そこで台湾では容易く入手可能なバナナを唐丸籠に山盛り三杯詰め込んで、2式大艇に同乗して鹿児島の指宿に到着した搭乗員さん達は、
搭乗員服姿のまま列車で赴任先の徳島へと向かったそうなんですが、懸念した通り内地の食料事情は悪く「指宿の基地を出るとき、”車中で使えるならば”といって渡されている外食券で、
駅弁が手に入らないものかと、停車する駅ごとに人を走らせてみたが、駅弁はうまく手に入らない」…為、仕方なく籠からバナナを取り出して昼食にした所、
「乗り合わせている人々がこれを見て、みな羨望の眼を向けてくる。子供がバナナを食べたいと言って泣き出すのも出てきた」

そこで竹井さんが、バナナを二本持って立ち上がり、
「その子の傍らに行き、『私たちは、これこれで、旅行中の弁当代わりにバナナを食べているところです。
なにか弁当代わりに口に入る物でもあれば、こんな真似はせんですむんですが、皆さん、すみません」
…とアイサツしにいったそうなんですが、

「聞いていた近くの人が『兵隊さん、大変ですね。これでもよかったら食べませんか』と言って、手荷物の中から芋饅頭の幾つかを差し出して、私たちに食べろという。」

「それに合わせるようにして車内の幾人かの人々が持っていた握り飯とか、おはぎとかを持ち寄って来るので有り難かった」

「私たちの方でも、その人々にバナナをお返ししたが、久し振りに立派な台湾バナナを手にした人々は、その場でそれを食べようとはせずに、みな風呂敷などに包み込んでいた。
彼らは家に帰ってから、家族に今日の車中での話などを聞かせながら、車中で手にしてきた今どき珍しい台湾バナナの何本かを皆で分け合うのではなかろうか。
岡山駅で宇野線に乗り換えるころには、台湾バナナの籠一つは、すでに残り少なくなっていた」

…との事で、当時の日本国内の民間での食糧事情とかも何となく察せられる話なんですが、
最初にバナナを貰った男の子とか、電車の中でカイグンの飛行服姿のオニーサン達から、直接貰った新鮮なバナナの味なんて、
きっと色んな意味で一生ものの想い出になったんじゃあないでしょうか…w

軍板ふたばより