>>253
>そら帆走や櫂走で動くしかない当時の船じゃ、基本的に潮流や風に詳しい迎撃側が有利でしょうよ
>戦場も沿岸だし

たから豊臣軍が半島南部の海岸線や港湾を緊密に相互支援する複合要塞化してしまうと、李舜臣ご自慢の
亀甲船団()も最大策源地の釜山に近寄る事すら出来ず、結局秀吉の死により日本軍が総撤退するまで
釜山は保持され続けたんですよな。

当時の軍船は基本ガレー船だから航洋力が極端に低く、海岸線沿いの拠点や泊地を伝わなければ
目的地に辿り着けませんでした。

しかし秀吉軍によって半島南部の港湾や泊地が根こそぎ抑えられてしまうと、荒天時や夜間の停泊が
出来ずに迂回も強行突破も図れないから、日本本土からの補給や増援は遮断できないままでした。