私が佐々木俊尚を批判するきっかけになったのは、彼が「弱者憑依」と言い出したからです。直接の当事者でない人が社会的弱者やマイノリティに味方することを、彼はそう呼んで批難しました。

佐々木俊尚の「弱者憑依」は一見、偽善に対する批判として正当に聴こえるかもしれません。しかし、人は当事者でなくても弱者や少数者の側に立つことがなければ、身体障害者も被差別部落も少数者ゆえに決して救われることがありません。

佐々木俊尚は知っているかな。「ナチスが共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった。私は共産主義者ではなかったから。彼らが労組を攻撃したとき、私は声をあげなかった 私は組合員ではなかったから。
そして、彼らが私を攻撃したとき 私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった」

黒人はアメリカの人口の12%しかいません。多数決の選挙だけでは決して黒人の人権は守られません。そこでキング牧師は黒人の窮状を訴えて、多数派である白人が黒人の人権を守ろうと考えるようになりました。しかし、それも佐々木俊尚に言わせれば、「弱者憑依」になってしまうのです。

佐々木俊尚にならうと、ゲイでない人がゲイの側に立ち、黒人でない人が黒人の側に立ち、身体障害者でない人が身体障害者の側に立つことはみんな「弱者憑依」として否定されてしまいます。それは多数派独裁です。
民主主義とは多数決のことではない、というのはそういう意味なのです。

少数者を踏みにじるのは民主主義であるはずがない。だから、私は佐々木俊尚を中立的な穏健派だとは思いません。彼の「弱者憑依」という言葉は多数派の専横を意味するファシストの言葉だと思います。