私はしばしば 自らメシアと名乗る者自ら神と名乗る 者にクリスチャンが神を冒涜しているなどと 語っては その詐欺師を非難するという 話はよく聞く話である。 その時私は思うのである。 あなた方は神をあるいはイエスを非常に軽んじている、と。 神を冒涜しているのはむしろあなた方の側だと。 たかだか人間の詐欺師ごときに神が冒涜されるわけがないではないかと。 それだから 私が和久のイカサマについてあーだのこーだの言っていたのは 仏教の経典などを読んだことがなく打ったのこともよく知らない人が打った和久を名乗るあの詐欺師に騙されないように被害に遭わないようにそのために矛盾点を突きまくっていたのである。 特に極めて腹は正しかったというわけではない。 仏ではないのに仏と名乗る男の顛末最後は大変なことになることを私は知っているからである。 その意味では彼の裁きは司法がやるものというよりは 法が、 ダンマが 、しかるべき存在が 法に従って起こりうる災いが 彼をさばくであろうからである。