B時代背景比較
1 将棋人口と棋士数A
二上が入門したのは18歳のときだった
奨励会に異例とも言える突き出し二段で入った
異例とは言っても29歳の花村がアマからいきなりプロ五段になった例もあり、二上にも当初からプロ四段という話もあった
その背景には当時の棋士数が絡んでいる
二上が入門した1950年はプロ棋士は70名に満たなかった
http://www.ne.jp/asahi/yaston/shogi/juni/class_member.htm

つまり、日本中で70位までに入れるぐらい強くないとプロ棋士になれない時代なので、今だとプロで十分通用する人がアマにも多く存在していた
二上は17歳でプロでもおかしくない人間が集合するアマの全国大会に北海道代表で参加し本戦まで行ったことから実力はすでにプロであったし、その若さからA級棋士になれる器とみなされたわけだ

棋士数が少ないからプロ棋士のレベルも低かったという主張は錯覚でしかない
奨励会や順位戦での競争による淘汰は儀式に過ぎず、今も昔も棋士の逸材は入門時にほとんど分かる
二上は12勝4敗という昇段規定を無駄なく二度クリアし在籍わずか8ヶ月で奨励会を卒業した
プロの対局は半年先までなかったが昇段は順調で24歳で入門してから6年でA級八段となった
このスピード記録が破られることはないだろう
今の棋士数だと昇段は簡単にはいかないだろうが、それは新陳代謝が遅くなることを意味している
新陳代謝が遅ければA級棋士のレベルは高くなるのもその分遅くなるだけなのだ

二上は1932年に生まれた218万人のトップに立ったばかりでなく、戦後にプロになった全棋士のトップになったわけだが、その二上でもアマ全国大会では2回戦で敗退した
当時のアマトップのレベルは今のプロ並みだったのである