中国系移民、客家の存在
 ここで、今後の沖縄政策を論じる前に沖縄の歴史について要約しておきたい。
 琉球王府が中国に傾斜したことには訳がある。この点がまた、琉球王国が国家としてのレジティマシー
(正統性)に欠ける部分でもある。
 琉球は14世紀頃から明国に朝貢(ちょうこう)するようになった。そして琉球王は明国皇帝の冊封(さくほう)
(一族、功臣もしくは周辺諸国の君主に、王、侯などの爵位を与えて、これを属国とすること)を受ける。
朝貢貿易の返礼は「唐一倍(トーイチベー)」と呼ばれ、琉球王府は10割近い儲けを享受するようになった。
また1491年に即位したとされる尚真王(しょうしんおう)(第二尚氏)は、権力基盤を確立するため沖縄に身
分制度を設け、刀狩りを行い、有力士族には家禄を与えて王府首里に住まわせた。
 ところが民衆は、「地割制」という共産主義体制に組み込まれ農奴と化する。土地私有は一部士族を
除いて禁じられ、一定年限ごとに村落ごと耕作地を交代させられた。さらに、離島農民へは人頭税が課せ
られ、本島農民の3倍以上という重税が課せられた。安政5(1858)年、宮古島で島民が王府の重税を
薩摩藩に訴状で訴えた。

http://inumimi.papy.co.jp/inmm/sc/sect/1-1064094-84/

薩摩が良い人に見えるとは末期症状も極まれりということではござらんか?