「テニアン島を長距離爆撃機(B29)の発進基地にすると決めていました。
そのため、テニアン攻撃を始める前から、海軍の建設部隊である「海蜂部隊」がテニアン基地の建設準備を始めていました。
テニアンが占領されると同時に、海蜂部隊が製糖工場付近に仮桟橋を造りました。
無尽蔵な珊瑚が道路や滑走路の材料として使用されました。
”月月火水木金金”は日本だけでなく、海蜂部隊も週7日の昼夜兼行で基地建設を行ないました。
港から飛行場に通じる道路も、ブロードウェイと名付けられて開通しました。
港の桟橋も完成し、大きな船が直接テニアン島に、接岸できるようになりました。
占領前のように、沖の本船から、ランチで荷物を運ぶことは要らなくなったので、基地の建設は急ピッチで進められました。
島の北部には、占領後35日で一番滑走路(長さ2600m幅60m)が建設され、12月には最初のB29が降り立ちました。
その後11ヶ月でノースフィールド4本・ウエストフィールド3本

合計7本のB29発進滑走路が建設されました。

舗装に使われたアスファルトやコンクリートの量は、ワシントンからボストン(東京から姫路駅)のハイウェー建設に相当するものであったそうです。 
当時                                 
ノース・フィールド基地は、世界で最大・最多忙な飛行場でした。
最盛期には日本への爆撃命令が出た日には、45秒毎にB29が2機ずつ翼を連ねて飛び立っていました。」

「B29 日本空襲 | のいのライブラリ
noidatalib.blogspot.com/2017/05/b29.html
1. キャッシュ
2017/05/27 - 米軍は,1945年7月中旬、マリアナ諸島サイパン島攻略が確実になると、7月21日グアム(大宮)島、7月23日テニアン島に上陸。
20日とたたない8月初旬、
両島を攻略,大規模な航空基地を建設した。マリアナ諸島攻略によって,B-29による日本本土空襲が本格化した
⇒◇サイパン島玉砕の真実:黙殺された1万5千人以上の捕虜参照。 写真(右):

サイパン島「アイスレー飛行場

」:Aerial view of B-29's on taxiway, massed for takeoff from Saipan. American Memorial Park引用。 4.1944年に、日本軍 ...」