日本駆逐艦・小艦艇・補助艦艇スレ35隻目
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旧帝国海軍にて艦隊に随伴し縦横無尽に活躍した駆逐艦と、
水雷艇、砲艦、海防艦、駆潜艇、掃海艇、哨戒艇、漁船、捕鯨船など船団護衛等に、
文字通り粉骨砕身して散っていった小艦艇達について語るスレ
内火艇や大発の小舟から給油艦や工作艦等の大型補助艦艇もどうぞ
日本駆逐艦・小艦艇・補助艦艇スレ34隻目
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/army/1558626251/ ヨットのそれは確か、波にバウが突っ込むとハンプ状態からプレーニングにスムーズに移行できないので
持ち上げる方向に力が働くことを期待した形状だったかと 従来のバルバスバウのような複雑な鋼板形成は熟練技師が時間と手間をかけて金がかかるので敬遠されてきて、
最近は流体計算のシミュレーション解析から水面下で前方に殆ど突出しないし
垂直艦首に見えつつしかも艦首から後方に速やかに幅を広げて行って船倉部の並行長さを最大限にとれて容積効率が高く
それでいて造波抵抗が少なくてついでに波浪海面での抵抗も少ないという
アックス型艦首がタンカーに採用してされてるという >>487みたいなのはウェーブ・ピアサー型じゃないかね
大型船ならその上に船体が載ってる形
抵抗減らすのに極端に細い船体を採用すると復元性が保てないんでカタマランみたいな
多胴船になる 凄い情報ありがとうございます。高度すぎてよく理解できない・・・。
ヨットといっても30ノットもでる。 >>852 今アメリカズカップ見て確認したら
波に船首突っ込んでたが、船首がすぐ浮上できる
ためのようだったわ。駆逐艦の事情とは違うねスマソ バルバスバウとは絡まないけれども、日本駆逐艦の船首楼は、艦首が波の下に入ってもすぐに浮力によって持ち上がる様にしてあるから、そこは関係あるかな 駆逐艦の艦首の顕著なフレアは波に突き込んだ際の浮力増大の目的もある訳で
(波への沈み込みが深いほど大きな浮力を生む) 特型駆逐艦のあのフレアは、排水量を抑えながらもホギング・ザギングで船体を折れない様にできる設計及び造艦技術があっての実現だから、あれはすごいと思う 折れたのは船体ラインの設計でなく船殻を薄くしすぎた事によるからだね
ラインズ的な強度上の弱点は艦橋付近にある船首楼の終わりの処理で、戦後の護衛艦の「オランダ坂」で繋げばマシなんだけど
それをやったらやったで次に弱いところに力が逃げるのが悩ましい所
<船体が中央断面形状に近い所まで楼を伸ばしているので設計上のミスとは言えない 松型駆逐艦は最小限のわりには、収まりの良いデザインだな。艦首は1門、
艦尾は、連装で盾ナシとか、よく思いついたと思うわ。
当時なら3門にしても艦尾側は背負いだろうに 橋立型砲艦や日振型以降の甲型海防艦を見ると19年度計画での単装連装各1基なんて別に画期的でもないと思うが 松型駆逐艦の89式12.7cm連装/単装高角砲は、むしろ海防艦と同じで量産性の良い十年式12cm連装/単装高角砲のほうがよかったと思う 日振 (ひぶり) - 艦名は愛媛県の日振島にちなむ。1944年6月27日、日立造船桜島造船所で竣工
駆逐艦松(まつ)は、丁型駆逐艦の第5481号艦として舞鶴工廠で建造[7][8]。 1943年(昭和18年)8月8日、起工
日振型以降の砲配置は松型の後だろ。
橋立型砲艦は起工時期はずっと早いがそれをベースに考慮したかどうかはともかく。
松型は、睦月型・鴻型をタイプシップ >>867
「潜水艦の内殻を射貫する」為の海防艦の高角砲と、
「対空・対水上戦両用目的で搭載した」松型の高角砲を同じ観点で見てるって。 英海軍リアンダー級みたいに艦首甲板がそびえたってから傾斜して艦首砲塔の載る甲板に繋がるアバンギャルドな艦型は好きだ
直前方水平射撃を捨てた潔さがクールだ >>869
機銃用を改造した四式高射装置、あとは砲側でやるから一緒
旋回仰角速度が低いものの、松型搭載にあたり12.7cm砲側も改善していることを鑑みれば問題ない
当時の海軍量産能力そして運用では、91式ないし94式高射装置を積めない小型艦艇に89式12.7cm高角砲を積むのは無駄
91式ないし94式高射装置を積んだ艦に89式12.7cm高角砲を大量搭載し、
91式ないし94式高射装置が積めない艦には十年式12cm高角砲を搭載した方が、
命中精度量産能力継戦能力からも合理的
95式機銃射撃装置や四式射撃装置はLPR式というのも、防空は対空火器ではなく航空機で行うと割り切った為か? 複葉機なら駆逐艦でも積めたんじゃないかと思うんだけど
対潜で活用しようという気はなかったのかな? 米フレッチャー級が艦載機運用を試験してたが、やっぱり艦型が小さすぎて使いにくかったみたい
https://i.imgur.com/HPj7XEv.jpg 12サンチ高角砲は仰角70度まで
装填も旋回も伏仰のも手動で
信管調定も手動
対空でも対艦でも心もとない
護衛任務の海防艦には仕方なく載せてるけど
攻撃兵器である松型駆逐艦には89式12.7サンチと4式射撃指揮を載せるのは妥当 在来型船型に付加物として後付けのバルバスバウとか効果はあるのかな?
艦首に浮力を与えてトリムを改善する効果はも期待したとして >>870
リアンダー級いうから、軽巡の方想像して?となってしまった
12型フリゲートね バルバスバウを後付けって
強度部材の船首材を取り替えになって船首挿げ替えに近いのでは >>868
昭和6年度計画の千鳥型の性能改善前が艦首に単装1基・艦尾に連装1基
>>871
輸送艦1号型に八九式を載せたのが妥当だったか疑問なんだよね >>873
興味が沸いたので調べてみたら最終的に5隻が改造されてOS2Uを運用してたらしい
ちゃんと飛ばして任務に使ってて洋上で回収するのは難しかったそうだけど戦闘にも参加して
写真のプリングルは特攻受けて沈没してたりする・・・ >>878
89式の代わりに十年式積んでも砲門数も荷物搭載量も増やせないし対艦対地火力考えたら89式の威力は魅力かと 対艦対地火力でも89式>>10年式なのけ?
弾重や射程では大差なさそうだが・・・ 一等輸送艦は投入後はもう消耗品扱いされてるけど建造の目的からいけば敵制空権下の強硬突破用だから高角砲はケチれない
特に89式連装だと俯仰旋回が電動なんで、同時期に量産していた海防艦用の人力旋回のタイプの10年式は選べないんじゃないかね >>882
夕張の設計時には89式は存在しなかったし、対空火力の必要性がリアルには感じられなかった時代 根本的に十年式と89式を同じ様な兵器だと考えているのが噛み合わない原因かな? >>885
>>882が聞きたいのは「沈没前、改装後の最終状態」だろ。
俺も夕張の1番砲がなんで10年式だったのかは気になるな。
元の14cmのままや89式だと重量問題とかあって、軽量化だったんだろうか。 >>887
単純に「艦首が細すぎて、自動化高角砲の弾薬庫スペースが取れなかったから」じゃない?<夕張の一番砲架 >>888
それはそれで、14cm砲のままで良かったんじゃ?とも思うんだよね。 >>877
バルジみたいに外板に被せるんでないの?
水蜜がしっかりして入れば浮力もアップ! イタリア海軍はバルジ装着の代わりに「艦首と艦尾付け足しといたよ、水線長伸びて速度もアップ!」とか好きだったよね。 >>888
重くなりすぎて軽量化が必要だった
しかも松型の艦首に積んでいる単装12.7cm高はなかなか生産されず、それを流用することも不可能だった >>865
>当時なら3門にしても艦尾側は背負いだろうに
丁型のあの配置は所要条件からの必然だと思うけどね
最低所要の3門は単装1基連装1基か単装3基となり単装3基なら艦首1基艦尾2基に
ここで艦尾の単装2基を背負いに置くと
・艦尾方向への射撃は二番砲の砲口ブラストが後下方の三番砲に影響
・高角射撃では逆に三番砲の砲口ブラストが前上方の二番砲に影響
ブラストの影響を軽減するため占守型・択捉型の二番三番砲みたく離して置くには船体長が必要(=排水量増大)
背負いでなく水雷艇や掃海艇みたく同一レベルの縦列配置だと二番砲は射界制限が付き火力を活かせないし指向範囲によっては相互にブラストの影響を受ける
後方2門は連装にするのが装備スペースの面からも楽 >>878
艦首単装1基・艦尾連装1基の3門配置は
千鳥型がルーツか!(改装前) 特務艦艇で十年式12cmを載せたのは風早、針尾、洲埼型、大瀬、樫野、伊良湖、筑紫、大浜、八重山、白鷹(竣工時)
一方で明石、速吸、足摺型、大鯨、剣埼型、津軽には八九式12.7cmを載せてる
上掲の各艦用途、殊に同艦形から用途に違いが生じた風早と速吸、同用途の洲埼型と足摺型の差から十年式と八九式のボーダーラインが見えてくるかも知れない
しかし風早の二番三番砲配置は何でああなのか… ユニーク迷彩の飛行艇母艦秋津洲も八九式12.7cm連装二基やね
二番砲が凄く撃ち難そうだけど 夕張は14センチ連装砲塔を一つ下ろして
89式12.7サンチ連装高角砲でもよかったんじゃ? >>899
実質旧式な大型駆逐艦に過ぎないものを手間かけて改装する価値がないと思ったんじゃない? 妙高の改装で余った12サンチ単装高角砲の再利用とか? 手動砲を動力砲に変更するにはそれなりに手間が大変だからでは まあ夕張型って大型駆逐艦相応の規模なのに、航続力は峯風型駆逐艦にも及ばないからなあ
速力自体はあるけど小型な分、波の状況によっては5500t型と大して変わらんだろうし
あれこれ改装したところで、実戦投入はためらわれる性能だな 燃費が戦艦並みとか言うdでも軽巡だしね
そこんとこがもうちょっとマシならもっとずっと酷使されてたはず 1942年の段階で海上護衛隊に回された辺り、余程前線じゃ要らん艦扱いされたのが予想出来る…
天龍型ですら42年中は前線運用されてたと言うに 天龍型 5,000海里/ 14kt 燃料1070t 4.7海里/t
球磨型 5,300海里/ 14kt 燃料1630t 3.6海里/t
夕張型 3,310海里/ 14kt 燃料 930t 3.6海里/t
天龍型が割と使い倒された理由が分かる数字
一応航続距離と燃料の比率で見ると、5500t型と変わらないな(排水量考えると酷い話だが)
ただ、これ以上に夕張型は高速時にはやたら燃費が悪くなったそうだから
燃費が戦艦並みとかまで言われたのはそっちの話なのかも 新造伊勢 巡航全力14.16ノット 2.79浬/重油1トン
新造日向 巡航全力14.45ノット 2.1浬/重油1トン
改装山城 基準速力14.4ノット 2.3浬/重油1トン
新造長門 12速力 11.6ノット 2.22浬/重油1トン
改装長門 基準速力16.16ノット 1.59浬/重油1トン
参考 新造伊勢10節速 10.65ノット 3.81浬/重油1トン 補足、909は新造長門のみ混焼罐3と重油専焼2の使用時。
他の艦の数値は重油専焼のみ使用時 参考
改装扶桑 基準速力14.6ノット 1.78浬/重油1トン
改装扶桑艦尾延長後 基準速力16.3ノット 1.70浬/重油1トン
公試実測値からなので海面状況で結構数値が変わってるような感じがしますね。
909の新造伊勢日向は排水量で200トン伊勢が重く、計測軸馬力は10,104と10,704で日向が上、使用罐数は専焼9で同じ。 船体設計側からは機関重量の見積もりの不正確さがしばしば悩みの種だったそうだが、馬力が5%も変わるとは
色んな意味で職人頼りだったんだな 燃料消費量の見積もりも計画と実際値でしばしば乖離が生じてたようだし 言うて殆ど全てがハンドメイドみたいな時代なんだから仕方がないやん
CADも無い時代に何百トン何千トンの艦を作ってた事実の方が怖いわ
数えきれないほどの図面をどうやってチェックしてたのかも想像出来ん そりゃ人海戦術よ
昔の会社の事務員の数なんて信じられないほど多いのと同じ >>915
だから同型艦作ってるところはあとの方が現物チェックできる分手慣れてくるとか普通にある
もちろん急造で粗雑になるパターンも多いが あとは、燃料余熱とか飽和蒸気とか始めた頃なんで、その辺のノウハウの蓄積が不十分だったあたりとかね
その辺は、水力発電メインで新規開発してた日本と、石炭石油消費上等で定格蒸気定格回転で長時間運転バンバンやってたアメリカの火力発電からのフィードバックの差って指摘もあるよね 吹雪型のキセル型吸気口が海水を吸い込むからとお椀型に変えたら
吸気が煙突の排気の熱で加熱されて缶に行く効果で燃費が良くなるとか
その辺、積極的に吸気の余熱の利用が増すとか、試行錯誤だったのかね?
5500トンだと缶室を経由して吸気だから、吸気余熱できないじゃんw ・戦艦
金剛型 9,800海里/ 18kt 燃料6480t 1.5海里/t (金剛改装後)
大和型 7,200海里/ 16kt 燃料6300t 1.1海里/t
他の改装戦艦は大体16kt/1.8海里/t。
・巡洋艦
高雄型 5,050海里/ 18kt 燃料2,318t 2.2海里/t
阿賀野型 6,000海里/ 18kt 燃料1,420t 4.2海里/t
・駆逐艦
夕雲型 8,000海里/18kt 燃料600t 8.3海里/t
松型 3,500海里/18kt 燃料370t 9.5海里/t
こうしてみると、デカいからしょうがないにしろ大和を動かしたくはないな、と思う
あと重巡の燃費は戦艦とそこまで変わらない位に燃費が悪いようだ 大排気量マッスルカーと軽量スポーツカーの差みたいなもんかね。
エンジンがどうこうというか、軽さは正義というか。
車でもロータリーエンジンのRX-7にアメリカンV8エンジン(OHVでエンジンの高さ低いから普通に載る)積んだら、
パワフルだし軽くてロータリーより燃費いいしでいい事づくめだったと聞いたことある。 >大和型 7,200海里/ 16kt 燃料6300t 1.1海里/t
どっかの本では満載の95%の重油5990トンを積載して
16ノットの航続距離は1万海里を超える計算とかいうてた
7200海里は計画だけで、燃費は実際はもっと良好なんでは? その数値が計画値か実測値かは知らないが、「造機の連中はサバを読みすぎ 事前に燃費が分かっていれば燃料庫の分もっと小型に出来た」
と造船官がこぼしてたな 7,200海里/ 16ktの数字は一番一般的なカタログ値を使ってる
「実態はもっと走れた」説は数字がはっきりしなさ過ぎてね
「1万海里は走れた」「いや1万1千海里だ」とか言われるが…
ぱっと探した限り、一番長かったのは「12,100海里」だけど
ここまで来ると長門より燃費が良くなるから流石に疑念を呈するな 内火艇や大発の小舟から給油艦や工作艦等の大型補助艦艇もどうぞ 5500トン型の通風は、重油専燃缶にあわせて缶にだけ空気送れば良いというもう少し後の設計視点と、
人力投炭世代の設計だと缶室全体で風を通さないと缶室員が熱で倒れるからって逆のノウハウの結果なんよね
だもんで、敗戦間際に石炭混焼缶に改造したSB艇とかは、通風ができないから缶員が30分持たない、連続全力は15分とか泣き入ってる 重油は加熱しないと流動しない特性とタンクに使えないスラグが大量に発生するので
搭載量の20〜30パーセントは常に使えない状態だとか
なので最大搭載量から割り出した燃費はかなり現実離れしてるらしい >>927
それは戦後の中東産原油メインのC重油だからじゃ無いかな
当時も缶用重油はC重油で名称は同じなんだけど、今のやつほど粘度もスラッジも大きくなかったはず
<質が良いというよりも、途中の補給船なんかの力量でああまり酷いモノはもってこれない >>907
第一次ソロモン海戦に参加してなかったか夕張 >>924
「カタログデータ」ってのはそういうもん。
達成できてなきゃ大問題だが、達成できてる分にはそれより性能良くても何の問題も無いし、いちいち修正しないことも多い。
結果、劣化してるはずなのにカタログデータ発揮できる機械なんてのが存在する。 >>929
第二海上護衛隊としてな。
元々はラバウルで留守番だった予定だったが第18戦隊の参謀が直談判して無理やりぶっこんだとあるね
で、本来は前衛に立つべき軽巡ながら「邪魔にならんように」と後尾に回されてる。 天龍・夕張も充分場違いなんだけど
夕凪と言う究極の場違いが居るお陰で
許されてる感があるよな・・・ >>931
俺(夕張)も連れてけ!と最前線への参戦に
志願したのが凄いな。
オルモック行きとは大違いな状況でもあるが。 結局、夕張って臨時編入されて第一次ソロモン海戦に参加する直前に
タービン1機ぶっ壊れて速力が出ない状態で参戦してるのよね
現場は「何であんなん連れて来たの?」って雰囲気だったんじゃないかと >>933
いや、談判したのは第二海上護衛隊(夕張・夕凪)じゃなくて、第十八戦隊(天龍)の参謀な
(同じ戦隊の龍田は当時輸送作戦に従事中)
だもんで、「俺(天龍)」も連れてけ!アイツら(夕張・夕凪)もきっと思いは一緒です!」
みたいな話で、当の第二海上護衛隊(夕張・夕凪)が実際どう思ってたのかは謎
(第四艦隊隷下の部隊なのだが艦隊司令に伺いをちゃんと立ててたのかが怪しい辺りが日本軍っぽいと言うか) そんな状態でも連れていけというのは日本らしいんだが
こんなんじゃ勝てないよな >>936
いや、第一次ソロモン海戦に限って言えば勝ったんだが・・・何の話だと思ってたの? >>928
いやAとかCとかは流動性で付いてる等級なんでC重油は加熱しないとポンプで送れないのは同じよ
洋上補給だとA重油使ったり日本は余剰の灯油を入れてポンプで吸えるようにしたそうだ
船の重油タンクは蒸気管で加熱するようになってるのが普通だし ボイラーマンやってたけど、C重油はタンクの底に溜まっちゃうんでモーターで攪拌してた
それでも冬場だとタンクの残量が2割くらいになるとほぼC重油しか残ってなくて、加温しててもバーナーがしょっちゅう詰まってたよ 第一次ソロモン海戦で戦術的には大勝利したため、第八艦隊の面々の態度が凄く
デカくて正直どうかと思った、てな回想は結構あるよね。
大勝利したため、どんな無茶な作戦もやらせたし、何を言っても正しいという雰囲気があったそうで。
タフネスタナカの田中提督も鼠輸送での駆逐艦の使い方に対して第八艦隊の参謀達と
相当喧々諤々してたのが左遷の原因ともいわれてるし。
ガ島撤退後からスタッフが入れ替わってそこまで傍若無人じゃなくなったみたいだが。 程度問題だけど、大勝利を実現したスタッフが大威張りというのは、軍事組織としては逆より遥かに健全だという気もする。
日本海軍はハンモックナンバーみたいな別の要素が強すぎたんじゃないか? >>942
幾ら威張っても命令に従ってれば何の問題も無いんだが
統制の緩い日本軍の場合そういう勢いが付くとそこに命令系統無視が入る事が大問題よ
そういう事が行きつくと現場(山本)が軍令部の作戦にまで口出した結果のMI作戦大失敗になるし >>939
その補給の都合で足切りされるから、燃料タンクのスラッジが2割ってのは大きすぎるのでは?って話じゃないの?
この話、荒天下航行でのオーバーフローの問題から燃料タンク容積の9割までして入れないとか、ポンプ位置の都合で1割は残るって話と混じってる気がするんだよね >>945
今の日本のメンテが行き届いた重油タンクでも使用できない堆積物や汚染油が1割くらいらしいし
当時の軍艦の重油タンクで2〜3割は使えないという見積もりは多すぎには思えないけど 燃料がギリギリで乗員がタンク内に入って残ってた油を人手で文字通り掻き集めて使ったような話を読んだ気がするんだけど
タンク容量の2割3割がスラッジで残ってる状態だとタンク内に入って作業できるんかなあ 戦艦大和の特攻の際にも「タンクの底に残った帳簿外の油をかき集めて云々」って話があるし
2割も3割もスラッジが溜まるとは考えにくいな
てかここだとC重油でスラッジが4%、とか出てるけど
https://www.jsanet.or.jp/qanda/text/q2_14.html
スラッジが1割っていったいどこソースよ? あと駆逐艦の海水補填装置が付いた重油タンクだと
タンク容量の2割も残るような流動性が低いスラッジは中央タンクのせり出し口や舷側タンクへの流入口に詰まりそうな気も 戦争末期、積んだ重油に塵埃が多すぎて、入れ直した駆逐艦があったな・・。
雪風か初霜だったか、と思って調べたら、椎だった。
>>
その20日に単艦舞鶴を出港した「椎」は21日に下関を通過します。
この1週間後の27日夜、下関海峡にはB29によって機雷が投下されており、「椎」は微妙なタイミングで触雷を免れていたことになります。
瀬戸内海に出た「椎」は22日、徳山にて重油を補給。
ところがせっかく搭載したこの重油が不良品で、塵埃が大量に混入していたために重油の積み替えを余儀なくされ、予定が更に遅れてしまいました。 >>948
それはボイラーで燃やす時に分離される汚染油で素でそれだけのスラッジが含まれるって話よ
タンクに重油を入れて使いまた入れるを繰り返してると底にどんどん使用できない堆積物や
汚染油が溜まっていって増えていくから2〜3割にもなったという話
清掃してすぐならそれだけ少なくて使用期間が長いと使えない量が増えていくわけ レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。