世界が一つである、あるいは世界は多である、世界は有である、または世界は無である、
などと考えるよりは、まだそれら世界のあり様について何も考えない方が優れている。
そこには論争が無く、執着が無く、勝利が無く、敗北が無く、慢心と失意が無く、無駄な時間が無い。

苦しみにある人々が、真理に達した阿羅漢に何のために聴聞に訪れるのか?
彼らは真理に達し苦しみを滅ぼした阿羅漢に、世界が一つであるのか、世界は多であるのか、
世界が有であるのか、世界が無であるのか、を聴きに来るのではない。
彼らは真理に達し苦しみを滅ぼした阿羅漢に、苦しみの消滅をたずねて訪れるのである。

「『世界は一つである。』これによって諸君らの苦しみは滅ぼされた。喜べ。」
そんな阿羅漢は存在しないし、そのような苦しみの滅びの道理も無い。