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待機児童問題の本質は、保育園が少ないことでも、子供が多すぎることでもなく、
「我々大衆から育児を奪い、「働く」という選択肢しかないほどに、賃金が低くされ、貧窮化させられているこの現代社会」なのです。

この「女性が活躍できないではないか!」という声が国民から上がっているように偽る流れは、都合が良い概念であり、
この概念を敷設することで、貧窮化という本質から目を背けさせ、労働化と貧困化、貧窮化を当たり前化、普通化しようとしているわけです。

子供を保育園に入園させ、働くという行動は「子育ての本質」、そして「愛情」というものの欠如が共に顕在化しています。

貯えや収入があるのに子供を保育園に預けて、働きたいというのは、そもそも「子供を産み、育てる」という行為自体と矛盾しているのです。

子供の人数に対して明らかに少ない保育士の数、厚労省の指導、営利企業としての責任回避からくる業務的にならざる負えない子供と保育士の接し方の問題をとっても、施設での愛情は幼児には絶対的に足りません。

むしろそのような子供と密な関係になる現場を、許さないのがお上の方針であり、それに従って義務教育現場から保育所、幼稚園まで営まれているのです。

母一人、子一人でも絶対的に母親のオーバーワークになり、他者の助けが必要であるのに、それ以上に劣悪な環境(施設)に子を置くことは普通の親であれば避けたいはずです。
(もしこの点がわからない方は、幼少期に保育所などで「人の心に与える悪影響」と保育所の経営実態を理解していない人でしょう。)