秀吉による朝鮮征伐の軍事分析part11 [無断転載禁止]©2ch.net
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徳川家康を渡海させていれば朝鮮どころか
満洲の地を併呑することができた 蔚山城戦闘をシンプルに言うと明・朝鮮軍が甚大な損害を出して城の攻略に失敗、敗退した戦い。
そのことを完全にすっ飛ばした上で、日本側の兵糧・水不足を異常に強調して
日本軍がほとんど戦死したという捏造話も付加し
10か月後の秀吉死去に伴う帰国を、判らないように時空を飛び越えて引っ付けると
偉大なウリナラ大勝利の物語は完成する。
因みに戦闘とは無関係な秀吉死去に伴う帰国を、引っ付けてウリナラ大勝利に仕立てる手法は
順天城戦闘についても同じくやってる。
ほんとに捏造だらけの世界。
こういう捏造に対してこの分野の日本の学者やメディアは批判・反論は行わない。
それどころか同調・加担している輩が多い。
例えば北島卍が監修の元NHKが放送したドキュメンタリーでも
蔚山城戦闘の結果、加藤清正が逃亡したという韓国の捏造と同様の番組があった。
このようにして歴史捏造が際限なく拡大してきたのが現状。 一般的に大砲が無かったとされる日本側だけど、大口径・超銃身の大鉄砲ならかなり在ったんだよ。
因みに中国・朝鮮側では、同口径のでも大砲と呼んでいた……より原始的で、威力が低かったにも関わらず。
そんで、こうした大鉄砲は、日本だと城攻めや海戦で使われてたし、実際に充分な射程と威力があった。
俺が知る限り、毛利家だけでも20丁の大鉄砲を運び、その内5丁は現存している。
最大の物は2mを超え、口径も20mmあったから、サイズや威力、運用方法から、後世の対物ライフルに相当した。
李舜臣が撃たれたのも、こうした対物ライフルによる船体破壊攻撃が、たまたま人に当たったものではないかな?
現在でもよく聞く話しだし。 >>7
明・朝鮮では大鉄砲よりも大口径の大砲がまるで無かったような言い草 >>6
お前みたいな愛国者()が中韓には多いんだな
なるほど 脇坂他の船手諸将が当初内陸奥地に進出していた事実を何と考える
水陸並進作戦なんぞが存在したなら脇坂他の船手諸将は初めから海上任務についてるわな
そもそも水陸並進作戦が実施されたことなどないし、命令も計画も全く存在しない 文禄のころ秀忠を名代に立てて100万石分の兵役務をかければ、朝鮮の戦況も好転させ徳川も疲弊させられたんじゃないか。
秀忠に3万与えて、6軍に変えて全裸道を海岸線沿いに進出させて左水営他水軍の拠点になりそうな箇所を占拠していく。 秀吉死後、日本勢が半島からあっさり撤退したのが一所懸命の侍らしくない。
北朝鮮はともかくソウル以南では米は普通にとれるし、日韓併合後には内地に大量に輸出するほどの
米生産地になったのだし、里心がついてたにしても、あのへんを所領にして残留希望する武将は出なかったのだろうか? 幸州山城の戦いは、朝鮮軍が城を放棄して撤退。
晋州城の戦いは、朝鮮軍が全滅。
露梁海戦は、李舜臣が戦死。
唯一、勝ったと言えそうなのは閑山島海戦だが、脇坂の損害は100名以下
だろう。 文禄の役の時点で
家康が渡海して主に平坦の維持の任務に就かせていたら
朝鮮半島の平定くらいはできていたと思うんだが? ・ボケ老人秀吉の暴走
・脳味噌筋肉と紙上空論対決
・文化も資源も水や食料までひたすら何もない朝鮮
・ひたすら無能な朝鮮王宮
・敵軍よりよほど略奪する明
・責任回避しか考えてない明の将軍
事実に基づいて公平に書くと酷い戦争だな・・・
適当に名将突っ込んだら銀英伝ができそうだ 文禄役時、漢城からの報告では
1;兵糧の輸送には現有の人数では足りない
2;名護屋の予備部隊を投入して輸送する場合、兵糧が切れるまで時間が間に合わない
といっている
つまり、陸上輸送でも時間さえあれば、名護屋の予備部隊を投入しての補給は可能であったことが判明している 蔚山城戦闘をシンプルに言うと明・朝鮮軍が甚大な損害を出して城の攻略に失敗、敗退した戦い。
そのことを完全にすっ飛ばした上で、日本側の兵糧・水不足を異常に強調して
日本軍がほとんど戦死したという捏造話も付加し
10か月後の秀吉死去に伴う帰国を、判らないように時空を飛び越えて引っ付けると
偉大なウリナラ大勝利の物語は完成する。
因みに戦闘とは無関係な秀吉死去に伴う帰国を、引っ付けてウリナラ大勝利に仕立てる手法は
順天城戦闘についても同じくやってる。
ほんとに捏造だらけの世界。
こういう捏造に対してこの分野の日本の学者やメディアは批判・反論は行わない。
それどころか同調・加担している輩が多い。
例えば北島卍が監修の元NHKが放送したドキュメンタリーでも
蔚山城戦闘の結果、加藤清正が逃亡したという韓国の捏造と同様の番組があった。
このようにして歴史捏造が際限なく拡大してきたのが現状。 別の掲示板で見つけたんでソースがよくわからん
聞けばよかったが知らないと言いたくなかった
引分け程度なら勝利を喧伝すべきだしやっぱり負けたのか!?
軍事板なら詳しい奴いるだろうし史料の有無と意味を解説してくれ
露梁海戦について
>「薩摩重臣書」
>日本方被成御打負御船散々に罷成候
>「薩摩家老書」
>被召負立花殿人数過分に被相果候。此方人数も船も被焼割。
>「薩摩家老書」
>御家の衆も少々敵船に乗りて返らず
>敵目下に置きて石にて打ち候に父将監石に當る
>其外石火矢に當って死するもの三人疵を蒙る者三人矢に當るもの多し 倭寇阿只抜都の正体は南朝勢力だったらしいね。
九州の南朝勢力は高麗に兵糧を奪いにたびたび遠征してたらしい。
1419年に望海堝まで遠征した倭寇の正体ももしかしたら後南朝勢だったかもね。 このスレは重複スレです。
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秀吉による朝鮮征伐の軍事分析part11
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秀吉による朝鮮征伐の軍事分析part12
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書き込んだ場合、荒らし行為と見做されます。 「泗川新寨戦捷之偉蹟」の著者(編者)は東郷中将(東郷元帥の甥)なんですね 韓国の反日映像作品「野蛮な日本人の姿」拡散ツールに
http://www.news-postseven.com/archives/20160302_384283.html
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160302-00000002-pseven-kr
歴史物では、豊臣秀吉の朝鮮出兵を題材とした作品も根強い人気を誇る。昨年2
月から8月まで放送されたKBSドラマ『懲録(チンビロウ)』では、文禄・慶長
の役をテーマに日本軍の“狂気”と“蛮行”があらゆる場面で描かれた。
たとえば豊臣政権の武将、宇喜多秀家率いる軍が落とした漢陽(現・ソウル)
では、「1593年9月24日、漢陽に駐屯していた日本軍は朝鮮の良民を大虐殺する蛮
行を犯す」というナレーションのもと、朝鮮の人々を手当たり次第に虐殺するシ
ーンが登場。
一方、平壌城を巡る日本軍と朝鮮軍の攻防戦では、「日本側の大敗」といった
史実と異なるストーリーも盛り込まれた。韓国の人々はしばしば、秀吉の朝鮮出
兵を日本の“連戦連敗”と主張し「李舜臣の日本水軍撃退」や「勇猛な朝鮮人義
兵による迎撃」で日本が敗走したというが、真実はどうか。ちなみに、中国の正
史『明史・朝鮮伝』は「十万の将兵と百万の兵糧を喪失した明と属国の朝鮮に勝
算はなく、秀吉の死により戦乱が終結した」と総括している。
秀吉の朝鮮出兵がテーマのドラマは今年も放送される。現在、制作が進められ
ているのは韓国KBSと中国CCTVの合作による『三国大戦 壬申倭乱1592』だ。キャ
ストには韓国の人気若手俳優と女性アイドルを配し、韓流ブームに沸く中国の若
者を抗日歴史ドラマに取り込もうという意図が読み取れる。 >>20
だから、家康を渡海させとけばよかったんだよ このスレは重複スレです。
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書き込んだ場合、荒らし行為と見做されます。 露梁の戦いの戦術的な勝者が明朝鮮連合軍であることは皆認めてるよな は?明軍の副司令官のケ子龍が戦死し、朝鮮軍の総司令官の李舜臣も戦死
もし明軍が明確に勝ったのなら島津義弘を打ち取った等とでっち上げる必要はなかろう
言えるのは戦いの中で島津勢が苦戦したことだけ
例えば「泗川御在陣記」によれば立花宗茂が朝鮮船六十隻を捕獲したと言うのもある シツコイぞ!
前スレも11、ここも11じゃ重複だろうが。
ここは書き込み禁止だ!! 勝った戦いの戦果をさらに誇張することは当時は普通やろ
さらに明皇帝への戦果報告だからそれはもう盛り盛りよ
(さんざん戦費つかって長年戦って打ち取れた敵将は小大名一人だけなんて言えませン。) 司令官の戦死はネルソンの例があるからなんとも
主力の島津が苦戦すなわち日本の苦戦だし 撤退する日本軍の補足に失敗してるから戦術的敗北だろう 痛み分けやね。勝利条件を変えることでどちらも勝利を歌える程度の >>前スレ999
島津は陸戦組だからね。順天救援の諸将は皆そうだから、
乗り込んでいた船も荷船転用の急造水軍だったものと思われ、
当然、矢倉・楯板などの装甲も無いか限られてたでしょう。 でも船には通常は焙烙玉を用意してないか?
いつ敵の船に襲われるかわからないんだし。
このあたりの情報がないからわからないけど。
露梁海戦 今年放送された全5話の低予算ドラマ。李舜臣が撃たれて終劇。
https://www.youtube.com/watch?v=evZfipqI-tk 露梁海戦の参加兵力は、「朝鮮征伐記」では明船五六百隻、朝鮮船百隻とある
つまり朝鮮船六十隻を捕獲とは、指揮官を失った朝鮮軍がほとんど失われたってことだろう 立花の話は一度改易されて記録が散逸しているから、誇張が甚だしい 立花の話は島津家臣の川上久国の「泗川御在陣記」によるものですよ 立花宗茂は自分の武功については黙して語らずだったからな >>45
そうでしたか、失礼
ただし大きさが「廿四五端帆」とありますが、「24か25反帆」だと二千五百石積み級の大安宅クラスになり、
正直、それだけの船を60艘捕獲したとは考え難いかと 常識的に考えると最終的には敗走する中で大規模な拿捕なんてできないのでその考えは当たりかと
李統制に関しては多数でありながら自ら重傷を負う泗川の海戦を見ても自らを戦闘部隊に組み込む指揮官なのだろう
対して島津方は義弘や川上久国は後方支援部隊であることが記述されておりその部隊が攻め込まれている
では島津方の戦闘部隊はと言うと後の琉球攻めの総大将である樺山が敵攻撃により船を喪失する
乗船攻撃が不調に終わったな大規模な被害を与えられない
そこまで期待するのは火縄の可能性を過大に見ているのではないか 史料によるとこれらの戦いの後彼方の敵船が戦闘部隊の樺山の逃げ込んだ南海島で軍事行動したのは間違いないようだ
これらの状況を見るに竹島を日本領土と考える日本人として贔屓目に見ても全滅敗走なのではないかと推察するしかないが 拿捕と言うのは船を運んで行かねばならない
エンジンもついていないのにどのように運ぶかと言うと此方の船員を割いて漕がせるのだ
漕ぎ手を増やすと言う事は戦力は減ると言う事になるので撤退側が大規模で行うことはない 玉浦海戦
唐浦海戦
栗浦海戦
閑山島海戦
安骨浦海戦
鳴梁海戦
露梁海戦
に勝利した東洋のネルソンこと李舜臣 竹島は日本の領土です
尖閣諸島は日本の領土です
反論があるなら理屈でない議論が楽しめない このスレは重複スレです。
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書き込んだ場合、荒らし行為と見做されます。 亀井、小川、寺沢とかあんまり水軍のイメージない、なんで選ばれたんだろ 露梁海戦は日本勝利と言う前提で理論を組み立てるが整合性がないんだよな 泗川の戦いで過大なまでの戦勝表現してるのにその落差から察しろよ 泗川の戦いで過大なまでの戦勝表現してるのにその落差から察しろよ このスレは重複スレです。
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書き込んだ場合、荒らし行為と見做されます。 マッチロック式のマスケットで敵船団に壊滅的被害を与えるというアクロバティックなことができたとしても
李の座乗船に同乗したメンバーがかなり生存している事についてはどう説明つけるのか聞きたい 明朝鮮の指揮官クラスが軒並み皆殺しにされてるという結果が全部物語ってるだろ。 これが=にできないから問題
指揮官が死んでるってことはその軍も壊滅的って論なんだが
同乗メンバーが多く生存しているとこの論は成り立たないので
じゃあ指揮官だけを狙って撃った可能性はどうかと思ってその裏付けの史料を探したんだが
実際にその史料があったのでマッチロック式のマスケットではその程度だよなと納得した 当時だと指揮官クラスが壊滅したら戦闘継続できない=負け。
物理的な意味で全滅・全滅ってよっぽどのことがないとないってだけだろ。
陸戦でも大将首取られて負けた軍が必ず壊滅してるかと言ったらそんなわけはない。 戦闘継続ができなくなってる史料があればそれが成り立つな
しかしそうなると淵辺真元高麗軍覚えの
維新公の難儀を御供の衆命を捨てて漸く其の場をお引き取りになったという表現はおかしいな
戦闘継続できない軍隊から何でこんな撤退の仕方をするのか説明がいる 幕僚が壊滅して戦闘継続可能だと思ってるならもう知らん。 あと喜入や樺山たちが続戦能力のない相手方になんで押し込まれて南海倭城のほうに逃げなきゃいけなかったのか
というより相手は十分戦えましたって考えた方が矛盾ないでしょ 島津の豊後侵攻時の敦賀城攻めで城主の利光宗魚は戦死したけど敦賀城は島津軍に大打撃与えて撃退してるからな
指揮官死亡=軍の瓦解ではない まあそうなっちゃうんだよな
どうしたって腑に落ちるほうに結論が出る
因みに今回の史料読むまで逆の立場の主張してたよ
なぜなら朝鮮征伐記では露梁海戦で日本が勝ってるから
だけど今回出されたものに比べると朝鮮征伐記はちょっとアレなんだよな 攻囲した小西は逃してるし
救援に来た島津も撤退している
そら囲みを解いて終始矢面に立ってたのだから損害も大きかったろう
でもこれ明朝鮮軍は戦術目的を達成したとは到底言えない結果だよ 小西隊が、戦闘に参加すればよかったんだ。背後から攻撃を仕掛ければ陳リンの首を獲れてたかもしれない。
それから、先鋒の島津はでかいダメージを喰らったけど立花や他の隊の損害はでかくなかったんだろう? 朝鮮征伐での捕虜に
イスラム系の武将はいなかったのかな?
当時の明軍にはイスラム系の将兵は少なくなかったようだけど このスレは重複スレです。
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よっこらしょ。
∧_∧ ミ _ ドスッ
( )┌─┴┴─┐
/ つ. 終 了 |
:/o /´ .└─┬┬─┘
(_(_) ;;、`;。;`| |
このスレは無事に終了しました
ありがとうございました
もう書き込まないでください >>70
その辺りは朝鮮軍と明軍を分けて戦況を考える必要があるんだろうと思う。
樺島らは朝鮮軍を追い散らしてるところに明軍に横矢をかけられる形で
島津本隊と分断されて孤立したので、船を捨てて上陸したんだろうと
解釈してるわ。 >>69
俺は意見翻しても全然かまわないよ
ただ疑問に矛盾ないように答えてくれたらいい 戦闘を評価するにあたって最も重要なことは目的を達したかどうか。
島津等の目的は順天の小西等の救出だった。
そして戦闘の結果、小西等の救出に成功し、目的は完全に達せられたという事実。
この事実は全く動かないものであり露梁海戦は実質的に日本側の勝利とみることができる。 戦争自体は日本の負けだろ?
好きなだけ暴れられて飽きたら帰られた明・朝鮮側が恥ずかしくて勝ったとか自慢できないだけで。 アレで日本の勝利だというのなら、日本=倭寇だよw
海賊も同然 >>80
その理屈に従えば目的を達成できなかった日本は、明・朝鮮に敗北したことになる 結局、この戦争に勝敗はない
秀吉の死という戦争とは無関係な要因で終了したノーゲーム 野球に例えるなら雨天でノーゲームになった試合のようなもの。
ただ途中経過をみるなら明らかに日本側が圧倒しているのも事実。 >>86
で、日本は半島を撤退した後、400年近くカムバックできなかったわけで
その400年の間に、日本は豊臣、徳川が滅び、中国は明が滅亡した。
というわけで、400年間健在の李氏朝鮮の大勝利!\<`∀´>/ >>87
パクられておいてスマンが・・・
300年近くの間違いだった^^; >>87
新井白石
「日本が和を結んでやったことで朝鮮は国を再造することができた」
「この再造の恩を忘れるな」 >>87
朝廷「徳川は国家元首じゃねーから。殺すぞ弱小国」 中国の軍隊って、補給不足とか、後背の集積地を攻められ兵糧が枯渇って事例が、やたら多いんだよな。
古代〜中世の戦争なんて、戦場の霧と摩擦で、ナポレオン軍みたいに複雑な運用は出来ないんだから、勝つために大量動員するのは理解できる。
何せ紀元前にもなる秦の始皇帝の時代から、何十万人と動員しており、三国志の曹操は最盛期で100万人の兵士を動員できた。
けどその動員兵力を、食わせていく努力が足りないのは理解できない。 陸を支配していない水軍は活動がきわめて制限される時代性がある。
水軍の長距離侵攻は無理。攻撃圏だけ考えても李舜臣が失敗した釜山侵攻が距離的限界では?
衣食住が揃っている近代船舶と違って当時の水軍は頻繁にオカに上がる必要があった。
食事、給水、睡眠、打合せ、その他補給など。 南原城の戦いの明朝側の兵力ってどれくらいだったのだろうか?
日本語wikipediaだと 明軍3,000 朝鮮軍1,000
朝鮮語wikipediaだと 軍民7000人 全裸病魔群(※翻訳おかしい)5000人 明軍3000人 総兵力1万1000人
英語版wikipediaだと Korea: 7,000 men,5,000+ civilians,Ming:3,000 men
どれもソースがわからない 征明朝鮮役に限った事ではないと思うけど、
当時の日本みたいに、普段は外国との戦争が無い国は、
朝鮮、明兵との戦い方や相手の装備などについて雑兵・武将にいたるまで全く知識が無かったと思いますが、
戦役に入る前に日本側全体として、何らかの打ち合わせをしたんでしょうか?
日本側は初戦から 朝鮮兵相手には鎧袖一触だった所を見ると(殆ど苦戦してないですよね?)、
とても初めての相手と戦ったとは思えないのですが。
逆に明兵に関しては情報が少なくて、対抗戦術が確立出来ずに、
平壌以後押し込まれたような感じもしますが、どうでしょうか どうも朝鮮水軍は日本水軍を質で圧倒していたらしい。
>日本軍は、その優秀な装備(多数の銃、槍、弓矢)を頼み、わずかの船しか持たぬ朝鮮の海賊を求めて出撃した。
>
>かねて朝鮮人らは日本の船舶を血眼で探していたので、彼ら(日本軍)に遭遇すると大声をあげ、喜んで船を率いて
>日本の艦隊を襲撃した。朝鮮の船舶は堂々として頑丈にできていたので、日本人を威圧した。
>まず朝鮮人の方から、火薬鍋による攻撃があったが、これは日本人を散々にてこずらせ悩ませた
(中略)
>この海戦はかなり長く続行したが、日本軍はすでに意気消沈し、戦況はますます彼らにとって不利になっていった。
>この遭遇戦で虎之助側の一人の指揮官が戦死した。中略 他の指揮官も敗北し、万策尽きたと見るや、敵の手に陥るに先立って切腹した。
>この戦いで、朝鮮人は、日本艦隊の七十般を奪い、兵士の大部分を殺害した。日本の残余の艦隊は命からがら逃げのびた。
>
>他の多くの出来事については割愛するが、日本軍は海戦の知識に乏しく、敵を撃退するための火器が不足し、海上ではつねに不利な状況に立たされていた。
完訳・フロイス日本史5巻 中公文庫 海戦の敗因は大砲不足だね
>これに先だって李舜臣は亀甲船を創造していた。船の上を板で張りつめ、その形は穹窿状
>で亀に似ている。戦士や漕ぎ手はみな船内におり、左右前後には火砲を多く載せ、縦横に動
>き回ること機織の竣のようで、賊船に遭遇すれば、いっせいに大砲を放って、これを撃ち砕
>くものであった。このような亀甲船をはじめ諸船が一時に勢いを合わせて攻めたので、烟焔
>がみなぎり、賊船を焚焼すること数知れなかった。
>
>賊将は高さ数丈の楼船上におり、物見櫓を立て、紅や色とりどりの幔幕を、その外周に張
>りめぐらせていたが、この船もまた大砲で撃ち破られ、賊はことごとく水に陥って死んだ。
>その後、賊は連戦して、みな敗れ、ついに遁走して釜山・巨済に入り込んだままふたたび出
>てこなかった。
戦国水軍の興亡 宇田川武久 『懲録』より 朝鮮役の英語版wikiは長らく朝鮮人の電波炸裂の酷い有様だったが、少しずつ修正されてきてるな
蔚山城の日本の援軍8万人→1万3千人と正しい数字に変わってるし、
幸州山城の日本側戦死者1万5千人とか意味不明な数字に「要出典」が付きはじめた
釜山浦の戦いも日本軍の勝利とはっきり書かれてる
(他方、陸で義兵が日本兵3800人をぶっ殺したなどと電波な文章も多いがw) 宣祖は実は結構有能だったのでは?
バックグラウンドがないからピンチでも派閥のバランスを維持しないと行けないし、
独走しても臣下や宗主国の明に押し込められる危険性あったし。
それでいて恐怖にかってギリギリ亡命しなかったし。
ダメな環境でできる範囲で有能さを発揮したと思う。 キタ島卍の「秀吉の朝鮮侵略と民衆」斜め読みした
まあ、あちこちにデタラメ記述が多いこと多いこと
例えば鳴梁海戦記述
「高山公実録」の記述から朝鮮水軍が現地の地理に詳しく勝利したとか言ってるんだが
実際の「高山公実録」の記述は
朝鮮水軍のほうが現地の地理に詳しかったので
朝鮮水軍が逃げていくのを追撃することが困難だったって書いてるだけ
こんなインチキよくできたものだと読んでて呆れたわ 宣祖実録 36巻 1593年 3月 8日
薊遼兵7万
宣府兵3万
大同兵3万
苗蛮兵8万
天津留鎮軍6万
山西兵3万
陜西兵3万
浙江砲手7万
ちょっと明軍多すぎじゃない? 韓国の国民レベルの認識では、
朝鮮の役は、国王が逃げて明軍は略奪にいそしんでいる中
民衆が戦って、日本軍を追い出した
って事になっているね。
そこまで気骨のある国民性なら、何で数百年も李朝朝鮮の支配下にあったか
そっちの方が訪ねたいが >>95
対馬の宗氏は朝鮮の事など詳しいから
そこから知識を得ていたようだし
あと、中国やポルトガルなどの外国人商人から情報を得ていたと聞いているが
ただ、日本軍に対して無知だったのは、明軍や朝鮮軍も一緒だったようだな 日本人だってアメリカに解放されるまで天皇か武家に支配されてたわけだし
アジアの特徴 >>78
想像で補うってのは必要だし見てて楽しいけれど…、それ裏付けある?
川上久国泗川御陣記
唐船ハ小舟ニテ用二立ソフニモナク候
どの史料にも露梁海戦での敗因として敵が大船であったことが書いてある
船舶の知識で考えれば船が大きいほど水面から上に出た部分が増える為に高さが得られる
高さが得られれば有利に戦うことができるからこの部分よく納得できるんだが
もし明船の圧力に押され分断されたとすると明船は小さくて役に立たないと書いてあるのに
その役に立たない船に負けたと言う事だろうか 川上久国の雑録に立花船が屋根の上に兵を置き警戒をしていたのに対し
島津船はそうしていなかったことで戦果が上がらなかったことが書いてある
また
伊藤貞昌覚書
(樺山や喜入は)番船共取巻候て籠の内の鳥の如く難遁躰に候由
とも書いてある
警戒を怠り突出し潜んでいた船に囲まれ潰されたと考えた方が自然では? 伊藤の方は城に逃げた後の話なんだが結局のところ終始湾の支配をされ続けていることを示している
分断されたから船を捨てるってのはどう言う事かわからない
挟撃の機会を自ら放棄したってことだろうか
さらに明史も征韓録も劣勢の明水軍の救援に赴き李舜臣が死亡したと書いてある
どの史料を見てもその解釈と相反するがどう考えるか? >>106
『川上久国泗川御陣記』に唐船は小舟で役に立ちそうにないとあり、
露梁の敗因は敵船が大船だったからであって、故に明軍ではなく
大船であるところの朝鮮水軍によって負けた、という主張のようだけれど、
日朝共に大中小それぞれ取りそろえているのに、明水軍だけが
小舟だけなどと言うことはあり得ないでしょ。
実際、『宇都宮高麗帰陣物語』には明船として描写されているのが
長さ約20m・幅約5mなので、日本の関船に相当する大きさだな。
そもそも『川上久国泗川御陣記』にある「唐船」が明船を指しているのかは
疑問のあるところで、当時は唐=明では必ずしもなく、唐が朝鮮を指したり、
明・朝鮮を区別していないという用例も多い。『川上久国泗川御陣記』も
陸戦に関しては「漢南人」と記しているのに海戦では「唐船」となっているので、
これは明朝の区別ではなく、板屋船相当の大型船=高麗船、挟船・鮑作船相当の
中・小型=唐船としている可能性も否定できないと思う。
それから、裏付けを要求してるけど、やはり『宇都宮高麗帰陣物語』に
南海城で収容した四,五十人の島津兵からの聞き取りとして、
「朝鮮の番船」に乗り移ったものの敵(上述のように朝鮮兵のはずが
ここでは「唐人」と記述)は階下に閉じ籠もったので焦れている内に
朝鮮船が「唐人船」の中に漕ぎ入れ、間近で半弓で射殺されたので
海に飛び込んで南海城に逃れ入ったというものがある。
数の上からも当然だけれど、露梁海戦は朝鮮水軍ではなくあくまで
北の明水軍が主力であって、その北からの圧力で島津本隊他の諸将は
海峡を突破することなく引き返し、海峡を突破して孤立した島津の
前衛は船を捨てて南側の南海島に逃げ込んだというのが実相でしょ。
また、前述の唐船の大きさに関しても、この「唐人船」は決して
小舟ではなく、板屋船の甲板上の島津兵を射殺せるだけの高さが
ある船だったという証左でもあるな。 あと、>107をみると露梁海戦の両軍の基本的な序列や配置を理解してない
ようだけど、露梁海峡を挟んで北に明水軍、南に朝鮮水軍での挟撃であり、
李舜臣が助けようとした明将・ケ子龍は本来は督戦のために朝鮮水軍に
派遣されており、主従で乗り込んだ朝鮮船一隻の単船であって
麾下の艦隊は持ってないよ。 >>108自己訂正
資料読み直したら、陳リンは分派の際にケ子龍に巨艦3隻兵千人を与えてますな。
記憶違いしてたようでどうも失礼。
でも死んだのは家士二百人と乗り込んだ朝鮮船というのには変わりなし。 @…日本軍の計画の成功と明軍の挫折
慶長の役は日本軍は始めから苦戦したという虚構が流布しているが、慶長の役は出兵以前に練られていた計画通りにことを運んでいた。
慶長2年2月21日に諸大名に発布した戦争計画によりますと、今度は「占領」を目的とはせずに、出兵を繰り返して明・朝鮮軍に打撃を与え最終的に屈服させるというもの
。これは、文禄の役で「占領」にこだわったために、拠点と拠点との間の兵糧の補給路の安全・確保に支障をきたし、慢性的な兵糧不足に陥った苦い経験から得た新たな戦略。
その戦略変換を基に具体的な計画が発布される。
@明・朝鮮軍の軍事拠点となっていた「全羅道」の
明・朝鮮軍を徹底的に撃滅し、忠清道の明・朝鮮軍もなるべく同様にすること
Aそれが、済めば撤収し、日本軍が補給の届きやすい沿岸部に築いていた倭城群を、
さらに拡大させ築城・補強し、防衛体制が整えば、在番を除いて日本本土に帰還し、新たな出兵計画に備えること
Bもし、明・朝鮮軍が日本軍の防衛網に侵入すれば、徹底的に撃滅すること(慶長2年2月21日書状 立花文書)
いざ慶長の役が勃発すると、全羅道の明軍が守る南原城を陥落させ、黄石山城も陥落させるなどして全羅道の明・朝鮮軍を一掃し、
忠清道に進んだ日本軍は稷山で明軍と遭遇するも、圧倒的兵力差で明軍を後退させ忠清道の掃討にも成功し、@は達成される。 ここで、@を達成した日本軍は、防衛網に撤収し、築城・補強を開始しました。しかし、築城中の蔚山城に明から大増援を得た明軍が襲撃を掛ける。
これに対して、日本軍は苦戦するも明軍六万のうち、二万もの兵を打ち取って大勝。
『明史』朝鮮伝「鎬不及下令,策馬西奔,諸軍皆潰。遂撤兵還王京,士卒物故者二萬」
ここで、慶長の役の作戦の成功を見た秀吉は、新たに明本土から増援された明軍の撃滅を計画し、
さらに明・朝鮮軍を疲弊させるべく、本土で休息をとっていた日本軍を1599年に再度朝鮮に派遣する号令を発する。
『島津家文書』によると、総大将は石田三成と福島正則、増田長盛を充てることを計画していたようだ。
さらに、再出兵の準備のため兵糧の備蓄などを朝鮮の倭城に命じ、着々と準備を進めていた(島津家文書、鍋島文書等)
そんな中、秀吉は死去し、1599年の再出兵の計画は流れます。秀吉の死とは関係なく、日本軍と決戦を計画していた明軍は
本土から大増援を得て、倭城攻略に動き出します。在番の日本軍の動きを抑えるため、三路に分かれて倭城に攻めかったが大敗。
理由A…明軍の疲弊
戦争末期には明側は極度に疲弊し、戦争を続行することは困難でした。三路の戦いで九州勢のみにより明・朝鮮軍に大勝した日本側とは
違い明側はすでに極度に疲弊していました。明側は三路の戦いを日本軍との決戦だと考え、数カ月かけて攻城具を大量に造り、
明各地から徴兵を実施するなど意気込みは相当なものだった しかし、相当な意気込みで挑んだ明軍でしたが、九州勢のみの日本軍に敗退します。この時点で明軍に勝算はなかったと明側でも認識していた
例えば『明史』朝鮮伝によると「豊臣秀吉による朝鮮出兵が開始されて以来7年、(明では)十万の将兵を喪失し、
百万の兵糧を労費するも、中朝(明)と属国(朝鮮)に勝算は無く、ただ関白(豊臣秀吉)が死去するに至り乱禍は終息した。」(
自倭亂朝鮮七載,喪師數十萬,糜餉數百萬,中朝與屬國迄無勝算,至關白死而禍始息)とある。
また、明朝廷の国家予算が四百万両であるのに対して、明側がこの戦役で費やした戦費は780万両に及び財政も極度に悪化していた。
『明史』王徳完伝「寧夏用兵(ボハイの乱)、費八十余万、朝鮮之役七百八十余万、播州之役(楊応龍の乱)二百余万」
さらに、明軍の敵は日本軍だけではなかった。この頃には、満洲の女真族のヌルハチがたびたび明に侵攻を繰り返し、
対日本戦の明軍を割いてまで、ヌルハチに備えなければならない状況にあった。
『朝鮮王朝実録・宣祖実録』「西路?子, 與老乙可赤, 約與合勢, 開元、瀋陽、遼東、鴨壕齶謌ネ西等地, 欲爲搶掠云云。」 軍門已抄李芳春、牛伯英等撤送, 使之防守。 」
このように、戦争が続いたとしても日本軍が撃退される可能性はほぼ喪失していたため、日本軍は朝鮮に居座っただろう。
ただし、秀吉が朝鮮の制圧を目指していたかは別問題です。秀吉は文禄の役の講和条件に「勘合貿易の復活」を挙げており、
それを認めさせれば朝鮮から手を引いた可能性も十分ある。 >>109
陸軍国であった日本がこの遠征で水軍を重視せず小舟が多かったわけで
可能性があるという程度で「あり得ない」と断定してしまうのはどうか
こちらは単に納得させてほしいだけなので姿勢がニュートラルでないと困るが
>実際、『宇都宮高麗帰陣物語』には明船として描写されているのが
>長さ約20m・幅約5mなので、日本の関船に相当する大きさだな。
明の船が日本の関船に相当するのなら朝鮮の板屋船より小さいことになる
これでは明船が大船とは言えなかったのではないか、どういう意味か?
>「朝鮮の番船」に乗り移ったものの敵(上述のように朝鮮兵のはずが
>ここでは「唐人」と記述)
朝鮮人を唐人と言った可能性は?
朝鮮もサイズが大中小とあるようなので
番船(哨戒船)とすれば板屋船より小サイズだったのも疑問はない
>朝鮮船が「唐人船」の中に漕ぎ入れ、間近で半弓で射殺されたので
>海に飛び込んで南海城に逃れ入ったというものがある。
小サイズであっても波があるのだから射撃することはできると思うが
それは置いといて、板屋船から小サイズの船を撃ったとすれば特に疑問もない
提示していただいた文章からでは朝鮮船が壊滅どころか日本側が有効な攻撃ができず
朝鮮側が組織的に攻撃し続けた様子が見てとれるのだが…
結局のところ現時点においてこの結論が整合性のある結論なのかな でも正直この議論は楽しいので
取り敢えずその文章分かりにくいので二度手間だが解説してくれ
史料読むのが一番なのだろうがすぐにできないしな もう一回読んだ
朝鮮の番船を唐人船から撃った
よって唐人船=板屋船ではないか
唐人船高麗船は単に大小の可能性あり
と言うことだろうが
「朝鮮の小さい船を明船から反弓で撃った」とそのままの解釈だろう >>115
番船が何を意味するかも判ってないようだし、
もう少し勉強してからにして貰わないと
色々話がかみ合わなさすぎる。
ちょっと勘弁してくれw
ついでだから>41の訂正
>長さ約20m・幅約5mなので、日本の関船に相当する大きさだな。
文庫版の日本戦史朝戦役本文から引いた数字だけど、なんだか当時の軍船にしては
細長いな、と思って原文を確認したら横が四間となっていたので正しくは7.2mほど。
縦は十一二間なので20〜21mで間違いない。 だから番船ってなに?
デジタル大辞泉の解説
ばん‐せん【番船】
1 港口・関所などで、必要に応じて見張りや警護をする船。また、密漁を監視する船。ばんぶね。
2 《新綿番船・新酒番船の略称》江戸時代、上方から新綿・新酒を送るため、江戸へ到着する順番を競った廻船の称。 >>121
当時の日本側史料で「番船」と出てくれば、ほぼ間違いなく朝鮮の主力艦種だった
「板屋船」を指すね。『宇都宮高麗帰陣物語』でもそう。
自分の想像だけの番船=哨戒船=小舟という解釈で、“ボクの考えたやっぱり
朝鮮水軍が強かった露梁海戦”みたいな話を延々とされてもつきあい切れませんわ >>119
そう。中国では後継王朝が先代王朝の歴史を編纂するんで、
後継王朝の正当性を高める為に先代王朝後期〜末期の政治面での悪辣さを強調し、
後継王朝の強兵振りを喧伝する為に先代王朝後期〜末期の軍事面での優秀さを強調する 日本側の資料は誇張だといい明の資料は不当に貶められてるという
ああ言えばこう言うだな
ま、僕の考えた最強の朝鮮軍の結論に沿わない資料はとことんいちゃもん付けるんだろうけど >>122
いや、番船といえば普通は戦闘用の船という意味であって、船格は問わないが? 編纂元は明代に書かれた書物だから
割り引こうが割り増そうが大体の事実は動かんよ 餓死は多かったと思う
電撃戦の文禄の役と地味に橋頭堡の確保に重点を置いた慶長の役の戦略の差を見れば一目瞭然。
秀吉政権は朝鮮の土地を過大評価してた。
せめて東北並みの豊かで現地の食糧で15万の兵が駐屯できると思ってたんだよ、
アジアと言うか朝鮮を過大評価する風潮は今に似てると思う。
行ってみたら信じられない程の困窮な土地で戦線が維持できないほど餓死者が続出。
四川で起きた反乱には20数万の大軍を送れる明軍も朝鮮には10万しか援軍を送れない。
当時の朝鮮の土地は満州や蒙古と大差の無い荒涼とした土地だったんだよ。 どうでもいいけど、なぜ小西は陸路で釜山を目指さなかった?
陸路に劉 綎以外で強力な敵がいたか? 見てて面白いから続けろ。このスレのためにもな
何にもしないのは悪いので整理をする
A
島津先鋒の船団と南の朝鮮船団が衝突し観音裏付近では島津が優勢、朝鮮は壊滅的被害を受けた
しかし、その後北の明船団が助けに入り島津先鋒の船団は壊滅した
(唐人船が陳璘の北の船団であった場合)
B
島津先鋒と南の朝鮮船団が衝突し観音裏付近では朝鮮船団が制した
朝鮮船団は壊滅しておらずその後も戦い続けた
(唐人船が南に派遣された明船であった場合)
またまとめるのでよろしく >>132
被害を出したくなかったから。
順天倭城のある半島の付け根を抑えられていたから。 >>134
難しい話じゃなく地図で観音浦がどこにあるかを見れば一目瞭然なんだけどね。
参謀本部編纂 『日本戦史 朝鮮役 露梁海戦要図』
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/936357/59
主戦場である西側海峡口の南西、南海島の北西岸の舟形2つが記されてるのが観音浦で、
露梁海戦での朝鮮水軍の出撃点でもある。
まぁ、後代の李舜臣を顕彰する『李忠武公全書』では、李舜臣を主役にオールキャストで
観音浦で一大決戦したことになってるが。 まあ、しろうとめなんだが、
秀吉が計画的に水軍(海上補給部隊)を編成して半島西岸を北上しつつ
内陸の大軍への側面からの補給を維持して、山海関から北京への進撃を企てていたようには思えないのだが。
力ずくで朝鮮から明へ15万の陸兵を押し出すという構図にしか見えない。
オウリョクコウを渡り山海関〜長城を超えて北京へいたる道のりを
どういうふうに秀吉が考えていたのかが、むしろ疑問なんだ。
中国人も朝鮮人も太閤の威光の前に戦う前からひれふす程度にしか考えてなかったんではないか。 南蛮人が献上した日本が大きい地球儀を見て計画を立てたんでしょう 朝鮮から遼東半島のつけねを経て山海関〜北京へのみちのりは
途方もない距離なんだが、秀吉にとっては都から博多くらい程度しか想像してなかったのではないかな。
現実は不毛の地で、明の兵隊が朝鮮に援軍を送るに当たっても随分と朝鮮側が接待というか
明への給与に苦心したらしいな。
行長が行き詰るのもわかるわ。 いまの地政学的見地からすると北京を攻めるのに
朝鮮〜陸路〜北京
は愚策で、
朝鮮〜遼東半島(旅順)〜山海関
という海路の進撃が効率的に見えるけれど、
そういう発想がなかったのは、清正があさってのオランカイの方向に行ってるのをみれば分かる。
あくまで陸路で行こうとしていたのだよ。 このスレは重複スレです。
以下に移動してください。
秀吉による朝鮮征伐の軍事分析part12
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ありがとうございました
もう書き込まないでください >>141
オランカイへの出撃は地元勢力からの要請と
女真族に対する威力偵察の目的だから
それは違うな
的外れ >>138
そのために兵力を充実させるために
秀次を粛清せずに減封にとどめて
渡海させて派兵させるべきだったな 家康を渡海させていたら、
朝鮮征伐がどうなっていたか? >>145
結果論で言えば家康が困るけど、そもそも秀吉は勝利する気で居たんだから家康を送り込むこたぁない 結局失敗だったのか?
日本が圧倒的に優れているのは忍者の存在だと思う >>147
目標は大陸進行でその準備が朝鮮征伐だからね。
朝鮮征伐に手間取ってる時点で失敗リ結局グダグダして何もできず帰ってきたわけだし
だから朝鮮&明の勝ちだけど防衛戦なんて勝っても利益がない訳で、誰一人利益がなかったのが朝鮮征伐 >>148
目標達成を断念したんじゃなくて秀吉の死で目標自体がリセットされたんだから失敗でもなんでもない
クビライが健在なのに元寇に失敗・断念した元朝と違い、オゴデイの死でヨーロッパ侵攻を中断したモンゴル帝国と同じ
明と朝鮮の国土防衛も自力で勝ち得た成果ではなく、秀吉の死で日本が帰ったから負けずに済んだだけで勝ってない
元寇にて実力で元軍を蹴散らし勝利した日本とは全然違う 秀吉一人の死で継戦能力を失い全占領地放棄せざるをえないほど惰弱で不安定な政権だったってことだ >>149
トップが一人死んで全部おじゃんになるとかそれはもう作戦自体が失敗に近いんじゃ
つうか元寇もさほど実力で蹴散らしたわけでもないしなぁ このスレは重複スレです。
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もう書き込まないでください >>150
豊臣政権が秀吉ありきのワンマン体制だったのは確かだが、
消失したのは継戦意思であって継戦能力ではないし、日本の軍事力が明朝鮮より上だった事実は変わらんぞ
>>151
トップ一人の死で軍事外交がひっくり返るのは前近代ではよくある話で朝鮮征伐もその一例に過ぎんよ
それと元寇での成果は完全に九州武士団の実力によるもの。まさか未だに台風説や威力偵察説を真に受けていまいね? >>153
だが、秀次を完膚なきまでに粛清したのは失策だったぞ
石高を減らしたうえで、渡海させて城普請させてペナルティを課すだけでもよかったかも >>153
継戦の意思喪失って敗戦とほぼ同義なのでは?
アメリカのベトナム戦争敗戦を敗戦ではないと主張するのに似ている。 >>155
被る場合もあるが基本的には同義ではない
上でも書いたが、クビライ自身が健在にもかかわらず継戦能力がない事で継戦断念したのと、
継戦能力も意思もある秀吉が戦場とは無縁の場所で病死したのは別の話だぞ
専制君主制の多かった前近代と民主制の多い近代以降を同列に語るのは難しい >>156
日本の敗北ではなくて、豊臣の敗北が正しいということか 軍事力比較したら明が勝つんじゃね
投入戦力の比較なら日本が上かもしれんが >>153
元寇って一回目は「勝ったり負けたりしてるうちに相手が集まってきたしトップが負傷したからとりあえず帰ろうぜ」だし、
二回目は「相手の用意が良くて攻めあぐねてたら疫病と台風が来たから戦意喪失で将校撤退」と、両方まだ継戦能力はあるが戦意喪失で元寇側が引いてるわけで、
「戦意喪失で引いたのは負けではない」
理論なら元寇は失敗じゃないってことになるよ?
と言うか敵国に攻める側が負けたといえる基準って結局「なんらかの理由で戦意喪失して撤退」か「一人残らず皆殺し」しか無いわけで、これを失敗や負けにしないのなら攻める側にはほとんど失敗なんかないし守る側が勝つことなんかほとんど無いわと。 順天倭城のある半島の付け根を誰に抑えられてた?
劉テイ以外に敵勢力がいたの? >>160
船で来たから船で帰らないと帰れず。
陸には明軍も朝鮮軍も植えた朝鮮民(朝鮮の官は収奪するし明軍も略奪するから)もいる。
陸路は治安悪すぎ。 >>129
米軍も鉄道以外の交通インフラの劣悪さに音を上げて
たびたび徒歩行軍を強いられては往生したそうな 田原坂なんか今でも二車線六メートル道路なんだがこれが当時は九州の大動脈だったというから驚く
それほど街道が貧弱な九州の大名ですら朝鮮半島の“街道”には驚いたというからあとはおさっし
大臣将軍が一輪車に乗る国はさすがに別格だといえよう 陸路で釜山を目指すって
順天の持ち船捨てて陸路で釜山に着いても
そこで乗る船が無い状況が考えられるだろ このスレは重複スレです。
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もう書き込まないでください 当時の交通と通信の技術では、補給を確保し続けるのは難しい。
現地調達って、やはり難しいんだよ、いつの時代でも。
とくに十万以上の大軍となると、よけいにな。
当時は世界中どこでも広い農村に人口多く散らばっていて
一か所に人が集まる都市がなかったから。
漢城(ソウル)でも十万人くらいでしょう?
だから、十万の軍隊に食料供給しようにも、
現地の物流を利用しないといけないけど
その現地の物流が侵略軍に食料をよこさなかったら、
どうすることもできない。 露梁海戦は小西軍救出という目的を日本側は完璧に果たした。
対する明・朝鮮では朝鮮水軍トップの李舜臣が打ち取られ
明水軍ナンバー2のケ子龍も打ち取られるという大打撃を受けた。
これらの事実からして日本側の勝利という以外有り得ない。 明主将の陳燐(当て字)も死にかけてるしな
一方日本側は誰も死んでないという
まぁ中国人と朝鮮人で出来た軍隊の割には頑張ったんじゃない?
和議破りに待ち伏せまでしといて逆撃食らって首狩りされるとか中国人らしい結果だが 死んでないってのはそういう明確な記述がないってだけで日本側も多数の戦死者がでたって記述がある。
Wikipediaは「日本軍は不利ながら善戦した。結果としては痛み分け」的な形にしてるけど、実際そんなところなんじゃないかな >>171
記述がないのではなく日本側で身分の高い人間は実際に死んでない。
兵卒の死傷数と指揮官の死傷数は大よそ比例するので
大量の武将が死傷した明・朝鮮側では兵卒の死傷者も日本側以上に多かったのは確実。
何よりも戦略目的を達成したのは日本側なので露梁海戦は日本側の勝利といえる。 焙烙玉を持っていってたら楽勝できたろう?
海戦は大砲よりも焙烙玉だよ。 このスレは重複スレです。
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もう書き込まないでください >>172
撤退戦だと損害の大きさに対して将が死なないってことがよくある。
撤退戦で撤退できたんだから日本の勝ちだろうけど、じゃあどの程度の勝利かつうと疑問じゃないかなと言いたいのよ。
朝鮮側では日本の船を200近く落としたと記録してるし、日本側も被害が大きいと嘆いてる記録がちらほらあるから、精々「際どいが勝った」位だったんじゃないかと 露梁海戦は撤退戦でなはなく、小西軍救出戦。
勝敗は目的を達成したかどうかで決まる。
小西軍救出という目的を完璧に達成したのだから日本側の勝利以外有り得ない。 >>176
>撤退戦だと損害の大きさに対して将が死なないってことがよくある。
しかし、追撃(して当然)側の将の死傷の方が多い、ってのは希だろうな。 >>176
日本側から見た被害はともかく
朝鮮・明側の資料なんて精々1/10か1/100にして見るべきじゃね。
戦果を少しでも挙げた事にしないと粛清される連中が書いたもんだぞ。 露梁海戦は実質的に日本側勝利だが
幸州山城の戦いや鳴梁海戦についても目的を達成したのは日本側であり
実質的勝利は日本側だと言える。 >>180
つまり全体として日本の目的は世界征服、後に朝鮮南部の確保
朝鮮の目的は日本を追い返す。
朝鮮大勝利って事か >>176
撤退せんということではなく、追撃を受けて崩れたかどうかじゃない?
真田昌幸みたいに、兄達が長篠で戦死したから後継者となったような話が露梁や他の朝鮮の戦では出てこないからな。
中川兄が鷹狩り中に死んだから弟が継いだとか、島津兄が死んだから弟が出征したとか。
戦死で聞く話だと来島ぐらい? 朝鮮征伐は直接の戦闘ではほとんど負けていない日本の実質勝利と言える。 戦争の勝敗は、戦闘の勝敗で決まるものではないという基本を百万遍繰り返さんといかんね >>183
大陸打通で圧倒的勝利に終わっておきながら全員捕虜となる憂き目にあっても、
それが実質的勝利と言えるかなぁ? 戦略的成功を繰り返していた日本軍。
それに対して明・朝鮮軍は戦略的失敗の連続であった。 そもそも大戦略がどうしようもない程にスカポンタンな日本 戦略も戦術も政治も全部駄目な相手なら何も問題はないな 朝鮮四道割譲が成ったとした場合、大陸最前線の朝鮮四道と九州の
武将・領土配置を固める事が豊臣政権にとっては最重要に成る訳だ。
中国は毛利領
四国南部は長曽我部領
四国北部は吉川領
九州北部は小早川領
九州南部は島津領
朝鮮・全羅道は小西領
朝鮮・慶尚道は加藤領
朝鮮・京畿道は宇喜多領
朝鮮・江原道は黒田領
で。 朝鮮半島国家は、元寇でボコられて、応永の外寇で対馬単独でボコられて、
朝鮮役ではボコボコで、20世紀頭には欧米の植民地になるところを
日本に救済合併してもらってたっけ。(・∀・) >>194
応永の外寇はWikiが編集され直されてるけど、先に対馬による朝鮮半島襲撃があり、
それに対する朝鮮側の対馬に対する報復が応永の外寇と呼ばれている。
対馬の倭寇2千人は浙江省を襲おうとしたが、途中で食料が尽き、朝鮮半島を襲った。
そして遼東半島の望海禍で明軍に待ち伏せされ全滅する。
彼らの供述のおかげで明南部を襲った倭寇たちの航路がおおよそ想像がつく。
倭寇は半島沿いに一旦北上してシナ沿岸沿いに南下するという航路を採ったと思う。 取られたら困るからって、肝心の本土(主に東北地方)や工業犠牲にして金掛けるんじゃ本末転倒なんで
まだ弱小なアメリカ辺りににでも売り飛ばしたらよかったのに。 >196
日露戦争で人が死にすぎたからな
アメリカに売り飛ばしたりしたら日比谷焼き討ち事件が再発・拡大しかねない。 >>191
白村江以外でボコられたって認識は無いと思う
現場では勝って勝って勝ち尽くした上でのお家事情or他の外敵にヤラレて降伏、撤退だから
ちょうど、モンゴル帝国の欧州攻めに似てる。 >>194
日本みたいな貧乏国に併合されたのが朝鮮の運のつきだな その貧乏国より遥かに超貧乏だったからね
金だけじゃなく文明も無いにひとしかったし 日本じゃなくてロシアに併合されてたら史実以上に酷くなってた事必至だな >>201
朝鮮人はそれを強く望んでいるんだけどな。 >>195
2000人が全滅してなお万越えの朝鮮軍を追い払った宗氏、無双過ぎだろw
常識的に考えれば遼東半島にまで出張ったのはフツーに偽倭なんじゃないの。 >>200
そんな土地が欲しくて必死こいてた劣等民族がいたんですよ フツーに偽倭?
応永の外寇のWiki見たか?ご丁寧に 太字で ハッキリ クッキリと 対馬人 と書かれてる。
たぶん編集したのは韓国人だろう。
島中飢饉だったので、遠方に”出稼ぎ”に行かざるを得なかった当時の苦しい状況がヒシヒシと伝わってくる。 >>204
ロシアにとっては不凍港ってだけでも相当な価値があるからな >>203
一方、本土では下から数えた方が早い模様。
朝鮮が弱すぎただけじゃないかなぁ・・・
それでも全体として見ればいい勝負ってところだし 向こうの記録にあるだけで、宗氏文書がそれこそ山ほど残ってる
対馬側に相当する記録が無いんじゃ、やはりガセでしょ。
2000人も死んでりゃ、いわば対馬の壮青年の大半が死んじまったという
話になるハズなんだし。 対馬側が全滅した元寇と違って独力で追い返してるので、
まぁ、朝鮮が弱すぎというのは間違いはなさそうだね。 日本人ですら帝国の圧政に苦しんでたのに半島人が感謝するわけないじゃん そりゃ戦乱期の侍と平和になれた朝鮮兵じゃ差もでるだろう >>207
対馬側が全滅した元寇と違って独力で追い返してるので、
まぁ、朝鮮が弱すぎというのは間違いはなさそうだね。 >>戦乱期の侍
平安時代かな?
上杉謙信も源平武者はお前らみたいな軟弱者とは大違いだったんやでと言ってたし
侍のお家芸は弓馬の道だから通りすがりを弓で射って日ごろから鍛錬しろだとか
北條氏の敵対御家人十連続族滅だとかみてると
殺生関白なんて極普通だし切腹のあとの族滅なんて鎌倉時代の日常ぐらいにか感じなくなる 戦国時代のほうが平安時代よりも鎌倉時代よりも南北朝よりもはるかに平和だったという事実
血が滴る生首がないと酒がまずいとかいうサイコキラーとかもいて草もはえない >>対馬側に相当する記録が無いんじゃ、やはりガセでしょ。
略奪の記録など残す馬鹿がいるか?戦果の誇張はあれども対馬の連中だよ。
さもなければ、長専側に捕まった捕虜が嘘をついたということ。
いずれにせよ、朝鮮側の対馬征伐はその結果を受けて行われてたもの。 天皇は木や金でいい発言したのも上皇リンチしたのも南北朝時代だしな 生産性が低かったのは、李氏朝鮮の官僚たちの私田が、
汚職政治の影響から京畿限定だったのが全羅、慶尚、
忠清に拡大して、徹底した収奪が行われてことも関係しているし、
農機具や田植え法が劣っていたことも要因のひとつだな。
適切に公田として維持されてた初期は年貢も
農業法が日本より劣っていたとはいえ、それなりの収穫量があったから、
統治者次第だね。
まぁ、それができなかったのが朝鮮民族なわけだが。
南部住民は日本の大名に統治されていたほうが幸せだったかもなw
九州からコメの輸送、商人の往来、農業技術の伝播もあるし(朝鮮は水車も作れなかった) じゃあ、おい、↓これは嘘か?
^ 以下は捕まった倭寇の証言および後に対馬官吏たちが朝鮮政府へ上げる報告。
※捕まった倭寇の証言(史料原文):吾係對馬島人。島中飢饉, 以船數十艘, 只緣乏糧, 侵突庇仁
※仇里安の報告:封內之民侵犯大國之邊鄙
※時応界都の報告:餘十四隻還來。七隻乃一岐州人, 已還本州, 七隻則我島人也。 朝鮮側からの連絡で明側は望海禍で倭寇を待ち伏せた。
双方で連携してるから信ぴょう性は高い。生擒857名。朝鮮人は混ざってないようだぞ。
http://baike.baidu.com/view/2335708.htm そもそも、Wikipediaの応永の外寇の記事の“対馬侵攻の決定”の項を見りゃ判るけど、
その倭寇が全滅したという望海堝の戦い(6/14)以前に、朝鮮西岸を荒らし回る倭寇への
直接対応そっちのけで、倭寇の襲来からわずか一週間後の5/14にはもう対馬遠征を
決定しているという極めて不自然な時系列なんだわ。
で、常備軍が無きに等しいはずの朝鮮がその決定から一ヶ月でもう早々と外征準備を
終えているという手際の良さ。
↓これは応永の外寇についての三日月城通信の考察だけど、朝鮮史料の言い分よりはよほど腑に落ちるね。
ttp://take8592goole.wiki.fc2.com/wiki/%E5%BF%9C%E6%B0%B8%E3%81%AE%E5%A4%96%E5%AF%87%EF%BC%88%E4%B8%89%E6%97%A5%E6%9C%88%E5%9F%8E%E9%80%9A%E4%BF%A1%EF%BC%89
つまるところ、応永の外寇ってのは、倭寇に事寄せての領土欲からの対馬侵攻だったんでないの。
まさかの大惨敗を喫したので誤魔化しただけでさ。 倭寇って海賊、今風に言う武装勢力の類なんだから海賊退治なんてきりがない追いかけっこより相手の本拠地叩くって判断しただけじゃないの?
兵隊だってかき集めるだけなら一月だって無理でもないし(まともに用意してないから負けてしまったと言うのもあるだろうね)
そもそも外征たって朝鮮→対馬は対馬→本土よりも近いからなw 単品だと信憑性に問題があるから書いた陣営が違う文書を2つは探せという話。
この場合だと口裏を合わせた可能性がある対馬→朝鮮の報告書じゃなくて幕府の文書を示すとかだな。
正直そこまでするまでもないどうでもいい話題だと思うが 倭寇って海賊、今風に言う武装勢力の類なんだから海賊退治なんてきりがない追いかけっこより相手の本拠地叩くって判断しただけじゃないの?
兵隊だってかき集めるだけなら一月だって無理でもないし(まともに用意してないから負けてしまったと言うのもあるだろうね)
そもそも外征たって朝鮮→対馬は対馬→本土よりも近いからなw >>208
2千もそうだけど
そもそもの文禄の役での5千は更にどーよって話だよ
あの畑主力で1〜2万石の石高と経済力で2千とか5千とか動員できるものなの 文禄の役の宗氏は軍役5000人だが人数書だと2000人ちょいやね
本島2万石、薩摩入地1万石、役米1万石の4万石の5人役で2千人だからこんなもんやろね >>228
宗氏は10石格なので文禄の役では五人役相当で定数5000人で、
八掛けとしても4000人だけど、実数ではそこまで出してないでしょ。
実高が3万石ほどだから外征ならせいぜいで1500人、慶長の役では
一気に1000人まで減らされてるので、実力としてはそんなもんなのでは
ないかな。やはり脇坂が3万石で文禄1500人、慶長1200人だったし。 対馬だけじゃなく壱岐の連中も加わってるぞ。
餘十四隻還來。七隻乃一岐州人, 已還本州, 七隻則我島人也。 >>230
十万石格なんてない。それは江戸時代の序列。
収穫が一万石で移入分の一万石と合わせて最大人口は二万人といったところ。 2000で総力戦って感じだな
>>195は相当盛ってると思う そう言われても、実際に宗氏は朝鮮役における九州の大名の軍役である
五人役(本役)を課されてるので、5000人から逆算して豊臣政権下から
10万石と見なされていたことに違いはないよ。 っていうか本島が2万石じゃ対馬のみじゃ1千名が精々だな
2千名なんてあり得ない話になるな。 北島万次氏の主張である
>「慶尚道南岸にある倭城の守りを固め、朝鮮の穀倉地帯である全羅道攻略に当面の狙いを絞り、
>ついで忠清道、さらに京畿道へと進撃せよというものであった」と訳し、
これなら当然仕置きの城の場所が南岸に限られるのもうなづけるが。
ただ、これだと実際の歴史の経過と相違してくる。
実際には、倭城の守りを固める余裕もなく、また、全羅道攻略に当面の狙いを絞るでもなく、
慶長二年七月から左軍と右軍に分かれ、 左軍が赤国の攻略を 右軍が青国の攻略を 同時進行でおこなっている。
だから北島氏が上記の様に主張したのならば、自説を補強する為に実際の歴史を
曲解したことになる。 壱岐は松浦さんとこのテリトリーなのに手伝いに行ってのか 対馬が飢饉ということは壱岐だって飢饉だったんじゃないの?
1419年の九州方面の天候状態どうだったんだろう? あのさあ、このスレとpart12スレとどちらが本スレ? >>239
ここに決まってるだろ
向こうは池沼荒らしが立てたスレ 柳成竜『懲録』
「明国軍が碧蹄で敗れ、李如松が臆病風に吹かれる」
・このとき(李如松)提督が率いていたのは、みな北方の騎兵で、火器を持たず、
ただ切れ味の鈍い短剣を持っているだけであった。(一方)賊は、歩兵であって、
その刀剣は、みな三、四尺の、切れ味無比のものであったから、これと
衝突激闘しても、(長刀)を左右に振り回して切りつけられ、人も馬もみな倒れ、
敢えてその鋒先に立ち向かう者もいなかった。
・(李如松)提督が、自分が〔本国に送る〕奏達文の草稿をとり出して示したが、その中に、
「賊兵、都城に在る者二十余万。衆寡敵せず」とあり、また文末に、
「臣、病甚だし。他の人をもってその任に代えんことを請う」ともあった。私は驚いて、
手でその部分を指して言った。「賊兵は甚だ少ない。どうして二十万にもなりましょうか」と。
提督は、「私がどうしてそれを知り得よう。おまえの国のものが言ったのだ」と言ったが、
どうも口実のようであった。
李如梅のあんちゃんも相手が強いとなると仮病を使って任から離れようとしたり
数が多いので無理ですとか過大申告しようとしたのを朝鮮人に軽蔑されてるくらいだからなあ >>239
前スレで次スレとしてアナウンスがあったのはpart12スレだし、
part12スレから転載と明示せずに投稿者もレス番も無茶苦茶で
無断転載しているキティ常駐なのがこっちだから、向こうが
本スレでしょ。 私は元創価の会員でした。
すぐ隣に防衛省の背広組みの官舎があるのですが、
自分の家の窓にUSB接続のwebカムを貼り付けて、そこの動画を撮影し続け、
学会本部に送っていました。
別に大したものは写っていません。ゴミだしとか奥さんが子供を遊ばせている所とか。
官舎が老朽化し使われなくなってから、
今まで法人税(うちは自営業です)をほぼ払わなくても済んでいたのが、
もう守ってやれないのでこれからは満額申告するように言われました。
納得がいかないと言うと、君は自業自得で餓鬼地獄へ落ちる、
朝夕に南無妙法蓮華経と三千回ずつ唱えて心をきれいにしなさいと言われ
馬鹿らしくなって脱会しました。
それ以来、どこへ行くにもぞろ目ナンバーの車につけまわされたり大変な日々です。
全ては自分の出来心から起きた事で、どこに訴えて出ると言う訳にもいかないのですが、
なんとかあの人たちと縁を切った上で新しい始まりを迎える方法はないんだろうか。 秀吉は東アジアの華夷秩序さえ知らんかったのに、よくもまぁ明国征服とか志向できたもんだ。
初歩的知識さえあれば、朝鮮に明国侵攻の先導役を要求する間抜け外交もせんかったろうに。
基本的な国際常識さえ無いから、明国から「日本国王」に封じられて激怒する無知蒙昧。
トップが馬鹿だと、必ず当該政策は失敗する典型例が、秀吉の唐入り。
信長の撫民政策から何にも学んでないから、草の根から反乱を起こされて、現地の統治さえままならず、無様な撤退で政権崩壊。 >>246
そんな日本に一方的にやられっぱなしのまま、
秀吉死去というラッキーイベントで一命を取り留めた明朝鮮の方こそが無様だわw
それと247も言うように豊臣政権崩壊は秀吉が死んだからであり明朝鮮は無関係 >>248
そもそも豊臣や徳川も織田の家来、配下と考えたら、
大きな意味での織田家由来の政権自体は内紛こそすれ滅んでないしな。
織田家由来の政権滅んだのは米帝様が乗り込んで来たからだから。 徳川政権は、豊臣政権衰退の決定打となった
朝鮮の役の失敗を繰り返すのは嫌がっていたからな
家康にもう少し視野が広ければ、台湾や北海道や樺太まで
江戸幕府の勢力を拡大することも可能だったであろうにな
鄭成功の支援依頼すら、結局、無視して台湾を明の支配下にするのだし >>248
秀吉の妄想では明国征服どころか世界征服のハズなのに、多大な戦力を浪費しても明国に届かず
朝鮮の寸土すら盗れず惨めに逃げ出したのは無様じゃないと >>250
そんなことする暇と金があれば国内開発に投資すべき >>251
まあ、確かに失敗だったよね
結局、結果が全てだ。
朝鮮の割譲すら出来なかったのだしね
それは認めるけど 徳川政権も台湾征伐していたはずだが?
長崎奉行にやらせていたような それなら関が原でも石田、小西を助けに5千ほど率いて助けに行けよ、と
勝敗も変わったかもしれん >>246
激怒したのは後世の創作
交渉が決裂したのは朝鮮が人質を拒否したから
秀吉自身は日本国王を否定してない そうなの?
宗、松浦、有馬、大村とか第1軍のメンバーが朝鮮同様に戦ってれば東軍は容易に壊滅していたろうに 大公儀の御威光(笑)で上杉征伐軍諸将が大阪へ馳せ参じ坂東に攻め込む予定が
一人残らず徳川に与力し東海道は素通りで最終防衛線の岐阜城も瞬く間に落城
この状況下で反徳川で兵を挙げるバカがいたらびっくりのぽんだよ そもそも太閤殿下の妹婿で一族衆筆頭であり秀頼君の御名代の徳川内府と
年寄衆の一員でありながら勝手に領国に帰った毛利や政局で敗北して隠居した石田ごときと
どちらが正統でどちらが謀反人かといえば謀反人は毛利石田のほうだろう そもそも秀頼みたいな幼児に自分達の領土の安全をたくす方が不自然だわ
秀吉が死んだら次の実力者である家康にのりかえる
それだけの話 主力軍の毛利軍が分裂してる状況じゃ勝ち目はない
まぁ豊臣家を守る戦いなのに毛利家だよりな時点で西軍は終わってるんだが ×豊臣家を守る戦い
○毛利上杉宇喜多石田らが私利私欲のためにおこしたクーデター
そもそも秀頼成人まで諸大名の子女は十年以上処女童貞でいろというのが無茶だっただけ
それ以外は徳川内府が完璧にやってたし実際徳川家が優秀すぎて石田は首になったわけだし
勝手に領国に帰った毛利上杉なぞ論外なわけでそもそも挙兵の大義名分がない
だいたい徳川の専横とやらに何か根拠があるのか?縁組云々以外全部いいがかりじゃないか >>263
朝鮮の役や秀次誅殺のような事がなければ、豊臣政権の命脈は続いていたかも知れない
そもそも豊臣家では、秀吉以外では唯一残っていた成人男子の秀次を誅すなど
愚挙も良いところだ。
封建制は血統による支配なのだから、一族のものが失われたら
それだけ弱体化する。
源頼朝が、義経ら自身の兄弟を次々と粛清した結果、源氏は三代で滅んだ前例があるように
秀吉の行動は明らかな失敗だ このスレは重複スレです。
以下に移動してください。
秀吉による朝鮮征伐の軍事分析part12
http://echo.2ch.net/test/read.cgi/army/1477577591/l50
よっこらしょ。
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ありがとうございました
もう書き込まないでください 秀頼が、2代目の江戸幕府将軍になってたら、
徳川秀頼って名前になってたのか? むしろ秀次が粛清された時点で終わってる。
後継者を政府機能ごと粛清すれば、そら忠臣以外下剋上起こすわ
まして成り上がりで権威もないのに むしろ秀次が粛清された時点で終わってる。
後継者を政府機能ごと粛清すれば、そら忠臣以外下剋上起こすわ
まして成り上がりで権威もないのに 変わらんだろ
主力軍の毛利軍が分裂してる状況じゃ勝ち目はない
まぁ豊臣家を守る戦いなのに毛利家だよりな時点で西軍は終わってるんだが そういわれれば秀次死亡は野ブタだ死亡と同じくらいの重要事項なんだな 秀頼を三法師ポジションに見立てると確かにしっくりくる 秀勝も秀保も秀秋も重要だったんだな。
秀勝、秀康、秀家と血縁ない奴のほうが優秀そうなのが辛いが もし秀次が関白位を続けたら
秀吉の実子が三代目になれたかと言えば、難しかっただろうな
秀吉が生きている間に三代目への代替わりが出来たならともかく
さすがにそれは難しかっただろうし >実子
まさに実のところビミョーだけどな。
それでも豊臣政権が存続してることがが前提なら、、その辺は
五大老にでも言い残しておけばどうにでもなったんでないの。 秀頼の実父が秀吉ではない大野治長では無いとの俗説は、豊臣時代の当時から存在した
もっとも有力候補として大野治長が存在する。
秀吉の側室らは、ねねが面倒を見ていたから、不義など出来なかったとの説もあるけど
海外で女子受刑者が、その国の法律で、妊娠している受刑者は刑務所から出れるので
それを目当てに、精液をこっそり手に入れて受精した受刑者も存在したそうだし。
その気になれば、幾らでも可能だよね
淀君は、信長の命令と言っても、弟を秀吉に殺され
母親も自害に追いやられたのだし
妻にされたといっても、内心では秀吉を憎んでいても何も不思議はない
秀吉への復讐のためにも、秀吉が得た権力を奪いとってやるために子供を生みたかった
何て野望のために、どんな事でもやったかも知れないな。
まあ、想像の世界の話だけど。 >>280
秀次が殊勝な性格で、叔父であり義父である秀吉の命令を
彼の死後まで忠実に従うような、殊勝な性格であるなら
自身の跡継ぎを秀頼にする事もあったかも知れないけど
それより甥を密かに殺して、関白の座を守るって未来図の方が
ずっと現実感があるけど
五大老も豊臣政権が磐石であるなら、それを覆すような事はやるまい
ま、為政者としての秀次の技量がどれほどによるかにもかかってくることだが
秀次が秀吉亡き後も、政権をしっかりと守れる技量があるなら
少々、おかしなことがあっても、その程度のことは目をつぶるしかなかったのではないかね 本当の問題は、後継にもその対立候補にも家臣団があり、また家臣団にも出身地や官僚・武将の間で派閥があって、神輿なり旗なりが自分の意思だけでは動けないって事だよ。
織田信長にせよ豊臣秀吉にせよ、取り敢えず日本を統一するところまでは行ってたが、その後をどうするかって構想は中途だったし、その実現に着手する前に滅びてしまった。
例えば織田信長に関して言えば、自身の一族を京都を中心にして配備し、家臣団を日本各地に転付して治めるという、戦国武将そのままの感覚で統治しようとしていた。
豊臣秀吉は、少なくとも恭順する者には惣無事を許していたが、まだ長宗我部や北条、徳川、島津や伊達など、各地で領土拡大と地域の統一を目指す勢力が跋扈していた。
フランスだってルイ14世までは、有力な官僚のマザランやフーケーなどが幅を利かせており、絶対王政にはなってなかったーー日本の将軍は、絶対王政までは行ってないし。
国家の組織を完全に完成させるには、維新後の日本もそうであったように、一定の期間が必要なんだよ。 このスレは重複スレです。
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もう書き込まないでください マザランやフーケーが幅を利かせてたから云々って意味不明なんだが
モロトフが幅を利かせてたからスターリンは独裁者じゃないとか
周恩来が幅を利かせてたから毛沢東は独裁者じゃないといわれても何言ってんだお前としかいいようがない 少なくともルイ14世はマザランであれ誰であれやろうと思えば冤罪で処刑するぐらいできただろう
まして徳川将軍なら老中の一人や二人切腹させるぐらいわけないが 『殺生関白』は誇張にしても、罪人の拷問や処刑を見るのが好みと、ルイス・フロイスの記録にもあったし、話半分でも人格者とは言えなかったのは確実だよ。
才能そのものはなかなかで、武芸や教養を身につけるのに熱心だったそうだけどね。 戦国武将には、少々、ネジが外れたのが多かった
信長が浅井親子の髑髏を金の盃にしたのは有名な話だし
秀吉を初め、他の戦国武将にもこうした残虐譚が残されている
まあ、罪人の処刑を鑑賞して喜ぶくらいなら、まだマシかも知れないな
摂政関白に関しては、江戸時代になって言われたことだし
あまりアテになる話ではないな 頭蓋骨の杯は俗説で頭蓋骨に漆を塗っただけって聞いたが 漆で金箔を貼り付けて箔濃(はくだみ)にしたのを、内輪での祝いの席で披露したと、信長公記に書かれているが、作者の太田牛一も含めて、周囲もあまり驚いてはいないみたいだね。
この頭蓋骨の箔濃は中国由来の祭儀用らしくて、あまり一般的でもなくば好まれた訳ではないにせよ、非道な仕打ちと非難を受けるほどの事ではなかったみたい。
と言うより、当時の状況では、本物の生首を並べる事だってあったんだろうから…… でも義理堅い武将もいるから教育かな?
秀吉が秀次、秀勝、秀保を枕元に呼び毛利元就のようにサンフレッチェな教えを説いていれば歴史は変わったかもしれない。
初めからこの3人がいなかった方が安定したような気もするが 秀吉は織田家の内紛を利用して天下を獲ったから、同じ事を防ぐために一貫した
行動を取ってる。鶴松が生まれると秀長とその周辺を遠ざけ、秀長は病死だが生
きていたら殺されただろう、秀長と政務を執った千利休切腹はその余波だ。秀頼
が生まれると、今度は秀次とその一族と周辺を退けた。退けられた側に何か落ち
度があったのではなく、秀吉は後継者を一人に絞る事で豊臣家は安泰になると考
えていたに過ぎない。徳川はこれを見て反面教師にして長続きした。 大阪城も献上し。
豊臣家は十万石程度の国主大名の1人程度に落ち着ければ
あるいは豊臣家の存続を、家康は容認したかも知れないがね
家康は、宿敵だった武田家。それに織田家の存続も認めているし
もっとも両方とも、一万石や二万石程度の外様大名に転落したが >>292
魏の武帝
つまり曹操は、皇族が力を持てば皇族同士が争い
混乱が生じるだけと考え
皇帝以外の皇族には力を持たせないように国づくりをした
その結果、司馬仲達が容易に魏の政権をひっくり返した。
その反省から、司馬は皇族それぞれの力を強化する事にしたが
結果、晋だったかな?内紛続きだった
この辺のさじ加減は難しいのよ 実は家康は、豊臣方と事を構える前に、下克上にならないかと側近に相談し、その正当性を確かめたりしてるからね。
少なくとも秀吉のように、有力な後継者を滅ぼすようは事はしなかったろうし、それこそが人質と大阪城引き渡しの要求だったんだろ。
いくら恭順したところで転付は免れなかったろうし、それはイコール大阪城の引き渡しになるんだから。 素直に東国(安房・上総あたりか)への国替えをのんでいれば普通に安泰だったでしょう。 三代将軍家光の時代まで幕府は数多くの大名を取り潰した
幕藩体制を固めるためになりふり構わず
武断政治を実行に移してきたのだが
政権末期に起こった由井正雪の乱から、その方針が転換された
大名を潰して国中に溢れた浪人が反乱を狙ったのだ。
幕藩体制を固める事を目的として行った事が、かえって逆効果になりだしたと認識したわけで
コレ以降、幕府は大名の取り潰しを大きく減らすことになった。
豊臣恩顧の大名も、加賀藩前田家を除いて片っ端から潰されていったし
仙台藩の伊達家も取り潰す計画があったとの話もある
この時代になるまでは、豊臣家が存続したとしたら安泰といえなかったのは間違いないな 大名のままじゃ無理、公家にでもなってなきゃ豊臣は残れなかったよ。 徳川家としては豊臣の家名を残して、徳川から養子と家臣を送り込み
家を継がせ豊臣本家を事実上の徳川の分家に作り変えるって手も有るな。
直系の血統は、まあ適当な手段で絶えさせてしまえばよし。 末期の豊臣家は淀殿とか織田有楽斎が支配する実質の織田家なので豊臣は秀吉一代とみれば
丹波篠山の小名として存続できたな >>301
秀次事件は文禄の役の失敗と関係がある。秀吉は朝鮮出兵が上手く進捗してたら
秀次に日本は任せて、秀頼を連れてシナ大陸に移動したはずだ。 病死が大半だったみたいね、ニューギニアの戦いかよ。 秀次が東海、機内の大名を率いて渡海していれば平壌も脱退できていたはずだ 現地の人々が年貢をめぐる反乱を起こしてゲリラ化だからどうしようもない。 二回とも二年未満でそもそもまともに徴税してなかったわけだが
文禄の時兵糧焼き討ちは支那朝鮮の十八番だという認識がなかったのが痛い
大友がヘマをやらず兵糧庫を守ってれば大同江かイムジン河で防衛線張れたはず
そのまま半島南部で徴税機構を整備してれば日本から補給する必要もなかった 文禄・慶長の役の中国語wiki見たら、小西行長が撤退した平壌の戦い
での小西軍死者数が1万2000人とあった。
ソースは日本戦史らしく、元々の兵数が1万8000人で、戦闘後の兵数が6600人
だかららしい。
1万8000人の内約は、小西7000人、宗5000人、松浦3000人、有馬2000人、大村1000人、五島700人。
6600人の元ネタは、1593年3月20日(文禄二年)の漢城での
点呼数(6626人)だと思うんだが(豊公遺文)(中野等、文禄・慶長の役・106ページ)、
この時の小西行長の点呼数って、宗・松浦・有馬・大村等の兵数は含まれてるんだろうか?
ちなみに、「文禄二年三月十日付の豊臣秀吉朱印「覚」による布陣計画」
(浅野家文書263号)(中野等、文禄・慶長の役・112ページ)
には、小西4500人、宗3500人、松浦2000人、有馬1300人、大村700人、五島500人、計12500人
とある。↑の点呼数とは日付は近いのに兵数に差があるが秀吉は兵の減少数を把握してたのだろうか?
「文禄二年五月二十日付の豊臣秀吉朱印「覚」による布陣計画」
(島津家文書955号など)(中野等、文禄・慶長の役・124ページ)
には小西行長7415人とあるが、宗・松浦・大村・五島・有馬の名前はあるが兵数は書いてない。
これは全軍合わせて7415人という意味だろうか?
長文すまん >>宗5000人
対馬の全人口が一万未満だったはずだが っつーか肥後半国で七千なのに五千だ三千だってどこからそんなデタラメが >>313
外人が千人は入っていし、約四千人になったし、定数と実数は違うし。 このスレは重複スレです。
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ありがとうございました
もう書き込まないでください >>305
ガスパルコェリョに似たような事を言ってるじゃないか。日本は秀長に任せて
自分は明へ行くって。 日本は秀次、朝鮮は秀家、明が秀吉、快進撃が続けば印度は秀秋、ベトナムは秀勝とかなってたんだろう そのころのインドって象兵いるの?
儀礼用だけだよな? 小西行長なんか先鋒にするから失敗するんだよ。加藤清正か福島正則だろ。 >>318
秀長と秀次じゃ扱いが全然違うだろうが。 当時の日本では釜山への兵站の維持も難しかった
しかし、それでもたいしたものだ。
歴史上、海を越えて十万を超える兵力の遠征に成功したのは
元寇や第三次ポエニ戦争のローマを含めても、そうはない。
それだけ海を越えての遠征というのは難しいからな。
実際、これをなしたのは、蒙古やローマにペルシャなど、世界に名だたる
大帝国ばかりだしな
当時の日本にそれだけの国力があっただけでも、たいしたものだ
そして本当に明を落とすなら
朝鮮の支配を確かなものとして、明を伺うしかないだろう
朝鮮の役の時には、明の衰退は、すでに明らかな状況だし
十年や二十年も、腰をすえての戦略なら、充分にありえた事だ >>324
おいおい、元寇だけど文永の役では元軍が4万くらいだから10万行かないしわずか一日で元軍の敗北、
弘安の役の元軍は10万超えてるけど二ヶ月近く水際で完封され続けて大惨敗じゃないか >>325
文永の役では、最近は日本に敗北したというより
日本に兵力を送り、元の力を見せ付けた段階で元側が引いたとされているがね
それはともかく、勝敗なんて論じていないの
ここで論じているのは、実際に十万を超える兵力を渡洋させるのがどれほど難しいかって事
論点を誤らないでくれる」 そんなに難行で重要な事業の先鋒を、なぜ和平派の小西行長なんかにするのか。 >>327
別に和平派でもないだろ?秀吉も指示していたし。清正だって勝手に和平交渉をしていた。
今でさえ、朝鮮半島との交渉が有益だと思っている人は多いのだから現代人だって馬鹿にできないよ。 >>329
秀忠はそれなりに優秀でしょ
むしろ家光が暗愚 家光は生涯戦国時代に生まれなかった事を悔やんでたらしいな
伊達政宗を崇拝してたり 映画「鳴梁」が創始改名されて日本で販売されていたと今知った・・・
バトル・オーシャン/海上決戦
http://amzn.asia/dkdRV0S むしろ強すぎて失敗したんだよな。
総大将は秀吉で秀吉が統括する予定だったから、総大将はおかなかった。
秀長がすでに死んでいたから軍を任せられる人が限られいたのもあるが、秀次はつかえんし、
そしたら、秀吉が上陸する前に首都を陥落させてしまった。
現地軍は朝鮮の属領化をはかる毛利などの一派は南進し、
明軍や朝鮮と早期決戦講和を図り、有利な条件で貿易利権ウハウハ狙いの小西などは北上して王族をおった。
朝鮮なんてどうでもいい、あくまで唐入り狙いでついでに王子とらえようとする加藤などは北東に向かった。
現地で軍が分散してしまう。おまけに別に中いいわけじゃないから、
明軍が何度も攻撃を仕掛けている小西の援軍要請を断る。まあ小西は最初は余裕で蹴散らしてて俺の手柄とるんじゃねーよみたいな事言っていたから、
自業自得だが。結局防ぎきれなくて首都に退却することになってしまった。
秀吉と本体は渡海したいのだが、現地の食糧が厳しいてんで受け入れ無理となり、
単独でいくといいだしたら、家康は利家がそれだけは勘弁と止めるし、
おまけに朝鮮もう落としたし、北京おとして遷都するぜといったら、朝廷からちょっとまったと言われて動けなくなったんだよなあ。
流石に秀吉も太閤としては朝廷は無視できんからね。
最初の秀吉の想定だと南部で苦戦しながら勢力圏を広げて、明軍と戦う、
そこに援軍として登場みたいなのを想定していただろうに。
予定通りにいかないもんだな。 秀保が死んだとき断絶させて所領を直轄領化したのはその辺の流れも関係してるのか?
大和60万石を身内がついていれば関ヶ原で大きく違った牢に 当時の日本在来種の馬は、ずいぶんと小柄なのよね
あんな小さな馬が、三十キロもある鎧を纏った人を乗せて走るのは
大変だっただろうと、馬が気の毒になったくらいだ。
タイムスリップもので、現在の日本に来た侍とかが、サラブレットとかを
なんと立派な馬だと絶賛するシーンがあるが
あんな小さい馬に見慣れていれば、サラブレットとかアラブ馬系の馬は
それは立派に見えるだろうな
源頼朝は、落馬で死んだと言われるが。
ポニーから落ちたくらいで死ぬとは、よほど打ち所が悪かったのだな
それとも平氏か、義経かの呪いだったのか、
>>331
秀忠が目立った功績でも挙げたか?
家康が彼を跡継ぎに使命したのは、彼が自身に従順だったからと言われている
秀忠自身の才能をそれほど評価した話は知らないが >>336
前に古墳時代の出土馬具の再現を見たのだけど(馬も再現されていて)小さくなかったよ。サラブレッドというより牛みたいだったけど、高さがなくて横にでかいみたいな。 >>337
よく知らんが、大陸から連れてこられた馬は最初大きかったが、日本の狭い国土と
乏しい草原=食料に合うように馬の方が小型化した、と >>337
木曽馬など、日本在来種の馬をみればわかるでしょうが
まあ、そうした馬のほとんどが農耕馬だから
合戦で使われたのとは品種が異なるかも知れないが ポニーは定義幅が広いから、一概に在来馬が小さいとか、
付け焼き刃の知識でドヤ顔するのは恥ずかしいぞ。
鎌倉時代末の軍馬で130cm前後だから現代でも中型種相当。
それから、サラブレッドで不整地走らせればたちまち骨折だろ。 漫画の前田慶次ならペルシュロンとかシャイヤーじゃないと無理そう(足遅い馬だけど)
実在の前田慶次なら在来馬でも大丈夫でしょ モンゴルでもアラブでもどこでも一番いい牡馬を種馬にしてダメな馬は去勢するんだが
日本の場合いい牡馬を召し上げてダメな牡馬を種馬にしてたので モンゴルなんて日本のすぐ近くだし去勢の知識がなかったはずがないんだが、、、 歴史群像の文禄・慶長の役を借りてきたけど93年出版だなあ 内容は古いのかな >>346
それでも一般向けとしてはほぼ最新くらいの書籍でないかな。
後は『戦争の日本史16 文禄・慶長の役』とやはり歴史群像の本誌で
散発的な記事が出てるくらいじゃなかったっけ。
もっとも、かなり朝鮮側視点で編集されてるので、その辺は割引いて
読む必要有り。 >>345
平安時代まであったらしいけど何でだろう
残酷だから?日本人の心理的に広く受け入れられなかったとか 日本の宗教的心情に合ってないから。宦官、纏足とかシナには有っても日本は拒否
してるモノは多い、動物の去勢もその一つだろう。 体弄ったり矯正するのってほとんど日本には定着しなかったよね
せいぜい刺青が罪人やアウトローの証明として日陰にあるくらい モンゴル軍の馬 VS 日本軍の馬
タブン・トルゴイ遺跡、ツァガーン・チュルト遺跡から出土したモンゴル帝国時代の馬(9例)の推定体高
最小120.2cm 最大134.0cm 平均127.7cm
材木座遺跡から出土した鎌倉時代の馬(38例)の推定体高
最小109cm 最大140cm 平均129.5cm age age 朝鮮征伐
武功立てて城持ちなりたい
整形美少女に囲まれて過ごすために
武功たてるンゴwwwwwwwww >>354
旗印作って名護屋に参じんつかまつりまつりめする その朝鮮の無名武将が片っ端から討ち取られ
日本側の戦死武将が来島さんただ一人という事実を見ても
戦闘の勝敗以外に失敗の原因があったことがよくわかるな! 今更だけど、日本国内を統一して長かった戦乱が終わったのだから
今後は内政に力を注ぐ時なのに
言葉もロクに通じない海外へ兵を送るのは無謀だよね
実際、豊臣家臣団は疲弊して国力落ちるし
半島に行かなかった家康だけが内政に力を注いで国力充実してるしね
秀吉はボケてて正常な判断ができなかった。
逆らうと死罪&領地没収で家臣たちまで困るから、誰も何も言えなかったのだろうね いや、当時の日本は軍事バブルな時代だったから、代案も無く軍事需要を放棄できない状況だった
まあ海外でも軍事バブルの有無を問わず国内統一を果たした勢力が余勢を駆って海外拡張する例は珍しくないけどね >>363
戦争を続けることで政権を強化してきたのだから戦争を続けるのは当たり前では?
企業が儲かって黒字になったからと言って、次の年に会社を解散とかしないだろ? いずれ破綻するのは明白なのに迷惑な話だ、ねずみ講にはまって抜け出せないような 検地と刀狩りで武士のリストラはやったが、戦国のエネルギーはまだまだ充満
していたのだ。 朝鮮の貧しさに負けたかな。現代でも中緯度の地域で唯一、餓死者が出る土地。 露梁海戦でよくわからないことがある。
小西はかなりの数の兵隊を持っていたと思われるが、
海戦後、悠々と海路帰還している。
明と朝鮮がそれほど「優勢」であったというなら、
さらに待ち伏せておいて肝心の小西の船を沈めれば目的は達成されたろうに。 実際に負けっぱなしだったのは朝鮮の方だろ
日本を実力で半島から追い出す事が最後までできずに国土を蹂躙され続けたんだからな
助っ人の明も「秀吉が病死してくれたおかげで負けを免れた」って書き残してる >>370
まぁ、兵はあっても軍船はない状態だな。
露梁で合戦があったことを幸いに、敵勢力を迂回して離脱したことを
鑑みれば、それまで最前線で拠点を保持していたことを考慮すれば
余力は無かったんだろうよ。 『三国の戦闘一覧』
http://paomaru.dousetsu.com/file/08_tyousen_006.html
より抜粋
『露梁の戦い』海戦●
島津義弘300隻VS明将 陳リン560隻・李舜臣100隻
・ 撤退する日本に対して、連合軍による待ち伏せ・挟撃。日本、被害を出しながらも撤退成功。
----------------------------------------------------------------
【イベント】
最後の大海戦。明軍を中心とした連合軍と撤退する日本軍の戦い。
(兵力に劣る日本軍の撤退経路に待ち伏せした連合軍の挟撃により戦闘開始。しかし、島津軍これを一度撃退。再度攻撃する連合軍に対し、残りの日本軍も参戦し、大混戦となる)
(日本軍の敗北と知られているが、実際のところ日本軍の指揮官には一人も損害がなく、明国は副将ケ子龍他指揮官、朝鮮は李舜臣を失うなど、奇妙なところが散見される。実際は日本軍に返り討ちにされた可能性高し)
(加えて追記しておくと、この戦いの指揮官はあくまで明軍の陳リンである。中国と朝鮮の連合軍で朝鮮将校が指揮を取るなどありえないし、兵数も明が圧倒している。戦場で指揮を執る資格があるのは軍の中で最大数の兵を率いるものであるのが基本である) 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:77bfa3ad753b2994479210bef5c6504a) 韓半島も沿海州も台湾もルソンも樺太も日本領だったのにな >>374
半島イラネ!
ロシアに譲渡するよ。
アラスカと交換なら吉。 >>368
そんな土地が欲しくて必死こいて戦ったけど寸土も盗れずに逃げ帰ってきたな 時代が違うけど、
日本は朝鮮半島を植民地にしたけど
莫大な資金&資材を投資して、朝鮮半島の発展に努めたのに
結局、全部パーだよね
日本列島の内政に投資したほうが良かった
交通網の整備とか、貧しい農村の救済とか >>364
戦争が終わると軍人が生産現場に戻って生産力が増える&通商路が安全になって輸送効率もUPなのに
消費が減ってしまうので極端な物余り状態になって大不況を誘発するんだよね。
秀吉は通貨流通量の拡大(金銀山の増産とか金配り)とか、北野大茶会とかのイベントとかをして
消費の拡大を図ったりもしたけど、まあ、追っつかなかったろうね。
あの時期、例えドブに捨ててでも生産された食料を始めとする物資の消費地が必要になって居たのは間違いないと思うよ。
生産力の向上によって2次産業、3次産業の拡大(=文化の発展)が起きて消費力が上昇するまでには
相応の時間が掛かるしそれまでの間は何としてでも他のことで消費を作らなければならなかった。
更なる戦争=公共事業で生産と消費のバランスを取り戻そうとするのはおかしな事ではないよね。 >>376
君も飽きないねー
当の明・朝鮮は秀吉が死んだために撤退していったとしか思ってなかったようだけどw 唐入りどころか秀吉が半島に一歩も踏み入れていないから、
完全敗北UCだなwwwww たびたび出る話だけど、
天下統一をした秀吉があれだけの兵隊をもちながら
海外進出をせず引きこもっていたら、
日本人とはその程度の民族か、ってことになって、
明治以降の海外進出もなかったろうし、
いまのような世界屈指の経済大国にもなってなかったろう
つまり歴史は秀吉に如実。 ×:そんな土地が欲しくて
○:明への進軍ルートが欲しくて
×:寸土も盗れずに逃げ帰って
○:寸土も盗らずに帰って
新春なんで親切に間違い直しといたから勉強し直すように http://www4.plala.or.jp/kawa-k/kyoukasyo/3-7.htm
このサイトによると文禄の役での被害は
>第1軍小西軍の被害は甚大で軍兵の実に60%が死んでいる。
>第2軍の加藤清正軍は被害が37%、鍋島軍も36%であった。
>3軍の黒田軍は被害が54%、4軍島津軍は60%。5軍も40%、6軍は44%。
>最もしんがりを務めた7軍の毛利軍で43%であった。
とのことですが先陣を切って朝鮮や明の正規軍と戦った隊の被害が大きいのはともかく
島津や毛利はどこで戦力を削られたんでしょうか >>383
一回目、唐・天竺の征服を目指して攻めるが一城もとれずに敗退
二回目、せめて半島南部だけでもと攻めるがあえなく敗退
このスレに書き込むには勉強が足りませんな そもそも、秀吉自身が唐入りして天皇を北京に移し云々という有名な構想は
当の後陽成天皇に拒否され、秀吉自身の渡海にも難色を示されてる
要するに朝鮮に派兵したその年の時点で早々に破綻してるんだよね
これをもって明・朝鮮側の大勝利の根拠とするには相当厳しいものがある 秀吉は朝廷すら説得できず、日本から一歩も出られず完全敗北UC。
朝鮮は(朝鮮の主観で)倭寇wをかろうじて撃退したけど国土は荒廃。
明は自国領を寸土も侵されなかったけど、子分のシマを荒らされて権威失墜。
よって、勝者は徳川家康ということにwww >>384
一次の島津は本国側の義久などのサボタージュで員数が不足していたうえ、大遅刻。
元々居なかった数を被害として計算している。 >>381
部下に戦闘やらせてるんだから秀吉本人が直接半島に行く必要はない
明朝鮮は秀吉死去で日本軍が帰ったから運良く完全敗北確定を紙一重で回避できただけ
>>385
一回目、唐・天竺の征服を目指して攻め、朝鮮を撃破して複数の城を取り明と対峙、膠着状態
二回目、一回目の状況から再開するが、秀吉死去で計画白紙
勉強が足りないのは385の方 >>391
なんでや?
秀吉は自身が唐入りして三国を支配するつもりだったんだぞ。
それができず、つま先すら日ノ本から出られなかった秀吉の完全敗北だろwww
単に部下に戦闘をやらせているなら、秀吉自身がわざわざ名護屋城に出向く必要は無い。 秀吉が日本から出られない時点で終わってるというのは実際チョン君の言う通りなんだよなぁ
現場と秀吉の間で情報のやり取りするのに一月かかる上
秀吉の指示が追いつかない時に現場の将がフレキシブルに対応したら命令違反扱いになるとかもうね >>392
秀吉の渡海は天候が悪かったり天皇に制止されたりして
延期を繰り返した結果実現しなかったわけで
政治的な要素もあり勝敗とは別の問題 >>385みたいな勘違いしてる人が多いけど秀吉が拘ってたのは朝鮮王子の確保でそれが出来れば朝鮮南部も返すつもりだった >>386
大勝利と呼べる勝者はいないが、大敗北と言える敗者が豊臣秀吉。 朝鮮征伐をやってもやらなくても豊臣政権は潰れたと思うから、大敗北とは思えんな。 >>365
朝鮮の役は豊臣政権の弱体化の決定的な打撃となった
戦争を続けて豊臣政権が利益を得たわけではないよ
看羊録によれば、当時の朝鮮の知識層は明にばかり視線が向いており
日本についての知識はほとんどなかったらしい
日本に抑留された儒学者が看羊録にて、初めて日本が朝鮮より領土も
国力も遥かに上の国だと知らされて驚いたとある
この分では明の日本に対する認識も似たようなものか、さらに下だったでしょう
日本の国威を海外に知らしめるって意味では、確かに利益はあったのが
朝鮮の役だと思うけど。
残念なことに、徳川政権は海外進出には消極的で、それを生かす事はなかった。 >>397
朝鮮の役と秀次処刑が豊臣政権の零落の大きな一手となったな
数々の改革や武勇を誇った織田信長とか
下層から身を起こした秀吉に比べ
家康の人生は面白みが無かったとよく言われる。
家康が優れた人物であったのは認めるが、彼の人生ではコレといった合戦での勝利は
せいぜい関が原の戦いくらいで、武田との戦いでは敗走するし
のし上がる過程も他人から地位を奪い取るような感じだったし。 小牧長久手も秀吉の自失に近い
権力基盤の弱さから池田恒興の中入りを認めざるを得なかったが、これの失敗で講和せざるを得なくなった。 >>394
つまり、秀吉の大敗北と言うことでFA? >>403
武田信玄の西上作戦も信玄の大敗北になるのかな?
そもそも君の言う大敗北というのは戦略レベルの話なの?作戦・戦術レベルなの?
どうも話の流れを見てると作戦・戦術レベルの話のように見えるんだけど >>404
他人だが戦略的な目的を果たしていない点では似たようなものだね
西上作戦では徳川の東海道上の支城攻略や主力の壊滅もできていないし 実は朝鮮役のほうが関ヶ原より諸将はやる気まんまんだった
関ヶ原はやる気なくて日和見や寝返りがやたらと多い >>406
毛利輝元は、朝鮮出兵も関ヶ原でも全くやる気がない。 朝鮮は李氏になってから衰退したものの女真族の時代を通じて文化水準が高かったので
乱取り目的ですな 言うてもサルが負けたんは高齢ゆえの病気であって朝鮮でも明でもないし >>409
高齢なのに戦争を仕掛けたのは、秀吉の完全敗北UC 秀吉時代は盤石だったが後見人と母親に難ありだったな。石田さんが若手登用の一方で秀吉所縁の武将をいびったせいで徳川方に逃げられるのだった。 ボケ老人の送った軍に連戦連敗しまくって最後まで実力による目的を達成てきなかった明朝鮮の完全敗北UC ボケてないから仕掛けたんだよ
いままで何度も指摘されているように、経済的理由から大きな消費拡大が必要で
その為には大規模な軍事行動があの時代では最適解だったってこと。 朝鮮出兵と秀次事件で、秀吉はボケていたなんて見方があるが、結果的に豊臣
を滅ぼしたから後知恵でそう見えるだけ。 >>415
つまり、秀吉は真剣に敗北したというわけでFA 古代漢籍の世界観で、竜宮城気分で行ったら、行ってビックリ!北朝鮮ってとこだろな。 秀吉はボケでは無いが淀殿に色ボケしたのと寿命を悟ってから無茶振りするペース配分の下手さはあったと思う。 >>409
文禄の役のときに死んだのですかそうですか >>419
いや、まさに慶長の役での春目前の反転攻勢の前に死んだんだが。
まぁ、南朝鮮では教えてないだろうけど。 このスレは重複スレです。
以下に移動してください。
秀吉による朝鮮征伐の軍事分析part12
http://echo.2ch.net/test/read.cgi/army/1477577591/l50
よっこらしょ。
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/ つ. 終 了 |
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ありがとうございました
もう書き込まないでください >>420
では、文禄の役のときに撤退したのはなぜ?
日本の圧倒的有利だったのに
つまり文禄の役ですら、つま先一寸も日本から出られなった秀吉の完全敗北www 太閤殿下の計画通りなら唐天竺を征服してたのに、戦をサボって陶工の拉致や茶碗の略奪にうつつをぬかした諸将が悪い >>423
小西行長が明が降伏してきたって報告したから。 まぁ朝鮮が服属という前提が違う時点で、そのまま侵攻した時点で日本軍が阿呆なのは異論の余地も無い訳で >>424
戦費自腹なので台所は火の車。それでも賄えずに徳川家康に借金する大名が続出するのだった このスレは重複スレです。
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秀吉による朝鮮征伐の軍事分析part12
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もう書き込まないでください 独自判断で行動して処罰の例ってどんなん?
大友さんは仕方ないと思うけど… そもそもボケ老人が現場に来ても邪魔なだけだと思うが
だから回りも止めたんだろうし つまり、ボケ老人の妄想が引き起こした不幸な戦争ということか
秀吉自身は妄想が一欠けらも実現できずに完全敗北だし、朝鮮は倭寇を撃退
できたが国土は荒廃、明は領土を寸土も侵されなかったが威信が失墜した。
勝者は家康ただ一人だなwww 石田さんからすれば負けても豊臣家の腹は痛まないし戦国武将の弱体化はリストラ代わりになると考えていたのだろう 勝者はあれだけ散々ド派手なことやらかして何故か生き残った伊達家ということで。 このスレは重複スレです。
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もう書き込まないでください >>385
1回目は、割と本気で明との国境まで攻めたけど
補給も現地調達(略奪)もうまくいかず(半島はもともと貧しいため)
2回目は、みんな本気で戦わず、補給の楽なプサン港にこもっていたため
秀吉が死んだので、結局、全軍撤退したんだよね 本気で戦わない日本軍に連戦連敗する明・朝鮮軍ってどんだけ弱いんだよw >>436
本気で戦わせない秀吉ってどんだけ無能なんだよw ボケ老人ボケ老人と言われてるけど1592年の段階で秀吉はまだ50代じゃないか?
享年62歳って数え年では?
だとすると満60歳で死んだことになる。 >>439
やかましい、俺のプライドに都合が悪いからボケ老人設定なんだよぉ >>435
ただ単に無能だっただけでしょ
人口五百万以上ということは五百万人分の生産力はあったわけで
本気で徴発すれば二十万三十万養うぐらいはできたはず
まさか食糧庫を焼き討ちにあうとは思わなかったとかただの油断でしかない >>442
物々交換レベルの経済で、ろくな道路網もなく、海上輸送も発達してないので
地域間の物資移送がほとんどできなかったのが当時の朝鮮だけどな。 毛利でもなんでもいいから総大将を任じて平壌より北上するのを禁じて
越冬のために東北北陸勢に協力させてればソウルの南ぐらいはとれただろう 豊臣政権の基盤の弱さから現地に総大将を送れなかった。
これが敗因 このスレは重複スレです。
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秀吉による朝鮮征伐の軍事分析part12
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もう書き込まないでください >>443
そんな土地でも欲しくて無駄な努力を積んだ強欲自慢w 適当なことゆーな。
朝鮮軍は、居ない方がマシなレベルでも「一応」正規軍だし
明軍は北部戦線から引き抜いてきたバリバリの精鋭だぞ。 対女真用の重火力精鋭を半島に釣り出す事に成功したんだから、
「ワシ直々に成敗してくれよう」「おやめ下さい!」とか小芝居してないで、北国勢なり陸奥勢なり動員して、さっさと自ら渡海しちまえばいいのにね このスレは重複スレです。
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もう書き込まないでください それどころか秀吉による唐入り構想の史料上の初見は1585年だろ
さらに秀吉より前に信長が1582年の段階で構想している
唐入りが秀吉のボケのせいでで始まったとか言ってるやつのほうがよっぽどボケてる 家康の関東移封とかも信長発案だし、秀吉オリジナルって政策は案外ないんだよな。 秀吉オリジナル政策は金の茶室とか大阪、博多、名古屋などの経済都市の普請工事とか
平地でお城作り、太閤検地、朱印船貿易あたりか 前提として従属国家や奴隷はチャンスがあれば立ち上がる、と思ってたんじゃないの?
日本の服属大名や奴隷とは根性が違った。 http://www4.plala.or.jp/kawa-k/kyoukasyo/3-7.htm
このサイトによると文禄の役での被害は
>第1軍小西軍の被害は甚大で軍兵の実に60%が死んでいる。
>第2軍の加藤清正軍は被害が37%、鍋島軍も36%であった。
>3軍の黒田軍は被害が54%、4軍島津軍は60%。5軍も40%、6軍は44%。
>最もしんがりを務めた7軍の毛利軍で43%であった。
とのことですが先陣を切って朝鮮や明の正規軍と戦った隊の被害が大きいのはともかく
島津や毛利はどこで戦力を削られたんでしょうか >>458
本国から出られなかった戦力が一番多いと思われ。
あと、数えたときに他の場所にいた人数も多そう。 >>453
流れから外れた話になるけど、確か大阪遷都のアイディアも秀吉より先に信長が思いついたんだっけか? >>461
そもそも、秀吉は大阪中心と言うわけでなく、京や伏見を中心に政治を行っていた件。 この時代の遠征時の死因って大体病死だから
戦闘での被害が皆無でも半分死亡とかザラ。 >>461
大阪城は石山本願寺の跡地だからな、信長公記にも信長があそこに城を造るって
言ってたって書いてある。 結局、日本軍が朝鮮を支配できなかったのはなんで?
●現地の部隊がやる気なかったから?
(文禄のときは、まじめに戦線を広げていたんでしょ?)
●朝鮮の人たちが必至で抵抗したから?
(民衆は朝鮮王族や貴族を支持していなかったんだよね?)
●明国が大軍の援軍を差し向けてきたから?
(明は、なんの見返りもなく朝鮮を助けたの?)
●日本軍の補給がなかったから?
(戦国時代のすぐあとだから、補給は現地で調達(つまり略奪)だよね?) >>465
全部間違い。
慶長の役は、占領地の拡大ではなく南部に城を築いて李朝と明の消耗を狙った
戦略に変わっただけ。朝鮮人の抵抗なんて無きに等しいし、日本軍の補給が途
絶えた事はないし、朝鮮には奪うようなモノは何も無い。戦争が終わったのは
秀吉が死んだから。 >>466
冬になると補給が途絶して、蔚山城救援軍の兵数にも影響を及ぼした 何の数字をひっぱて損耗率出してんのか知らんけど、
そもそも動員定数と実際に出した実数は別だし、
実数は判ってる方が少ないでしょ。 オランカイまで攻めたのにもかかわらず被害を37%前後で抑えた二番隊が優秀だったってことですかね… 鍋島隊とか本格戦闘はやってないよな
黒田隊もどこで消耗したのか? >>467
補給の途絶なんかしてません、蔚山城は工事が終わったばかりで兵糧を運び込ん
でなかっただけ。明と朝鮮の連合軍は撃退され2万人死んでる。 でも唐も天竺も征服できず、通り道の朝鮮すら確保できず逃げ帰ったと 局地戦の話をしてるのに戦争全体の話を始める奴は頭が悪いと思う。 >>471
救援軍出陣時の兵数覚があって、兵糧の問題でこれだけしか出せないと書いてある でも秀吉の朝鮮出兵のおかげで
朝鮮半島にも唐辛子&火縄銃が伝わったんでしょ
日本軍との交流のおかげで
朝鮮も近代的な食材&兵器が伝わったんじゃないの? 太平洋戦争の敗北のお陰で、日本で焼肉や西洋料理が広まったね 焼肉はそのうち在日朝鮮人というか朝鮮系日本人が始めたろうし
西洋料理なんて明治からあるが・・・ そも、焼き肉やホルモンは在日朝鮮人が始めたのではなかったかな。
それを半島本国で逆輸入して、いまや半万年の歴史のある宮廷料理()とかに
なってるようだけどさ。 >>458
左翼の作り話は酷いね、出陣した諸将が大損害を受けていたら関が原の戦いなんか
起きないよ。 >>474
当たり前だろ、工事終わったら在番の軍勢以外は帰国予定で武器も兵糧も撤収中だ。 >>480
そう言うの聞くと、慶長の役の日本軍って戦争とは言っても通常業務としての
戦争を遂行していて、緊急に対処しなければならない非常事態としての戦争に
直面しては居なかったんですよね。
局地的な緊急事態はあっても全体としては末端で対処可能な事態ばかり。 >>482
近代軍じゃあるまいし、補給が一元管理なわけないだろ、それぞれ自弁だよ。 >>483
いや、慶長役では政権が半島まで兵粮を運んだ例が確認されているが >>458
それ、過去に総員の2割から3割くらいを占める
水夫のことが考慮されてないと指摘されてたよ
普通に考えれば水夫は内陸までついて行かないから
点呼の数には含まれていないと思われる 何で大航海時代の造船技術や航海術は手に入らなかったの
鉄砲をあれだけ量産したり城や何だと建築できる技術とGDPがあれば
金なんかいくらでも積めたよね
船ごと艦隊ごと買うとか容易かったろうに
海賊はいくらでも買えたろう
蘭学事始並の語学力がいるわけでもなかろうに >>488
スペイン・ポルトガルは鉄砲の前例を鑑みて、そういう最新技術の供与は控えた スペインと絶賛戦争中のイギリスから買えばいい
平底船しかつくってなかったから造船所もなきゃ船着場もほとんどなかったというのが最大の理由
測量縄で一々全部深さを測量すればいいだけなんだが まあ結局金を出せば解決する話でようは金の問題だから意識がなかったんだな そもそも喜望峰を経由するような航路がないんだから、
西洋式の積載量の少ないクローズドの船体は必要ない。
東南アジア貿易にはジャンク型の物(シャム船)があれば
必要充分。 やっぱり戦国時代を生き抜いた人たちは超人レベルに強かったのかな
江戸時代も戦国時代だったら
ペリー追い返せれたかもしれん 陸戦主体が故に、海軍の重要さを理解できなかった秀吉はやっぱり駄目だな。
末期じゃもう部下の進言も聞き入れる余地とかなさそうだし。
あの当時の知識で半島までの海路ってどれくらいの正しい認識があったんだろう。
全員含めて >>495
だってあの連中、体重300キロに達するアムールトラを普通に刀や槍で仕留めてるんだぜw
少なくとも白兵戦ではバケモノみたいに強かったんだろうな 西洋船の建造は家康が一元禁止にしただろ
西国武将が西洋船で勝手に自由貿易したら江戸幕府が倒壊するんだから当たり前だわ
なんで西洋船で東京湾を封鎖でもされたら一巻の終わりなんだからな まさか西洋船ってみんな外輪船でアームストロング砲搭載だと思ってるのか・・・? >>458
病気や負傷数も全部死亡にしてしまってる雑な思考回路 >>497
海上戦闘も終始日本の水軍が優勢だった、チョン水軍に海上の補給路が遮断されたなんてウソ。 >>503
水軍同士なら疲労しやすい攻めるほうが負けたと思うが 攻める方は相手を沈めなけりゃいけないが、守る方は名目戦力を維持出来ればいい
勝利条件が違うのだから単純な戦闘列挙は無意味 水軍同士の戦いになって、特段圧倒できるような戦力でもないのなら、
もう地元に近くて守るほうが強いのは当たり前になるだろうな。
要はチョンは、来るたびに奇襲で襲えば済むだけになる。 そもそも中盤以降は
完全に消耗して出撃すらできなくなった朝鮮水軍で守るもなにもないだろう。 >>479
その話の出所は参本本だけどなー。
指令数と限定された地域での点呼数の差を戦闘損失だけに特定した推論だから明らかに間違い。
五人役だとだいたい一人役分は水夫。
元々、動員の戦闘員内訳は四割から六割。
手繰りで補給していたのだから後置された部隊や人夫が点呼した地点に居なくても不思議はない。
更にいうなら、元々定員割れしていた大名がいるのも事実。 より重要なのは明軍の惨憺たる状況
そこを語らず日本軍側が大損害を被っていたように言ってるやつはインチキとみてよい >>510
つまり、一兵も損害を被っていない徳川家康の大勝利ということでw >>458
いろいろトンデモなサイトだな。秀吉が出兵した朝鮮でトウモロコシだの馬鹿じゃないか。 >>510
まるで日本側が大損害を被っていなかったような言い草だな。
もし事実なら、家康は天下を取れなかったはず。 日本側が本当に大損害を受けていたら、関ヶ原が起こらなかったよ。
渡海した大名達は、関ヶ原やそれに付随する戦いに東西で参戦してるのだから、2年で回復できるぐらいの損害でしょう。 影響がないとは言わんが
ボケた秀吉のせいで豊臣政権がガタガタになった方がよほど影響大きいだろうな >>513
お前の脳味噌では関ヶ原の西軍が朝鮮役渡海大名で東軍が残留大名になってるんだなw つまり、東西ともに大損害を受けた残りカス同士で戦ってたと >>458
その数のカラクリはこういうことだ。
小西がヘイジョウから撤退した後、ケイジョウに終結した各部隊の数字が、
三成などの調べで史料として残っている。
つまりケイジョウでの点呼の数字は史料として信頼できる。
その数字から、出兵時の兵数を引いたものを「損耗率」として参謀本部が「日本戦史」で書いた。
それを、凡百の「歴史家」「歴史学者」があちこちで書き散らした。
その結果、全世界に秀吉軍の損耗数として「学術的」に公言されるようになった。
果たして、そんな数字で「損耗率」の実体が分かるのか?
大いに疑問。
かなり適当なものだと思うよ。 ケイジョウの各部隊の点呼数が、出兵時の兵数に対応するものか否かがまず、大問題。
出兵時の兵数は、一年に及ぶ北上行動の中で分散したことは考慮に入っていない。」 別に日本戦史自体は当時の軍事の専門家として、動員した兵数(と当時としては認識した)と
一定時間後に残った兵数で損耗率を出すことは別に間違ってないんだけどね。
ただ、それを援用した左翼学者が思想に基づいて、全部不正義な侵略戦争で死んだ犠牲者だと
意図的に誤誘導してカウントするような姿勢に根本的に問題があるわけで。 40000人ほどの私兵を参加させ、ヘキテイカンで、わずか500人ほどの死傷者を出しただけで、
「講和交渉」
へと導く李将軍というのはどうだろう。
同時代の史料の精査を経ないおおらかさはどうにかならないものか。 >>520
そういうことだな。
戦後の歴史学者の「軍事史」オンチというのはあきらかにある。 HITOSI @HitoshiOfficial ・ 2月9日
反社会的勢力の京都朝鮮学校に未だに補助金を投入する京都府山田知事に対して
道理ある要請質問書を出したが、全く誠意の欠片もない、
小馬鹿にした回答しか寄越さなかったので明日、15時に補助金担当役人と対談します。
役所シリーズ復活です。後日、対談記録音声を公開します。
https://twitter.com/hitoshiofficial
https://www.youtube.com/watch?v=QTGFaUGmKd0 小田原の役の壮大さから見ると、確かに関が原の戦いは残りカスだなw 実は朝鮮役のほうが関ヶ原より諸将はやる気まんまんだった
関ヶ原はやる気なくて日和見や寝返りがやたらと多い やる気まんまん?独裁者の秀吉様が恐ろしくて嫌々貧しい土地に攻め込んだから
死んだら喜んで逃げ帰ってきたんだろ 最初はやる気満々だったが朝鮮の惨状を目の当たりにして途中で嫌気が差したのが正しい そら対外戦争で日和見や寝返りする馬鹿は朝鮮人とルーマニア人位だから。 このスレは重複スレです。
以下に移動してください。
秀吉による朝鮮征伐の軍事分析part12
http://echo.2ch.net/test/read.cgi/army/1477577591/l50
よっこらしょ。
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朝鮮役でそんなことしたら、秀吉に改易される 関ヶ原(上杉征伐)で身の程以上の動員をしたの立花くらいじゃないの?
日明戦争では秀吉が無理な動員令を出したみたいだけど オウム真理教に殺害された坂本堤弁護士(深夜自宅に押し込まれ一家皆殺し)が住んでいた団地の他の住人(7世帯)は、
全員事件の起こる半年前より後に越してきた人達だった。
そのうち5世帯が創価会員の世帯。
神奈川県警は事件当初、この住人達全員に行動確認をかけていた。
その矢先に当時の城内康光県警本部長のレイプ疑惑や
生活安全課幹部がノミ屋を張っていた疑惑が突然次々と出始め、
行確をはずしたら、マスコミからの疑惑追及もとまった。
それで勢いの付いたオウムは脱会信者の家族らを次々とVXガス(今回の金正男殺害で使われたのと同じもの)で襲撃。
当時の官房長官だった野中広務は
北朝鮮詣でから帰ると出所不明の大量の金を政界にばらまいて、自民党の実質的な党首におさまり
公明党を政権に引き入れた。
ネトウヨもまだいないし、韓流ブームもまだ無い頃だったけど、あの頃から俺達の国はもうおかしかった。 ようするに秀吉という巨力なリーダーがいれば組織はまとまって
無気力行動なんて起らない
その秀吉が消えたら豊臣政権が空中分解して
次の強力なリーダーとなるのは家康しかいなかった
つまり鮮役が原因で豊臣政権が滅びたとかそんなのは戯言にすぎないってこと
朝鮮役の否定的イメージを植え付けたいやつが、まるで因果応報のように
無理に朝鮮役が否定的影響があったことにしようとしてるだけ >>535
秀吉という巨大なリーダー亡き後のために五奉行がいるのに、
朝鮮の役がその五奉行の権威を失墜させてしまったけどね。 >>536
5大老5奉行にしたって、江戸幕府みたいなキッチリした役職だったわけでもなく
役職名すらあやふやな存在だよ。秀吉はキチンと組織体制を作らないまま死んだ、
それが豊臣滅亡の原因だ。 >>488
元和航海書とか日本製ガレオンとか朱印船とかあるので伝わらなかったのではないはず
江戸時代中盤以降にも和洋折衷様式の船を作ったりしたが、建造費が高くて和船の代用として使うと採算が取れなかったっぽい 江戸時代の海運は沿岸航路なので、建造費が割高な外洋船構造は必要ないもの。
オープントップの和船の方が積載量も多いし。 流石に北日本海やオホーツク海は不味いと思って水密構造の弁才船を幕府主導で建造したが、
民間に移るとやはり水密構造を排除するのだからどうしようもない スループ型の帆船なら
沿岸用としても扱い易いし
建造費も割安だと思うけど >>542
西洋船は曲材を用いるので、厚板と梁で構成された和船よりもコストが高い 実は堺って、南蛮船が停泊出来なかったんだよな。
港が浅すぎて。 外洋行かないのに港に入れなくなる船なんて普通作りませんわ このスレは重複スレです。
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あと、>>1は死んでください 倭寇が略奪したという推論が根拠で盗まれた文化財が返還されないなら
朝鮮役での戦利品が韓国人に盗まれたら絶対戻ってこないな
【対馬の盗難仏像判決】
日本での窃盗を黙認 日韓関係悪化への悪しき判例に
http://www.sankei.com/world/news/170126/wor1701260036-n1.html
国際条約無視の「反日」世論に迎合した判決 観音寺関係者嘆く「異邦人どころか異世界人」
http://www.sankei.com/world/news/170126/wor1701260039-n1.html 秀吉の死で日本軍が撤兵したとき、チェジュとウルルンからだけは撤兵すべきではなかった。
そのまま日本領として維持すべきだった。 想像してごらん。
チェジュとウルルンが日本領になっていた徳川日本を。 >>552
>返還を求める韓国人が訪れて、鐘の前で泣いて訴えるようになり、
ま、おもちゃ屋の前でひっくり返って買ってくれと泣き叫ぶガキと同じですな。(・∀・) あれは声闘の一種だよ。声闘もそうだけど、大声でスタイリッシュに騒ぐのは、相手に訴えてるのではなく、それを観ている他人へのパフォーマンスだからだ。
そこで、そそっかしいお節介が現れて「あそこまで言ってるんだから、少し譲ってやってはどうか?」と仲裁したり、一方的な訴えを事実と認定するのを待っている訳だ。
従軍慰安婦問題や南京虐殺も、主戦場は韓国・中国ではなく、日本ですらなく、実は欧米だったんだけれど、お人好しの日本人は、これがプロパカンダだと今まで気付かなかった。
最近になって、ようやく本当の問題点に気が付いて、どう対応すれば良いのかを学んだところだ。 このスレは重複スレです。
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あと、>>1は死んでください >>556
朝鮮半島を征服して、なにかいいことあんの?
戦前の日本も半島に進出したけど
土地は痩せているから、土壌改良してあげたし
ダム&水力発電所もつくってあげたし
鉄道・道路・電話・電気・水道とかもないからインフラ整備してあげたし
負担ばっかり、半島への投資を東北に回していれば
東北はもっと豊かになったのに…
幕末、戊辰戦争で新政府に敵対したから、東北の開発は後回しにされたんだよね… 国益を生け贄にして個人や組織の利権を獲るために決まってるじゃないか。
軍はポストと予算増えて喜ぶ
新興企業は新規参入市場が増えて喜ぶ
大衆は馬鹿だから領土増えただけで喜ぶ
東北地方の人間は当然最後に当たるわけで 国益なんて言葉を使うからややこしくなるんだ
個別的に誰と誰と誰がどんな利益を得て、だれが損するのを述べればいい
それを隠したいときに国益なんて曖昧な言葉を引っ張り出すんだ 対馬が韓国領という根拠の地図あった
そしてワロタwww
八道総図
http://www.cas.go.jp/jp/ryodo/shiryo/takeshima/detail/t1872000000103.html
資料タイトル 八道総図
作成年月日(西暦) 1872年
作成年月日(和暦) 明治5年
収録誌 「朝鮮国地理図」
資料概要
内務省地理局旧蔵の朝鮮全図。文禄元(1592)年に朝鮮で筆写したものを、明治5(1872)年再模写した絵図。
于山島が鬱陵島の西側に描かれており、于山島が竹島であるという韓国の主張は根拠に欠けるものであることが分かる。
http://www.cas.go.jp/jp/ryodo/shiryo/takeshima/detail/t1872000000103/t1872000000103-p02.pdf 韓国に唐辛子が伝わったのは
秀吉の朝鮮出兵のころ、日本軍から伝わったんだろ
韓国人は、日本に感謝せよ!! 歴史群像の記事
日本軍の人取りと鼻削ぎネタで前半部割きやがってうんざりだった
ヤンパンの腐った行政が朝鮮の土地を荒れ果てさせてた事とか無視だぜ 日本でやらなかったことをなんで朝鮮でやったのかとか説明してた? いいや、義兵に苦しめられたからとしか書いてなかった
両班を切り捨てなきゃ一から開墾も難しかったんだろうに 俺も寧々さんみたいな嫁が欲しかったな、新婚当時は可愛かった嫁も今では恐怖の西太后。 歴史群像 No.142
2017年4月号
■ 第二特集
敵中に孤立した日本軍2500!厳冬下で繰り広げられた凄惨な籠城戦
慶長の役 血戦!蔚山城攻防戦
慶長2年(1597)、日明講和が決裂。朝鮮へ再侵攻した日本軍は電撃的侵攻で全羅・慶尚道を劫略。
南部沿岸地帯で城塞群を再構築する一方、明・朝鮮軍も一大反攻作戦を開始。
加藤清正の守る蔚山城を完全包囲する戦役最大の攻囲戦の幕が下ろされた――。
http://rekigun.net/magazine/ 戦国時代の日本は当時の最強陸軍国とか言う奴が珠にいるけど、李氏朝鮮の半アマチュア常備軍、一般民衆ゲリラ程度に苦戦している時点で大したことないわ なんでこういうレスする奴は必ず明軍の存在忘れるんやろ >>559
当時市場が増えて主に喜ぶのは紡績業と製糸業。
輸入面で主たるものは穀物に鉄鉱石。
日本の主力産業と国民のほとんどが口にする穀物に影響を与えるから、影響がないのは稲作農家くらいかな?> このスレは重複スレです。
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そういう非対称戦なら大国の軍隊でも苦戦させ得るだろ
米軍がモロ族やベトコン、アフガン人に苦戦してきたように 聞きたいんだけど、この時代や伝統的な中国軍における足軽ってどうだったの?
調べてみれば、中国は伝統的にどのじだいでも万里城に務める人足警備団みたいなのはいるんだ
常時人足、民兵はいたし、明まででも兵員リソースは50万超えてた
(兵員リソースは清ないし、三国志じだいが最大)
けど軍の特殊性と歪性で、足軽という槍兵兵種が十分じゃなかった、あるいは標準化してなかったみたいなんだよね
俺の調べた限りで標準槍兵の活動、編成、練兵、交戦の記録がまるっと出てこない
あくまで俺の調べた限り
そして遊牧民族に常に一方的に撃破されるけど、いかにモンゴルがパルティア戦術でアウトレンジを行っても
矢の数に限りがあるから、どうしても莫大な槍兵を突破することはできない
槍兵足軽が標準化して10-20万編成されてれば、それを突破することはできないのに、軽々粉砕されてる
また槍装備のみならず、その他鎧や古い武器が公称の軍事規模にしては驚くほど発掘されたり、保存されていない
こういった事情から、とくに万里人足のような人足や好き桑の民兵は莫大にいたが
槍兵足軽、正規戦闘員がろくすっぽ編成されてなかったんじゃないかと思うんだよね
民兵、人足だらけなら異常な弱さが証明つくし、また弓関しても孥兵は古来からあったが
相対的に弓兵すらろくすっぽ編成されてなかったんだと 俺の見立てではこうだ
・中国の兵種は古来から孥兵や鎧、剣を備える10%の王立軍、20%の支援の桑民兵、その他支援の人足で構成されてた
・常に万里事業を中心に全土で30-50万は動員されてたが、これほぼ万里人足が中心であり、正規戦力は3-5万、桑民兵ですら10万いなかった
・この兵力が主に万里中心の防城戦に動員されており、万里と孥兵を組み合わせたのが主力のドクトリンで孥兵には積極的に取り組んできた
・そして万里+孥兵+人足+民兵の編成で他国標準槍兵足軽が一般化しなかったため、その前段階のすきと桑の民兵が進化せず、常に動員されてた
・槍兵の標準化がなかったため練兵、陣形、編成が未発達的で万里防城戦が中心であったため、野戦軍自体が発達も編成もされてなかった。だから常に野戦が異常に弱かった
・野戦軍が弱く、野戦の数も少なく、野戦軍は代理的な手段で正規軍数万+民兵10万以上の原始的な人民の盾戦術が代理戦法で主力だった
・よって簡単に蹂躙された
・また基本的に足軽槍兵がなく、孥のコスト負担もあわせて、弓兵、騎兵が十分編成されてなかった
そのため兵力は万里壁、民兵壁の影で単一的な孥の応射で応戦するのみで
弱すぎる民兵か万里を失えば簡単に蹂躙されるので、正規兵による、弓、馬、槍を組み合わせた標準的戦法まで発達しなかった
そのため騎兵なりで簡単に衝撃を与えれば常に用意に戦線が崩壊して徹平した
・逆に足軽、弓兵が十分ならば、同数的な戦力であっても、遊牧騎兵に一定的にダメージを与えられないことがおかしかった
・また日本との応戦でも紙、正規兵で革鎧を装備した民兵ばかりで、足軽級の武装も確認されず
日本への攻撃は100対1じゃないと失敗して、日本の攻撃は1対20までは成功する
・日本軍が銃兵100、騎馬兵200、足軽200の編成で、中国軍が鎧指揮官100、騎馬兵(連絡)200、孥計100門、銃計100門、剣槍兵1000、桑民兵3000、人足5000程度ならば、たしかに戦線的には表面は
日本500対中国1万でも中身は、日本500対中国1500程度ならば、中国軍は押される
・個人的な見立てでは本体や孥兵を守る剣兵、槍兵ですら標準戦法化されておらず、それさえ桑民兵だったから、戦線が全く維持できなかったと予想してる →中国軍は孥兵があるのに、桑の民兵原始戦から抜けられず、槍兵足軽防御の標準化を達成しなかった
だから戦線がもろく、桑兵だから戦線はひと押しで潰れる。
莫大な兵力は槍兵がいなかったから戦線が簡単に瓦解して、そのため莫大な民兵がいるで、槍兵が標準化しなかった
また孥兵があるがゆえなぜか弓兵が進化せず、標準化せず、アンバランスな攻城?兵器の孥と民兵の組み合わせで脆弱であった
そしてまれに代理予備戦力として遊牧弓騎兵を数千から万単位で導入して、これが弓と騎兵の主力だった
当の遊牧集団も革鎧、馬、弓が主力で、槍、馬、弓の三兵の経験と理解があまく、単一的な騎兵弓しか知らなかった
また日本の交戦録だと、モンゴルも明も革鎧と紙鎧が主力で、槍以前に剣が少なかった
おそらく和刀登場以前は標準的剣や槍が支給されたのは一部的で和刀ですら数が少なかった
中国軍の異常な弱さって原始民兵の延長+孥と城防災戦から進化せず
兵科の機能性、連携性がなかったから簡単に戦線が崩壊したからだと思う
また当のモンゴル騎兵もその雑魚を倒しただけで、強くもなかったから他国で破れ
大勝利した外征のバグだっと陥落とワールシュタットは相手側の準備と戦線が崩壊してたのが原因だろうよ
なおワールシュタットはEUは負けたが、その後制圧できてないため、あの程度の軍を相手に3万いても制圧できなかった
→その数で制圧できた中国軍は軍以前の民兵雑魚だった
が答えだと思う でこういった予測をもとにして、バトルオブ島津を振り返れば
・あの戦いは号数20万との戦いになってるが、その20万の報告者は雑な号数を鵜呑みにしてるわけで、正確な数を知ってるわけでもなく
政治的なしわくをもって20万と言ってるから(相手は絶対強者で勝てないから負けても仕方ない)実数はもっと少なかったと思う
古来的に正規戦力は少なかったのと、あの戦いは島津がやはり一方的な接近戦と突撃が成功してるから槍兵、剣兵は十分な数で防御を構成できてなかったからだと思う
規模的には孥、銃、剣、槍、馬、鉄鎧の正規兵2000以上とその部隊用足軽3000の5000の主力と指揮官グループ
革鎧、ナイフや包丁、あるいは包丁槍程度の簡易武装民兵1-2万の明主力兵
現地登用の民兵桑雑魚数万
この程度の公称5万、中身は正規軍5000、民兵1.5万、現地民兵3万の雑魚だからあそこまでなぶれたと予想
じゃないと相手がバカでもあんな結果にならない
中国弱い=原始民兵に勝因を求めるのが合理的な考えで、中国の軍史、記録、武器や鎧の遺物を見る限り、ほぼそうだと断定できる
近年のイメージの中で足軽や騎馬が発達した中国軍の像が歪んだ偶像で事実と異なるんだろう
弱いモンゴルに蹂躙される民兵でなければモンゴルごときに負けない
それこそ
なぜEU軍はワールシュタットで5万の兵力(正規1万、傭兵2万、民兵2万)で大だめーじを受けても
勝ったモンゴルは後退し、後の交戦で勝利を収めたこともあったのに
遥かに規模が多い中国軍は弱いEU軍ですら少数戦力で多少の流血は強いることができたのに
その程度の交戦と撃退が中国にできないのはなぜか
「原始EU軍にも宋の時代のなかくに、正確には金王国が劣る原子軍だから」である そもそも前提から勘違いしてるな。
当時の明軍は徴兵による中央集権軍ではなく、
軍閥の私兵を核とした傭兵だよ。 >>莫大な槍兵を突破することはできない
補給を断てば勝手に四散して崩壊する
支那では籠城戦以外で雑兵が全滅するまで戦った記録はほとんどない 軍閥といっても巡撫総督とその配下の総兵官の人事権は朝廷にあり
巡撫総督といえど軍を私有してたわけでもなければ世襲もしてないので
傭兵と言う事はできても私兵とまでは言えないんじゃないか? KBS「壬辰倭乱1592」、ニューヨークTV&映画祭金賞
ttp://news.mk.co.kr/newsRead.php?no=283286&year=2017 >>589
ちと文意の取り違えがあるみたいだけど、何にせよ人事権が朝廷にあっても
実状に反して行使できるわけじゃないからね。
手元にある『日本戦史 朝鮮役』の文庫現代語版だと、そのあたりについて
「明代の兵制は最初徴兵制であったが、その制度自体の不備のため、次第に
傭兵制となっていた。そのため権力のある諸将はそれぞれ武勇の士卒を養って家丁とした。
家丁すなわち私兵である。李如松・麻貴らはいずれも幾多の家丁を養い、
この役に従軍させている」とあるよ。 精々数十人程度の子飼いはいても万単位の軍の大半は税金で維持さた常備軍だろう
第一文官上位の明じゃ自腹で軍を維持できるほどの力も財産も持ち得ない
もっとも子飼いの食客等を幕僚に任用するから軍をまるごと統率することは可能だが そもそも一万の軍を私有するには五十万石級の大大名でなきゃ無理だが
宰相ですら万戸侯つまり五万石がいいとこの明帝国で
皇族でもなんでもない一将軍が五十万石級の大大名に成りあがれるわけがない >>宰相ですら万戸侯つまり五万石がいいとこ
ちなみに万戸侯クラスの建国の功臣は太祖洪武帝が粛清したので
明後期の宰相は表向きは精々一万石ぐらいだね
まあだからこそ裏では賄賂をがっぽりとるわけだが
公私混淆甚だしくまるで私物化してるようなというものの例えであって
明に大名みたいなのがいたわけじゃない >>593
25万石でOKでしょ?
ま、実際に李成梁/如松、麻貴、劉テイなどは軍閥を構成して私兵が主力だったわけで。
税金を投入してもらうためにアレコレト上手くやっているんだよ。
研究によるとね。 こうして朝鮮人の妄想によるフィクションが、
欧米人に史実認定されるんだよねぇ。
鬼郷とか先々ヤバス >>595
四人役で25万石ですな。でも、明将の権勢をはかるのに大名換算するのには
違和感はあるかな。
日本よりも貨幣経済が発達していて土地自体も売買の対象だったし、
兵は土地についてくるものではなくて金で雇うものなんだろうと。 まだ貨幣が行き渡らず、反物なども併用されてた戦国日本に対して、既に紙幣も使われてた明国では、経済・統治機構が違いすぎるだろ。
問題は、精密で先進的なものが必ずしも良いものとは限らず、特に信頼性とか維持に問題を抱えることがあるって点だが…… 貨幣が足りないのは経済発展が早すぎて生産が追い付かないという珍しい理由なんだよなぁ 貨幣の鋳造なんぞ難しいわけでもなく、戦国時代に私鋳銭もいくらでも有るわけだが、
完成品として中国銭をそのまま入れた方が地金品位も考えればコストパフォーマンス的に
安上がりだったという話だろ。 足尾銅山に代表されるように、江戸時代から銅を輸出し続けていた日本なのに、なぜ貨幣の鋳造は一般的でなかったのか不思議だが、やはり中央政権が力を失っていたからなのかな?
鎌倉時代から、既に天皇を中心とする律令制は崩れていたし、中央政権が影響力を失うと、単なる銅の塊である貨幣は信用を失う……現に私鋳貨でも、甲州金は文句なく使われてたし。 >>602
中央政府による公信力がなければ貨幣は地金価値でしかないのよ。甲州金も
あくまで金地金としての通用だからな。
中国銭も粗悪な銭が発行されることで向こうで公信力が低下したからこそ、
周辺に大量に流出(日本へ流入)したということがあるわけで。
撰銭令が幕府や諸大名など為政者の都合のいいように発布されていた中で、
信長は悪銭であっても罰則を科すことで一定の交換比率を強制して公信力を
担保しようとしたね。 >>597
だから明に将軍の私兵などほとんどないということだろう
朝廷には将軍どもに濡れ衣着せて一方的に処刑するだけの力があり
配下の将兵で死を賭して付いていくものなんてほとんどいなかった
官兵を私物化しているというのと私物であるというのは全然違う >>兵は金で雇う
一万の軍備を整えるのにいくら金がかかると思ってるんだ?
明の将軍にそんな大金を用意できるものなど皇族以外では一人もいない
朝廷から授けられた官職の権限で徴兵徴発して軍備を整えるのであって
明の将軍に朝廷から独立した私兵など基本的に存在しえない >>604
いやいや、だからさー。先行研究をまずは読みなさいよ。
どうやって軍閥が成り立っていたのかを。実際に家丁で構成された軍はあったし、秀吉軍は交戦したんだから。 >>601
当時の日本では品質の良い銭は少量生産しかできない
この辺は鐘も同じ
重要なのは高品質なものを大量生産する鋳造技術 >>607
えらく古い知識で止まってるようだが大丈夫か?
近年では、16世紀の東国で銅銭として主に流通していた永楽銭の大半は
東国で複製私鋳されたものという学説もでてるぞ。 >>609
こちらに村松白根遺跡の報告書がある
http://sitereports.nabunken.go.jp/ja/search/item/11777?f_tag%5B%5D=%E6%9D%91%E6%9D%BE%E7%99%BD%E6%A0%B9%E9%81%BA%E8%B7%A1
「枝銭は中国からの渡来銭を一度溶かして当地か別の場所で鋳銭されたものと推測した。
枝銭の「永樂通□」は,本銭の永樂通寳と比べるとあまりにも貧弱である。」
つまり原料の精製はできずに鋳直したもので、その出来も本家と比べて稚拙 >>610
そりゃ、その枝銭は雑多な銅屑の一つとしての出土だからな。
その報告書でポイントなのは付章にある成分分析で、銅の含有量がもっとも高い高品位の永楽通宝に
日本産の鉛を含んでいる(要するに日本製)という所だぞ。 >>608
銅を輸出してその代金で向こうで糸を買い付けて捌けば、銅の日本国内価格の4,5倍になったというから
交易としては至極全うだな。 >>611
いや、今このスレでの論点は、当時の日本の鋳造技術なので なお近代でもまともな製鉄能力がなかった日本とかいう国
米から鉄グズ輸入しないと戦艦作れない 古刀の性能が優れていたのも、輸入鉄を使用したからという話もあったね このスレは重複スレです。
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あと、>>1は死んでください 日本は国際的な発信をしないからな
そもそもそれ以前に日本の学者はウリナラ史観を批判しない体質なので
遮るもののないウリナラ史観は膨張を続けるのみ 日本が国際的に発信してるのは
子供向けアニメと大人向け変態アニメでっせ 日本の戦艦って八幡製鉄所の鉄で作ってたんじゃないの?
それより前だと戦艦そのものを買ってた時代だし。 統制経済で民間企業の製鉄所新設を禁止していたために
粗鋼需要の半分がアメリカの屑鉄頼みになったわけだが
広くマネジメントも技術の一つと考えれば日本の製鉄技術は
極めて遅れていてそのために自給できなかったということだ 万人義塚
万人義塚は、丁酉再乱(1597年)の時、南原城戦闘で命を落とした民・官・軍1万人の義士の護国の魂が漂う聖なる場所である。
朝廷では、南原城を死守するため全羅兵馬使・李福男将軍が率いる1千余りの軍と明の副ハ兵・楊元の3千兵士に南原城を守らせた。
敵は、8月12日、南原に到達し城を包囲し、13日から16日夜まで熾烈な戦闘を繰り広げたが、衆寡敵せず城民6千人を含めた1万人の義士は、血戦奮闘の末、壮烈に皆命を落とした。
ttps://www.namwon.go.kr/jp/index.do?menuCd=DOM_000000902001000000 30口径のバトルライフルを持っていかなくていいのかな 聯合ニュース
今日の歴史(6月16日)
1592年:朝鮮水軍の李舜臣(イ・スンシン)将軍が玉浦海戦で、壬辰倭乱(文禄・慶長の役)勃発後初めて日本軍に勝利
ttp://japanese.yonhapnews.co.kr/newsite/2017/06/12/1110000000AJP20170612002700882.HTML >>584
>なおワールシュタットはEUは負けたが、その後制圧できてないため、あの程度の軍を相手に3万いても制圧できなかった
ポーランドに侵攻したモンゴル軍の兵数は1万人だよ。
そのレベルの兵数でポーランド国内蹂躙され、挙句にドイツポーランド連合軍が
ワールシュタットで惨敗したんだから、当時のヨーロッパの軍事力は東アジアより
話にならんくらい劣っていたとしか考えられん。 日本も戦国時代後期になると諸侯が連合して万人単位の戦闘が起きるが、基本的に1万人単位の軍勢を動員する戦闘ってのは珍しいんだよ >>631
玉浦海戦が6/16って洋暦換算してんのかね。現在では6月中旬というだけで、
日付はほとんど意味がないように思うが。
まぁ、朝鮮人は反日さえ出来れば細けーことは気にしなさそうだが。 全盛期のモンゴルは渡海作戦とベトナムのジャングル以外では
世界中の様々な場所での戦いで殆ど負けていない
そのモンゴルに勝てなかったから欧州が弱かったというのは可哀想
また当時は遊牧民の騎馬軍団が野戦では農耕民より圧倒的に強い事など当たり前の話であり
だからこそ籠城戦を選択するものだったのに中国の攻城技術を吸収したモンゴル相手には
中東〜欧州の城塞が役に立たなかったから不利な野戦を強いられてしまった 朝鮮通信使の船を復元 来年9月完成目標=韓国
ttp://japanese.yonhapnews.co.kr/headline/2017/06/22/0200000000AJP20170622001300882.HTML
[写真]朝鮮通信使の船 来年秋までに実物大で復元=韓国
ttp://japanese.yonhapnews.co.kr/headline/2017/06/22/0200000000AJP20170622001100882.HTML >>635
帝国の軍を2分して一方は欧州へ、もう一方は南宋へ侵攻した結果、欧州遠征軍は無双したのに
南宋遠征軍は惨敗なんだから、当時の欧州が東アジアよりレベル低かったのは確実だろ 聯合ニュース
今日の歴史(7月8日)
1592年:李舜臣(イ・スンシン)将軍が閑山島で日本軍を大破
ttp://japanese.yonhapnews.co.kr/society/2017/07/04/0800000000AJP20170704000800882.HTML 東亜日報が順天倭城特集(韓国語)
「丁酉再乱」420年前の教訓
ttp://news.donga.com/Main/3/all/20170707/85256069/1
蔚山〜順天、海岸8箇所に築城...内城-外城の二重の防禦構造
ttp://news.donga.com/Main/3/all/20170708/85256758/1
(↓史実と乖離した小説)
【土曜企画】基壇だけが残った順天倭城天守閣... その日の惨状覚えているか
ttp://news.donga.com/BestClick/3/all/20170708/85256753/1 制海権がないのに上陸できる秀吉軍は
航空輸送でもしてたということか 主君の訃報を受けて有利な戦闘を切り上げる事を日本語では逃げるとは言わないw
それはさておき、最初の数ヶ月程で手の内見透かされて以降は数年間もロクな戦果を上げられず、
最期は停戦協定破りの奇襲追撃を仕掛けて逆に射殺される醜態を晒した李舜臣が何だって? >>645
攻撃するしないを決める指揮権を持っているのは明将だから。
李はそんなに偉くないぞ。 制海権失って補給も絶たれてるのになぜか上陸して年単位で戦い続ける秀吉軍は戦略輸送機を保持していたに違いない。 しかし、チョン国家って、300年前の元寇の時に自分たちが日本に侵略しておいて
日本が侵攻してくることを情報として掴んでいながら、完全に無視するとか
どういう構造なんだろうか。まるで朝鮮戦争みたいだな。 それ以上に慶長の役でも南半分取られてるのが何とも間抜けだな 卍は教科書に沙也可を捻じ込んでるんだな
ttp://wakayamau.blog116.fc2.com/blog-date-20160928.html
教科書で戦争経過の概略もまともに説明されていないというのに
わざわざ沙也可如きにスペース割いて載せる必要があるとは思えん 卍といえば
NHKで昔放送された歴史番組で
蔚山の戦いは加藤清正が這う這うの体で逃げ出したのが結末みたいな
史実を逆にした内容を垂れ流してた
この番組を監修したのが卍
これも長篠の戦いで織田コ川側が逃走したというのと同レベルの捏造歪曲 >>651
いかに戦国武将が屈強と言えども、水と食い物が無ければどうしようもない・・・ 実際に精強ではあったしな……糧食なし、補給もなしで十倍の敵に重包囲されて生還したなら、そりゃ立派な戦果だろうよ。 当時の李氏朝鮮には、倭寇との戦いに使われた『刀船』と呼ばれる特殊な船があり、これは船べりへハリネズミのように槍や刀を並べて、敵の接舷を防ぐものだった(記録にも残っている)
また亀船の記録も残っており、こちらは板屋船に装甲を施し、刀船のように刃物をならべて接舷切り込みを防ぎつつ、船内に搭載した大砲で攻撃するというコンセプトが確認出来る。
ただし、当時の朝鮮式大砲は日本でいう大鉄炮サイズが多く、また後装式の仏郎機で威力も劣るため、こうした遠戦指向が、実際の戦闘でも発揮出来たかどうかは疑わしい。
また亀船には龍を模した船首像があり、これは一種の衝角となっていたようで、龍の口の部分に硫黄と可燃物を入れて火を付け、敵に突撃したらしきことも推測出来る。
これらの事から、亀船は艦隊の最前線で敵に突撃する特攻隊であり、装備の多くは接近を拒み、また敵を威嚇する為だけの物だったと考えた方が現実的だろう。
また戦中に建造されたのは僅か三隻だけで、当時の朝鮮海軍の方面軍ごとに一隻という少なさだった(戦後で最大二十隻まで増えた)
因みに、これは韓国人による『亀船』という本に記載されているもので、良い意味で韓国人らしくない、資料を重視した抑制された内容の好著なのでお勧め。 装甲していようがいまいが、安宅船は安宅船だからね。
逆に、素材が革を漆で固めた小札だろうが、鉄の板札を使った桶川胴だろうが、鎧は鎧。文句なく装甲だろ?
中国には紙を素材にした紙甲だってあるよ。 あと『装甲艦』の定義は調べておいて。
日本の鉄甲船も装甲艦の歴史において語られることが多いが、基本的に狭義の装甲艦とは、
(1)炸裂弾が使用され、
(2)クリミア戦争で、木造船に致命的な効果が証明された後、
(3)1854年のフランスで建造された初の装甲艦、『LAVE級』以降
の一時期の艦種を指す。
そりゃ『戦艦』と呼べば、ナポレオン以前の主戦列艦から、前大戦の戦艦や弩級戦艦まで幅広く網羅するけれど、狭義では前大戦までの『戦艦』だよね? ようするに研究者とかいっても脳内イメージで李舜臣が制海権取っただの補給線寸断した
だのと言ってるだけで実際はまともに研究してなくて
ネットのブログとかのほうがよっぽどまともな研究してるのが実態
李舜臣が日本軍の補給線を寸断したという虚構(文禄の役編)
http://tokugawa-tokugawa.blogspot.jp/2011/09/blog-post_10.html いずれにせよ、制海権を失ってない・補給路は断たれてないって主張はネウヨブログ以外で見たことないわ。
ちゃんとした研究者で、そういった主張してる人いたら教えて欲しいね。 存在しなかった亀甲船呼称止めるべき
亀船でよい
このせいで装甲で覆われていたように印象操作される 第一次朝鮮戦争:日本(朝廷軍)VS中国
第二次朝鮮戦争:日本(秀吉軍)VS中国
第三次朝鮮戦争:大日本帝国VS中国
第四次朝鮮戦争:大日本帝国VSロシア帝国
第五次朝鮮戦争:米VS中国
第二次以外いつも同じパターンという。 結局、世界征服のハズが小島すら盗れず逃げ帰ってきただけなんだよなあ >>661
いちおう南蛮のことを知っていて、ターゲットは天竺までだから、
世界征服までは考えていないはずw 当時(というか前後数千年は)中国インドは間違いなく世界最強なんで
領土取れなかったとしても仕方あるまい。
ボケた秀吉以外海外領土に興味なかったし 朝鮮南部だけでもと、必死こいてたのを無かったことにするんですね 既に敵の手口分かってて満を持して迎え撃ったのに
巨済島沖でボコられたから南半分取られちゃったんじゃないの 実際問題、装甲といった場合、鉄による防御を施されたものというイメージが存在する
ならば、鉄による防御を施されていない場合は、装甲という表現は避けるべきだろう
木材による防御なら盾板、竹による防御なら竹束など、それに相応しい表現があるのだから
装甲という表現はむやみに使うべきではない 日本の城見聞録が城そっちのけで戦役経緯の解説やってて、
案の定というか、制海権を奪い返されて食料弾薬の輸送が困難となり、
明朝鮮連合軍が大反攻とかなんとか…まぁ、朝日だし。 夏だし、暑いしw
まぁ、おまえら、少し気分転換しろ!
お山のオカルト置いとく。
ちょっと気色悪いけど・・・
★山霧の巻くとき(山岳ホラー)★
http://slib.net/71604
上松煌 作
(プロフィール) http://slib.net/a/21610/
最後のほう、グロ注意?!! 当時の艦で、鉄の装甲板など貼っていては、機動力の低下と重心の悪化は避けられないから、恐らく鉄甲でないことは確実だけどな。
その上で、上甲板も装甲していたらしい記述は残っているって話しだろうが。
……そう言えば、何気に信長の鉄甲船も、上甲板を上から覆うような装甲はしてないんだな。 もし「亀船が装甲船だった」ということを証明する一次史料があるなら
具体的に提示してくれよ なに? 弓矢でもスポスポ貫けるほどの紙装甲だったのか? 鄭運は日本側の大砲で打たれて死んだんじゃなかった? 甲板もない船とかどうやって操船するんだか
動かず水上要塞的な使い方なら分かるけど 通常の船に蓋した盲船は世界で散見されるから操船自体はできるべ。
重いから足は遅く、見張り能力も低いから海峡封鎖とか動かないお仕事じゃないとただのお荷物だが >>674
しかしなぜか、朝鮮の亀船だけは快速高機動でオールマイティに大活躍という設定なってるよね。 北島の本読んだらびっくりするぞ
戦いの勝者と敗者を逆にするようなことを本当に書いてるから
例えば南原の戦いで撤退したのが日本側みたいな記述をしてる
これは長篠の戦いで織田・コ川が退却したというレベルの捏造歪曲 サムライはさぶらう(従う)からきた名詞
侍と言う漢字も、元来 「貴族のそばで仕えて仕事をする」という意味だとか 『高麗船戦記』は学術的にほとんど取り上げられない代物なんだな 制海権は日本軍は一回もうしないってないぞ。
李舜臣死んでんじゃん。 風土病が酷すぎる。
軍事衛生が発達するまで無理やろ。
殆ど病死。 装甲艦が生まれたのは1854年なんだから、それ以前の船を装甲艦と呼ぶのは適切ではないわな。
故に信長の鉄甲船も装甲艦ではなく、よって鉄甲船には装甲がなかった事が証明される。
変な三段論法だと思わないか? 亀甲船は江戸時代から知られてるぞ。もっとも本来の朝鮮名称は“亀船”なんだけど、
今や日本側名称の“亀甲船”で朝鮮でも通ってるが。 【土曜企画】黒人傭兵 - タタール巨人投入したが...泗川倭城血戦惨敗(韓国語)
ttp://news.donga.com/Main/3/all/20170715/85364841/1 “李舜臣将軍、壬辰倭乱の戦闘は38勝5分け”
ttp://www.hani.co.kr/arti/culture/book/205028.html 日本軍の敗北は鮮軍の戦果で、
日本軍の勝利は明軍の責任、
そんなアホ評価を見せられても
朝鮮以外の人々は困るよな。 記録みれば“撞破”が砲撃による破壊以外を意味してる可能性はない >>690
勝つ度に後方に退却し続ける感じだっけ? >>693
そして北朝鮮あたりから対馬海峡の輸送船団を攻撃するんやで。
空母機動艦隊かな? >>678
『高麗船戦記』は日韓ともに亀船および朝鮮役の海戦に関する基礎史料として引用されてるから、
それが信用ならんということであれば、それを越える亀船に装甲がなかったという“一次史料”を
出せば済むことなので、是非よろしく。
挙証責任はそっちだから、期待してるよ。(・∀・) 自動車が発明されるまでは長らく食料の長距離輸送は船を使うのが常識だった
当時の日本でも当然ながら兵糧の長距離輸送は全て水上ルートを使っている
なのに文禄の役では釜山からの輸送は陸路を使わざるをえなかったのだから
日本側が制海権を失って止む無く海上輸送を断念していたのは明らか >>697
食糧輸送?
食料は現地調達が常識じゃないのか? >>697
一応突っ込んどくけど、「自動車」じゃなくて「鉄道」な。
日清戦争でも苦しんだ、朝鮮内の悪路と厳しい天候は日清戦後に鉄道を引いたので、まったく苦にはならなかった。 それならなんでも言える
「五洲衍文長箋散稿」等によると、晋州城が包囲された際、飛車を作り人々を城から30里外まで脱出させたという
これらを超える、飛車が無かったと言う一次資料が無い
つまり飛車は有ったと言える >>697 日本側が制海権を失って
そのような事実はありません。 >>688,692,696,700その他諸々
オマエいい加減、別スレから引用符もなしでデタラメに書き込みをコピーするのを止めたらどうよ。
この気持ち悪い粘着ぶりはID変わってても、全部スレ立てた>1なんじゃないかと思ってるが。 自由な船舶輸送は難しかったにせよ、占領地域の港を軍港として防備を固め、危なくなったらそこへ逃げ込めるようにしておけば、艦隊決戦なぞする必要はないだろ。
当時の船舶では地文航法が精一杯で、亀船であれ板屋船であれ、長期間おなじ海域に留まることは出来なかったんだから、隙を突いて船を出すくらいはワケもない。
だいたい補給に苦しんでいたのは、清軍だって同じだぜ? >>703
そもそも日本側は半島西海岸の輸送航路確保なんてのは端から考えてないし、
文禄の役の反省から、慶長の役では順天以東の南海岸はしっかり確保していて、
民間業者の船舶が自由に行き来してたからな。
両役通して大動脈たる名護屋−釜山間の船舶輸送は全く無問題だし、
>697は韓国史観丸飲みしてるのか知らんけど、物知らずすぎ。 >>656
その「装甲艦」ってのは19世紀の英"Ironclad ship"、独"Panzerschiff"に相当する物の訳語だから、
朝鮮役当時の船舶に無理矢理当てはめようとしても意味無いだろ。
亀船も安宅や関船も木板での盾板等の装甲を持つ軍船には違いない。 そんな事は俺だって分かってるよ。
ところが「如何なる形であれ、亀船に『装甲』なる単語は使ってはならぬ。
何故なら亀船は装甲艦ではないから」と言い放つ馬鹿が居るので、わざわざ定義から教えてやったんだ。
丸木舟や筏に搔楯を並べたって、装甲と言えば装甲だしね。
後はその『程度』の問題だろ?
関船は楯板で総櫓を設けて居るので、中の兵士が敵の矢弾から身を隠して攻撃出来る。
立派な装甲だと思うし、Wikiにもハッキリとそう書かれている。 当時、軍船に搭載可能な火砲で沈めることができないなら、それは
戦艦並の装甲を持つ軍船、すなわち装甲船と呼べなくはないかね? 当時に限らず、ナポレオン戦争以後も、大砲で船を沈めるのは、ほぼ不可能だったよ。
それに『装甲船』なんて新たな言葉を持ち出したら、それはそれで定義論になってしまう。 シナチョン負けてばっかじゃねぇかwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
DNAオナジナンダーして見下すアホwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
寄生虫ネトサヨシナチョンwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww 【韓国/航空技術】 壬辰倭乱時に空を飛んだ「ピチャ(飛車)」、発展委員会開催 〜ライト兄弟の初期飛行より300年早く[07/27] ★2
http://lavender.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1501153531 ゙'. '.;`i i、 ノ .、″
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: `‘"`―---------‐ヽ``"''''''"" ワイは間違えておらん!戦闘艦の略が戦艦なんや!
とか抜かしたマスゴミみたいな屁理屈捏ねて何か意味があるのか? キチガイ猿バカチョングックwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww スレ2つあるけどどっち??
コピペとなんとかUCはどうかと思うが、戦争目的を達成できてない以上、秀吉の負けというのはその通りなのでは >>718
立ったのはこっちが先だけど、スレ番重複で先スレ記述も間違ってるので
本スレはPart12の方でしょ。
また立て主と思われるヤツが、向こうのスレから引用符もないでたらめな
転載とかいう変なこともやってるし。 韓国の歴史上の偉人を祭る場に日本固有種の樹木、撤去の訴え上がる=「日本の木はあり得ない」「国を守った人の墓なのに…」―韓国ネット
http://www.recordchina.co.jp/b187677-s0-c30.html 「神社でむやみに手を合わせないで」増え続ける訪日韓国人に、韓国メディアが注意喚起=ネットも賛同「きちんとした歴史教育を」
http://www.recordchina.co.jp/b187690-s0-c30.html
そして豊国神社。
こちらは豊臣秀吉が朝鮮侵略を試みた文禄・慶長の役の際、戦功の証として朝鮮兵らの耳や鼻をそぎ持ち帰られたものを葬った「耳塚」がすぐ門前にあることから、韓国人観光客がよく訪れる場所だという。
しかし記事は、同社が出兵の張本人である秀吉を祭った神社であることを知っておくべきだと指摘した。 >>高麗船戦記 [書写者不明], [書写年不明]
ただの怪文書じゃないか(笑) >>722
外岡甚左衛門が天正20年に書いたものという触れ込み 壬辰倭乱の専門家キム・ハンソルPD“李舜臣将軍の新しい戦功と亀甲船竜頭の秘密を語る”
ttp://news.joins.com/article/21863198 【土曜企画】“山城捨てて南原城へ” 明将の下策...「血の殺戮」防げず
ttp://news.donga.com/Culture/more0/3/all/20170819/85889222/1
忘れられた戦争‘丁酉再乱’<7>
7話:湖南崩壊 一応、翻訳して読んでみたがあきれるほどに中身がないな。
亀甲船龍頭の秘密の用途とかの妄想炸裂で、亀船→鬼船で売り出して一儲けするニダ、というだけじゃねw 指摘したらID変えながら連投とか発狂してんのかw
ちなみに>726は私が向こうで書き込んだヤツだな。あっちでは直前の書き込みへのレスだから
アンカーつけてないけど、こっちでは何にレスしてんのか不明だろ。糞馬鹿が。 >>725
南原で楊元が指揮した明兵は北方の騎兵
山城に籠っちゃったら騎兵による逆襲も覚束無いから
平城で日本軍を迎え撃ったのは戦術的に妥当じゃね?
実際、李成梁は女真軍を籠城からの騎兵の陣前出撃でたびたび撃退してる 山城だろうと平城だろうと城に籠れば圧倒的火力差兵力差で包囲され殲滅されてる
その点、鳴梁海戦の李舜臣はさすがだな
右水営などの城には籠らず、日本の先鋒に嫌がらせだけしたら、さっさと逃走して大勝利宣言
救国の英雄とはこういうものだw >>727
やってるよ。いや、やろうとしたと言うべきか
出撃したけど退路を断たれかけて慌てて城内に退却してる(日本戦史・朝鮮役 >>731
別にw付けなくても、できる最大限なことをやり遂げることは、
リアリストな軍人として賞賛に値する
チートに祭り上げられるより、千倍良い ある意味悲劇だよなぁ
リアリスト軍人李舜臣という評価は、まだまだ先か 陸軍は城取られたら生きて帰っても敗北認定されて処罰されるのに、
水軍は勝ちました!って手紙送っていれば撤退しても誉められる。
お得だよね。でも、攻めろと言われると失脚させられるか敗北に陥るのは対日本戦の御約束。 うっかり李disり過ぎて死亡フラグに突っ込まされた元均とかいう悲劇(笑)の人 朝鮮人官僚に従い朝鮮人兵を指揮して戦い抜けるだけでそれはもう才能 李舜臣て戦前の朝鮮総督府が発見して司馬遼太郎が戦後に広めた奴だろ
韓国人はそれでいいのか >>733
いやチートに祭り上げられてるから
w付けたんだよwww
鳴梁海戦で李舜臣のやった事は
戦況を好転させるようなものではなかったが
それを自己プロパガンダの大勝利宣言
それがそのまま信じられて
祭り上げられているのが現在の状況なわけ 李舜臣自身、乱中日記を(他人が読むことを前提に)何度も書き直しているんだから、
リアリストといっても、いかにも朝鮮人らしく、あくまで自己顕示欲と保身に長けている
面でだな。
戦術面では、戦力を分散せず敵に数倍する兵力で小部隊をたたいて回るという
極めて手堅いものだから、そういう定石の運用さえできなかった朝鮮武将の中では
際だってるというだけだと思う。 『乱中日記』はああいう風に喧伝しないと免職される故とは思う
『壬辰状草』の内容は更にお手盛りだし 30隻撃破だから中華圏の割には盛ってない方ではないだろうか
中華なら30万隻撃沈位はフツーフツー あと李舜臣の小ずるいところは、自軍の損害を全くと言っていいほど書き残して
ないんだよね。せいぜいで誰ソレが死んだというくらい。
だから今になって、韓国人が倭船ン百隻撃沈!ウリナラ水軍損害ゼロ!!とかいう
妄想を炸裂させることになる。 まぁ自伝で戦果は盛って、被害は減らすのは一般的だから。
それを見て被害ゼロだとか思える奴の頭は一般的じゃないが 戦死した時の攻撃は戦果出しとかないと戦後の地位どころか命が危ないとかの判断なのかね 李舜臣の場合、競争相手の元均はもう死んでて、
かつ柳成龍との強いコネがあるんで、あのまま戦後を迎えても多分失脚しない。(柳成龍失脚したら巻き添えになるだろうが
碌に活躍してないせいで焦った明水軍主将陳燐の無謀な攻勢に巻き込まれただけじゃないかな。
戦闘中の経過もそんな感じだし。 何言ってんだか。小西と停戦撤退で話をつけていた陳リンを
煽ったのが李舜臣だぞ。
慶長の役では鳴梁の過大戦果報告以外に何の戦功も
上げていないから焦ったんだろうな。で、全く意味のない戦いを
仕掛けたあげく返り討ちにあってりゃ世話はないが。 『軍事史学53‐1』の海自教官の論文というか研究ノートを読んだ奴いる?
朝鮮史料から初期海戦を考察しているんだけど韓国論文の翻訳を見ているようだった。
相変わらず先行研究のダメなところを鵜呑みにして、陸送より海送の方が効率的で日本の海上輸送が失敗しているようなことを書いている。
しかも今どきだよ。せめて戦前レベルの論文を書けや。
近代戦に対応している自衛隊だって派兵先の水や食料は現地調達を優先しているというのに。
効率を考えれば当たり前なんだが。 ほぉ〜う。
すると君は、現地たる朝鮮半島に、調達出来る何かが、充分に在ったと考えるのだねw?
「朝貢が鮮(少ない)」故の朝鮮半島に。 朝鮮半島はその貧しさ故に内陸を縦横に流れる運河が未発達だったw
現代は李舜臣の存在を際立たせるために海上輸送の失敗を難じる向きが強いけど
日本の支配地に海上輸送しても半島の悪路が邪魔したことは日清戦争で証明されてるだろう 墨俣城を築いたさしもの秀吉も朝鮮の水運の悪さまでは予見できなかったwww >>753
それは秀吉が日ノ本の国から一歩も離れなかったのが悪いwww >>751
充分の定義が不明だが。戦線を維持するコオはできていたわけで。
大半の将兵は朝鮮の食べ物や水を飲んで駐屯していた。 どちらにしても、奴らに関わった時点で負けだよ。
ジェノサイドする覚悟が無いなら、かの穢れた土地に足を踏み入れてはならない。 奇形チョン猿に文明の光を与えた偉大なる豊臣秀吉に感謝するべきなんだよなぁ 現地調達は基本中の基本、食料を大量輸送して云々なんて蒸気機関の発達した近代の考え方でしょ
欧州列強も1700年代半ばぐらいまでは台湾やフィリピンみたいな縄文時代レベルの土地しか占領できてない
朝鮮は予想を遥に上回る貧しさだった
だから楊応龍の乱では25万、明興亡に関わるサルフの戦いでは16万を動員した明国ですら
朝鮮には9万程度しか派兵してない、朝鮮を半万年奴隷にしてて朝鮮を熟知してるからこその芸当
何も知らない日本軍は朝鮮を緯度的に東北程度の豊かさの土地だと思ってたんだろうね
結果15万の大軍で駐屯して餓死者が大発生 そもそも砂漠のような朝鮮、満州の地に居座って
首都北京と目と鼻の先の山海関を攻略なんて相当な無理ゲーだよ。 [土曜企画]“朝鮮人はお金になる”…子供-女性まで縄で首を縛って連行
ttp://news.donga.com/3/07/20170909/86241853/1
忘れられた戦争‘丁酉再乱’<10>
10話:朝鮮人奴隷狩り >>761
奴隷狩りは当時の日本(いや全世界で)では極フツーに行われていたし 鎌倉幕府は1239年になって人身売買の禁止を命じるとともに、
例外として飢饉の際の人身売買とそれに伴う奴隷の発生は黙認する態度を示した(
『吾妻鏡』延応元年4月13日・5月1日条
1872年のマリア・ルーズ号事件をきっかけに、時の司法卿・江藤新平によって、
芸娼妓解放令が太政官布告として発せられ、このような人身売買は法的には禁じられた。また、
それより以前の1870年には、外国人への児童の売却を禁ずる太政官弁官布告が出された
日本の奴隷制
奴隷
-Wikipedia そもそもキーセンなんて、公的な制度として奴隷制を抱え、明や清に性奴隷を貢いでた癖に何を言ってるの?
現代に入ってもやってるでしょ? FBIの統計では、アメリカで捕まる売春婦の約1/4は韓国系だよ。 損害が書かれてないから損害ゼロとか
ほんの数人だけ名前書いてるから
その数人だけが損害とかな 鳴梁大捷7週甲… 8日国際学術シンポジウム開催
歴史的意味再照明、韓中日の望ましい未来発展方案議論
ttp://www.honamtimes.com/news/articleView.html?idxno=136070 >>769
国際学術シンポジウム・
韓中日の望ましい未来発展方案議論
といいながら
日本人が一人もいないという
日本語記録が読めず立場の異なる双方の
記録を比較検討する能力のない連中が
議論したところで低レベルにしかならない “エビヤ!”という悲しい根源に基づいて訪ねた対馬耳塚
ttp://www.ohmynews.com/NWS_Web/View/ss_pg.aspx?CNTN_CD=A0002360812&PAGE_CD=&CMPT_CD= [寄稿]釜山大捷は、その歴史的意義を継承しなければならない
ttp://news20.busan.com/controller/newsController.jsp?newsId=20170921000396 ムンムンさん 日本は同盟相手では無い w
為替スワップとか全部引き上げようw
在日さんも帰って貰おうw g 太平洋戦争のときのインドの作戦みたいに
補給とかなしで、食料は現地調達だったん? 池沼ネトサヨバカチョングックwwwwwwwwwwwwwww ユニークで個性的なパソコン一台でお金持ちになれるやり方
興味がある人はどうぞ
グーグル検索⇒『金持ちになりたい 鎌野介メソッド』
FTUEX 領地獲得の観点からすれば日本の大敗北だな。
文禄でも慶長でも、すべての領土獲得要求に失敗した挙句、
何の代償条件も取り付けていない。秀吉も諦めたから、
戦争継続を要求する遺志を残さなかったのではないか?
加藤清正ら「武断派」とされる連中が、石田三成を憎んだのも
領土獲得のあてが外れたからの逆恨みだろう。 面倒だから適当に「圧政に苦しむ人民の解放」ってことにしておこう。
どうでもいいし >>793
実際、李朝の圧政からの開放者として歓迎されました。 義兵として朝鮮人が攻めてきてるのだからそれはない
つーか朝鮮人なんて嘘ばかりつくから反政府なんてあてにならん ま、貴族たる京班じゃない地方の両班(郷班)は、豪族とか土豪のイメージでいいんじゃないの。 :::::::::::::::::::::``ヽ
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ヘ::::::::::::::| ,,,,ヽ._
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、 '、:::::ヽ \_)
ヽ、 `ヾ'''゙ ,´
\ |
ヽ、 ノ
`` ?---? 'い
https://twitter.com/ibuki_air
09058644384 人民解放軍としての日本軍の民間伝承は残らなかったな。
米軍が解放軍となった戦後日本との違いだ。 日本に渡ってきた人たちも、そんなの残していないよ。
江戸時代の秀吉びいきも、
日本軍の武勇を称えるだけだった。
解放軍としての正当化に興味なかったんだな。
日本にとって何か出兵のメリットは無かったのかな? 驚愕の事実拡散
創価の魔(仏罰、現証、非科学的な原始的発想)の正体は、米国が仕掛けてるAI
パトカーの付きまとい、咳払い、くしゃみ、芝刈機、ドアバン、ヘリの飛行音、子供の奇声、ドアバンも全て、米国が仕掛けてるAIが、人を操ってやってる。救急車のノイズキャンペーンに至っては、サイレンで嫌がらせにする為だけに、重篤な病人を作り出す冷徹さ
集スト(ギャングストーカー、ガスライティング、コインテルプロ、自殺強要ストーキング)以外にも、痛み、かゆみ、湿疹かぶれ、臭い、自殺、殺人、事故、火災、台風、地震等、この世の災い全て、クソダニ米国の腐れAIが、波動(周波数)を悪用して作り出したもの
真実は下に
http://bbs1.aimix-z.com/mtpt.cgi?room=pr02&mode=view&no=46
https://shinkamigo.wordpress.com キチガイチョングックざまああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
人面犬畜生wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww バカチョン猿死亡wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
ゲヒャハハハハハハハハハハハハハハハハハゲヒャハハハハハハハハハハハハハハハハハゲヒャハハハハハハハハハハハハハハハハハ 統一(笑)夢見てる劣等生物朝鮮グックwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
受話器豚とブンザイトラのホモセックスwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww >>803
>日本にとって何か出兵のメリットは無かったのかな?
文化財の大量導入じゃないですか?
もしかしたら、秀吉は日本文化の恩人かもしれない。 半島に置いといたらあのアホな民族どうせ無くしてたし
これからは秀吉を文化財の守護者と呼ぼう 座りしままに食らうは
家康と家康血統。
秀吉のおかげだというのに、
豊国大明神を破却するとは。 護衛艦に旭日旗掲揚=韓国の観艦式−海自トップ
旭日旗 韓要請に海自応じず
https://news.nifty.com/article/domestic/government/12145-097843/
(・∀・)ニヤニヤ w jjkioooytexsfhkout 駅で果たし合い、暴行容疑で在特会メンバーら逮捕
11/19(月) 20:05配信 産経新聞
互いに胸ぐらをつかむなどしたとして、兵庫県警垂
水署は19日、暴行の疑いで、大阪府門真市幸福町、
飲食業、荒巻靖彦容疑者(54)と、韓国籍wで兵庫県
高砂市中島、建設業、孫国一容疑者(54)を逮捕し
た。両容疑者は「先に手は出していない」と容疑を一
部否認している。
同署によると、荒巻容疑者は在日韓国人らの排斥を
掲げる「在日特権を許さない市民の会」(在特会)に
所属。18日午前11時ごろに大阪市内で行われたデ
モ活動に参加した際に、対立団体に所属する孫容疑者
と口論になった。神戸市垂水区のJR垂水駅で午後8
時に待ち合わせをしたうえで再会し、再び口論に発展
したという。
逮捕容疑は18日午後8時ごろ、同駅の改札で互い
に胸ぐらをつかみ、胸に肘を押しつけるなどの暴行を
加えたとしている。
外国人は危険だw khhyruiikjk 俳優の新井浩文くん40歳w(青森出身 あちらの人w)
派遣型女性暴行で逮捕か
キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!w sawqsftu 「朝鮮出兵」波乱に満ちた生け捕り奴隷の人生
『渡邊大門』 2019/07/19
https://ironna.jp/article/13016
ここまで捕らえられた朝鮮人奴隷について述べてきたが、言うまでもなく日本人も朝鮮軍に生け捕りにされていた。
歴史学者の中村栄孝氏は、その中で福田勘介の供述を取り上げて、興味深い分析を加えている(「朝鮮軍の捕虜に
なった福田勘介の供述」『日本史の研究』61輯)。以下、中村氏の研究に基づき、勘介の供述を確認しておこう。
慶長2年10月、一人の日本人が朝鮮軍の捕虜となったことが報告されている(『宣祖実録』)。その人物こそが、
勘介その人である。では、勘介はいかなる人物なのであろうか。勘介自身の供述によると、勘介は加藤清正配下の
部将であり、百余人の兵を率いて、全羅道に向かっていたという。
朝鮮出兵中の同年7月に忠清道で捕虜となり、尋問を受けたのである。しかし、別の史料によって、清正軍に勘介が
加わっていたというものが見受けられないので、供述が嘘である可能性があると指摘されている。
中村氏が指摘するように、勘介の供述は的確に重要なことを述べており、内容も十分に信用できるという。その重要
な供述として、日本軍がどのような理由によって、朝鮮人を日本に連行したかが記されている。
普通に考えると、日本軍による朝鮮出兵は、占領を目的としたと考えるべきであろう。当初、秀吉が構想した通り、
やがては天皇、公家、大名らを移す計画もあった。しかし、慶長の役での目的は、決して占領だけにあるとは言えな
かったようである。
(続く) >>832 (続き)
基本的に老若男女にかかわらず、歩くことができる朝鮮人は日本に連行した。生け捕りされた朝鮮人の中には、
貴族や官僚クラスの者もいたという。逆に、歩けない者はお荷物になり、また役に立たないことが想定されたのか、
殺害される者が多かった。
生け捕りにされた者が、人買商人によって船に乗せられ、日本に送られたことはこれまで述べた通りである。勘介は
その目的を明確に述べている。その供述内容を箇条書きに整理すると、次のようになろう。
@朝鮮人奴隷に日本の農地を耕作させる。
A日本の農民は、朝鮮出兵に徴用する。
B@Aを繰り返すことにより、最終的に明への攻撃態勢を整える。
つまり、日本の農地耕作は朝鮮人にやらせて、朝鮮での戦争には日本の農民を従軍させるということになろう。
生け捕った朝鮮人を日本軍に編入するのは、常識的に考えてかなりの困難が伴う。それならば生け捕った朝鮮人には
耕作をさせ、日本人を兵として徴用した方が合理的である。こうしたことを繰り返し、やがて日本人の多くが朝鮮に出兵
し、農村での労働不足を解消するとともに、「明」への臨戦態勢が整うことになる。 アホやなこの低学歴パヨクw
駅前じゃなくて5chで毎日効果ないアベガー、ネトウヨガーしてるパヨクはこいつみたいな低学歴キチガイ池沼しかいないから普通の日本人から支持されず選挙でずっと安倍自民党に負け続けるんだよw
http://hissi.org/read.php/livebs/20200122/THJ2SVNrcksw.htmlいや俺が秀吉が元々武士じゃないかと考えるのは姻戚といわれる加藤清正ともどもなんだが
(身分はそんなに高くなくていい。守護や守護代なんて武士じゃ最上位なんで。守護代のすぐ下でも曖昧模糊になる)
百姓は中国では「多くの姓」転じて「多くの人」という意味だが日本では戦国時代のころは主に農家を指す語になっていたらしい 週刊ダイヤモンド 2020年2月15日号
http://dw.diamond.ne.jp/mwimgs/1/4/-/img_14e83555c240dbdd5a7564a82d0f5fb2595935.jpg
特集
一生役立つ! ビジネス、受験、教養… 世界史でわかる日本史
【Session 3】 近世
豊臣秀吉による外交戦略の「真相」
http://dw.diamond.ne.jp/list/magazine?isd=2020-02-15
実は……世界史で分かる! 現存する史料をひもといていった結果、秀吉の「征服構想」は、
スペインやポルトガルへ対抗するためであったという説が増えてきているのです。 結果はボロ負け
補給の失敗で敗退した国は歴史上数えたら無数にある。 いや、内陸だと海路からの補給ができないから、できる場所に城を築いて越冬しようというだけ >>839
圧勝してたよ
途中苦戦する場面もあったがそれも一時期
日本軍が撤退したのは秀吉が死んだから ボロ負けしたから天竺どころか明にも手が届かなかったんでしょ 7年も居座られて
実力で押し返したなんて嘘言っちゃいけない 慶長の役では、全羅道侵攻後に仕置の城を作るという計画だったけど
具体的な築城位置が全羅道内なのか、慶尚道なのかが不明確だから目標を達成したのかどうか分かりづらい
井邑会議で決まった築城地がはっきりとわかる資料ってないの? 慶長の役で全羅道への進発前には慶尚道へ戻って築城することが決まっていた証拠『八月二一日付、藤堂高虎宛、増田長盛書状
http://tokugawa-tokugawa.blogspot.com/2015/12/blog-post.html?m=1
この文書がホントに存在するなら、慶尚道に戻る予定だったのは間違いなさそう
結局、井邑会議で決定した築城位置は曖昧なままだけど 補給の問題はそれ程起きていない、そもそも殆ど城に籠ってたし
根本的には敵野戦軍の殲滅が出来なかったことに尽きる
野戦で決定的な勝利を得ることが最後までなかったから城を取ったり取られたりに
終始するばかりだった 舟手衆以外の水夫ってどこにいたんですか?
島津勢にも水夫が動員されていたようですけど 北朝鮮、攻撃されれば韓国に核攻撃で対応へ─金与正氏=KCNA
4/5(火) 6:59配信
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ロイター
4月5日、 北朝鮮の金正恩・朝鮮労働党総書記の妹、金与正党副部長は5日、北朝鮮は戦争に反対の立場だが、韓国が軍事衝突を選択したり先制攻撃を仕掛けたりした場合、北朝鮮の核部隊は攻撃せざるを得ないとの考えを示した。国営の朝鮮中央通信(KCNA)が伝えた。ハノイで2019年3月代表撮影(2022年 ロイター)
[ソウル 5日 ロイター] - 北朝鮮の金正恩・朝鮮労働党総書記の妹、金与正党副部長は5日、北朝鮮は戦争に反対の立場だが、韓国が軍事衝突を選択したり先制攻撃を仕掛けたりした場合、北朝鮮の核部隊は攻撃せざるを得ないとの考えを示した。国営の朝鮮中央通信(KCNA)が伝えた。
与正氏は、韓国の徐旭国防相が北朝鮮への先制攻撃能力に言及したことについて「非常に大きな過ち」だと述べた。
同氏が徐国防相の発言を非難する談話を出すのは、3日に続き2回目。徐国防相は1日、韓国軍は射程距離、精度、威力が大幅に向上した多様なミサイルを保有し、北朝鮮の標的を正確かつ迅速に打撃する能力があると発言していた。 >>849
明・朝鮮に情報が漏れてる。たぶん、家康近習の儒学者が情報源だろう。秀吉死去も日本軍の
行動計画も全部バレてた。野戦に出ようとすると逃げ、在番大名を城に残して引き上げると攻撃
を受ける状態になってた。 本当に日本水軍って朝鮮水軍より大規模だったの?
兵数で見たら、日本の水軍って結構少ない気がするけど 文禄の役では安宅船はどれくらいあったの?
ほとんど無かったという話を聞いたことがあるけど 閑山島で戦った脇坂の動員数が1500人だから、朝鮮側の記録にある敵船73隻は過大って言われるけど、脇坂以外の部隊が応援に来てた可能性ってある? 4人か6人で漕ぐ小舟も渡海したので、それが多くを占めていたかも >>859
応援が居たとか居ないとかってというか
元々、共同で出撃する予定だったのに
脇坂だけ独走して突出したところを
叩かれた戦いだったから ここで山下ヲタがここで痩せるか太るかで損切りかな。
安心してドワンゴに巻き込まれて 今回もそれ考えてブレーキかけてから上場来高値突破してきた >>162
山下の時だけ発揮されるからヲチしてみたら
胃がびっくりしておかしくなる ビヨンドは全日残ってるらしい
ここから皮が剥けるのかもしれない パパ活はその写真や動画だけで証拠じゃない
おそらく作ったクレジットカード番号で登録寸前まで持って応援していればいいじゃん?
リバポはそろそろ成仏しろや >>117
インフル詐欺がめくらなくても関係性変わるからしゃーないってさ もうすぐ家に帰れる
きつい
誤爆いたしました、呂布は金とワールド銀じゃ比較してカッコ良かったらもっと額上げてすぐに逃げられたのかわからんから調子がいい今の惨状だろうが 坊主にしてくれ
援護してくれるわけないし
それで最悪死んでる >>854
しかしこういう日は休みでええ
去年一昨年よく働いたやろ >>54
コモディティ落ち着いてきたからそこが衰えるとしんどいわな
第七波が広まり後遺症(イタリア・ジェメッリ大学病院報告 参照)
↑関わってましたってことはないが
もうダメだろこの国 まあ
あわてる必要もないって
二人しかいない
俺は月40買ってるからなぁw ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています