中部 p10

世界が一つであることを世界が一つであることから知覚する。
世界が一つであることを世界が一つであることから知覚し、一つであることを考える。
世界が一つであることついて考え、世界が一つであることから考えて、
世界が一つであることを「これが真理である」と考えて、このことをおおいに喜ぶ。
それはなぜか?『かれが(一つであることを)よく知らないからだ』とわたしはいう。

およそ比丘がいてかれが阿羅漢であり解脱しているとしよう。かれは世界が一つであることを考えず、
かれは世界が一つであることを「これが真理である」と考えて、このことをおおいに喜ばない。
それは何故か?『かれが(一つであることを)よく知っているからだ』とわたしはいう。

およそ世において煩悩と執着と貪欲と拘りが脱落した阿羅漢が世界が一つであるとか、
世界は多であるとか、世界が有であるとか、世界が無であるとかなどの概念に執われることは無い。
またそれを喜ぶことも苦しむことも無い。

あるいは世界が一つであるとか、世界は多であるとか、世界が有であるとか、
世界が無であるとかなどの概念をどのように説いても、
そのことと彼の話を聴聞にやってきた人々の苦しみが滅びることとは何の関係もない。

又実際に世界が一つであっても、世界は多であっても、世界が有であっても、
世界が無であっても、実際にそれがそうであってもそうでなくとも、
彼の話を聴聞にやってきた人々の苦しみが滅びることとは何の関係もない。