たとえ何であれ外的な要因(運不運)によってその人の幸不幸が確定するとするならば、
その人に悟りは無い証となる。
宝くじに当たる、恋人が現れる/別れる、肉親の生死、ラッキー/アンラッキー、
病気・老い・尊敬・軽蔑、等々、自分の幸不幸が他に拠る時に、その人は凡夫と全く相違が無い。

仏教において一切の占いの禁止が提唱されるが、上記意味からすると、その脈絡は明らかとなる。

それだから仏道修行者は、眼前に現れる一切の現象に関し、その有り様に関し、悩む、あるいは歓喜する必要は無い。
このことを思うだけで、修行者の日々の煩いは激減する。

たとえどのような災いが修行者を襲うことがあっても、それがたとえ死やそれに近い災いであっても、
凡夫にとっては大厄災、天中殺であっても、修行者にとっては、そうはならない。
これがそうなる、ということであれば、その人はすでに修行者ではない。