国家といわず、共同体には、責任が伴う。 …べきなんだよ。そのための中央集権であったし、王侯貴族はそういう人間として存在してきた …はずなんだ。
いろいろ徴収するかわりに、インフラ整備に責任をもつ。共同体内の人命と生活を安定させる。
儒教とくに官学としての朱子学なんか、理屈はそんな感じだ

一方で、民主主義の名のもとに無責任になっていく政体は… なあ? という気がしてる。
言葉だけが踊る。喜劇コメディなのか、マスコミか情報局なのか。

そこへいくと、独裁とか揶揄された、される政体の方が、責任をもっていた、もっている …という気がしてくる。今のやつを見てるとな。

今なにやってんだ? 国民を守るための戦争なのか? そもそもそんな言い方はしていないかな?
正義! という宗教ぐらいか。

土地を守るためという大義名分のためなら、一般民はいくら死んでも構わないらしい。
そして、指導者や宗主国や情報機関は、そもそもその土地出身ですらない。 歪だねえ

でも、マスメディアだか情報局だかの影響力があれば、なぜか命令が通る。
少しの人間の政治生命と、土地? 国? を守るために、多くのたくさんの人間が一杯死ぬ。

もっとも、人間としてカウントしてるかどうかも怪しい。
指導者層と一般民で人種も言葉も違う。
その上、戦死者数を改竄してる可能性すら大いにある。というか、してるだろう。