雨に天を呪うのか?晴に天に感謝するのか?愚か者よ。
凡夫は願い、祈り、欲っし、望む。
それは実らないことと、怒りと、飢えと、絶望と同じものである。

そのような一切の「賭け事」を捨てる時に、修行者の歓喜と苦しみが捨てられる。
そこに苦しみの終焉がある。
そこに苦しみの終焉が無い時に、その修行者に「(何か1方に偏った無常なるものに対する)執着」あり。
「(何か1方に偏った無常なるものに対する)執着」ある時、その修行者は、それが満たされない
という重きリュックを担いでこの生存を歩むのだが、それはすなわち、修行者と自称しながらも、
修行者ではない、ことを証す。
自ら修行者と称しながら、修行者に非ざる「行」を実践しているのであるから、
それは無知でありまさに「無明」と呼ばれるに相応しい。