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吉本隆明の詩について語る [無断転載禁止]©5ch.net
- 1 名前:革命詩人 2016/10/29(土) 00:56:19.26 ID:k1fz+kr1
- 最近吉本隆明という人の詩を読んでびっくりした。
昔はこういう人生や革命について真剣に考えて詩を書く人がいたんだ。
今は誰も居ないな。
吉本隆明は1950年代〜60年代の詩人です。
- 99 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 2025/11/26(水) 12:11:29.76 ID:SCsnJoFZ
- 間断なく、サリン事件ほどの規模じゃないが無差別殺人が起こってくる土台と
して、吉本が90年代言ってたことで気になるのが、「フランスではもう社会は
終わった。日本はまだそこまでは言えないが、フランスの社会は終わってる」
て言ってた。読んだとき、何が言いたいのかと不審にもなったが、今の日本社
会をみてて、あーこういうことか。
マウント・イデオロギー&自己責任イデオロギーで隙間なく埋まってしまい、
とにかく舐められないようにしなきゃ、舐められたら終わり、勝ちに行って
踏みつけ、勝ちを見せつけなきゃ、負けてる奴は負けてるから悪い自分が悪
い、の貫徹。そこにはもう隙間はない。個人の次元、企業の次元、国家の次
元…皆同じ。その疲弊はすさまじいが疲弊を見せるのも負けなので疲弊は見
せない。
- 100 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 2025/11/26(水) 12:27:30.96 ID:SCsnJoFZ
- >>99に続けると。それらが隅々まで貫徹して、なので手の打ちようはない。色
んな人が色んなことを今でも言ってるが徒労に見える。もう終わった。社会は
終わった。哲学も終わった。力&権力への意志が最終到達地点。ニーチェは正
しかった。先駆者ニーチェ。
なので柄谷さんが素晴らしい法則を発見して海外で賞をもらったとか言われて
も、なんかだから何という。勿論柄谷さんは自分でカントにおける統制的理念
とか言うくらいだから「もう終わった」とかは言うわけがない。ひたすら如何
なるときでも頑張るのが左翼だから頑張るしかない柄谷さんは(笑)。
しかしもう一般大衆の生活意識の次元では、片はついた。もう仕様がない。もう
終わった。イヤな場所でそれでもそこしか貧乏人はいるしかないからいるけど。
どうも間断なく起こる凶悪事件。あの安倍首相狙撃犯にしても、どっか野と成れ
山と成れ(笑)。の精神がチラ見えてる。
東浩紀やら誰々やらがまだ本書いて、面白そうとは思うが、しかし何かの決定的
な推進力になることはないだろう。ていうか、ああいう一応アンテナの良い人は
もうどっかで「日本も終わってる」て思ってるんじゃないか。て感もあるんだけ
どね。
あとはまあ戦争も避けられなさそうだし、格差も広がるし、厭な空気はもっとも
っと蔓延するし。各自で好きなことやってりゃいいんじゃないかってことしか
浮かばない。あーこれが社会が終わった、てことかと今更ながら考える。吉本が
言ってたことってこういうことかやっぱり目がいいな、て良くない的中なんだけ
ど(笑)。
- 101 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 2025/11/27(木) 08:45:07.38 ID:relxT9Ne
- 失われた30年で格差はどんどん広がっている
その入り口がオウムでその後再び統一教会といういずれもカルト問題挟んでるのは偶然だろうか
でも小浜逸朗とか「破門」にした吉本が正面から統一教会批難したのかはちょっと疑問
無論ナニからナニまでじゃないけど吉本にはどこかしら(否定的な意味での)大衆嫌悪・庶民蔑視の影が付き纏ってるように見えなくもない
- 102 名前:101訂正 2025/11/27(木) 09:06:34.17 ID:relxT9Ne
- 「正面から」の前に「仮に今なお存命だったとして」
あ九時過ぎたか
- 103 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 2025/11/28(金) 03:36:29.18 ID:z2H5BkET
- 吉本って自分における大衆を重視して思想に繰り込むを課題にしてもいるけど
吉本自身がどこかで指摘していたことで、ミシェル・フーコーもまた、吉本が
思想的課題とする大衆の原像に酷似した概念について喋ってもいる。少々長い
がそこを引用してみましょうか。
(…)おそらく「平民」という社会的実在があるわけではない。しかし、ある
仕方で権力関係を逃れるような何かが、社会体の中に、諸々の階級や集団の中
に、諸個人自身の中に、つねに存在しているのである。この何かは、制御しや
すかったりしにくかったりする素材のようなものではなく、脱中心的な運動で
あり、逆向きのエネルギーであり、逃れ去っていくものなのである。
- 104 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 2025/11/28(金) 03:53:20.79 ID:z2H5BkET
- (>>103から続く)
平民「そのもの」〔《la》plebé〕はおそらく存在しないが、「いくつかの」
平民性〔《de la》plebé〕は存在している。諸々の身体や、諸々の魂の中に、
いくらかの平民性がある。それはいくらか、諸個人の中にも、プロレタリアー
トの中にもあるし、ブルジョアジーの中にもある。しかしそれには広がりがあ
り、その形態や、エネルギーや、還元不可能性の程度はさまざまである。こう
した平民の部分は、権力関係の外部というよりは、その限界であり、その裏面
であり、その撥ね返りなのである。それは権力のあらゆる突出に対して、そこ
から抜け出そうとする運動によって応じる。したがってそれは、権力の網の目
が新たに発展するための動機となるのである。平民の還元は、三つの仕方で遂
行されうる。効果的な従属化によって、また平民として利用されることによっ
て(19世紀の非行者の場合を参照されたい)、さらには、抵抗の戦略に従って
平民が自分自身を固定化する場合に、還元が行われるのである。
- 105 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 2025/11/28(金) 04:13:56.42 ID:z2H5BkET
- (>>104から続く)こうした平民の視点は、権力の裏面や限界からの視点であ
る。この視点に立つことはそれゆえ、権力の装置を分析するためには必要不可
欠である。権力の機能や発展を理解することも、そこから可能になる。私はこ
うした立場が、平民を実体化してしまう新民衆主義や、平民の原初的な権利を
謳い上げる新自由主義と混同されることは、どんな仕方であれ、決してありえ
ないと考えている。(「権力と戦略」『ミシェル・フーコー思考集成Y』所収
筑摩書房)
ここでのフーコーの思考における「平民」〔《la》plebé〕というのは吉本が
自身で自分の大衆の原像と同じようなことを言っていると指摘もしているとこ
ろで、重要だと思いますね。実際吉本が言いたかったことが「平民」という
概念のもとにかなり包摂されている。ようするに吉本にとっての大衆の意味は
自己の出身であると同時にこれを繰り込まなければ思想は閉じる、という、
フーコーも言っている権力の裏面であった、てことだと思いますね。
- 106 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 2025/11/28(金) 04:21:44.07 ID:z2H5BkET
- あと、フーコーも言ってるけど、こういう平民というのを権力はたえず従属化
させたがる。固定化したがり権力の機能する場にしたがる。新民衆主義のよう
な形で。そこに警戒していることも言明してますね。フーコーにおける用語で
主体化というのがあるけど主体化してしまう。何やら一貫した人格や特徴や
取り柄や素材の持ち主のように。集合の一単位のように。そこもフーコーの思
想における意義を考えるのも面白いですね。
- 107 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 2025/11/28(金) 07:07:52.11 ID:qnJPbK9z
- ずっと読んでて思うけどやっぱ吉本は「大衆=権力」を前提にする西部邁(=オルテガ)と根本的に相容れないんだな
だからポピュリズムに対する批判的視座はどこかでボヤけてしまう
吉田司はそれがどこで言われたことなのかについて明示してないけど
吉本が庶民大衆には戦争責任なんかないって言ったの多分ホントなんだろう(少なくともそうとれるような言い方はしたんだろうな)
蔑視する対象に責任能力なんかないだろうし
無論吉本の大衆への洞察が何から何まで間違いってことではないけど
大衆って基本現世利益求めるから「来世救済のための大量殺人」なんて基本考えたりしないもんだろうしね
そんな暴虐は戦場みたいな極限状況の中でしか自分自身とは決して関わったりしない
- 108 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 2025/12/01(月) 04:23:13.15 ID:F04hCR6G
- ポピュリズムという場合の大衆の概念は吉本やフーコーの概念と違うでしょうね。
ポピュリズムにおける大衆とは知的に上昇してる。或いは上昇しつつある。その
上昇しつつある大衆が、知識人の啓蒙され扇動されていく。というのは吉本における
大衆の原像というのは、まあフーコーの言い方で権力の裏側とか撥ね返ったり
抜け出したりする、と云うけど。支配者にも被支配者にもある権力の空隙、知の空隙
が大衆の原像なので、基本的に知的に上昇しない。ダラダラする。また反対にわっと
ウルトラにもなる。しかし知的に上昇しない。知的にならないところでダラダラを
許容するのが特徴で。
西部邁でも三島でも克己心が凄い。頭も良いし賢人だし。あーゆー人といると
ダラダラはできない。三島は克己心の塊だしね。西部も徴兵制やれの人だから(笑)。
徴兵制とか施行されたら遊べないじゃない。辞めて欲しいホント(笑)。思想として
引きこもりやダラダラを包括してる、許容してる、思想でないと好きじゃないのでね。なので西部邁とかやたら克己心で賢いしあーゆー人とは付き合いたくないです
ねー(笑)。三島にしても、克己心がダラダラを許さないんじゃ
ないかって思うな。思想として自己を律していかないと済まない。そこが長生き
できない人として。三島も西部邁も自決でしょう。みっともなくも生き続ける
ができなかった。人間みっともなくも生きていく思想が好きですね俺は。
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