羽生の実像に迫るA

さて、19歳で竜王になった羽生だが、翌年1990年は谷川の挑戦を受けて1-4で負けてしまう
そして、翌年1991年は前年66歳の大山が挑戦して獲得できなかった棋王を南から3-1で奪取する
当然この頃の羽生は成長分があるから竜王を獲得したときの19歳羽生より強くなっている
しかし、ここでも結論は羽生が強かったというよりも「当時の棋士のレベルが低かった」というほうが説得力がある
何せ、前年に66歳の大山が挑戦者になれるほどの低レベルだったのだ

羽生教の信者が羽生が強かったからだと強弁できない事情も潜んでいる
なぜなら、その21歳羽生棋王が68歳の大山に天王戦で負かされてしまったからだ
だから、「まだ強くなる前の羽生だから68歳の大山でも勝てた」と弁解するわけだが、そのことが逆に強くなる前の羽生でもタイトルを獲れてしまうほど、当時のプロ棋士が弱かったことを認めたことになる
こうして、4年後七冠獲得まで突き進むわけだが、4年間で相手のレベルはさらに落ち込んでいる
大山は死去し、中原でさえ40代後半に突入して実力棋士のロートル化が一段と進んだのに、羽生と同時にA級昇級したのが加藤一二三だった
で中原を倒して名人になったのが後進の棋士でなく49歳の米長だった
ポスト中原は谷川しかおらず、羽生と同年代や羽生より年少の棋士がC1やC2棋士ながら次々とタイトル挑戦に名乗りをあげることが可能な時代だった
中心となるべき30代A級棋士からすると1986年〜1995年は屈辱の10年間だった