冷戦時代のソ連極東方面軍は機械化も火砲も航空戦力も桁違いとされ
対抗手段が第二次大戦の防御戦がモデルの肉弾という形しかないんで
基本的に地元出身者で陸自の師団は編成され郷土を守って死ねだった
北海道は人が少ないんで他所から集めた将兵になるので士気の維持に
このような方法を示す必要があった
未だに航空自衛隊の部隊運用が冷戦時代のままで各飛行隊が偵察飛行隊ですら
護衛、攻撃を訓練し、飛行隊が独立して運用できるようにしているのも
大戦でろくに空中集合ができず裸で敵に攻撃に向かって全滅を繰り返した
戦訓からで、旧軍を背景とする運用の影響は想像以上に大きい