ストラテジーペイジの2018-1-24記事。
天安門の死者については当初、中共の赤十字が2700人と見積もったが、あとでこの数字を撤回している。
なにしろ北京政府の公式発表では死者300人ということになっているのだ。
米国情報機関は、天安門事件の死者は1万人と4万人の間である、とし、それは2014年に発表されている。
英国もこれに同意している。
北京政府の公式見解ではなくとも、個人的に支那政府高官から話を聞けば、たいていは「最低でも1万人」と答えるそうだ。
英国政府はこの情報は信頼できると考えている。
中共軍は、最初の発砲で生き残った広場の群衆に対し、立ち去れば許してやろうと約束し、じっさいには皆殺しにした。
広場にいた全員を殺せという命令が、上から出されていたのである。
死体は粉砕しなければならなかった。AFV(戦車)で轢き、焼き、その上で放水とともに下水孔へ落とし込んだ。
天安門広場は、何もなかったことにするクリーニング作業のために1989-1-4から1ヵ月以上、立ち入り禁止にされた。
証人を消すために1990年まで戒厳令が敷かれ、全国に潜伏した生き残りを探し出して逮捕し続けた。