>396
そうですね。
入出港は航海出身の方が上手そうだけど、やはり戦闘も含めると水雷屋ですかね
398GF長官
垢版 |
2023/01/17(火) 23:48:44.44ID:Ul1suukR
>>395の続き

続いて、
フランク・フレッチャー少将(1906年卒)>>341

本職は米海軍提督の中で一番好きです。
「最もナグモを知る男」
399GF長官
垢版 |
2023/01/17(火) 23:49:51.08ID:Ul1suukR
>>398の続き

日本ではスプルーアンスの名前ばかり出て来ますが、
英語wikiの紹介文には

Fletcher commanded five different task forces through WWII;
he was the operational task force commander at the pivotal battles of the Coral Sea
and Midway, which collectively resulted in the sinking of six Japanese fleet carriers.

「フレッチャー提督は第二次世界大戦中に五つの異なる任務部隊を率いた。
特に最も重要な戦いである珊瑚海海戦とミッドウェー海戦において、
空母部隊指揮官として、一気に6隻もの日本軍艦隊空母を沈めた」

全部フレッチャー少将の功績になっていますね。
ちょっと数が合わんけど
400GF長官
垢版 |
2023/01/17(火) 23:50:14.27ID:Ul1suukR
>>399の続き

そのフレッチャー少将も航空出身ではありません。
彼の伝記本のタイトルにそれが表れている。

『Black Shoe Carrier Admiral』
黒い靴を履いた空母部隊の提督

これは米海軍独特の言い回しで、
黒靴とは米海軍士官制服の靴のことですが、
米海軍パイロットの茶色の飛行靴と対比させて、

戦艦乗りの(飛行士の資格を持たないのに)空母部隊司令官だった提督
といったところでしょう。
2023/01/18(水) 05:18:43.20ID:P4KW3SnI
フレッチャーはミッドウェーじゃ実質指揮権剥奪なはず
2023/01/18(水) 13:21:46.48ID:tA1Lr8ae
フレッチャー更迭の理由は第一次ソロモン海戦の時に上陸部隊援護の任務から逃げたことことだっけ?
ガダルカナルでは2日間で多数の飛行機を失い慎重索をとった、ミッドウェーでヨークタウンのVS飛行隊を温存して反対側に索敵機を出したのもそうだが、上陸作戦援護および奇襲攻撃のため索敵は基地機にまかせて艦載機はすべて攻撃に回すという作戦目的
に反した決断で結果的に損害を被って評価を下げられるんだよな。過去の戦訓から慎重な指揮をしたはずなのにね。
403GF長官
垢版 |
2023/01/18(水) 23:21:17.83ID:ev2fa7se
>>401
三空母を被弾させたのはフレッチャーが攻撃命令を出しているし、
飛龍を発見したのもヨークタウンの索敵機
指揮権を委譲したのは飛龍被弾後で、実質ミッドウェー海戦は終わっていますよ。
404GF長官
垢版 |
2023/01/18(水) 23:21:54.35ID:ev2fa7se
>>402
そうですね、結局はキングと仲が悪かっただけでしょう。
レキシントンを沈めたのは魚雷をかわしきれなかったシャーマン艦長なのに、
彼はそのまま海軍作戦本部の副参謀長(キングの補佐)になってますからね。

米海軍の”実力主義、成果主義”とやらも、この程度のしろもの
405GF長官
垢版 |
2023/01/19(木) 00:12:29.82ID:0mHOwrCo
>>400の続き

その経歴です。

1910年、駆逐艦デイル乗り組み(中尉)
1914年、大西洋艦隊司令部参謀(大尉)
1917年、戦艦キアサージ砲術士官
1918年、駆逐艦アレン艦長、駆逐艦ベンハム艦長(少佐)
1922年、海軍航海局人事部長
1923年、潜水母艦レインボー艦長、比キャビテ潜水艦基地
1925年、ワシントン海軍造船所(中佐)
1927年、戦艦コロラド副長
1930年、海軍大学校
1933年、海軍省勤務(海軍長官補佐官)大佐
1936年、戦艦ニューメキシコ艦長
406GF長官
垢版 |
2023/01/19(木) 00:12:58.67ID:0mHOwrCo
>>405の続き

1938年、航海局副局長
1939年、第三巡洋艦戦隊司令官(少将)
1940年、第六巡洋艦戦隊司令官
1941年12月7日、真珠湾攻撃
     12月15日、第14任務部隊司令官(空母サラトガ基幹)
     12月22日、ウェーク島救援作戦が中止となり、真珠湾へ引き返す
1942年1月1日、第17任務部隊司令官(空母ヨークタウン基幹)
407GF長官
垢版 |
2023/01/19(木) 00:22:38.87ID:0mHOwrCo
>>406の続き

以上のように、航空関係の経歴は一切無し。
日本海軍で言うならば「鉄砲屋」(砲術出身)
といったところでしょう。

特に、戦艦ニューメキシコ艦長時代は、
艦隊演習で砲術優秀で何度も表彰されたり、
アリューシャン方面での演習で駆逐艦に対する洋上給油を工夫して
高く評価されています。
408GF長官
垢版 |
2023/01/19(木) 00:24:23.40ID:0mHOwrCo
>>407の続き

少将になってからは、巡洋艦戦隊司令官を歴任し、
1941年12月17日に偵察艦隊巡洋艦部隊司令官に着任することが
内定していた。

これは重巡12隻を統括指揮する立場で
戦闘艦隊(戦艦部隊)司令官に並ぶ要職でしたが、

12月7日(現地時間)の真珠湾攻撃により一転、
12月15日に第14任務部隊司令官に
本人もびっくりしたでしょうが、突然縁もゆかりもない空母部隊指揮官となり、
「いまからウェーク島救援に行って来い」

そんな無茶な・・・
2023/01/19(木) 05:22:15.13ID:ChvZcDV8
キングはワシントン政界にコネがあるセレプのフレッチャージュニアに嫉妬
2023/01/19(木) 22:47:14.99ID:0mHOwrCo
>>409
伯父さんは駆逐艦のクラス名になるくらい有名人ですしねぇ
411GF長官
垢版 |
2023/01/19(木) 23:19:26.24ID:0mHOwrCo
>>408の続き

急に、ボールが、来たので・・・と言えばスプルーアンス少将ですが、
彼の場合、全くの未経験というわけではなくて、
ハルゼー中将麾下の巡洋艦部隊指揮官として同行しているので、

例えば1942年2月のマーシャル空襲など、
空母の戦闘がどういうものか、ある程度思い描くことが出来たでしょう。
412GF長官
垢版 |
2023/01/19(木) 23:20:40.01ID:0mHOwrCo
>>411の続き

しかしフレッチャー少将の場合、急すぎるし
ニュートン少将のように飛行機輸送任務などではなく、
いきなりの実戦です。

史実のウェーク島救援作戦は、
パイ長官代理の命令が二転三転したり、給油に手間取ったりで
中止になりましたが、

もしかしたら、史上初の空母決戦がこの時に起きていたかもしれない。
しかも相手はあの多聞丸です。
空母の「く」の字も知らないフレッチャーがどう戦うのでしょうか。
413GF長官
垢版 |
2023/01/19(木) 23:21:36.51ID:0mHOwrCo
>>412の続き

こう考えると、フレッチャー少将が開戦直後に
空母任務部隊の指揮官に選ばれた理由が分からなくなります。

確かに艦隊運用の腕は確かなものがあったでしょうが、
それだけが理由なら、他に適任者がいるのではないかと。
414GF長官
垢版 |
2023/01/19(木) 23:24:00.46ID:0mHOwrCo
>>413の続き

結局彼は、その後もずっと空母部隊指揮官として、
マーシャル、珊瑚海、ミッドウェー、ソロモンと最前線で戦い続けます。

乗艦サラトガが被雷したことで負傷し、ようやくその任を解かれた。
キング作戦部長に認められなかったこともありますが、
個人的には、これで良かったんじゃないかと思っています。

後半戦でミッチャー少将が衰弱して療養を余儀なくされたことからも
明らかなとおり、空母部隊指揮官は、心身ともにすり減らす苛酷な
任務なのでしょう。

いつ敵機が来襲するか分からないから気が抜けないし、
水上砲戦と違って自分の目で戦況を確認できないから、
心配事ばかりが多くなる。
415GF長官
垢版 |
2023/01/19(木) 23:24:55.83ID:0mHOwrCo
>>414の続き

南雲長官も開戦から一年近く、よく体力が続いたなと思いますね。
その後の鎮守府長官なんか退屈すぎてつまらなかったのでは。

もしかしたら”硝煙のにおい”が忘れられなくて、
再び前線任務を希望したのかもしれませんね。

エリア88のように・・・
2023/01/20(金) 08:47:06.20ID:WZG2qZjT
>>412
二航戦はこの時に敵空母出現の可能性をあまり予期していなかったような。
2023/01/20(金) 09:04:51.49ID:sZzb8ife
鎮守府司令官が退屈なワケないでしょ
2023/01/20(金) 11:56:06.41ID:zoC2TGIk
第14任務部隊は第一空母戦隊(サラトガ)、第六巡洋艦戦隊(アストリア、ミネアポリス、サンフランシスコ)、第四水雷戦隊、水上機母艦(タンジール)、タンカー(ニーチス)の合同部隊で、フレッチャー・フィッチ両少将から先任のフレッチャーが指揮官になったのでしょう。
419GF長官
垢版 |
2023/01/20(金) 23:44:58.73ID:UXRVnY7A
>>416
その通り。米空母の奇襲で沈んでいたかもしれませんね。

>>417
比較の問題です。
420GF長官
垢版 |
2023/01/20(金) 23:47:48.82ID:UXRVnY7A
>>418
ありがとうございます。フィッチ少将はこのあと取り上げますが、
>先任のフレッチャーが指揮官になったのでしょう。
このあたりが本職もあまりよく分かっていなくて

フレッチャーが少将になったのは1939年9月と伝記にあるのですが、
フィッチの方はよく分かりません。

フレッチャー少将の方が先任で部隊指揮官になっているけど、珊瑚海と同じように
艦隊運用はフレッチャー、空母戦闘はフィッチと役割分担していたということかな。
421GF長官
垢版 |
2023/01/21(土) 00:04:38.65ID:3Cn5kC7t
>>415の続き

つづいて
オーブレイ・フィッチ少将(1906年卒)>>341

フレッチャー少将と同期になりますが、
これら6人の中で、唯一「生粋の航空出身提督」と言えます。

wikiにも
「1941年12月の太平洋戦争開始時、フィッチは最も経験を積んだ
空母司令官の一人であった」
422GF長官
垢版 |
2023/01/21(土) 00:05:35.65ID:3Cn5kC7t
>>421の続き

その経歴を見て行きましょう。

1915年 駆逐艦ヤンクトン艦長
1917年 戦艦ワイオミング砲術士官
1920年 駆逐艦ルース艦長
1927年 給糧艦アークティック艦長
1929年 ペンサコラ航空基地(飛行士資格を取得)
1930年 水上機母艦ライト艦長
1931年 空母ラングレー艦長
       空母戦闘部隊参謀長
1936年 空母レキシントン艦長
1938年 ペンサコラ航空基地司令
1940年 第二偵察航空団(ハワイ基地航空隊)司令
       第一空母戦隊司令官(空母サラトガ旗艦)
423GF長官
垢版 |
2023/01/21(土) 00:11:24.17ID:3Cn5kC7t
>>422の続き

尉官時代は駆逐艦艦長や砲術士官などを務めていた。

wikiには昇進過程が書かれてないのですが、
フレッチャー少将と同期であることを考えあわせると(>>405

1929年(中佐時代)にペンサコラでパイロットになってからは、
空母艦長や基地航空隊司令を歴任しているので文句はないでしょう。
424GF長官
垢版 |
2023/01/21(土) 00:17:54.62ID:3Cn5kC7t
>>423の続き

といっても、フィッチ少将は1883年生まれなので、
ペンサコラに入ったのは46才の時。

ハルゼー中将の51才に比べれば若いですが、
”空母の艦長になるために資格を取っただけ”の感は
否めませんね。
2023/01/21(土) 02:09:59.36ID:4fwvZtMX
>>420
この辺は日本海軍同様に(というか全世界の軍隊は基本的に)、
部隊の総指揮は先任者が執るということでしょう。

例、
ウェーク派遣隊(指揮官 阿部少将)
二航戦(山口少将)
八戦隊(阿部少将)

MO機動部隊(指揮官 高木少将)
五航戦(原少将)
五戦隊(高木少将)

逆に言えば、空母部隊司令官が他部隊司令官を指揮するためには、
空母部隊司令官に最先任者を任命するか、他部隊司令官を序列下位に交代するわけです。

日本海軍でこれが完全に実現したのが、
第二艦隊(近藤中将)→第三艦隊(南雲中将)
から
第三艦隊(小澤中将)→第二艦隊(栗田中将)
に変わった時ですね。
2023/01/21(土) 03:14:31.63ID:4fwvZtMX
>>416
二航戦(ウェーク派遣隊)だけでなく、第二次ウェーク攻略作戦を急ぐ井上四艦隊司令部や
海軍中央等が、当時どのような状況判断をしていたのかは、よく分かりませんね。

『戦史叢書 中部太平洋方面海軍作戦<1>』では、ウェーク島救援作戦で米空母三群がバラバラに
接近してきて、作戦中止撤退にいたる課程は詳述していますが、
「その状況に日本側は気付いていたのか、あるいは想定していたのか?」
という最も重要なことには、言及も考察もありません。

単純に考えれば、日本機動部隊は帰路でも往路同様にミッドウェー島哨戒圏を迂回していますから、
仮に出撃中の米空母部隊が日本機動部隊への反撃で追撃した場合、ミッドウェー島哨戒圏を
直行できる米空母部隊が、ウェーク島付近で日本機動部隊に追い付ける可能性があるんですが。
2023/01/21(土) 03:19:32.84ID:4fwvZtMX
>>426
ちなみに、ウェーク島攻略失敗による空母派遣支援要請では、
最初に南雲中将は機動部隊全力で先ずトラックに入港し、四艦隊司令部との詳細な作戦打合わせと
補給を行った上で機動部隊全力によるウェーク島攻略支援を考えていたとのこと。
(服案として、そのままミッドウェー島、ジョンストン島等への機動空襲も考慮していたとも)
ただこの場合は、日本側作戦再興まで時間がかかるので、米側のウェーク救援作戦(増援なり撤退なり)は成功したと思われます。

史実では、第二次ウェーク攻略作戦の再興を急ぐ井上四艦隊司令部の意見により、
当時機動部隊で補給が完了していた二航戦中心のウェーク派遣隊のみ分離参加となりました。
2023/01/21(土) 04:26:53.63ID:KgLjDceC
>>419
戦時中で比較も無意味
2023/01/21(土) 17:52:17.20ID:lj0JV324
>>427
南雲艦隊が真珠湾から帰る途中でもこれか。こちらに主導権があるとはいえ米空母も積極的に動いているから早い時期の空母戦もありえたんだ。
430GF長官
垢版 |
2023/01/21(土) 22:54:41.30ID:3Cn5kC7t
>>425
そうですね。
このときは真珠湾直後の非常事態だったので仕方なかったと思いますが、
1942年以降もフレッチャー少将がそのまま空母任務部隊司令官として
残ったのはなんでかなーと思ってます。

同じ巡洋艦部隊司令官仲間のニュートン少将は外されたのに

>空母部隊司令官に最先任者を任命するか
ほんとはTF-11のフィッチ少将に最前線ではたらいてもらう予定だったけど
年明けいきなりサラトガが被雷して西海岸送りになってしまいましたからね。

ブラウン中将の後任として前線に復帰したと思ったら、またフレッチャー少将と組まされる・・・
最も空母部隊司令官にふさわしい提督なのに、いつになったら指揮できるんや!って感じ
431GF長官
垢版 |
2023/01/21(土) 22:55:18.15ID:3Cn5kC7t
>>426
そうそう
帰りに寄り道してミッドウェー島空襲なんかやってたら、
昭和16年12月にミッドウェー海戦が起きていたかも

>>429
南雲長官の一撃離脱の判断が正しかったことが証明されたのだ!
432GF長官
垢版 |
2023/01/21(土) 22:55:48.17ID:3Cn5kC7t
>>427
そうですね。ウェーク島攻略主力の六水戦は、
そのまま翌月(昭和17年1月)のラバウル攻略に投入される予定でしたから、
ウェーク島再攻略が遅れれば、R作戦まで延期になってしまう。

南方作戦が各地で快進撃を続けている中で、
井上長官の面子がつぶされる形になりますからねぇ
433GF長官
垢版 |
2023/01/21(土) 22:56:03.77ID:3Cn5kC7t
>>428
敵来襲の心配皆無の鎮守府長官なのに?
2023/01/21(土) 23:06:47.85ID:m/4oGrI3
>>429
ちなみに1月27日には、修理なった英空母インドミタブルがマラッカ海峡北部まで進出し、
ハリケーン48機のシンガポール空輸に成功しています。
この事実自体が『戦史叢書 蘭印・ベンガル湾方面海軍侵攻作戦』には何ら記述されていません。
(『日本空母戦史』木俣滋郎、1977年には記述あり)
この時マレー半島の反対側では、龍驤を含む小澤部隊のアナンバス諸島攻略戦等が行われています。
両者の距離があるため空母戦が生起するかは難しいところですが、
当時の日本側が、この英側の動きを察知できていたかは、いまいち不明です。

更にインドミタブルは、ジャワ島へのハリケーン空輸を試みていますが、
同島の戦況悪化によりセイロン島への輸送に切り替えています。
もしジャワ島空輸を強行していた場合は、ジャワ島南方海面作戦実施中の南雲機動部隊と会敵していたかもしれません。
435GF長官
垢版 |
2023/01/21(土) 23:17:16.56ID:3Cn5kC7t
>>424の続き

1941年12月7日の真珠湾攻撃時、
フィッチ少将の第一空母戦隊(サラトガ)は西海岸のサンディエゴに居た。

急ぎ出撃して、12月15日に真珠湾入港
この日、第14任務部隊が編成されます。

>>418の通りで、
・第一空母戦隊(空母サラトガ)
・第六巡洋艦戦隊(重巡アストリア、ミネアポリス、サンフランシスコ)
・第四水雷戦隊(駆逐艦9隻)
・水上機母艦(タンジール)
・タンカー(ニーチス)
436GF長官
垢版 |
2023/01/21(土) 23:18:38.48ID:3Cn5kC7t
>>435の続き

フレッチャー少将が先任(少将に昇進したのが最も早い)ので、
重巡アストリアが旗艦

ただしフレッチャー少将の伝記によれば、
二人は同期で仲も良かったので、
艦隊運用はフレッチャー、空母戦闘はフィッチと役割分担も
しっかり決められており、問題はなかったとあります。
437GF長官
垢版 |
2023/01/21(土) 23:23:34.22ID:3Cn5kC7t
>>436の続き

TF-14は12月23日にウェーク島沖に到着し、
サラトガから海兵戦闘機中隊(VMF-221)のF4Fを発進させて
ウェーク島を救援するのが作戦目的です。

もちろん、それまでウェーク島守備隊がもちこたえるのが大前提なので、
途中でウェーク島が陥落したら作戦中止

事実、ウェーク島から425浬まで接近したところで
引き返すことになりました。

フレッチャー、フィッチ少将の初陣とはならなかったわけですね。
438GF長官
垢版 |
2023/01/21(土) 23:29:55.00ID:3Cn5kC7t
>>434
そんなことがあったのか!
1月末なんてシンガポール陥落の半月前ですよね

こういう事例を見ると、結果オーライで流されてしまってることが多くて、
>>427のウェーク島空母派遣も、
南雲長官のやり方(トラックに戻って十分に打ち合わせをしてから)が正統派で
敵情もよくわからないのに、”とりあえず”で実施に移すと、
空母戦闘が生じた場合「6隻全力で向かうべきだった」とか叩かれるんだろうなぁ
2023/01/22(日) 13:50:01.93ID:TOzC9LmT
>>433
戦時計画艦建造が思うに任せない中で損傷艦の復旧が増大していく。退役した訳じゃないからテメーの命が安全でも心身に掛かる
2023/01/22(日) 23:02:46.56ID:Sd4fdqKd
>>437
>サラトガには他に島に増派する海兵隊の戦闘機隊も乗ってた。

ふと思ったがこれって空母戦になっても戦えるの?海兵隊のF4Fは空母飛行隊のそれと違って着艦訓練受けてないとか着艦装備がないとかそんな心配しちゃった。
上記のインドミタブルのハリケーンは陸上機を空母から飛ばすだけの輸送だろうが。
441GF長官
垢版 |
2023/01/23(月) 22:30:24.23ID:mZ1/u+Im
>>439
常在戦場
さすがは南雲長官

>>440
もちろんサラトガ航空隊を載せてますから空母戦闘もできますよ。

>海兵隊のF4Fは空母飛行隊のそれと違って着艦訓練受けてない
F4Fだから着艦用フックはありますが、天候不良などで引き返してきたとき
ちゃんと着艦できるかは・・・?
海兵隊パイロットは着艦訓練は受けないだろうし
442GF長官
垢版 |
2023/01/23(月) 22:45:23.54ID:mZ1/u+Im
>>437の続き

その後の経過は>>430の通りで、
フィッチ少将が空母任務部隊を率いて交戦することはなかった。

ここで、誰も書いたことがないであろう仮想戦記を披露します。
珊瑚海海戦で、史実と逆の結果になり、
ヨークタウンが沈没、レキシントンが小破となったら・・・

ミッドウェー海戦の陣容は、
TF-11司令官フィッチ少将(空母レキシントン)
TF-16司令官スプルーアンス少将(空母エンタープライズ、ホーネット)

もちろん先任のフィッチ少将が空母全体の指揮官です。
どんな戦いになっていたでしょうか。
443GF長官
垢版 |
2023/01/23(月) 22:46:41.48ID:mZ1/u+Im
>>442の続き

過去スレでも検証しましたが、

6月5日朝、南雲機動部隊が発見されたとき、
日米空母部隊の距離が180浬だったことは、
米海軍にとって理想的な位置関係でした。

しかしながら、これはまったくの偶然です。

前日、シマード大佐が作戦指導を誤ったために
南雲機動部隊の現在位置がわからず、
フレッチャー少将が当て推量で移動していたところ、
絶妙の海域に居たというわけです。
444GF長官
垢版 |
2023/01/23(月) 22:47:32.30ID:mZ1/u+Im
>>443の続き

もしこれがフィッチ少将だったら、
母艦航空戦に精通している分、米空母機の作戦行動半径の不利を
よく分かっているだけに、余計なことをしたかもしれない。

西方に進出し過ぎて筑摩一号機に先に発見されてしまうとか

いずれにせよ、レキシントンだったら艦型識別で間違うことはないだろうから、
友永隊長も同じ空母を二度攻撃するなんてことはしないでしょう。

さて
2023/01/24(火) 12:37:35.83ID:FIOcZpaV
>>443
ミッド基地の攻撃隊は南雲艦隊を何度も攻撃しているのに敵艦隊の位置を打電してないの?
446GF長官
垢版 |
2023/01/24(火) 22:37:51.17ID:9hCFDoHD
>>445
これは前日4日の話なので、ミッドウェー基地はまだ
南雲機動部隊を発見していませんね。
447GF長官
垢版 |
2023/01/24(火) 22:59:03.14ID:9hCFDoHD
>>444の続き

>>436にも書きましたが、
・任務部隊司令官(フレッチャー少将)→艦隊運用
・空母戦隊司令官(フィッチ少将)→空母戦闘

このように役割が分かれていましたが、何が違うのかというと、
作戦全体の指揮を執る艦隊運用とは、
「攻撃隊を発艦させるまでの部隊の動かし方」
448GF長官
垢版 |
2023/01/24(火) 23:00:02.32ID:9hCFDoHD
>>447の続き

・戦場までの移動
・その途中で敵情収集分析
・戦場に接近したら索敵計画
・索敵の実施
・索敵報告の評価
・攻撃可否の判断

ここまでやった上で「攻撃せよ」と決めたら、
「フィッチ君、あとは任せた」
と戦術指揮を譲るのです。
449GF長官
垢版 |
2023/01/24(火) 23:01:09.99ID:9hCFDoHD
>>448の続き

いざ攻撃隊編成、目標選定、発艦となったら
ある程度、手順は決まっているのでそれを遂行するのみですが、

上記の艦隊運用には、”教科書”は存在せず、
ひとつとして、過去と同じ状況にはならないので、
人間が悩んで決めるしかないのです。
450GF長官
垢版 |
2023/01/24(火) 23:02:47.45ID:9hCFDoHD
>>449の続き

部隊指揮官は己の全人格をぶつけて、その任務を果たす。
多くの場合、「不完全な」「矛盾する」彼我の情報を総合して
じっくりと検討する時間がないまま決断しなければならない。

そこには航空分野の専門知識よりも、
もっと重要な素質が必要になるのでしょう。

もしフィッチ少将が任務部隊司令官として、南雲機動部隊と対戦していたら
どんな素質を見せたのか。
実現しなかったのは残念ですね。
2023/01/25(水) 09:46:51.36ID:aQ00yE+I
>>431
空母6隻も揃って護衛の戦艦2隻等もいるのに
ウエーク島への輸送任務を果たしてオアフ島でも味方撃ち等で機数を大きく減らたエンタープライズ1隻にミッドウェーのように確実に負けるんですね
流石は無敵の南雲機動部隊w
2023/01/25(水) 09:53:00.37ID:aVVIdJ/+
エンタープライズ側に囮で撃ち落とされる雷撃機が不足してるから無理
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